明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

五木寛之が嫌老社会に苦言

2018-05-20 18:00:00 | 今日の話題
五木寛之が「嫌老社会」という本を出していた。YouTubeで五木寛之の動画を見てたら「深層ニュース2015年10月」のインタビューがあって(古いね)、ちょっと長いが日本の高齢化社会について話をしていたので書いてみようと思う。五木が老人問題をどう捉えているか、興味があったのだ。今日本では高齢化が急激に進み、それに伴って高齢者の間で「二極化」が目立ってきた。つまり「健康で元気で貯金もある」人達と、「医療と介護でようやく生きながらえている貧困な」人達の二極化である。マスコミの作り上げているイメージは元気で生活をエンジョイしている老人だが、それは実体と大きくかけ離れていると五木は語る。問題は人口構成の変化だというのである。年寄りの年金を若い人が納める保険で賄うという仕組みは、根本的に間違っていると私は思うが五木はどう考えるのか。老人が増えて若者が減ってきている現在、少ない人数で増えすぎた老人を支えることに嫌気が差してきた若者の気持ちを代弁するのが「嫌老社会」という言葉だ。結局、嫌老社会に対処するための方法はあるか?と聞かれて、考え続けるしか無いでしょうね、と五木は語った。なんとも尻切れトンボの番組である。これはキャスターが全然五木の考えを引き出していない、ということである。多分、本には書いてあるのだろう。番組では大して意味のないインタビューが続いていくのだが、私なりにこの問題にケリを付けてみたいと思う。

基本的には世代の問題は、同じ世代の中で解決・自助努力すべきである、というのが私の考えだ。そこで私の提案する方法は、高齢者の遺産を全額没収し社会保障費に充当する、という「個人資産一代法」である。根本的解決策というのは感情論では解決せず、このような「純粋に理論的な方法」でしか達成できないと私は前々から思っていた。そもそも年金は「収入の無くなった人々を支える生活補助」が基本である。だからお金があるなら年金を払う必要は基本的にはない。お金に余裕のある人がお金のない人を面倒見てゆく、というのが理想的な社会保障の考え方であり、社会の在り方ではないだろうか。助け合う社会というのは「パッと見には美しい社会」である。個人が社会で成功するというのは、その人の能力もあるが「社会の仕組みがその人の能力を評価した」とも言えるわけで、社会に恩返しせよというのは「そんなに理不尽な要求」ではない。元々は家族内で助け合ったものであるが、家族の絆も時代と共に変わってきている。家や家族の意識だけでは、子供のいない家庭や孤立する老人の問題は解決できない。だから社会全体で面倒を見ようというのは正しい方向であると思う。ここまでの考えをまとめると、個人は収入から一定額または一定割合で年金費用を積み立てて置き、老齢になった時に「受け取る」とするのがまともな考えである。基本は「年金積立保険」である。保険だから一口でも二口でも、本人の気分で積み立てれば良い。要するに現在の「一人を何人かで面倒見る方式」を改めて、「自分の分は自分で準備する方式」に変えるのである。では、お金が無くて自分の分も積み立て出来ない人はどうするのか?

ところで話は飛ぶが五木は若く見える。パット見には年齢相応だが「歯が実に綺麗に揃っている」のである。歯というのは大変大事だと年寄りからよく聞かされたものである。エジプトのミイラは全員「歯がボロボロ」になっているというのを聞いて、やっぱ砂漠では「ジャリジャリしてダメになるんだろうな」と変に納得したのを思い出した。妙に綺麗な歯をしている老人は逆に、総入れ歯なんじゃないかと思ったりする、まあ五木は違うだろうけど。それにしても黒のタートルがトレードマークの五木は、とても現在86歳の老人には見えない「若々しい話し方」をする。こういう人を見るにつけ、老人問題は「奥が深い」と思わざるを得ない。ついこの間、西城秀樹が亡くなったという話をネットで目にして、70前に亡くなる芸能人も結構いるな、と他人事ではない。それにつけても五木は86歳だというのに話し振りが若いのは、「言葉を選ぶのに時間がかからない」という物書きの特性であろうか、とにかく口調が「若者と遜色ない速さ」で話すことだろう。10代20代の頃は「考えるより前に言葉が出ていた」年代である。言葉に詰まるようになるのは「50代を過ぎて」のことではないか。速くしかも中身のある話が出来るというのは、頭の「100m走が早い」ことでもある。脳の神経伝達速度が落ちてきて目的の細胞にシナプスが辿り着くまでに時間がかかってしまうのが「年寄り」なのだ。これはトレーニングで改善されると言うがどうだろう、神経の伝達速度は若い頃には戻らないような気もするのだが。人の名前など「いっこうに思い出さない」初期軽度認知症などは、自覚症状があってもトレーニングする気には余りなれないのである。なぜかと言えば一つを思い出せばもう一つが忘れていくイタチごっこで、改善する前に嫌になって諦めてしまうのである。これじゃあ良くなるわけは無いではないか。・・・いかんいかん、自分の関係する話なのでつい興奮してしまった。

話を元に戻すと、一度繁栄の極みを謳歌していた国家や民族が、一転貧困の淵に沈みこんで歴史の底辺に埋没するという事がある。ギリシャもイタリアもそうである。中国のように再び復活して世界の頂点に立つ民族は稀有である、と思っている。つまり国家レベル民族レベルで考えると、浮き沈みは相当激しい。国家・民族がそうなのだから、個人の人生ならもっと頻繁に起きても不思議ではない。そうなった時に最低限の保障を準備しておくためには、一つの方法は高齢者が使わずに残ったお金を「未使用資産として国に返納」することである。万が一の為にお金を取っておく高齢者は多い。しかし医療の進歩で健康で長寿を全うする人がたくさん出てくる時代になって、使い切れない遺産が何十兆円と余ってくる。高齢者の費用を自分たちの財布で支えている現役世代からすれば、「ムダそのもの」のはずである。当然嫌老社会にもなるわけだ。だから不必要なお金は「年金基金に返してもらいたい」と主張するのは正当である。

若い人が知らない老人のためにお金を払うのなら、老人の方も「使わなかったら次の知らない人へ回す」べきであろう。老人が運良く病気にならずに天寿を全うした場合、ある程度の資産が残される。それは遺産として相続税が課せられるが大半は奥さんや子供達に渡るのが通例だ。この「遺産」を巡る問題は、昔から子供が親の資産を受け継ぐという家族主義に根ざしている。これは個人の財産という観念がなく、全ては「家が基本」であった時代の名残である。そんな家制度は、そろそろ卒業する時ではないか。そもそも現代では、親と子とは別人格なのである。だから親が稼いだ金を(奥さんはともかくとして)、子供が何もせずに受け継ぐという「はっきりした理由」は、今の所「何もない」。とにかく医療・介護などの社会福祉費用は、年々どんどん枯渇する宿命にある。年金を支える子供の数が減っているのだ。これについて抜本的に解決する方法はたった一つ、「個人で使い残した財産は、国に返す」しかない。断っておくと私は親の遺産を全部相続しており、もう資産は残っていないので平気で議論を進めることが出来るのである(ふざけるな!)。というわけでこの「個人資産本人一代限りの法」推進委員会の自称会長として、具体的実施について議論を進めてみたい。

1 基本理念として遺産は全額、年金基金に収納する
つまり旧態依然の家制度から根本的に脱却し、全個人の集団として国民を構成しなおすことにする。但し生計を同じくする妻または夫の間ではそのまま財産を継承し、夫婦共に亡くなった時にその財産を遺産として国庫に返納する。つまり故人(夫婦)が稼いで得た財産を、稼いでいない子や親族やその他の旧相続人から見た場合に「遺産」と称し、新たに相続人を「年金基金」とする。死んだら全部没収、ということで理解しても良い。

2 家屋は、現在住んでいる子は優先して分割購入できる
分割回数は月の上限を5万までとして計算し、何回でも可であるが所有権は返済が終了してからなのでいわば優先的借家権である。成人または自活するまでは特例として賃料は免除する。もし継続して住むことを選択しないのであれば、借家権は消滅して国庫返納となる。この優先借家権が適用される対象物件は「200平米まで」とし、それ以上のものに関しては競売に付してお金に換え、200平米分の金額で新たに物件を購入して「優先借家権を適用して住む」ことが出来る。まさか住んでいる家から放り出すわけにもいかないではないか。まあこれもキッチリ没収するというのもアリだけど、100年後くらいにはなりそうだよね。

3 老齢者の生涯の医療・介護を保障する
一定の老齢に達した時に受ける年金の額については、生前に資産を国に寄付し十分な医療・介護を受ける権利を得ることで「繰り上げ返納」が可能である。寄付する遺産額の多寡には影響されないものとする。何も死ぬのを待っている必要はさらさらなくて、早く返納してもらうに越したことはない。タンスに取っておくより国に返したほうが「ナンボか有利」という制度。

4 生前贈与の特例
65歳までに子供達に贈与した資産は、年間一定額までは無税とする。金持ちの子供は家庭が裕福なので贅沢できるわけだが、その親が死んだ場合に突然「貧乏な生活に陥る」可能性が出てくるので、猶予措置である。本来は本人の能力が無いなら自業自得なのだが「あんまりなので」親子の愛情に免じて、少しは分けてやってもいいかな、という特例条項。お情けであるから、それほど多くはない。

5 お金以外の資産の相続
役職や地位を継がせるという行為が資産の継承にあたる場合、基本的に能力があるかないかを判断する権限は「役員会にある」のだから、国は口出しは出来ない。株券その他は遺産なので相続できないが、社長の息子が次の社長になるといった場合、厳密には法律の範囲外である。文句は言いたいけど、しょうがないのだ。後はしっかり親の事業を継いでいくしかない。

まあこれで大体のイメージが見えてきたと思う。何だかんだと法の網目をくぐる策を考える者も出てくるであろうがとにかく、若者の負担にならずに老人の社会福祉費用が何十兆円も捻出できるのである。そして反対する人には「自分の使うお金は自分で稼ぎなさい」と言えば済む。これで少子化の問題も一つ解決すると思えば、気持ちも楽にあの世に行けるってもんである。そもそもこれからの若い人達は「親の資産を当てにしてはいけない」のだ(素晴らしい意見!)。家柄が「良い」という時代は終わって、これからは個人が「ゼロからスタート」して活躍する時代になって来る。結果、富豪と貧困労働者の間の格差解消にも一役買うことが出来ると思えば、一石二鳥ではないか。

私の提案、是非今国会で提出して貰いたいものである。皆さんも賛成してくれると信じているが・・・

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