大岡信の「貫之」を読んでいると何か学問的な領域に自分が入っていくような気分になる。紀貫之の和歌を例題に出して「日本語の特色」を語る文章は、精密に分析されて理解に惑うところが一切無い理路整然とした文章である。この大岡信の書く文章は、どうやら私の文章にも基本的な部分が重なっていて、私の頭にはすんなり入ってくる。もとより彼の方が数段格調の高いものだが、論理の構成と書き方が私の考える方法にぴったり合っているのだ。ただ内容が深いので中々早く読みきれなかった。今回とうとう完読したので「感想」を書いてみたい。この本は平安文学への「私の足掛かり」の一歩であり、入り口として「永久保存本」に加えることにした事も言っておきたい。
大岡信の言う「古今集の万葉集との違い」は、万葉集が正述心緒であるのに対し、古今集は寄物陳思だというところにある。要するに「何かの物に寄せて、思いを陳べること」だと言う。万葉集がストレートな感情の発露を歌うのに比べて、古今集は「比喩的に」表現するのである。時代は宇多天皇の御世で藤原基経が摂政に任命されたが阿衡の紛議事件を起こして大騒ぎをした頃であり、菅原道真が大宰府に左遷されたことで「藤原氏全盛期への基礎を築いた」時期でもある。だから古今集は選者は紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑それに紀貫之である(但し友則は完成前になくなった)。古くからの名門である紀氏にとってみれば、衰退する紀氏に代わって伸長する勢力である藤原氏は文化的な変革を共有すべき相手ではなかったのであろう。漢詩全盛の世にあって和歌の復権に全力を尽くした貫之は「宮廷歌人」として当代切っての栄誉を恣にしたという。歴史を紐解くに連れて、ますます貫之という人間に興味が湧いてきた。平家物語を契機として栄枯盛衰のドラマに入り込む人もいるだろうし、源氏物語を読み込むうちに貴族社会の愛憎劇の虜になる人もいる。私は大岡信のこの本によって、「平安文学の奥深い世界」にのめり込みたい、と考えるまでになっているのだ。貫之を調べれば調べるほど、多岐にわたって面白いことに出くわすのである。
例えばこの本の一つの文章だが、古今集において日本語の「膠着性」というものが初めて明確に認識された、と書いてあって、日本語の特色を論じている。紀貫之のことを色々書いてあるということは、日本の和歌(それは日本語という言語で書かれた詩全般を含めて)の特色を突き詰めていく作業でもある、という事実が新鮮だった。例えば「物言えば 唇寒し 秋の風」という芭蕉の句は、中国語では「秋風撲面吹 欲語覚唇寒」となる(と吉川幸次郎氏は言う)。実に起承転結がはっきりした論理的な歌になる。だが日本語の詩句では「並列的に存在しているだけ」で、何かを明確に論理建てて語っているわけではない、ようにも思える。ここに日本語の「非論理性」が、文法の上で膠着語として成立していると分析しているのだ。確かに中国人や欧州人と比べると、日本人は「雰囲気やその場の空気」を捉えることに執着している気がしてきた。物事をはっきりYES/NOで割り切らずに、「以心伝心」を最上のものとする癖が身に付いているとも言える。う〜む。
また、「雨が降る」というのは自然現象であるが、言葉で表わすと実際は晴れていても「雨の降った状況を想像」することが出来る。また体験したことがない現象でも言葉を組み合わせることで「想像する」ことは可能である。幽霊などを見たことがない人でも「想像する」ことは出来るのだ。これが言葉の持つ力である。前にベラスケスの「見たままを描く技術」について書いたが、これと共通することが詩でもあって、言葉を組み合わせることで「読者の脳を再構成する」ことが可能なのだと気がついた。古今集の歌の特徴が実はこの「万物を心象として再構成する」ことにある、と私は理解した。私は万葉集を読んでないので分からないが、恋を得て歓喜する万葉的なよろこびの歌は、古今集においては見られないと大岡信は言う。古今の特徴である享楽・耽美の世界とは、いわば物事を直接的に味わうのではなく、その前味・後味をひっくるめて「移ろい」という時間の中で味わうべきものとして存在するのである。つまりは「情趣」である。中々わかりにくいが大岡信は一つの例をあげている。
○ 春の苑 くれない匂う桃の花 下照る道に 出で立つ乙女(大伴家持)
という万葉集の名歌を
○ あまつかぜ 雲のかよいじ吹きとじよ おとめのすがた しばしとどめん(僧正遍昭)
という古今集の名歌と対比してみると
「言葉の象徴性・暗示性の開発への没頭」が古今集のテーマだった、ということがよく分かる。僧正遍照の歌は「あり得ない状況を、さも事実のように歌う」ことによって、天女への思慕と言う感情を象徴・暗示しているのである。ふ〜む。
読み進めると、この本には良く知っている名歌が数多く登場する。それと同時に「登場しないが思い出した名詩」も多い。杜甫の「春望ー国破れて山河在り」も懐かしく思い出した詩句である。城春にして草木深し、と続く名詩をもう一度鑑賞したいと思って、本屋で中国名詩選を探したが売ってなくて、またまたAmazonで注文してしまった。いま本棚の「読む本」の棚に並べてある(買ったまま読んでない本が28冊もある)。これ、「買ってあると安心する」私の悪い癖!(杉下右京風に)。他にも「夏草や 兵どもが 夢の後」とか、「春眠暁を覚えず」とか、私も昔は詩人志望だったなぁ、と若い頃を思い出してしばらく妄想に耽っていた。
貫之を読んでいてふと思ったのだが、私は「詩、とくに和歌」は、その作者の「人生と切り離せない現実感」を前提として鑑賞しなければならない芸術である、と考えている。なぜなら音楽と違って詩や和歌は「言葉」で編み出された芸術だからだ。音や造形と違って言葉は「圧倒的・直接的に」作者の人間の色が「思わず出てしまう」からである。言葉が人の口から出てくる時(人以外のものから言葉が発せられることはない)、そこには必ずその人の現実がついて回る。その現実感とは日常の人間関係の「他愛もないやりとり」でもあり、また人生の岐路に立って重大な決断を促す事件でもある。その時々の出来事を言葉にしていく間に、その人の「人間」が詩・和歌として作品を生むのである。現実を余りに過大に評価するのは芸術を理解するに十分ではないが、現実を離れて作品だけを鑑賞しようと考えるのは芸術を見誤ると思う。現実は誰にでも平等に訪れる。その平等な現実を詩人・歌人は「芸術に昇華する」のではないだろうか。芸術は現実そのものではない。感極まる出来事に巻き込まれた瞬間に詩人・歌人の心の中で色々な事象が複雑に絡み合い、一字一句が絶唱となるのではないだろうか。その時、詩人・歌人を取り囲んでいた現実は、芸術の中で「微かな通奏低音のように背景の片隅にひっそり」と息をひそめているのだ。と言うか・・・そうだと思いたい。
例を挙げれば、「春眠暁を覚えず・・・」という名詩がある。詩人が春の眠りにおちいって夜の明けたのを知らず、処々鳥の啼く声が聞こえる・・という詩である。身の回りの環境を切り取って的確に描写していくのは「思ったこと感じたまま」を言っているのではなく、そう思わせる詩人の技術である。風景を描写することで、自然と一つの情感に誘われる仕組みになっている。この詩では明確には現れてはいないが、ほぼ一人称の目で周りの状況を歌っている。絵画で言うところの「風景画」である。中国の詩は現実をベースにして「目の前の自然を理知的に分析し」て表現する「一人称」が割と多いように思う。古今集の時代の風潮は、和歌の主体が「三人称」であることに特徴があるようだ、と大岡信は言う。「私は思う」というのと「彼は思っている」または「『私は思う』と彼は言っている」との微妙な違いである。と、ここまで来ると何となく分かったような分からないような状態になっている。
菅原道真が遣唐使を止めて漢風文化を国風文化に改めたことが和歌の隆盛を作った、という話がある。中国詩の理知で説明する傾向を「個人の清新な感情の吐露」によって乗り越えるというのが道真の和歌なのである。『東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花・・・』の名歌で知られる道真であるが、藤原時平の策略に追い落とされて左遷されてしまった後、太宰府で自分の運命を嘆く歌を残して『詩人の仲間入りを果たした』というわけである。道真は勿論一人称で歌っている。そこから貫之は「古今集」で、どのようにして三人称の和歌を作ったのか。古今集や古今時代の平安貴族が「生を常にある連続的な時の経過として眺め」ていた、と大岡信は述べている。貫之たちは『何かしら新しい和歌の形を生み出そうとしていた』のだと思うが、私には「良く分からなかった」。『時の経過』ってなんだろう?
要するに、一度読んだだけで紀貫之や平安貴族の文化的進歩を理解するのは無理である。大岡信は最後に一つの和歌を挙げて「好きな歌」だと書いている。
○ うち群れて いざ我妹子が鏡山 越えて紅葉の 散らむ影見む
うーむ、名歌であると言えば誠に夢幻的な世界を現出していて、『一つ一つの言葉は明瞭』だが全体の意味する所はというと、「一気に茫漠とした夢うつつ」の、とらえどころのない物になってしまう危うさを秘めている。百人一首の「人はいざ 心も知らずふるさとは 花ぞむかしの 香に匂いける」の方が分かりやすくて好きなのだが、この歌はもっともっと深い「あてどない」気分を表しているように私には思える。これが「生を、常にある連続的な時の経過として眺め」ている平安貴族特有の感情である、というのなら「そうなのかなぁ」とも思う。やはり沢山の本を読んで行かねば分からないのだ。「分かる」とはその新しい挑戦に驚くことであるが、その後の歴史を知っている私達は「簡単には驚かない」のである。ベートーベン・シューベルト・メンデルスゾーン等の後に生まれたショパンは、バッハ・ヘンデルの対位法から、新しく古典派全盛時のモーツァルトが「現代音楽」として作曲した和声法を、「既に過去の音楽史の一部」として聞くことが出来た。だからショパンは「ピアノの更なる新しい技法」に邁進出来たのである。だがモーツァルトを本当の意味で分かるためには、我々は「モーツァルトまで戻って、彼の音楽を聞く」必要があるのだ。
とまあ、色々考えてしまう本である。ここで一旦大岡信の本を本棚に仕舞い、次の本「九条兼実」を読み始めるとしよう。私のやり方は「乱読」である。これを読んだら大岡典子「脳の誕生」を読む予定だ。早く読まないと「また本を買ってしまう」のが一番の悩みである。一度「断捨離」でごっそり本を捨てた。その中には小西甚一や小松英雄などの古典文学に関する「大岡信の本にも言及された学者」の本も十数冊含まれていたが、全部一緒に捨てたのが惜しまれる。やはり本は「ほっとけば増える」もんなのだ。私は今度引っ越したら、本棚をもう一つ買い足さなければいけないな、と頭の中で考えたりしている。大岡信の本を読んだ感想を書こうと思っていたら、何故か横道に逸れてしまった。とにかく今度の「奈良引っ越し」の部屋は、1LDKの「北向きの書斎」を条件の一つに加えよう。テレビは居間において、書斎では「平安文学と倭国の歴史」に没頭すること!、と決めた。
結局私には「テレビの無い部屋」が必要なのである。まるで意思が弱いよね〜。
大岡信の言う「古今集の万葉集との違い」は、万葉集が正述心緒であるのに対し、古今集は寄物陳思だというところにある。要するに「何かの物に寄せて、思いを陳べること」だと言う。万葉集がストレートな感情の発露を歌うのに比べて、古今集は「比喩的に」表現するのである。時代は宇多天皇の御世で藤原基経が摂政に任命されたが阿衡の紛議事件を起こして大騒ぎをした頃であり、菅原道真が大宰府に左遷されたことで「藤原氏全盛期への基礎を築いた」時期でもある。だから古今集は選者は紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑それに紀貫之である(但し友則は完成前になくなった)。古くからの名門である紀氏にとってみれば、衰退する紀氏に代わって伸長する勢力である藤原氏は文化的な変革を共有すべき相手ではなかったのであろう。漢詩全盛の世にあって和歌の復権に全力を尽くした貫之は「宮廷歌人」として当代切っての栄誉を恣にしたという。歴史を紐解くに連れて、ますます貫之という人間に興味が湧いてきた。平家物語を契機として栄枯盛衰のドラマに入り込む人もいるだろうし、源氏物語を読み込むうちに貴族社会の愛憎劇の虜になる人もいる。私は大岡信のこの本によって、「平安文学の奥深い世界」にのめり込みたい、と考えるまでになっているのだ。貫之を調べれば調べるほど、多岐にわたって面白いことに出くわすのである。
例えばこの本の一つの文章だが、古今集において日本語の「膠着性」というものが初めて明確に認識された、と書いてあって、日本語の特色を論じている。紀貫之のことを色々書いてあるということは、日本の和歌(それは日本語という言語で書かれた詩全般を含めて)の特色を突き詰めていく作業でもある、という事実が新鮮だった。例えば「物言えば 唇寒し 秋の風」という芭蕉の句は、中国語では「秋風撲面吹 欲語覚唇寒」となる(と吉川幸次郎氏は言う)。実に起承転結がはっきりした論理的な歌になる。だが日本語の詩句では「並列的に存在しているだけ」で、何かを明確に論理建てて語っているわけではない、ようにも思える。ここに日本語の「非論理性」が、文法の上で膠着語として成立していると分析しているのだ。確かに中国人や欧州人と比べると、日本人は「雰囲気やその場の空気」を捉えることに執着している気がしてきた。物事をはっきりYES/NOで割り切らずに、「以心伝心」を最上のものとする癖が身に付いているとも言える。う〜む。
また、「雨が降る」というのは自然現象であるが、言葉で表わすと実際は晴れていても「雨の降った状況を想像」することが出来る。また体験したことがない現象でも言葉を組み合わせることで「想像する」ことは可能である。幽霊などを見たことがない人でも「想像する」ことは出来るのだ。これが言葉の持つ力である。前にベラスケスの「見たままを描く技術」について書いたが、これと共通することが詩でもあって、言葉を組み合わせることで「読者の脳を再構成する」ことが可能なのだと気がついた。古今集の歌の特徴が実はこの「万物を心象として再構成する」ことにある、と私は理解した。私は万葉集を読んでないので分からないが、恋を得て歓喜する万葉的なよろこびの歌は、古今集においては見られないと大岡信は言う。古今の特徴である享楽・耽美の世界とは、いわば物事を直接的に味わうのではなく、その前味・後味をひっくるめて「移ろい」という時間の中で味わうべきものとして存在するのである。つまりは「情趣」である。中々わかりにくいが大岡信は一つの例をあげている。
○ 春の苑 くれない匂う桃の花 下照る道に 出で立つ乙女(大伴家持)
という万葉集の名歌を
○ あまつかぜ 雲のかよいじ吹きとじよ おとめのすがた しばしとどめん(僧正遍昭)
という古今集の名歌と対比してみると
「言葉の象徴性・暗示性の開発への没頭」が古今集のテーマだった、ということがよく分かる。僧正遍照の歌は「あり得ない状況を、さも事実のように歌う」ことによって、天女への思慕と言う感情を象徴・暗示しているのである。ふ〜む。
読み進めると、この本には良く知っている名歌が数多く登場する。それと同時に「登場しないが思い出した名詩」も多い。杜甫の「春望ー国破れて山河在り」も懐かしく思い出した詩句である。城春にして草木深し、と続く名詩をもう一度鑑賞したいと思って、本屋で中国名詩選を探したが売ってなくて、またまたAmazonで注文してしまった。いま本棚の「読む本」の棚に並べてある(買ったまま読んでない本が28冊もある)。これ、「買ってあると安心する」私の悪い癖!(杉下右京風に)。他にも「夏草や 兵どもが 夢の後」とか、「春眠暁を覚えず」とか、私も昔は詩人志望だったなぁ、と若い頃を思い出してしばらく妄想に耽っていた。
貫之を読んでいてふと思ったのだが、私は「詩、とくに和歌」は、その作者の「人生と切り離せない現実感」を前提として鑑賞しなければならない芸術である、と考えている。なぜなら音楽と違って詩や和歌は「言葉」で編み出された芸術だからだ。音や造形と違って言葉は「圧倒的・直接的に」作者の人間の色が「思わず出てしまう」からである。言葉が人の口から出てくる時(人以外のものから言葉が発せられることはない)、そこには必ずその人の現実がついて回る。その現実感とは日常の人間関係の「他愛もないやりとり」でもあり、また人生の岐路に立って重大な決断を促す事件でもある。その時々の出来事を言葉にしていく間に、その人の「人間」が詩・和歌として作品を生むのである。現実を余りに過大に評価するのは芸術を理解するに十分ではないが、現実を離れて作品だけを鑑賞しようと考えるのは芸術を見誤ると思う。現実は誰にでも平等に訪れる。その平等な現実を詩人・歌人は「芸術に昇華する」のではないだろうか。芸術は現実そのものではない。感極まる出来事に巻き込まれた瞬間に詩人・歌人の心の中で色々な事象が複雑に絡み合い、一字一句が絶唱となるのではないだろうか。その時、詩人・歌人を取り囲んでいた現実は、芸術の中で「微かな通奏低音のように背景の片隅にひっそり」と息をひそめているのだ。と言うか・・・そうだと思いたい。
例を挙げれば、「春眠暁を覚えず・・・」という名詩がある。詩人が春の眠りにおちいって夜の明けたのを知らず、処々鳥の啼く声が聞こえる・・という詩である。身の回りの環境を切り取って的確に描写していくのは「思ったこと感じたまま」を言っているのではなく、そう思わせる詩人の技術である。風景を描写することで、自然と一つの情感に誘われる仕組みになっている。この詩では明確には現れてはいないが、ほぼ一人称の目で周りの状況を歌っている。絵画で言うところの「風景画」である。中国の詩は現実をベースにして「目の前の自然を理知的に分析し」て表現する「一人称」が割と多いように思う。古今集の時代の風潮は、和歌の主体が「三人称」であることに特徴があるようだ、と大岡信は言う。「私は思う」というのと「彼は思っている」または「『私は思う』と彼は言っている」との微妙な違いである。と、ここまで来ると何となく分かったような分からないような状態になっている。
菅原道真が遣唐使を止めて漢風文化を国風文化に改めたことが和歌の隆盛を作った、という話がある。中国詩の理知で説明する傾向を「個人の清新な感情の吐露」によって乗り越えるというのが道真の和歌なのである。『東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花・・・』の名歌で知られる道真であるが、藤原時平の策略に追い落とされて左遷されてしまった後、太宰府で自分の運命を嘆く歌を残して『詩人の仲間入りを果たした』というわけである。道真は勿論一人称で歌っている。そこから貫之は「古今集」で、どのようにして三人称の和歌を作ったのか。古今集や古今時代の平安貴族が「生を常にある連続的な時の経過として眺め」ていた、と大岡信は述べている。貫之たちは『何かしら新しい和歌の形を生み出そうとしていた』のだと思うが、私には「良く分からなかった」。『時の経過』ってなんだろう?
要するに、一度読んだだけで紀貫之や平安貴族の文化的進歩を理解するのは無理である。大岡信は最後に一つの和歌を挙げて「好きな歌」だと書いている。
○ うち群れて いざ我妹子が鏡山 越えて紅葉の 散らむ影見む
うーむ、名歌であると言えば誠に夢幻的な世界を現出していて、『一つ一つの言葉は明瞭』だが全体の意味する所はというと、「一気に茫漠とした夢うつつ」の、とらえどころのない物になってしまう危うさを秘めている。百人一首の「人はいざ 心も知らずふるさとは 花ぞむかしの 香に匂いける」の方が分かりやすくて好きなのだが、この歌はもっともっと深い「あてどない」気分を表しているように私には思える。これが「生を、常にある連続的な時の経過として眺め」ている平安貴族特有の感情である、というのなら「そうなのかなぁ」とも思う。やはり沢山の本を読んで行かねば分からないのだ。「分かる」とはその新しい挑戦に驚くことであるが、その後の歴史を知っている私達は「簡単には驚かない」のである。ベートーベン・シューベルト・メンデルスゾーン等の後に生まれたショパンは、バッハ・ヘンデルの対位法から、新しく古典派全盛時のモーツァルトが「現代音楽」として作曲した和声法を、「既に過去の音楽史の一部」として聞くことが出来た。だからショパンは「ピアノの更なる新しい技法」に邁進出来たのである。だがモーツァルトを本当の意味で分かるためには、我々は「モーツァルトまで戻って、彼の音楽を聞く」必要があるのだ。
とまあ、色々考えてしまう本である。ここで一旦大岡信の本を本棚に仕舞い、次の本「九条兼実」を読み始めるとしよう。私のやり方は「乱読」である。これを読んだら大岡典子「脳の誕生」を読む予定だ。早く読まないと「また本を買ってしまう」のが一番の悩みである。一度「断捨離」でごっそり本を捨てた。その中には小西甚一や小松英雄などの古典文学に関する「大岡信の本にも言及された学者」の本も十数冊含まれていたが、全部一緒に捨てたのが惜しまれる。やはり本は「ほっとけば増える」もんなのだ。私は今度引っ越したら、本棚をもう一つ買い足さなければいけないな、と頭の中で考えたりしている。大岡信の本を読んだ感想を書こうと思っていたら、何故か横道に逸れてしまった。とにかく今度の「奈良引っ越し」の部屋は、1LDKの「北向きの書斎」を条件の一つに加えよう。テレビは居間において、書斎では「平安文学と倭国の歴史」に没頭すること!、と決めた。
結局私には「テレビの無い部屋」が必要なのである。まるで意思が弱いよね〜。
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