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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ぶらぶら美術でカラバッジオを見る

2016-04-08 23:50:24 | 芸術・読書・外国語
イタリアルネサンスの革新がヨーロッパを席巻した頃に、イタリアのロンバルディアから忽然と現れた天才画家カラバッジオ。彼の作品が400年ぶりに発見され東京で公開されたというので、今週のぶらぶら美術で取り上げていた。BS日テレで夜九時から、山田五郎とおぎやはぎと高橋マリ子の番組である。高橋マリ子はこの番組でしか知らないのだが、ちょっと変わった服装の女性で美術に詳しいというのでもなく、進行にも関係なく、ただ最後のミュージアムショップの紹介で喋るたけだが、一応存在感はある。番組は山田五郎が喋りまくり矢作が絡み小木がボケるという毎回同じ展開だが、取り上げるテーマは割と重厚である。この前はモネをやっていた。

で、今回はカラバッジオだが数奇な人生は置いといて、彼のヨーロッパ絵画に与えたインパクトは強烈だ。イタリアルネサンス全盛の時代にミラノの片田舎からローマに出てきて、明暗を中心に据えた新しい画風で一世を風靡したのである。その時、山田五郎が「バロック」という言葉を使った。オランダの大画家のレンブラント等に影響を与えたと説明しているが、バロックという言葉は「音楽とか建築」用語だとばっかり思っていたので、虚をつかれた気がしてハッとした。イタリアルネサンス絵画の頂点は、モナ・リザのレオナルドやシスティナ礼拝堂のミケランジェロそして聖母子のラファエロと、主題をキチンと説明する絵画が圧倒的だった。

カラバッジオはバロックの創始者である。人間のエモーショナルな一瞬を切り取ってカンバスに固定し見る者に提示する、それが何を意味しているかとかは問わずに、とにかく動きそのものを捉えて示すということをリアルにやった画家である。それまで人間のエモーショナルなものを絵画にするなど考えられなかった頃で、カラバッジオが出た瞬間にあっという間に広がった大流行である。もしかしたらバロックは、カラバッジオに始まり音楽や建築等の他の芸術分野に広がった、文化の一大ムーブメントなのかも知れない。バッハの音楽がバロックのひとつの典型であり対位法と絡めて語られる事が多いが、対位法という記述法自体にエモーショナルなムーブメントが反映されているんじゃないかと思った。

バロックという言葉の意味が今まで今ひとつわからなかったが、今回のぶらぶら美術で少し取っ掛かりが出来た気がする。バロックとは「歪んだ真珠という意味で~」云々と言われてチンプンカンプンだったのが、そんな説明は全然違っていて本当はもっと具体的なことなんじゃないかと見えてきた。驚愕・恍惚・猜疑・信心・歓喜・恐怖、人間のエモーショナルなものがカンバスに解放され見るものの前に堂々と現れて来た時、人々は人間そのものの「生きている現実」を生の形で見たのではないだろうか。今まで隠され気付かなかった内面の生命の根源というものを知ったのである。自分達の外にあると思っていた真実が、実は内面に未舗装のまま原野のごとく広がっていた、そんな感じじゃないだろうか。ルネサンスは人間の再発見と言われて大流行したが、バロックもまた新たな人間再発見だったのである。風景画や静物画といった題材の新しい広がりは、同時に人間の新しい生命の発見である。

ここで疑問が湧いてきた。ロンバルディではカラバッジオの画法の基礎になる明暗の対比が既に少しではあるが描かれていたという。オランダでレンブラントが出たように、新しい文化的大潮流は地域の特性と無関係ではないのじゃないだろうか。地域の特性というより、その時々に「もっとも裕福な地域」に文化の変革が起きるとも言える。今日初めてバロックというものの何たるかを垣間見たので、明日から少し芸術の発展というものを見直してみたいと思う。そんな時、テレビからマイケル・ジャクソンの唄が聞こえてきた。彼もまた音楽史に一時代を築いたアーティストだ。バッハからモーツァルトそしてショパンへと続くクラシックの流れの先にプレスリーがいてビートルズがいてマイケル・ジャクソンがいる。そういう「全体としての音楽という流れ」を、ひとつの動きで説明出来たら凄いことだなと思う。絵画や建築をも巻き込んで人間の「何か」が現れたもの、それが芸術だとすれば、アインシュタインの一般相対論が物理の世界で成し遂げた金字塔の如く「芸術の統一理論」を自分なりに確立してみたいなと大それた夢を描いてしまう。それも人生最後のテーマのひとつにしておこう。

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