明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

雑談倶楽部(84)しくじり先生に黒柳徹子が登場

2024-09-22 11:32:00 | 今日の話題
1、黒柳徹子は何歳?
今週のしくじり先生に黒柳徹子が登場した。相変わらず目が大きくてしかも周りの皮膚が垂れ下がってないのが驚きである。いったいいくつになったんだろうとネットで調べたら、何と91歳だそうだ。さすがに年には勝てずに車椅子に乗ってはいるが、会話と頭の回転はまだまだお元気である。それにしても余りにも目が「ぱっちり」し過ぎているのはどうしたもんだろう。まあ、美容整形風の処置はしてるんだろうけど、まず年を感じさせない工夫というのは「目元のハリ」が一番ですねぇ。勉強になります。

2、おはぎとぼたもち
土曜日の19時30分から放送してる「カンニング竹山のイチバン研究所」という番組で偶然知った豆知識です。この番組、地味に面白い企業活動などを紹介していて、とても勉強になるから一押しです。それで、この呼び名の問題は以前から何処で互いを区別してるか疑問に思っていたところ、今回ようやく「季節で呼び方が変わる」と知ってびっくりしたわけなのだ。秋は萩で春は牡丹と呼ぶだけの事らしい。しかし中身が同じものを売り出す季節が違っていると言うだけで「別物」みたいにネーミングだけ変えて、シラッと売り出すというのは騙された気がして「詐欺みたい」だと言えなくもない。まあ、買う方も別にそれで不利益を蒙るわけじゃないので目クジラ立てる程ではないけれど、釈然としないなぁ。結局、只の「あんころ餅」では季節感が出ないというので、丁度お彼岸の頃に咲いている花を名前に付けて売り出したということか。私の田舎では、秋も春も「おはぎ」と言ってたような記憶があるけど・・・。

そう言えば鷲と鷹もただちょっと「大きいか小さいか」だけの違いだそうだ。まあ、同じ人間なのに片方はタワマンに住んで世間から富裕層と持て囃され、もう片方は田んぼで泥まみれになって一生働き詰めの人生を送るという「現実にある身分社会」のあからさまな姿と大差ないと言えば、そうである。ただ収入がちょっとだけ違うだけなのに、人間そのものが別種の存在みたいな差別感を覚えるのは何故だろうか?

そろそろ我々も「おはぎとぼたもち」の例を見て、物事を見かけや名前で判断するんじゃなく「本質」を見極めて行動する、そういう時代に入って来たんじゃないだろうか?

3、セブンイレブンで食べたい物が無くなった
以前から薄々感じてはいた事だが最近特に目立ってきたのがセブンの弁当類の「貧弱さ」です。定番の麺類(パスタ・ラーメン・うどん・そば)はまあ良いとして、肝心の「売り」である弁当類に目を引くような魅力が無くなったのだ。コンビニの弁当と言えばお手軽でボリュームがあって、仕事に疲れた身体をガツンと来る満腹感で「満足させてくれる」超重要なアイテムの筈だった。しかし最近の弁当は何となく中身が「安っぽくて味が落ち」ているみたいなのである。特に「肉類」は、薄くて固くて脂身が多くて「不味い」。手の込んだソースの味付けで誤魔化されてはいるけれど、肉の質は間違いなく以前と比べると落ちている、と思う。だから私は最近はコンビニで「〇〇肉」と謳っている弁当は買わないようにしているのだ。だから買うものは飲物とゴミ袋とキッチンペーパーくらいである(ちょっと言い過ぎ!)。

とまあ、こんな品揃えではセブンもそろそろローソン・ファミマに抜かれるかも。


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