渋野の初海外メジャー優勝は皆さん大量に書いていると思うので、私はちょっと斜から見た記事を書いてみたい。それは彼女のメンタリティと技術について、である。どれほど真実に迫れるか、では、最初にメンタリティから書くことにしよう。」
1、渋野のユニークな思考方法
一般的なプラス思考とは、例えばコップに残った水が半分だった場合、「まだ半分残っている」と考えるやり方である。まだ半分あると考える人は、では「その半分で出来る最善の方法は何か?」と思考が前に進んでいく。一方マイナス思考の人は「もう半分しか残っていない」と考える。そうすれば、どうしたって半分しか残っていない理由を追及したくなるのが人情である。もう半分「しか」残ってない → なんで3分の2じゃないのか → それは〇〇が黙って飲んでしまったからだ → 悪いのは〇〇だ、と悪い方悪い方へと考えるのである。このマイナス思考の落とし穴は実は、残っている水の量が「半分より多いはず」と思っているところに原因がある。自分では意識しているかどうか分からないが、「予想以上であるか、または予想以下かどうか」というのがその後の思考の伏線になっているのだ。では、残りが予想以下であっても「その現実を受け入れて」、瞬時に次の最善の策を考える「本物のプラス思考」を獲得するためにはどうしたら良いか。・・・彼女の考え方は「自意識を消す」方法である。つまり彼女は「無」なんだと思う。それは自分が消えて外界だけが存在する「超現実」の世界である。まるで「ゲームに入り込んでいる」ような感覚、そこには「自分というもの」が存在しない感覚なのだ。自分のショットとライバルのショットが「ゲームの登場人物」のように画面で戦っている。言うなれば、他人事なのだ。つまり「ノーリスク」である。死ぬのはゲームの登場人物であり、操作している自分ではない、というのが渋野の現実感覚なのではないか(というのが私の解釈である)。私は自分のゴルフに求める楽しさは「ナイスショットした時の打感・手応え」だと思っている。完璧なショットは、完璧な満足を与えてくる、その喜びを求めて練習場に行くのである。だからパターが余り好きではないのも「完璧な打感」をまだ感じられていないからだと思っている。打球の飛距離や方向は結果に過ぎないし、落ちた位置がフェアウェイであっても深いブッシュや池であったとしても「それは単なる結果に過ぎない」と思っている。何より打感至上主義なのである。最高の打感を求めるから、スコアはある意味興味がないのだ(これじゃゴルフじゃないじゃん!、とも言われる)。ゆえにインドアのドライビングレンジが、最高のゴルフ環境なわけだ。まあ、ちょっと「おかしい」とは思っているが。もちろん渋野のプレーしている環境は、「全英女子オープン」という世界最高峰の戦いの場である。全世界からメジャー優勝を目指して「我こそは」という猛者が一堂に会する戦場なのだ。私の環境などと比較するなんて烏滸がましい話なのだが、渋野はそんな中で、プロゴルファーとしてのスケジュールの一つとして「今週はイギリスかぁ」と思っていた(かも知れない、私の憶測)というわけである。だから優勝賞金額も知らなかったし、勝てるとも考えていなかったのであろう。まさに他人が想像するような、自分の人生を左右する「大舞台」とは全然思っていなくて、「単なる毎週の試合の一つ」、いつもやっている「ゲームの一つ」と考えていた証拠である。今週はイギリスへ行ってくるよ、来週はまた日本でやるからね、というのが渋野のスケジュールであり「本音」なのだろう。あくまでプレーヤー目線であり「仕事」なのである。「ゲームを楽しむ」というのはこういう事なんだな、と改めて感じる選手である。または、ゴルフって「そんなに大事なことなの?」、とも言えるかも知れない。いまでも彼女は「ソフトボールの方が好き」とインタヴューに答えているそうである。ゴルフは職業で、ソフトボールは趣味とも言える。渋野、とにかく異色のゴルファーである。そう考えると、本人よりも「周りの方が騒ぎすぎ」という気がする。私は、樋口久子LPGA名誉会長が長年日本のゴルフ界で、日本人で唯一アメリカのメジャー「全米プロ」で優勝した、という名誉・称号を独り占めしていたことに違和感を覚えていた。そこからとうとう脱却できるというのが、何よりも嬉しくて堪らない。日本人が海外メジャーに挑戦する度に繰り返される彼女の名前がこれで「語られることもなくなる」と思えば、何とも「スッキリ爽快な気分」になれるではないか。青木JGTO会長がハワイで劇的イーグルで優勝したことが「随分長い間、語り草」になっていて、私も含めて「いい加減ウンザリしていた」のも事実である。最近は松山選手が台頭して来て、青木の優勝なんて「すっかり話題にも登らなく」なって来たのは良いことである。やっと、という感じだ。女子ゴルフもようやく樋口を忘れる事が出来たことは、いち素人ゴルフファンとしても「欣快の至り」である。とまれ、渋野のメンタリティは「自意識を消す」方法であり、「禅」に通じる日本古来の精神統一法である、と私は言いたい。バウンスバックの比率が高いということで「負けん気が強い選手」と表する人もいるみたいだが(杉澤伸章キャディー)、私はむしろ「自分のプレーを冷静に分析する能力と、それを実行する力」が人一倍優れている、と思いたい。そこが彼女の強みである。
2、勝利を呼び込む技術
渋野のメンタルが禅の手法を取り入れた究極の自我滅私法だとしても、現実のゴルフの技術が伴わなければ競技に勝つことは出来ない、のは当然の理屈である。何が渋野を他の選手から際立たせているのかと言うと、私の見立てではパッティングの「決める力」だと思う(こんなこと言えるほどゴルフに詳しいわけじゃないことは重々承知しているのだが、言わないとブログにならないのでお許し頂きたい、ごめんなさい)。鈴木愛もそうだが、パターが上手い人に共通の特徴として「強すぎる!」と思うくらいカップをオーバーして打ってくることである。今回最後の18番のパットなどはその典型で、曲がる前に入れてしまえ!というような「カップの向こう側にガツんとぶつけて」入れる気合のパットだった。何故こんな「しびれる状況」でそんなパットが打てるのか、と不思議に思うかも知れないが、それが彼女の「いつもの打ち方」なのである。2、3メートルもオーバーするくらい強い打ち方であれば、曲がり幅をそれほど見る必要はない。ジャストタッチで「ポトン」と入る打ち方の人は、カップ際の曲がりを十分に読んで打つことが絶対条件になる。今回の全英オープン会場のウォーバーン・ゴルフクラブはグリーンの傾斜や芝質がちょっと難しいところがあって、他の選手のパッティングは「カップ周り」のちょっとした変化にボールの軌道が変えられたり、一度入りかけたボールがカップに蹴られたりして、中々バーディーが取れなかった。それが渋野のパッティングを見ると、実に簡単そうに「真ん中からスコーン」と吸い込まれて「らくらくバーディー」というシーンが多かったように見える。やはりボールスピードが早いので、曲がるシーンが少ないのであろう。その代わり、返しのパットで失敗すると「3パット・4パットする危険」も当然ある。だから、元々パターが上手いのである。日本のツアーでも、パターは全体2位と「名手」なのだ。結局パター・イズ・マネーである。今回の全英優勝の要因の一つに「パターの上手さ」があるのは、間違いないであろう。もちろん、ドライバーが曲がらないとか、マネジメントが完璧とか、果敢に池越えを狙って成功させる「気持ちの強さ」であるとか、数え上げたら切りが無いのは確かだ。その中で、一つ勝因を上げるとするならば、私は迷わず「パターをあげる」のである。やはりボールの軌道を考えれば、曲がりが大きいコースをジャストタッチで打つより、曲がりの少ないほうで「強めに打つ」が正解だと誰でも考えるであろう。緊張した場面では、腕の動かなくなるジャストタッチよりも、ある程度許容範囲が広いオーバータッチで強く打つほうが「絶対有利」である。それが出来る点で私は、渋野は「生まれついてのパター巧者」だと見た(まるで自分が発見したかのように偉そうに言うな!)。そのパターが彼女を全英王者に導いたのである。パターに全幅の信頼を置いているからこそ、ショットに余裕が生まれる。だからアマチュアはまず、パターを十分に練習すべきである(とか言ってはいるが、私自身がどうもパターを好きになれないのだから、何をか言わんやであるが)。
以上、ゴルフの素人が考えた「渋野のストロング・ポイント」2つである。これを書いている間にモクモクと私の練習グセが出てきて早速、いつもの「双伸ゴルフセンター」に練習しに行った。思い立ったら即行動するのが、私のやり方である。今日は勿論「渋野スタイルのドライバーショット」を真似てみようというのである。
ポイントは
1、バックスイングで頭をスエーさせないようにし、「その場でクルッと上げる」ようにした
2、トップから強めに腰を入れ、左手を緩めないでグリッププレッシャーを保持するようにした
3、ダウンスイングでは左への体重移動を考えず、腰を回しながら「右足重心のまま」思いっきり振り回した
4、フィニッシュまで前傾姿勢を保ち、身体を起こさないように注意した
以上である。
で、どうなったかと言うと、「よくわからなかった」というのが本音である(なんだよ!)。しかし「軸が一定になった」ことと、「スイングプレーンが一定になった」こと、フィニッシュまで振り抜くことで「スイング全体で迷わなくなった」ことなどが良かった点だ。「よく分からなかった」と言う理由は、「飛距離」が伸びなかったことである。良いスイングであれば、飛距離が伸びる筈。だから、渋野スイングが必ずしも「良い」とも言い切れないのである。ここは慎重に見極める必要がありそうだ。唯一改善された点は、「方向性、特に左へのヒッカケがなくなった」ことである。これって大きいことではないだろうか。私は心地よい疲れを感じながらマミーマートに寄って缶ビールを買い、満足して家に帰った。ちなみに今回の全英で渋野を含め、パク・ヒョンソンやチャーリー・ハルやコ・ジンヨンら、優勝争いをしている選手は皆んな「右に体重が残ったまま、インパクトしている」のである。何か、理想のスイングが見えてきたではないか。
1、渋野のユニークな思考方法
一般的なプラス思考とは、例えばコップに残った水が半分だった場合、「まだ半分残っている」と考えるやり方である。まだ半分あると考える人は、では「その半分で出来る最善の方法は何か?」と思考が前に進んでいく。一方マイナス思考の人は「もう半分しか残っていない」と考える。そうすれば、どうしたって半分しか残っていない理由を追及したくなるのが人情である。もう半分「しか」残ってない → なんで3分の2じゃないのか → それは〇〇が黙って飲んでしまったからだ → 悪いのは〇〇だ、と悪い方悪い方へと考えるのである。このマイナス思考の落とし穴は実は、残っている水の量が「半分より多いはず」と思っているところに原因がある。自分では意識しているかどうか分からないが、「予想以上であるか、または予想以下かどうか」というのがその後の思考の伏線になっているのだ。では、残りが予想以下であっても「その現実を受け入れて」、瞬時に次の最善の策を考える「本物のプラス思考」を獲得するためにはどうしたら良いか。・・・彼女の考え方は「自意識を消す」方法である。つまり彼女は「無」なんだと思う。それは自分が消えて外界だけが存在する「超現実」の世界である。まるで「ゲームに入り込んでいる」ような感覚、そこには「自分というもの」が存在しない感覚なのだ。自分のショットとライバルのショットが「ゲームの登場人物」のように画面で戦っている。言うなれば、他人事なのだ。つまり「ノーリスク」である。死ぬのはゲームの登場人物であり、操作している自分ではない、というのが渋野の現実感覚なのではないか(というのが私の解釈である)。私は自分のゴルフに求める楽しさは「ナイスショットした時の打感・手応え」だと思っている。完璧なショットは、完璧な満足を与えてくる、その喜びを求めて練習場に行くのである。だからパターが余り好きではないのも「完璧な打感」をまだ感じられていないからだと思っている。打球の飛距離や方向は結果に過ぎないし、落ちた位置がフェアウェイであっても深いブッシュや池であったとしても「それは単なる結果に過ぎない」と思っている。何より打感至上主義なのである。最高の打感を求めるから、スコアはある意味興味がないのだ(これじゃゴルフじゃないじゃん!、とも言われる)。ゆえにインドアのドライビングレンジが、最高のゴルフ環境なわけだ。まあ、ちょっと「おかしい」とは思っているが。もちろん渋野のプレーしている環境は、「全英女子オープン」という世界最高峰の戦いの場である。全世界からメジャー優勝を目指して「我こそは」という猛者が一堂に会する戦場なのだ。私の環境などと比較するなんて烏滸がましい話なのだが、渋野はそんな中で、プロゴルファーとしてのスケジュールの一つとして「今週はイギリスかぁ」と思っていた(かも知れない、私の憶測)というわけである。だから優勝賞金額も知らなかったし、勝てるとも考えていなかったのであろう。まさに他人が想像するような、自分の人生を左右する「大舞台」とは全然思っていなくて、「単なる毎週の試合の一つ」、いつもやっている「ゲームの一つ」と考えていた証拠である。今週はイギリスへ行ってくるよ、来週はまた日本でやるからね、というのが渋野のスケジュールであり「本音」なのだろう。あくまでプレーヤー目線であり「仕事」なのである。「ゲームを楽しむ」というのはこういう事なんだな、と改めて感じる選手である。または、ゴルフって「そんなに大事なことなの?」、とも言えるかも知れない。いまでも彼女は「ソフトボールの方が好き」とインタヴューに答えているそうである。ゴルフは職業で、ソフトボールは趣味とも言える。渋野、とにかく異色のゴルファーである。そう考えると、本人よりも「周りの方が騒ぎすぎ」という気がする。私は、樋口久子LPGA名誉会長が長年日本のゴルフ界で、日本人で唯一アメリカのメジャー「全米プロ」で優勝した、という名誉・称号を独り占めしていたことに違和感を覚えていた。そこからとうとう脱却できるというのが、何よりも嬉しくて堪らない。日本人が海外メジャーに挑戦する度に繰り返される彼女の名前がこれで「語られることもなくなる」と思えば、何とも「スッキリ爽快な気分」になれるではないか。青木JGTO会長がハワイで劇的イーグルで優勝したことが「随分長い間、語り草」になっていて、私も含めて「いい加減ウンザリしていた」のも事実である。最近は松山選手が台頭して来て、青木の優勝なんて「すっかり話題にも登らなく」なって来たのは良いことである。やっと、という感じだ。女子ゴルフもようやく樋口を忘れる事が出来たことは、いち素人ゴルフファンとしても「欣快の至り」である。とまれ、渋野のメンタリティは「自意識を消す」方法であり、「禅」に通じる日本古来の精神統一法である、と私は言いたい。バウンスバックの比率が高いということで「負けん気が強い選手」と表する人もいるみたいだが(杉澤伸章キャディー)、私はむしろ「自分のプレーを冷静に分析する能力と、それを実行する力」が人一倍優れている、と思いたい。そこが彼女の強みである。
2、勝利を呼び込む技術
渋野のメンタルが禅の手法を取り入れた究極の自我滅私法だとしても、現実のゴルフの技術が伴わなければ競技に勝つことは出来ない、のは当然の理屈である。何が渋野を他の選手から際立たせているのかと言うと、私の見立てではパッティングの「決める力」だと思う(こんなこと言えるほどゴルフに詳しいわけじゃないことは重々承知しているのだが、言わないとブログにならないのでお許し頂きたい、ごめんなさい)。鈴木愛もそうだが、パターが上手い人に共通の特徴として「強すぎる!」と思うくらいカップをオーバーして打ってくることである。今回最後の18番のパットなどはその典型で、曲がる前に入れてしまえ!というような「カップの向こう側にガツんとぶつけて」入れる気合のパットだった。何故こんな「しびれる状況」でそんなパットが打てるのか、と不思議に思うかも知れないが、それが彼女の「いつもの打ち方」なのである。2、3メートルもオーバーするくらい強い打ち方であれば、曲がり幅をそれほど見る必要はない。ジャストタッチで「ポトン」と入る打ち方の人は、カップ際の曲がりを十分に読んで打つことが絶対条件になる。今回の全英オープン会場のウォーバーン・ゴルフクラブはグリーンの傾斜や芝質がちょっと難しいところがあって、他の選手のパッティングは「カップ周り」のちょっとした変化にボールの軌道が変えられたり、一度入りかけたボールがカップに蹴られたりして、中々バーディーが取れなかった。それが渋野のパッティングを見ると、実に簡単そうに「真ん中からスコーン」と吸い込まれて「らくらくバーディー」というシーンが多かったように見える。やはりボールスピードが早いので、曲がるシーンが少ないのであろう。その代わり、返しのパットで失敗すると「3パット・4パットする危険」も当然ある。だから、元々パターが上手いのである。日本のツアーでも、パターは全体2位と「名手」なのだ。結局パター・イズ・マネーである。今回の全英優勝の要因の一つに「パターの上手さ」があるのは、間違いないであろう。もちろん、ドライバーが曲がらないとか、マネジメントが完璧とか、果敢に池越えを狙って成功させる「気持ちの強さ」であるとか、数え上げたら切りが無いのは確かだ。その中で、一つ勝因を上げるとするならば、私は迷わず「パターをあげる」のである。やはりボールの軌道を考えれば、曲がりが大きいコースをジャストタッチで打つより、曲がりの少ないほうで「強めに打つ」が正解だと誰でも考えるであろう。緊張した場面では、腕の動かなくなるジャストタッチよりも、ある程度許容範囲が広いオーバータッチで強く打つほうが「絶対有利」である。それが出来る点で私は、渋野は「生まれついてのパター巧者」だと見た(まるで自分が発見したかのように偉そうに言うな!)。そのパターが彼女を全英王者に導いたのである。パターに全幅の信頼を置いているからこそ、ショットに余裕が生まれる。だからアマチュアはまず、パターを十分に練習すべきである(とか言ってはいるが、私自身がどうもパターを好きになれないのだから、何をか言わんやであるが)。
以上、ゴルフの素人が考えた「渋野のストロング・ポイント」2つである。これを書いている間にモクモクと私の練習グセが出てきて早速、いつもの「双伸ゴルフセンター」に練習しに行った。思い立ったら即行動するのが、私のやり方である。今日は勿論「渋野スタイルのドライバーショット」を真似てみようというのである。
ポイントは
1、バックスイングで頭をスエーさせないようにし、「その場でクルッと上げる」ようにした
2、トップから強めに腰を入れ、左手を緩めないでグリッププレッシャーを保持するようにした
3、ダウンスイングでは左への体重移動を考えず、腰を回しながら「右足重心のまま」思いっきり振り回した
4、フィニッシュまで前傾姿勢を保ち、身体を起こさないように注意した
以上である。
で、どうなったかと言うと、「よくわからなかった」というのが本音である(なんだよ!)。しかし「軸が一定になった」ことと、「スイングプレーンが一定になった」こと、フィニッシュまで振り抜くことで「スイング全体で迷わなくなった」ことなどが良かった点だ。「よく分からなかった」と言う理由は、「飛距離」が伸びなかったことである。良いスイングであれば、飛距離が伸びる筈。だから、渋野スイングが必ずしも「良い」とも言い切れないのである。ここは慎重に見極める必要がありそうだ。唯一改善された点は、「方向性、特に左へのヒッカケがなくなった」ことである。これって大きいことではないだろうか。私は心地よい疲れを感じながらマミーマートに寄って缶ビールを買い、満足して家に帰った。ちなみに今回の全英で渋野を含め、パク・ヒョンソンやチャーリー・ハルやコ・ジンヨンら、優勝争いをしている選手は皆んな「右に体重が残ったまま、インパクトしている」のである。何か、理想のスイングが見えてきたではないか。
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