明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

柏市のゴミ出し事情

2019-04-20 22:25:17 | 生命・健康・医療
柏市の市民サービスなのかどうかわからないが、こないだ我が家の玄関に不用品の回収案内が入っていた。しかも「無料」である。こないだテレビをSONYのBRAVIA32インチからPHILIPSの436M43インチに入れ替えたばかりで、不要になったSONYを捨てるのに業者を呼ぶかどうか迷っていたところだった。グズグズと迷っていた優柔不断さが、結果は「グー」となって嬉しいことこの上ない。柏に引っ越してきて2年半になるが、こんなサービスは過去に一度もなかった。何か新しい業者が宣伝のために企画した可能性もあるが、定期的に行ってるのでない事は間違いない。だとすると、今回だけの超ラッキーな出来事に偶然巡り合ったというのも、私の日頃の行いが良かったからに違いないのだ、流石強運の男!。

ホコホコと気分が良くなって、ついでにホコリをかぶったまま玄関先で死んでいた「ターンの折畳自転車」も捨てることにした。買ったところに持っていけば引き取ってくれるらしいので、いずれ処分することは決めていたのだが「これも行っちゃえーっ」と調子こいてテレビと一緒に出してしまった。邪魔なものをバッサリ捨てるというのは、実に気持ちがいいのである。こういう喜びをゴミ屋敷で批判を浴びてる老人にも教えてやりたいもんだ。

柏市の私の地区は、ゴミ出しの規則がそれほど厳しくなくて、燃えるゴミが火・金、プラスチックが水曜日と決まっていて、これでほぼ生活ゴミは事足りる。後は、資源ゴミが空ビン・空カン・PETボトルに古紙・古着・金属類。プラスチック製品と陶器やガラスなどのワレモノが不燃ごみ、で終わり。有料専用袋をコンビニで買えば、何のストレスもなく生活できるのである。

私は柏で2年半暮らしていてゴミ出しルールで処理出来なかったのは、先程のSONYの32インチテレビだけなのだ。これもビックカメラの馬鹿が引き取ってくれていれば何の問題もなく済んでいた筈なのに、だ。大体がビックカメラというのは「お客様の求めるサービス」を意地でも無視しようとする大馬鹿傾向がある。以前スマホに入れるSIMを買おうとして契約時の本人確認で「運転経歴証」を出したら、「期限が入っていないからダメ」とぬかして、わざわざ家までマイナンバーカードを取りに戻らされたことがあった。こんなことは他の店じゃ一度もない。テレビ引取だって「モニタ兼用テレビ」と「モニタ」では「種類」が違うから引き取れないとふざけたことを言って引き取らなかったのだ。そんなことは「お前らの都合だろうが!」と、私はカッチカチに頭に来た。柏にはヤマダ電機やケーズ電気が無いので仕方なく必要なものは買いに行っているが、今度奈良に引っ越したら「絶対に」買ってやらないからな、覚えてろよ!

・・・てな悪態を「ついつい」言ってしまうのがネットの悪い癖である。匿名性というバリアーに守られているという思い込みが、決して表に出ないはずの「人間性の闇」をさらけ出しちゃうのだ。あー、イカンイカン(反省)。

そもそも私は父の仕事の関係で引っ越しが多かったから、荷物はいつも最小限の必要なものだけにするよう躾けられていた。それが良かったのかどうか、あまり物に「こだわりや愛着」を持たないように育てられたみたいである。私は捨てるまでは時間がかかるが、いざ捨てるとなると「あっさり全部」捨てちゃうタイプなのだ。いま現在使ってないのならば、捨てても困らない理屈である。どちらかと言えば、「過去の思い出」より「明日の夢」に目が行く未来志向なのだ。身軽ですねぇ。

翌日朝、目が覚めて外のゴミ出し場所を確認してみたら、出した不要品がすっかり無くなっていたので、大成功。思わず「やったぜベイビー!」と笑いがこみ上げた。なにより無料である。業者に頼めば5000円ぐらいは取られるから、柏市に心から感謝だ。柏市が案外暮らしやすい土地柄だというのは最近思った次第である。小学校に上がる前に水戸から大分市に引っ越したのを皮切りに、これまで引っ越しを十何回もやっている「引っ越しプロ」の私だが、自分で場所を選んだのは3回だけである。最初は会社勤めし始めた頃、渋谷の松濤地区近くで1Kのアパートを弟と二人で借りた。これは人生初めて一人で暮らした記念すべきアパートだが、単に「渋谷に住みたい」という見栄だけで引っ越したので、夜の遊びなど駆け出しの社会人には出来るわけもないことがわかり、1年そこそこで出ることになった。次は葛飾区の方で、憧れの女性の家の近くに住みたいという、これも引っ越してどうなるわけじゃない理由だからあっという間に破綻して、また引っ越しと相成った。この時期は家の鍵を会社に忘れて公園で寝たり、徹夜で残業して翌朝会社のベランダで眠りこけているところを起こされるといったことが続いて、心身ともに荒んだ毎日を送っていた頃である。それで北松戸の駅前の居酒屋の二階にアパートを借り、ここでは落ち着いて2年ほど住んだ。部屋から北松戸のホームがよく見えて、電車が来るのを見てから家を出ても乗れる、というのが自慢だった(今にしてみれば、つまらないことだが)。ただ一つ、このアパートからバイクで10分位のところに洒落た喫茶店が一軒あって、瀟洒な東南アジア風の籐椅子のインテリアにピアノなんか置いてあり、そこのアルバイトの女子高校生たちの質の高さも相まって、優雅な気持ちにさせてくれた場所である。そこでの生活がいままでで一番幸せな時だったかも知れない。なにより、本物の自由があったのだ、感慨深い。

新しい場所に住もうと決める時は「いいところ」ばかりに目が行ってしまうものだが、案外住んでみないと分からないことが実は、生活する上で大切だったりするものである。北松戸は気に入っていたが、夏場に下の階から厨房の熱気が壁を伝って、私の家の押し入れの天袋から吹き出してきた時には死ぬかと思うような暑さで、もう少しで砂漠のヤモリみたいに真っ黒けに干からびるところだった。もちろん部屋には冷房など無かったから、40度は行っていたと思う(冗談抜きで)。私が引っ越した時は冬だったので分からなかったのだ。で、暖かくて住みやすいって思ったりして・・・馬鹿だね。

新しく引っ越す時はまず最寄り駅を選ぶ。それから町並みや大型店舗などの周辺施設、それに「家賃と部屋の間取り」や日当たりや水回りをチェックして決めるのが普通みたいだ。だが私は最近は、案外と「ゴミ出し環境」も大事だと思うようになった。スーパーやコンビニとかの買い物の便利さは誰しも気にするが、意外と「ゴミの始末」は忘れがちである。めったやたらと細かいルールでがんじがらめになっている自治体は住みにくい。特に資源云々にこだわる市町村ほど、生活するのが面倒になってくる。まるで資源ごみのために生活しているみたいな気にもなってくるのは如何なものかと思う。それに比べて、日々のゴミ出しが「ストレス無く簡単に処理出来る」のであれば、生きて行くのに何の面倒も悩みもなくなるって訳である。そうなれば後は人生を謳歌するだけ、自由で豊かな未来が約束されるではないか。

それでこの先2年か3年で奈良に引っ越しする時の賃貸条件を考えて見た。
1、風呂・トイレが使いやすい
2、風通しが良くて窓から通りが見渡せる
3、冷暖房あたりまえ
4、書斎は北向きがベスト
5、コンビニ・スーパーは自転車で10分くらい
6、コインランドリーは大型乾燥機あり
7、ゴルフ練習場は200ヤード以上が希望
8、静かで窓のある落ち着いた喫茶店が2、3軒
9、衛星放送(ゴルフ)
10、隣が静か
以上である。

これに今回の経験から「ゴミ出しが楽」というのを追加したい。イザという時のために大きな病院が歩いて行けるというのも加えておくと安心であるが、人間死ぬときは死ぬ。そろそろ往生してもおかしくない年齢だから、ダメならダメでも良いかな、って心境でもある。何しろ年金頼みで働いてないから、場所はどこでも良い。まるで別荘感覚で選べちゃうのが何とも素敵なのだ。これは現在、我々ベビーブーマーに対する社会保障費が潤沢であるという年代的特権だろう、若者は怒るかも。

ということは、今までは古代史つながりで「橿原神宮前辺り」を考えていたが、やっぱり都市部の「新大宮」とかも候補に入れておくのは悪くない気がしてきた。朝は食事をしながらブログを書いて、昼から自転車に乗りあちこち観光めぐり。途中で喫茶店とかを探索しつつ、通りすがりの庭の草花や樹木を愛で、遠くの山々を眺めては清々しい空気を胸いっぱいに味わう、なんて生活をするには、奈良市街でも充分なんではないか、と思えてきた。最近「老人の引きこもり」という記事を読んだが、生活用品と食材を買うことと趣味の外出以外は家にこもりっきりというのは、「まごうかたなき引きこもり」なんだそうだ。そう言えば一日誰とも会話することなく無言で暮らすなんてことが私はしょっちゅうだから、とうに社会とのつながりが切れてしまっている事になるのだろうか。このまま時が経てば、孤独死まっしぐらの「生ける屍」になってしまう。読書もいいが、少しは世間の人とも会話しようじゃないか。例えばコンビニの店員にも挨拶できるようになったらどうかな・・・。

・・・無理だろね。

そんな悲観的なことを言わなくてもと思うが、せめて奈良に引っ越したら町田甲一著「大和古寺巡歴」か堀内民一著「大和万葉旅行」をポケットに忍ばせ、古代の風物を尋ね歩くこととすれば「引きこもり」も解消出来て、一挙両得・一石二鳥である。・・・果たして実際に思った通りになるかどうか。

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