(1)「新TV見仏記」
10月11日(日曜日)夜8時「新TV見仏記」222ch、がスタートする。出演者は、みうらじゅんといとうせいこうの二人。名前の通り、以前からやっていたシリーズの新しい番組である。実は本日から始まる番組なので、中身も新しいかどうかは見てのお楽しみ。私は全部見ているわけではないので分からないが、平城遷都1300年の奈良編という事なので初めてである。
数ある仏像紹介番組の中で出色の出来。初めて見た時は感動して、次の日早速本屋に飛んでいき文庫本をGETした。本はまたテレビとは違って面白いというか、考えさせられるところが沢山あってそれはそれで良いのだが、やはりテレビは別物である。
テレビでは二人がどれ程仏像に入れ込んでいるか如実に映し出されて、表情を見ているだけで楽しくなれる。故あって今は酒が飲めないが、日本酒なぞ飲みながら見たら最高だろうなと思う。酒とテレビの組み合わせは、旅番組は勿論、刑事物や歴史物でもOK。ようするに何だっていいのだが、恋愛物だけはあまりよろしくないようだ。それは私が若くないというのが一番の理由、二番目は恋愛物をやれる女優さんがいなくなった事か。
「めぐり逢い」のデボラ・カーや「終着駅」のジェニファー・ジョーンズ、「お嬢さんお手柔らかに」のジャクリーヌ・ササールとか「アンリエットのパリ祭」のダニー・ロバンなどなど、実に魅力的な女優さんたちが綺羅星の如く輝いていたものだ。「 媚薬」のキム・ノバクも忘れ難い。いや、ちょっと語りきれないので、別の機会に特集を組む事にしよう。話を戻す。
みうらじゅんは時々凄い事をアッサリということがある。「京都は庭なんだよ」。これは文庫本で見仏記1を買ったら書いてあった。京都の本質をこれほど見事に抉り出した人を私は他に知らない。私はそのフレーズを見て、暫く納得してウンウン頷いていた。京都の庭を巡るツアーも少ない人数でいけば楽しめて良さそうだ。今回は奈良なのでどうなるか、面白い番組が始まったものだ。
(2)「相棒」
いよいよ待ちに待ったシーズン14が始まる。先ずは反町隆史のキャラクターをどのように作るか、見ものである。個人的には初代相棒の寺脇康文がベストだと思う。周りを固める俳優陣もだいぶ変わったけど、岸辺一徳の官房長や一課の大谷亮介そして鈴木砂羽など、味のある人物像でやめたのは事情もあると思うが誠に惜しい。警察関係者がまだ沢山残っていて川原和久・六角精児・山西惇・片桐竜次・小野了・神保悟志、キャラの立ったメンバーが健在である。しかし途中から石坂浩二が加わったが、彼は正直言って下手である。というかドラマに出るには既に色が付いていて、どうにも「相棒」にはそぐわない。前回でやめるかと思ったが今回もキャスティングされるみたいで失望した。初代と入れ替わりで入ってきた新メンバーは総じて個性が弱いように感じるのは、余りにも初代の役回りがハマりすぎなのかも知れない。役者の方も都合があるだろうから仕方がないけど、出来れば末長くやって欲しいものである。
こないだ橋爪功「ドクター小石の事件簿」で片桐竜次がチョイ役で出ていた。随分と相棒との役柄にギャップがあり存在感が出すぎていたので驚いた。やはり役者の出世というのは意味があって、個性が表に出て魅力的な役を一度こなした役者というのは、後戻りしてただの通行人の役をやっても観客の目に止まってしまい、結局台本の意図から外れてしまうんだなと思う。スーパーマンの俳優が自殺したのも故なしとしない。ちなみに、今テレビドラマに出ている主役級の俳優では、名取裕子と橋爪功が気にいったいる。この二人がダブルキャストで出ていた「最強の二人」が途中で終了したのは実に残念である。何かあったのだろうか。
(3)「古地図で謎解き」
尾上松也が古地図の謎を解き明かす。着眼点は良い。しかし突っ込みが足らないと感じた。古地図である以上は時代の制約があって無制限に遡れるわけではない。概ね江戸・戦国か室町が限度、平安に遡れるのはいくつもない。勢い、テーマは限られてくる。ネタがいつまで続くか、初回から心配してしてしまった。
私は奈良時代から前に切り込んでもらいたいのだが、尾上松也では知識が物足りない。若くて歌舞伎役者としての落ち着きもあるのだがいかんせん歴史に関しては素人だ。もう一人、出来たら年上の大人の美女の案内役を付け、歴史のうんちくを語らせれば面白い。その点、椎名桔平「悠久の京都」は中々面白い。椎名の抑えたキャラが、妙に京都にあっている。惜しむらくは再放送と撮りたての区別がイマイチ付かなくてイライラすること。2時間スペシャルを2回に分けて再放送するというのを最近やっと覚えた所である。特にあちこちの喫茶店を紹介してくれるのは嬉しい。なかなか京都に行けない人には、名所旧跡の案内だけでなくこういう地元の喫茶店が意外と旅情を掻き立ててくれるものである。それというのも、京都生まれの京育ちゲストが自分の行動エリアの中でお店を紹介するというコンセプトが、単に京都ではなく「私の」京都を表現していて楽しい。人間の日常的な行動エリアとは、概してそれ程広くはなくてせいぜい1kmの間である。歩いて15分の距離にある喫茶店の数は京都では相当な数になると思うが、行きつけの店は決まってくる。行きつけということはその人の日常生活もある程度垣間みえてくる。その生活感が、一介の通りすがりの旅行者では窺い知れない京都の魅力的な部分を、知らず知らずのうちに浮き彫りにしてくれる。こういう番組が私は好きだ。製作者が狙った通りのリアクションを取れる番組というのは勿論インパクトも強く話題にもなるのだが続かない。一方、表面的で一過性のものと違って幾つもの重層的な魅力に満ちた番組は、隠れのて録画されて何度も見直されているのではないか。視聴率というものの難しい所である。
(4)「京都の極み」
船越英一郎期待の新番組登場!彼のこだわりのレアな情報には、人気俳優ということを越えたコアな京都ファンが大いに注目している。しかしこのところ、京都というワードがテレビ番組表に溢れていて、何でもかんでも「京都」である。旅番組は元より歴史探究物から推理ドラマまで、何かしら京都と付けば視聴率が上がるかのようである。それでもネタに困らない京都というブランド力には恐れ入谷の鬼子母神、チョイと古い。
船越英一郎と聞いてまた何か事件なのかと思った貴方、ちょっと推理ドラマの見過ぎです。でも古都の案内人としての実力はどうなのか不安だという貴方は正しい。いろんな場所で景色を指差す時に、犯人を追い詰める顔がチラッとでも出ないかというと、こればっかりは本人が気をつけてもどうなるものではない。願わくはカメラワークで顔を写さないという姑息な手段で乗り切るのがベストだが、それでは船越英一郎でなくても誰でも良いじゃないかと言われれば元も子もない。痛し痒しである。
京都を案内する番組は山ほどあるので新味を出すのは一苦労だが、間違っても隠れた老舗的な店を紹介する「よりディープな京都」には向かわないで欲しいものである。旅番組にはパターンがあってそれぞれ見るファン層が異なる。1番目は泣く子も黙る絶景番組、2番目は万人共通のグルメ番組、3番目はお祭りや行事で賑わう体験番組。殆どこの何れかまたはこれのミックスである。私は本当は邪馬台国から壬申の乱までの歴史に余り書かれてない時代の事を、現地ロケをしながら考えていく番組があったらと思っているのだが、スポンサーが付きそうもないのでNHKでやってくれたらと願っている。ただし偏った皇国史観や通り一遍の学者連中の教科書的な話は聞き飽きているので、毎回一冊の本を取り上げて探究するというのはどうだろう。主流派の学説に拘泥しなければ、いくらでもネタは転がっている。なにも番組で答えを出そうとしなくていい、「そういう見方もあるのか」でOK。第一答えがすぐわかるようなものは大して面白くないと相場が決まっている。船越英一郎も何かサプライズがあるといいのだが。例えば哲学の道から鹿ケ谷の方へ上がっていって、あの事件の全貌をお得意の鋭い手法で解き明かしていく、なんてのは彼らしくて面白いのではないだろうか。源平の争いも最近は頼朝とかにスポットライトが当たっていてつまらない事夥しいが、実は最も面白いのがその前なのだという事を皆知らないのだろうか。武家政治への転換期という意味で、人物ではない「歴史」を尋ねるには恰好の題材なのだが、なかなか取り上げ方がテレビ的になってしまい大掛かり過ぎるのが残念である。私は「藤原氏の歴史」という題で一年間毎週流す企画を提案したい。52週、充分面白おかしく中身の濃い番組が出来て、学問的にも素人参加番組としても出色のものが出来上がるに違いない。第一回目は当然、乙巳の変である。藤原氏の祖である鎌足が、いきなり第一回目から大事件を引き起こす、なんとテレビ的に最高の幕開けじゃないですか。いいと思うけどな。
( others )恨み節
どうもテレビの見過ぎのようだ。老化防止をするなら、もっと出歩いて目や耳から新しい情報を取り入れる必要があり、運動不足の解消にはゴルフの練習なんかもGOODだ。何しろテレビは会話がなくていけない。ブログ閲覧数もはかばかしくないので、書いていてもイマイチノリが悪い。時事ネタは皆んなも興味あるかと思ったが、単に書くだけではさすがに読み手の興味を引くのは難しい。やはり読者の興味ある題材でなるほどと思う何かが書いてあって勉強になる「教養ブログ」か、笑いのネタが一つか二つ必ずあって会話に使えるショートな「笑えるブログ」か、後は有名人の「私ブログ」か、どれかしかない。教養ブログも笑えるブログも才能が欠けてるので私ブログしかないのだが、結局のところ、どこの誰だか知らないひとの「私ブログ」など見る暇人はいないから、まず魅力ある「私」を作らなければならない。他人が興味を持ってくれるという事は大変な事である。ブログを始める前は気にもとめてなかった事が、いざ書き始めてみると色々と見直すきっかけになることが多い。別に人気取りでやっているわけではないが、時代の空気を敏感に感じる感覚は無くさないでいようかなとは思う。最初は日々思うところをサラリと書き続けるエッセイとして書き始めたが、いつの間にか閲覧数を気にして受け狙いの記事を書くようになってしまった。本末顛倒である。いつか「ただのエッセイだけど毎回何故か読み続けてる」そういう、日曜日の朝刊のようなホッとするエッセイが書けたらなと思う。それが終いにはモンテーニュや清少納言のような世界に冠たるエッセイストと呼ばれる事になる、というか、馬鹿言ってんじゃないよと言われそう。最後のモンテーニュ云々はジョークだが、暫く続けるつもりなので宜しくお付き合いをお願いしたい。
ついでに実は、私はアップルのマック・ブック・エアーを買おうと思っているのだが、インテルのスカイレイクが入ったマック・ブック・エアーが来年春に発売されそうだという、悩む悩む。しかもレティーナディスプレイ搭載とUSB-TYPE-Cも付いてくるというのだから、さらに悩む悩む悩む。しかし、いつ買っても同じように悩むなら今買っても一緒じゃない?
そうなのだ、それがアップルの戦略でもあり業界のビジネスなのだ。コンピュータ業界はいつも最新でなければゴミ、と言い続けてきた。そしてユーザーはその言葉に踊らされてきた、本当だろうか?
残念ながら、答えは貴方の心の中にある、としか言えない。この質問は、とりもなおさずアップルのデザインポリシーと企業哲学を愛しているかどうか、それが試されているからだ。
というわけで、来年まで待つ事にした。ユーザーレビューはその日までお預けである。
(?)おまけ
何と木曜日のアクセス解析で、閲覧者数が8人に対し、ページビューが51と出た。驚きである。一体何が起きたのか。時事ネタが不発というのは何となく分かったのだが、私の一見無差別なジャンル横断的ブログに興味を持ってくれる奇特な方がおられるようである。何が幸いするか今更ながら不明不可思議である。人生捨てたもんじゃないな、何だか元気が出てきた、むふふむ。
結論、暫くはこのままメチャクチャなブログを続けるしかないようだ、ごめんなして。
10月11日(日曜日)夜8時「新TV見仏記」222ch、がスタートする。出演者は、みうらじゅんといとうせいこうの二人。名前の通り、以前からやっていたシリーズの新しい番組である。実は本日から始まる番組なので、中身も新しいかどうかは見てのお楽しみ。私は全部見ているわけではないので分からないが、平城遷都1300年の奈良編という事なので初めてである。
数ある仏像紹介番組の中で出色の出来。初めて見た時は感動して、次の日早速本屋に飛んでいき文庫本をGETした。本はまたテレビとは違って面白いというか、考えさせられるところが沢山あってそれはそれで良いのだが、やはりテレビは別物である。
テレビでは二人がどれ程仏像に入れ込んでいるか如実に映し出されて、表情を見ているだけで楽しくなれる。故あって今は酒が飲めないが、日本酒なぞ飲みながら見たら最高だろうなと思う。酒とテレビの組み合わせは、旅番組は勿論、刑事物や歴史物でもOK。ようするに何だっていいのだが、恋愛物だけはあまりよろしくないようだ。それは私が若くないというのが一番の理由、二番目は恋愛物をやれる女優さんがいなくなった事か。
「めぐり逢い」のデボラ・カーや「終着駅」のジェニファー・ジョーンズ、「お嬢さんお手柔らかに」のジャクリーヌ・ササールとか「アンリエットのパリ祭」のダニー・ロバンなどなど、実に魅力的な女優さんたちが綺羅星の如く輝いていたものだ。「 媚薬」のキム・ノバクも忘れ難い。いや、ちょっと語りきれないので、別の機会に特集を組む事にしよう。話を戻す。
みうらじゅんは時々凄い事をアッサリということがある。「京都は庭なんだよ」。これは文庫本で見仏記1を買ったら書いてあった。京都の本質をこれほど見事に抉り出した人を私は他に知らない。私はそのフレーズを見て、暫く納得してウンウン頷いていた。京都の庭を巡るツアーも少ない人数でいけば楽しめて良さそうだ。今回は奈良なのでどうなるか、面白い番組が始まったものだ。
(2)「相棒」
いよいよ待ちに待ったシーズン14が始まる。先ずは反町隆史のキャラクターをどのように作るか、見ものである。個人的には初代相棒の寺脇康文がベストだと思う。周りを固める俳優陣もだいぶ変わったけど、岸辺一徳の官房長や一課の大谷亮介そして鈴木砂羽など、味のある人物像でやめたのは事情もあると思うが誠に惜しい。警察関係者がまだ沢山残っていて川原和久・六角精児・山西惇・片桐竜次・小野了・神保悟志、キャラの立ったメンバーが健在である。しかし途中から石坂浩二が加わったが、彼は正直言って下手である。というかドラマに出るには既に色が付いていて、どうにも「相棒」にはそぐわない。前回でやめるかと思ったが今回もキャスティングされるみたいで失望した。初代と入れ替わりで入ってきた新メンバーは総じて個性が弱いように感じるのは、余りにも初代の役回りがハマりすぎなのかも知れない。役者の方も都合があるだろうから仕方がないけど、出来れば末長くやって欲しいものである。
こないだ橋爪功「ドクター小石の事件簿」で片桐竜次がチョイ役で出ていた。随分と相棒との役柄にギャップがあり存在感が出すぎていたので驚いた。やはり役者の出世というのは意味があって、個性が表に出て魅力的な役を一度こなした役者というのは、後戻りしてただの通行人の役をやっても観客の目に止まってしまい、結局台本の意図から外れてしまうんだなと思う。スーパーマンの俳優が自殺したのも故なしとしない。ちなみに、今テレビドラマに出ている主役級の俳優では、名取裕子と橋爪功が気にいったいる。この二人がダブルキャストで出ていた「最強の二人」が途中で終了したのは実に残念である。何かあったのだろうか。
(3)「古地図で謎解き」
尾上松也が古地図の謎を解き明かす。着眼点は良い。しかし突っ込みが足らないと感じた。古地図である以上は時代の制約があって無制限に遡れるわけではない。概ね江戸・戦国か室町が限度、平安に遡れるのはいくつもない。勢い、テーマは限られてくる。ネタがいつまで続くか、初回から心配してしてしまった。
私は奈良時代から前に切り込んでもらいたいのだが、尾上松也では知識が物足りない。若くて歌舞伎役者としての落ち着きもあるのだがいかんせん歴史に関しては素人だ。もう一人、出来たら年上の大人の美女の案内役を付け、歴史のうんちくを語らせれば面白い。その点、椎名桔平「悠久の京都」は中々面白い。椎名の抑えたキャラが、妙に京都にあっている。惜しむらくは再放送と撮りたての区別がイマイチ付かなくてイライラすること。2時間スペシャルを2回に分けて再放送するというのを最近やっと覚えた所である。特にあちこちの喫茶店を紹介してくれるのは嬉しい。なかなか京都に行けない人には、名所旧跡の案内だけでなくこういう地元の喫茶店が意外と旅情を掻き立ててくれるものである。それというのも、京都生まれの京育ちゲストが自分の行動エリアの中でお店を紹介するというコンセプトが、単に京都ではなく「私の」京都を表現していて楽しい。人間の日常的な行動エリアとは、概してそれ程広くはなくてせいぜい1kmの間である。歩いて15分の距離にある喫茶店の数は京都では相当な数になると思うが、行きつけの店は決まってくる。行きつけということはその人の日常生活もある程度垣間みえてくる。その生活感が、一介の通りすがりの旅行者では窺い知れない京都の魅力的な部分を、知らず知らずのうちに浮き彫りにしてくれる。こういう番組が私は好きだ。製作者が狙った通りのリアクションを取れる番組というのは勿論インパクトも強く話題にもなるのだが続かない。一方、表面的で一過性のものと違って幾つもの重層的な魅力に満ちた番組は、隠れのて録画されて何度も見直されているのではないか。視聴率というものの難しい所である。
(4)「京都の極み」
船越英一郎期待の新番組登場!彼のこだわりのレアな情報には、人気俳優ということを越えたコアな京都ファンが大いに注目している。しかしこのところ、京都というワードがテレビ番組表に溢れていて、何でもかんでも「京都」である。旅番組は元より歴史探究物から推理ドラマまで、何かしら京都と付けば視聴率が上がるかのようである。それでもネタに困らない京都というブランド力には恐れ入谷の鬼子母神、チョイと古い。
船越英一郎と聞いてまた何か事件なのかと思った貴方、ちょっと推理ドラマの見過ぎです。でも古都の案内人としての実力はどうなのか不安だという貴方は正しい。いろんな場所で景色を指差す時に、犯人を追い詰める顔がチラッとでも出ないかというと、こればっかりは本人が気をつけてもどうなるものではない。願わくはカメラワークで顔を写さないという姑息な手段で乗り切るのがベストだが、それでは船越英一郎でなくても誰でも良いじゃないかと言われれば元も子もない。痛し痒しである。
京都を案内する番組は山ほどあるので新味を出すのは一苦労だが、間違っても隠れた老舗的な店を紹介する「よりディープな京都」には向かわないで欲しいものである。旅番組にはパターンがあってそれぞれ見るファン層が異なる。1番目は泣く子も黙る絶景番組、2番目は万人共通のグルメ番組、3番目はお祭りや行事で賑わう体験番組。殆どこの何れかまたはこれのミックスである。私は本当は邪馬台国から壬申の乱までの歴史に余り書かれてない時代の事を、現地ロケをしながら考えていく番組があったらと思っているのだが、スポンサーが付きそうもないのでNHKでやってくれたらと願っている。ただし偏った皇国史観や通り一遍の学者連中の教科書的な話は聞き飽きているので、毎回一冊の本を取り上げて探究するというのはどうだろう。主流派の学説に拘泥しなければ、いくらでもネタは転がっている。なにも番組で答えを出そうとしなくていい、「そういう見方もあるのか」でOK。第一答えがすぐわかるようなものは大して面白くないと相場が決まっている。船越英一郎も何かサプライズがあるといいのだが。例えば哲学の道から鹿ケ谷の方へ上がっていって、あの事件の全貌をお得意の鋭い手法で解き明かしていく、なんてのは彼らしくて面白いのではないだろうか。源平の争いも最近は頼朝とかにスポットライトが当たっていてつまらない事夥しいが、実は最も面白いのがその前なのだという事を皆知らないのだろうか。武家政治への転換期という意味で、人物ではない「歴史」を尋ねるには恰好の題材なのだが、なかなか取り上げ方がテレビ的になってしまい大掛かり過ぎるのが残念である。私は「藤原氏の歴史」という題で一年間毎週流す企画を提案したい。52週、充分面白おかしく中身の濃い番組が出来て、学問的にも素人参加番組としても出色のものが出来上がるに違いない。第一回目は当然、乙巳の変である。藤原氏の祖である鎌足が、いきなり第一回目から大事件を引き起こす、なんとテレビ的に最高の幕開けじゃないですか。いいと思うけどな。
( others )恨み節
どうもテレビの見過ぎのようだ。老化防止をするなら、もっと出歩いて目や耳から新しい情報を取り入れる必要があり、運動不足の解消にはゴルフの練習なんかもGOODだ。何しろテレビは会話がなくていけない。ブログ閲覧数もはかばかしくないので、書いていてもイマイチノリが悪い。時事ネタは皆んなも興味あるかと思ったが、単に書くだけではさすがに読み手の興味を引くのは難しい。やはり読者の興味ある題材でなるほどと思う何かが書いてあって勉強になる「教養ブログ」か、笑いのネタが一つか二つ必ずあって会話に使えるショートな「笑えるブログ」か、後は有名人の「私ブログ」か、どれかしかない。教養ブログも笑えるブログも才能が欠けてるので私ブログしかないのだが、結局のところ、どこの誰だか知らないひとの「私ブログ」など見る暇人はいないから、まず魅力ある「私」を作らなければならない。他人が興味を持ってくれるという事は大変な事である。ブログを始める前は気にもとめてなかった事が、いざ書き始めてみると色々と見直すきっかけになることが多い。別に人気取りでやっているわけではないが、時代の空気を敏感に感じる感覚は無くさないでいようかなとは思う。最初は日々思うところをサラリと書き続けるエッセイとして書き始めたが、いつの間にか閲覧数を気にして受け狙いの記事を書くようになってしまった。本末顛倒である。いつか「ただのエッセイだけど毎回何故か読み続けてる」そういう、日曜日の朝刊のようなホッとするエッセイが書けたらなと思う。それが終いにはモンテーニュや清少納言のような世界に冠たるエッセイストと呼ばれる事になる、というか、馬鹿言ってんじゃないよと言われそう。最後のモンテーニュ云々はジョークだが、暫く続けるつもりなので宜しくお付き合いをお願いしたい。
ついでに実は、私はアップルのマック・ブック・エアーを買おうと思っているのだが、インテルのスカイレイクが入ったマック・ブック・エアーが来年春に発売されそうだという、悩む悩む。しかもレティーナディスプレイ搭載とUSB-TYPE-Cも付いてくるというのだから、さらに悩む悩む悩む。しかし、いつ買っても同じように悩むなら今買っても一緒じゃない?
そうなのだ、それがアップルの戦略でもあり業界のビジネスなのだ。コンピュータ業界はいつも最新でなければゴミ、と言い続けてきた。そしてユーザーはその言葉に踊らされてきた、本当だろうか?
残念ながら、答えは貴方の心の中にある、としか言えない。この質問は、とりもなおさずアップルのデザインポリシーと企業哲学を愛しているかどうか、それが試されているからだ。
というわけで、来年まで待つ事にした。ユーザーレビューはその日までお預けである。
(?)おまけ
何と木曜日のアクセス解析で、閲覧者数が8人に対し、ページビューが51と出た。驚きである。一体何が起きたのか。時事ネタが不発というのは何となく分かったのだが、私の一見無差別なジャンル横断的ブログに興味を持ってくれる奇特な方がおられるようである。何が幸いするか今更ながら不明不可思議である。人生捨てたもんじゃないな、何だか元気が出てきた、むふふむ。
結論、暫くはこのままメチャクチャなブログを続けるしかないようだ、ごめんなして。
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