1、ビートルズの魅力
スマホでラジオが聞ける「radiko」というアプリがある。そのNHK・FMの番組に「ディスカバリー・ビートルズ」というのがあって結構マニアックな情報を流しているが、割と「若いファン」が多いのに驚いた。ラジオでは他にも、ラジオ日本で「ビートルズ10」、NACK5では「ダイヤモンド・ユカイ Hello サムシング」と、ビートルズを扱った番組が3つもある。この、一つのグループをフィーチャーした番組が3つもあるというのは流石に、ビートルズぐらいしか出来ないことだと思って嬉しくなった。実は、私の長年の友人のSY氏に「ディカバリー・ビートルズ」のことを教えたら「いたく気に入った」ようで、毎週欠かさず聞いているという。当時、我々「エレキバンド」仲間にとってビートルズというのは、「新しい未来そのもの」だったのである。
その後、若者の音楽はどんどん広がり続けて、ロック、R&B、ソウル、ファンク、プログレッシブ、と発展し、映画音楽、ゴスペル、ヒップホップ、それにアイドルからラップに至るまで、あらゆるジャンルを呑み込んで、生活の中に無くてはならないものになって行った。1962、3年のビートルズのデヴュー当時には、我々の「上の世代」ではプレスリーに代表されるロカビリーが全盛で、ミッキー・カーチスなんかが女性達をブイブイ言わせていた頃である。そこにベンチャーズがエレキを持ち込んで来て、若者の心を鷲掴みにしたのが「バンドブーム」の始まりである。私達中学生も流行に乗っかって、SN氏・SY氏とIK氏、4人でベンチャーズ・コピーバンドを組み、月に一度くらいダンスパーティーなどで演奏していた。
考えてみれば、当時は今と違って娯楽が少なく、レコードを買うお金もなかったから、音楽はラジオで流れるヒットチャートを聞いて楽しむだけだった記憶がある。それが、「自分たちでも演奏出来る音楽」がやって来たのである。今なら音楽はサブスクで聴き放題だし、コンピュータ・ゲームもSNSもインスタも何でもあるが、我々の時代には「何もなかった」のだ。だからビートルズは時代の象徴であると同時に、ストーンズやビーチボーイズやその他「洋楽」と言われる音楽ジャンルのうちの「一つ」でもあったのである。とにかく我々若者(当時)は、親の世代の知らない「凄いもの」に夢中になっていた。
その後、私は大学生になった頃に「クラシック」に目覚めて大学オーケストラに入り、モーツァルトやバッハに興味を向けるようになってしまった。つまり、大人になったのである。そして社会人になるとクールファイブや森進一などをスナックで歌うようになり、稲垣潤一やユーミンを口ずさむように変化して行った。要は、流行りものに弱いのである(おお!)。そして70才を迎えた今、再びビートルズを聞き始めたというわけだ。勿論、モーツァルトもショパンも好きだし、演歌も洋楽もJポップも、皆んな好きである。だが、ビートルズのように「60年もの長い間」人気を保ち続けているグループは、他に見当たらないのではないだろうか。それも当時、まだ生まれてもいない「若い世代からも」支持されているのは、何かビートルズの持つ魅力に「秘密がある」のではないかと思うのである。
ビートルズの魅力は、勿論究極には「曲の素晴らしさ」にある(星加ルミ子談)。
とはいっても「これだ」という答えがすぐに見つかるほど簡単ではない。これは私見だが、曲作りの秘訣は「メロディ」にあると思う。コード進行やリズムなど、曲を構成する要素はいくつもあるが、メロディがどれだけ作曲者の歌いたい気持ちを代弁しているかということに、曲の魅力は集約されると言える。その他のものはあくまで「メロディを美しく飾る」ためのものなのだ。ビートルズは、そのメロディに「素のままの若者像」を余すところ無く表現した。だからオリジナリティがあり、ビートルズにしか表現出来ない内容になっているのである。しかも1曲だけではなく、「何曲も何十曲も」なのだ。
そして人間は成長する。多くのヒット・メーカーは、一つの型で人気が出ると、その型でしか曲作りが出来ないようだ。例えに出すのは申し訳ないが、サザンなどを聞いていると、メロディが「種切れ」の感じがする。桑田佳祐はもう、歌おうとする内容の成長が止まってしまって、新しい桑田佳祐を表現する曲想が枯渇しているように思える。作っている曲の多くは、彼が理想とするリバプール・サウンド「らしい雰囲気」を形を変えて表現しているに過ぎない。それが私の言う「つなぎの音楽」として出ているのである。オリジナリティのあるメロディがなくて、「コード進行だけ」で曲を作ってしまっているのだ。そこがメロディ・メロディのビートルズと違うところである。
しかもビートルズは、ラブ・ミー・ドゥからレット・イット・ビーまで、まるで「若者が思慮深い大人になっていく」ように、千変万化の変容を見せてくれる。ビートルズの楽曲はメンバーの成長と共に、更に言うならば時代と共に「一緒に成長していった」からこそ、偉大なグループとして永遠に聞き継がれるのである。これが私の「ビートルズの魅力とは?」への答えである。
時代が変化していくように、長い年月を掛けて彼らも変わって行った。時代の変遷と我々の心の変化の歴史が、実はビートルズの歌の変化という形になって「残されている」のである。それが、オリジナリティ溢れる「素晴らしいメロディ・名曲」として残っているというところに、ビートルズの偉大さがある、と思うのだ。ちなみに私が好きなビートルズの曲は、・・・
うーん、色々あって「これだ」と一つに絞るのは無理、無理です!
2、林家正蔵の4時から飲み
お店探訪番組は色々あるが、大御所「太田和彦」は最近ちょっと年寄り臭くなって話がつまらないし、個性派「吉田類」は盛り上がるばっかりで内容が希薄とイマイチである。女酒場放浪記は出演者も魅力に乏しく、作りが低俗で私には合わなかった。今は「町中華」の坂ノ上茜と高田秋がお好みで、暇にあかせて毎週見ているが、所詮こういう番組は内容が同じになって「だんだん飽きて」来るの残念なのだ。そこでCSの旅チャンネルで「林家正蔵師匠」がやっている番組を見つけて、メイン料理の合間に「箸休め代わり」に見ることにした。どこが面白いかと言うとこの男、服装が落語家らしくなくて結構、若者「みたいな格好」で歩いているのだ。勿論、年寄の若作りだから「妙な感じ」である。スニーカーにダボダボのオーバーコートに手提げ鞄という、まるで大正時代を思わせる妙ちきりんなファッションは、現代からタイムスリップしたかのような不思議な感覚を覚えさせてくれて、まあ彼の「個性だ」といえば見てても楽しい。
やっているのは何ということもない飲み屋紹介の番組だが、そこは落語家である。会話のそこかしこに「江戸」が顔を出していて、唯一この番組の魅力を引き出しているようだ。まあ、暇な時ビールでも片手に見るならいいんじゃないだろうか。どちらかというと、こういう番組は「六角精児の呑み鉄本線日本旅」でもお馴染みなように、出演者のキャラクターが番組の魅力の99%を占めている「内容そっちのけ」のお友達感覚の番組だ。視聴者が出演者に飽きてくると、内容がないだけにすぐ見限られる運命にある。林家正蔵は、いつまで持つかどうか。私は彼の本気の芸を見たことがないので分からないが、長くはないような気がしているけど。
3、イヤホンを選ぶのは難しい
友人のSY氏が、新しくイヤホンを買うというので付き合った。柏のビックカメラで色々見ようということになったが、その前にちょっと喫茶店で「私のイヤホン選び」のポイントをレクチュアしておいた。イヤホンは大きく分けて普通の有線タイプ、ワイヤレス左右連結タイプ、そしてワイヤレス左右完全分離タイプの3つがある。彼は、分離型は落として困るからと言って買わないということだから、今回は「ワイヤレス連結タイプ」を買うことにした。予算は2万円まで大丈夫というから、割と高級なものでも買える。そこで、電池の持ちとフィット感も大事だと説明。電池は最低でも6時間は持たせたい(カタログ値は割り引いて考えること)と教えた。これなら私の経験上、通勤で「丸1日使って」も充電しなくて大丈夫である。フィット感は分離型でなければ、それほど重要ではないだろう。イヤーピースも別売りで色々出ているから問題ない。
一番肝心な音質については、とりあえず私の55000円のヘッドフォン「SHURE1540」の美音を聞かせることにした。色々選ぶ前にまず、「本当の音」というものを実感してもらう作戦である。次に、私の常用イヤホン「AVIOTのWEーBD21d」を聞いてもらった。すると友人は「ビックリするほど違う、というわけではないね」などと言って来た。「あれーっ、これは予想した答えではなかったぞ?」。・・・しかし、言うほどの違いが分からない、という反応であれば大いに結構だと考え直した。もし違いが実感出来なければ、買うのはAVIOTクラスのイヤホンで十分である。実は私も1万円から3万円クラスのイヤホンを取っ替え引っ替えしていた時期があった。比べていたのはSONYとBOSEである。そんな時、たまたまネットでイヤホン・ランキングというのを見たら、上記の二大メーカーが「何と、下位にランキング」されていたのである。しかも最高音質の欄には、「聞いたことのないメーカーの名前」が書いてあったのだ。勿論、アメリカの記事なので当然と言えば当然なのだが、それで「SHURE」という老舗メーカーの名を初めて知った訳である。驚いた私は早速アマゾンで購入し、封を開けるのももどかしくスマホに繋いで聞いてみると、「こりゃあ凄い!」と一度でその音楽性に惚れ込んでしまったのだった。それ以来、私はイヤホンは「SHURE」と決めている。但し、値段が相当に高いので、彼には無理に勧めなかったのである。長いこと色々なイヤホンを聴き比べて、初めて真価が分かる事もある。これは食べ物の味と同じだ。私はかれこれ10年で8つ程のイヤホンを買い替え・聴き比べて、結局全部「人にあげて」しまった。高いものを買うのは「これで最後」と思える時であり、それから買っても遅くはない。
そこまでレクチュアしてから、喫茶店を出てビックカメラに向かった。4階のイヤホン売り場に行くと、案の定「わんさか並んでいて」目移りしてしまう。友人が「どこから見たらいいかな?」と聞いてくるので、ソニーかパイオニアかオーディオ・テクニカがいいんじゃない、と国産の有名人気メーカー名を返事した。取り敢えずこの3つから選んでおけば、まず失敗はないだろう。彼が選んでいる間に私はトイレに行った。
しばらくして戻ってみるとまだ選んでいる。中々決められないというのだ、さもありなん。まずメーカーをSONYに絞って選ぶように言った。重低音強調で電池の持ちが15時間というモデルがあったが、これは値段が安過ぎて決まらない。予算2万まで出すつもりでいるのに、4980円では「音質的に物足らない」に違いないというのだ。電池も便利さも音質も、全部満足するモデルじゃないから、どうしようかと迷っているという。ノイズキャンセル付きモデルは1万5千円位して予算的には丁度いいが、値段が高いのは「ノイキャンにコストを掛けているから」で、音質重視モデルを求めている彼には「合わない」から駄目である。本当は試聴してみるのが一番なのだが、ワイヤレスは「接続処理が面倒」なので、余り得意ではなかった彼は今回はパスすることにしたようだ。これも慣れである。聞けば意外に良い音だったりするので、試聴してみるのが一番なのだが面倒なので仕方がない。まあ大まかに言って今はワイヤレスでも、国産なら連結型はせいぜい高くて8000円程度で買えるみたいである。しかも安いからと言って、「音質が悪い」とは言えないくらいレベルは上がっている(コーデックの進化が大きいようだが)。むしろ値段が安いのは良いことじゃないかと思うのだが、友人はやはり「音質が良い」のが欲しいという。尤もだ、良い音は値段が高いというのは真実である。但し、これには自分の求める音というものを「ハッキリ知っている」ことが必要なのだ。それには色々なイヤホンを試して散々失敗を繰り返してみて、初めて「求める音」に出会えるのである。友人には、まだ経験が足りなかった。
「やっぱ今日はやめとくよ」
彼は分からないまま無理に買うのをやめたのだ。正解である。彼は私のAVIOTのイヤホンを借りて、少し研究するという。大賛成である。AVIOTだって、普通のイヤホンに比べたら良い音を出しているのだ。私は「しばらく研究するといいと思うよ」と彼の決断を褒めたのである。だが、これで彼も「オーディオの深い迷路」の中に引きずり込まれてしまったのかと思うと、ちょっとした罪悪感が後味悪く残ってしまった。何故なら、この「オーディオの道」というのは、極めても極めても正解というものがない「死出の旅路」なのだ。いままで何千人何万人という「音マニア」がこの迷路にどっぷりハマって、出口のない地獄の中に突き落とされてしまったことか(ちょっとオーバーだよね)。出来れば彼が、音質などという「幻想」に囚われず、「使いやすさメイン」で選んでくれることを祈るだけである。私はAVIOTで十分だと思うのだが・・・。
追加:後日彼からメールが来て、「余りマニアックなことは考えず、細かい音質の違いなどには深入りはしないつもりだ」、と書いてあったので一安心した次第である。結局音の違いなんて、殆ど「思い込みのレベル」でしかない。音楽の本質は、音じゃなくて「音楽そのもの」にある。昔、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが日本に来た時、ホテルの自分の部屋で練習するのに「アップライトのピアノ」を使っていた、というのを何かの本で読んだ事がある。弘法、筆を選ばずの通りなのだ。音質は所詮、音楽には余り関係がないのかも。
スマホでラジオが聞ける「radiko」というアプリがある。そのNHK・FMの番組に「ディスカバリー・ビートルズ」というのがあって結構マニアックな情報を流しているが、割と「若いファン」が多いのに驚いた。ラジオでは他にも、ラジオ日本で「ビートルズ10」、NACK5では「ダイヤモンド・ユカイ Hello サムシング」と、ビートルズを扱った番組が3つもある。この、一つのグループをフィーチャーした番組が3つもあるというのは流石に、ビートルズぐらいしか出来ないことだと思って嬉しくなった。実は、私の長年の友人のSY氏に「ディカバリー・ビートルズ」のことを教えたら「いたく気に入った」ようで、毎週欠かさず聞いているという。当時、我々「エレキバンド」仲間にとってビートルズというのは、「新しい未来そのもの」だったのである。
その後、若者の音楽はどんどん広がり続けて、ロック、R&B、ソウル、ファンク、プログレッシブ、と発展し、映画音楽、ゴスペル、ヒップホップ、それにアイドルからラップに至るまで、あらゆるジャンルを呑み込んで、生活の中に無くてはならないものになって行った。1962、3年のビートルズのデヴュー当時には、我々の「上の世代」ではプレスリーに代表されるロカビリーが全盛で、ミッキー・カーチスなんかが女性達をブイブイ言わせていた頃である。そこにベンチャーズがエレキを持ち込んで来て、若者の心を鷲掴みにしたのが「バンドブーム」の始まりである。私達中学生も流行に乗っかって、SN氏・SY氏とIK氏、4人でベンチャーズ・コピーバンドを組み、月に一度くらいダンスパーティーなどで演奏していた。
考えてみれば、当時は今と違って娯楽が少なく、レコードを買うお金もなかったから、音楽はラジオで流れるヒットチャートを聞いて楽しむだけだった記憶がある。それが、「自分たちでも演奏出来る音楽」がやって来たのである。今なら音楽はサブスクで聴き放題だし、コンピュータ・ゲームもSNSもインスタも何でもあるが、我々の時代には「何もなかった」のだ。だからビートルズは時代の象徴であると同時に、ストーンズやビーチボーイズやその他「洋楽」と言われる音楽ジャンルのうちの「一つ」でもあったのである。とにかく我々若者(当時)は、親の世代の知らない「凄いもの」に夢中になっていた。
その後、私は大学生になった頃に「クラシック」に目覚めて大学オーケストラに入り、モーツァルトやバッハに興味を向けるようになってしまった。つまり、大人になったのである。そして社会人になるとクールファイブや森進一などをスナックで歌うようになり、稲垣潤一やユーミンを口ずさむように変化して行った。要は、流行りものに弱いのである(おお!)。そして70才を迎えた今、再びビートルズを聞き始めたというわけだ。勿論、モーツァルトもショパンも好きだし、演歌も洋楽もJポップも、皆んな好きである。だが、ビートルズのように「60年もの長い間」人気を保ち続けているグループは、他に見当たらないのではないだろうか。それも当時、まだ生まれてもいない「若い世代からも」支持されているのは、何かビートルズの持つ魅力に「秘密がある」のではないかと思うのである。
ビートルズの魅力は、勿論究極には「曲の素晴らしさ」にある(星加ルミ子談)。
とはいっても「これだ」という答えがすぐに見つかるほど簡単ではない。これは私見だが、曲作りの秘訣は「メロディ」にあると思う。コード進行やリズムなど、曲を構成する要素はいくつもあるが、メロディがどれだけ作曲者の歌いたい気持ちを代弁しているかということに、曲の魅力は集約されると言える。その他のものはあくまで「メロディを美しく飾る」ためのものなのだ。ビートルズは、そのメロディに「素のままの若者像」を余すところ無く表現した。だからオリジナリティがあり、ビートルズにしか表現出来ない内容になっているのである。しかも1曲だけではなく、「何曲も何十曲も」なのだ。
そして人間は成長する。多くのヒット・メーカーは、一つの型で人気が出ると、その型でしか曲作りが出来ないようだ。例えに出すのは申し訳ないが、サザンなどを聞いていると、メロディが「種切れ」の感じがする。桑田佳祐はもう、歌おうとする内容の成長が止まってしまって、新しい桑田佳祐を表現する曲想が枯渇しているように思える。作っている曲の多くは、彼が理想とするリバプール・サウンド「らしい雰囲気」を形を変えて表現しているに過ぎない。それが私の言う「つなぎの音楽」として出ているのである。オリジナリティのあるメロディがなくて、「コード進行だけ」で曲を作ってしまっているのだ。そこがメロディ・メロディのビートルズと違うところである。
しかもビートルズは、ラブ・ミー・ドゥからレット・イット・ビーまで、まるで「若者が思慮深い大人になっていく」ように、千変万化の変容を見せてくれる。ビートルズの楽曲はメンバーの成長と共に、更に言うならば時代と共に「一緒に成長していった」からこそ、偉大なグループとして永遠に聞き継がれるのである。これが私の「ビートルズの魅力とは?」への答えである。
時代が変化していくように、長い年月を掛けて彼らも変わって行った。時代の変遷と我々の心の変化の歴史が、実はビートルズの歌の変化という形になって「残されている」のである。それが、オリジナリティ溢れる「素晴らしいメロディ・名曲」として残っているというところに、ビートルズの偉大さがある、と思うのだ。ちなみに私が好きなビートルズの曲は、・・・
うーん、色々あって「これだ」と一つに絞るのは無理、無理です!
2、林家正蔵の4時から飲み
お店探訪番組は色々あるが、大御所「太田和彦」は最近ちょっと年寄り臭くなって話がつまらないし、個性派「吉田類」は盛り上がるばっかりで内容が希薄とイマイチである。女酒場放浪記は出演者も魅力に乏しく、作りが低俗で私には合わなかった。今は「町中華」の坂ノ上茜と高田秋がお好みで、暇にあかせて毎週見ているが、所詮こういう番組は内容が同じになって「だんだん飽きて」来るの残念なのだ。そこでCSの旅チャンネルで「林家正蔵師匠」がやっている番組を見つけて、メイン料理の合間に「箸休め代わり」に見ることにした。どこが面白いかと言うとこの男、服装が落語家らしくなくて結構、若者「みたいな格好」で歩いているのだ。勿論、年寄の若作りだから「妙な感じ」である。スニーカーにダボダボのオーバーコートに手提げ鞄という、まるで大正時代を思わせる妙ちきりんなファッションは、現代からタイムスリップしたかのような不思議な感覚を覚えさせてくれて、まあ彼の「個性だ」といえば見てても楽しい。
やっているのは何ということもない飲み屋紹介の番組だが、そこは落語家である。会話のそこかしこに「江戸」が顔を出していて、唯一この番組の魅力を引き出しているようだ。まあ、暇な時ビールでも片手に見るならいいんじゃないだろうか。どちらかというと、こういう番組は「六角精児の呑み鉄本線日本旅」でもお馴染みなように、出演者のキャラクターが番組の魅力の99%を占めている「内容そっちのけ」のお友達感覚の番組だ。視聴者が出演者に飽きてくると、内容がないだけにすぐ見限られる運命にある。林家正蔵は、いつまで持つかどうか。私は彼の本気の芸を見たことがないので分からないが、長くはないような気がしているけど。
3、イヤホンを選ぶのは難しい
友人のSY氏が、新しくイヤホンを買うというので付き合った。柏のビックカメラで色々見ようということになったが、その前にちょっと喫茶店で「私のイヤホン選び」のポイントをレクチュアしておいた。イヤホンは大きく分けて普通の有線タイプ、ワイヤレス左右連結タイプ、そしてワイヤレス左右完全分離タイプの3つがある。彼は、分離型は落として困るからと言って買わないということだから、今回は「ワイヤレス連結タイプ」を買うことにした。予算は2万円まで大丈夫というから、割と高級なものでも買える。そこで、電池の持ちとフィット感も大事だと説明。電池は最低でも6時間は持たせたい(カタログ値は割り引いて考えること)と教えた。これなら私の経験上、通勤で「丸1日使って」も充電しなくて大丈夫である。フィット感は分離型でなければ、それほど重要ではないだろう。イヤーピースも別売りで色々出ているから問題ない。
一番肝心な音質については、とりあえず私の55000円のヘッドフォン「SHURE1540」の美音を聞かせることにした。色々選ぶ前にまず、「本当の音」というものを実感してもらう作戦である。次に、私の常用イヤホン「AVIOTのWEーBD21d」を聞いてもらった。すると友人は「ビックリするほど違う、というわけではないね」などと言って来た。「あれーっ、これは予想した答えではなかったぞ?」。・・・しかし、言うほどの違いが分からない、という反応であれば大いに結構だと考え直した。もし違いが実感出来なければ、買うのはAVIOTクラスのイヤホンで十分である。実は私も1万円から3万円クラスのイヤホンを取っ替え引っ替えしていた時期があった。比べていたのはSONYとBOSEである。そんな時、たまたまネットでイヤホン・ランキングというのを見たら、上記の二大メーカーが「何と、下位にランキング」されていたのである。しかも最高音質の欄には、「聞いたことのないメーカーの名前」が書いてあったのだ。勿論、アメリカの記事なので当然と言えば当然なのだが、それで「SHURE」という老舗メーカーの名を初めて知った訳である。驚いた私は早速アマゾンで購入し、封を開けるのももどかしくスマホに繋いで聞いてみると、「こりゃあ凄い!」と一度でその音楽性に惚れ込んでしまったのだった。それ以来、私はイヤホンは「SHURE」と決めている。但し、値段が相当に高いので、彼には無理に勧めなかったのである。長いこと色々なイヤホンを聴き比べて、初めて真価が分かる事もある。これは食べ物の味と同じだ。私はかれこれ10年で8つ程のイヤホンを買い替え・聴き比べて、結局全部「人にあげて」しまった。高いものを買うのは「これで最後」と思える時であり、それから買っても遅くはない。
そこまでレクチュアしてから、喫茶店を出てビックカメラに向かった。4階のイヤホン売り場に行くと、案の定「わんさか並んでいて」目移りしてしまう。友人が「どこから見たらいいかな?」と聞いてくるので、ソニーかパイオニアかオーディオ・テクニカがいいんじゃない、と国産の有名人気メーカー名を返事した。取り敢えずこの3つから選んでおけば、まず失敗はないだろう。彼が選んでいる間に私はトイレに行った。
しばらくして戻ってみるとまだ選んでいる。中々決められないというのだ、さもありなん。まずメーカーをSONYに絞って選ぶように言った。重低音強調で電池の持ちが15時間というモデルがあったが、これは値段が安過ぎて決まらない。予算2万まで出すつもりでいるのに、4980円では「音質的に物足らない」に違いないというのだ。電池も便利さも音質も、全部満足するモデルじゃないから、どうしようかと迷っているという。ノイズキャンセル付きモデルは1万5千円位して予算的には丁度いいが、値段が高いのは「ノイキャンにコストを掛けているから」で、音質重視モデルを求めている彼には「合わない」から駄目である。本当は試聴してみるのが一番なのだが、ワイヤレスは「接続処理が面倒」なので、余り得意ではなかった彼は今回はパスすることにしたようだ。これも慣れである。聞けば意外に良い音だったりするので、試聴してみるのが一番なのだが面倒なので仕方がない。まあ大まかに言って今はワイヤレスでも、国産なら連結型はせいぜい高くて8000円程度で買えるみたいである。しかも安いからと言って、「音質が悪い」とは言えないくらいレベルは上がっている(コーデックの進化が大きいようだが)。むしろ値段が安いのは良いことじゃないかと思うのだが、友人はやはり「音質が良い」のが欲しいという。尤もだ、良い音は値段が高いというのは真実である。但し、これには自分の求める音というものを「ハッキリ知っている」ことが必要なのだ。それには色々なイヤホンを試して散々失敗を繰り返してみて、初めて「求める音」に出会えるのである。友人には、まだ経験が足りなかった。
「やっぱ今日はやめとくよ」
彼は分からないまま無理に買うのをやめたのだ。正解である。彼は私のAVIOTのイヤホンを借りて、少し研究するという。大賛成である。AVIOTだって、普通のイヤホンに比べたら良い音を出しているのだ。私は「しばらく研究するといいと思うよ」と彼の決断を褒めたのである。だが、これで彼も「オーディオの深い迷路」の中に引きずり込まれてしまったのかと思うと、ちょっとした罪悪感が後味悪く残ってしまった。何故なら、この「オーディオの道」というのは、極めても極めても正解というものがない「死出の旅路」なのだ。いままで何千人何万人という「音マニア」がこの迷路にどっぷりハマって、出口のない地獄の中に突き落とされてしまったことか(ちょっとオーバーだよね)。出来れば彼が、音質などという「幻想」に囚われず、「使いやすさメイン」で選んでくれることを祈るだけである。私はAVIOTで十分だと思うのだが・・・。
追加:後日彼からメールが来て、「余りマニアックなことは考えず、細かい音質の違いなどには深入りはしないつもりだ」、と書いてあったので一安心した次第である。結局音の違いなんて、殆ど「思い込みのレベル」でしかない。音楽の本質は、音じゃなくて「音楽そのもの」にある。昔、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが日本に来た時、ホテルの自分の部屋で練習するのに「アップライトのピアノ」を使っていた、というのを何かの本で読んだ事がある。弘法、筆を選ばずの通りなのだ。音質は所詮、音楽には余り関係がないのかも。
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