この所テレビはサッカー「チャンピオンズリーグ」の録画しか見ていなくて、正直「ジャニーズ事務所の会見」などは全然見て無かった。勿論、私は何の関係も無いただの一人のオジサン、「完全な野次馬」の立場である。ところがこないだ、たまたまニュースを見たら会見を取り仕切る為に入っていたコンサル会社が「NGリスト」を持っていた事がバレて、更にトンデモなく紛糾したらしい。
ジャニーズ事務所はNGリストに関与していないと全否定したそうだが、これも色々と情報が錯綜して「藪の中」的なカオス状態になってきたと言う。そんな中「ジャニーズ」の看板が降ろされて、新しく「スマイルアップ」に掛け替えられ、着々とジャニーズ再出発の計画進んでいるようだ。しかし名前を変えたらそれでOKという程簡単な物じゃないんじゃないか。
そもそも事の発端はジャニー喜多川個人の「性犯罪・児童虐待」である。
ジャニーズ事務所は「犯罪者」ジャニー喜多川が「犯行の隠れ蓑」として利用していた芸能事務所だった訳だ。つまり「ヤクザ組織のフロント企業」という位置付けである。そこで、ジャニーズ事務所が子供を芸能界に行かせたい親達から「可愛いい男の子」を沢山集めてグループに育て上げ、片っ端からへんてこな名前を付けて売り出していった、という流れである。
人気のある若手の歌手やダンスグループを「ほぼ独占」し、大人数のタレントを一手に擁する巨大事務所として、噂のもみ消しやらその他「芸能界のビジネス」で他を圧倒する「絶大な権力」を握っていたのは間違いないと思う(ミュースによれば、だが)。しかも、所属タレントの活動内容を「独占・管理」する事で意のままに操り、芸能界を裏から牛耳るヤクザまがいの手法を駆使した恫喝・命令で「マスコミをコントロール」していたというから、もう一端の「王国」である。
そう言う中で王様状態になっていたジャニー喜多川が自分の欲望を満たす為に「犯罪を、より加速・拡大」していった、というのが事実であろう(これも私の推測)。ジャニー喜多川がどれほどビジネスの才能や能力があったにしても、これほど独占的な地位を築けたのには「ある意味、マスコミやその他の芸能界及びビジネスに関わる全部の企業の関与」無くしては不可能じゃなかったのではないだろうか?。
ところがジャニー喜多川はあたかもジャニーズ帝国の王みたいに何十人・何百人と、まだ子供とも言えるような若者を己の思うがまま性的虐待の対象にしていたらしいのだ。これは、一度は裁判にもなって「有罪判決(あるいは示談?)」を受けているということなのだが、普通ならマスコミの容赦ない集中攻撃を浴びて「ジャニーズ事務所は芸能界から抹殺」されていてもおかしくないのである。アンジャッシュ渡部とか雨上がり決死隊宮迫の例を出すまでも無く、国民の誰一人知らないものがない位のニュースになっていて、不思議は無い。しかも「レッキとした犯罪者」である。何故、ジャニー喜多川の蛮行が「そのままで何事も無かったかのように見過ごされて来たのか?」。
この問題を「真正面から取り上げない限り」、何を言っても「上辺だけの誤魔化し会見」になってしまうとワタシは思う。
公の裁判で性加害と児童虐待に有罪判決を下したとすると(これは私の聞いたウワサです)、その後も同じくジャニー喜多川が「子供を集めて何かをする」職業を続けて射られたのも不可解である。今なら性犯罪は関係者が記録を閲覧出来て、同様の事件が起きないように「雇用者が子供たちを守る」ことになっているそうだ(あくまでまた聞きです)。当然、芸能事務所は閉鎖に追い込まれてジャニー喜多川自身も「子供に接する職業」には就けないのが当たり前であろう。なのに平然と恥じる事なく犯罪を続けていて、周りの人間も「誰も諫めて止めさせる」ことが出来なかったというのは返す返すも「謎」である。
このジャニー喜多川を取り巻く「おぞましい犯罪集団」の解明と罪の告発こそが、まず第一義的にはジャニーズ事務所の「やるべきこと」だと、私は確信している。
物事と言うのは「有耶無耶にしてはいけない」のだ。裁判当時にそれを知っていて「隠蔽し、見て見ぬふりをしていた人、全部」に対して、罪の軽重はある似しても「それ相応の反省と謝罪」が無ければならないと言えよう。今会見であれこれ問題になっている「ジャニーズ事務所を今後どう立て直すか?」などは、「それがきっちり済んでから」の話だと私は思う。逆に皆さんは、この問題を「どう思うか?」が問われているのである。勿論、何十年前の頃はいまより相当に緩かったというのも事実である。対象が女性の場合は、このようなセクハラや性加害の例は「なおさら多かった」とも思う。
実際、会社のワンマン社長が気に入った社員の女性に関係を迫る、というような事は「昔はよくある話」だった。私の会社では(今の前の会社)社長が幹部社員を全員集めて「飲み屋で説教」し、社員側はうつむいてただ聞いているだけ、というヤクザの親分のような場面も「ちょくちょく」あった。中でも特に目を付けられていた私の同僚などは、年末に社長に呼び出されてから正月丸々「カプセルホテル」に泊まらされて説教三昧の責め苦にあわされて、最後の方は足が上がらなくて社長室に上がる階段を「登れなくなった」くらい追い込まれてしまったのである。その社長も最後は「会社をつぶして」どこかに消えてしまったが、苦いエピソードと言うべきか。こういう時、周りの社員は社長を諫めると「今度は自分に禍が降りかかる」ので口を閉じてしまうのである。弱いものは叩かれる、を地で行く時代だった。
だが、そういう黒歴史を「自ら乗り越え」てこそ、新しい未来が開かれていくのである。東山氏や井ノ原氏には、そういう「本物の男気・勇気」を示して貰いたいと願っている。
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今回、私の考える「正しい会見の仕方」を書くつもりだったが、余りにも報道の仕方が「忖度まみれ」なのでついつい脇道にそれてしまった。会見については、次回のお楽しみに取っておく事にします。
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