明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

言いたい放題(58)東光は意外と美味かった

2024-04-13 19:41:00 | 今日の話題

1、愛子さん初出社
天皇家の長女愛子さんが、こないだ日本赤十字社に初出社したとニュースに出ていた。ところで彼女、名字はどうしたんだろう?。気になるねぇ。秋篠宮みたいな名字らしきものがあればいいけど、ただ愛子様だけでは上司だって困ると思うんだけど。例えば内線でちょっと来てくれと言う場合、どういうふうに呼び出すのか聞いてみたい。まさか「愛子様、こちらへいらしていただけますでしょうか・・・」じゃないと思うけど、「愛子くん、ちょっと来て」というのも気が引けるし・・・。一度その辺の情報をNHKあたりでレポートしてくれると疑問が解けるんだが、そういう「国民の知りたい情報」を報道しようという気配りの欠けているところがNHKの欠点である。

2、再婚後に生まれた子供は誰の子供か、について
こないだテレビで報道されて久々にビックリしたのが、再婚後に生まれた子供について今回新たな法律が施行されて、何とかが何とかに変わったらしいというニュース。まあ詳しい事は余り覚えていないが、前夫の子供とする場合と新しい夫の子供とする場合の「基準」が変更になったらしい。で、これを聞いて私が超驚いたのは、今や科学の進歩で誰の子かなんて事は「DNA」を調べれば100発100中ハッキリ分かる時代だと言うのに、まだ期間がどうのこうのという「長屋の御隠居が言いそうな手法」で法律を決めている議員連中の頭の異常さである。もう「いい加減にしろよ!」と怒鳴りつけたくなるじゃあーりませんか。いったいこういう事を決めてる議員の脳みそって、赤味噌なの?白味噌なの?、だれか「教えて〜」

3、ネクタイ
今や完全に無用のものと化した感のある衣料品である。カフスはまだ留め具としての意味があると言えるが、ネクタイはいったい何の役に立っているんだろうか。勿論装飾品が全て「何かの機能を果たしてなければいけない」というわけじゃないから、単なる「飾り」であっても全然構わないわけだがそれにしても、昔のようにネクタイを締めていることが社会人としての一種のステータスのように誇示されていた時代は、もうとっくの昔になくなって久しいんじゃなかったっけ。まあいずれワイシャツも着る人がいなくなって、「フォーマルな装い」という観念も社会から消えてなくなる日がやって来そうである。私も年金生活をするようになってからは結婚式や葬式以外で背広にネクタイと革靴という「出で立ち」をする機会は全くなくなった。

とは言え、そういう機会が無くなっただけであって、ひとたび葬式でもあれば私とてレンタルで借りるかして用意する必要が出てくる。もしフォーマルな服を着ない場合、普段と違う「厳粛な心構え」を周りの人に表すのに「どういった服装」が適しているかと考えると、中々思い付かないのである。Tシャツとジャージにスニーカーでも「心が故人を傷み、哀切の情を滲ませて」いれば、それはそれで構わないわけだが、果たして周囲の人はそういう風に受け取ってくれるかどうか。「わざと」そういう格好をして来たのでは無い、といちいち周りに言い訳するのも変だし、そんな面倒臭いことを気にするくらいならいっそフォーマルな服装を着ていさえすればお咎めなしだから、気が楽と言うのもある。

こないだ身内の葬式があったが家族葬だったので、皆んな「平服で」参加した。だんだん社会の行事も家族中心のあつまりに変化して来たなって思った。フォーマルな服と言えば冠婚葬祭と用途が決まっているように思うけど、コミュニティの晴れ晴れしい楽しみである「祭」以外は、もう普段着でもいいんじゃないかなぁって思う。これ、あくまで「フォーマルな服を持ってない」老人の繰り言ですが。

4、東光
久し振りに紙パックじゃない4合瓶の日本酒を買って飲んでみた。「東光」という酒で、昔セブンイレブンで買ってすごく美味かったので今回買ってみたのである。勿論普段飲んでいる紙パックのアル添酒と違って、本物の純米酒はやっぱり美味い。まあ美味いからといって紙パックをやめて、全部瓶の日本酒にするかというとそうじゃないわけで、たまに飲んで「美味いねぇ」と堪能するだけである。昨今食料品値上げラッシュが続いているが、何だか量が減ったり味が落ちたりと「質の低下」が目に付くようになった。高いお金を出せばそれなりに美味いのだろうが、そうまでして美食家になりたいわけじゃなく、もっと言えば「極上の味にこだわって」生きてるわけでもない。そこである時ハタと気が付いた。私は単に「いつもの味(好みの味)」がほしいだけなのである。例えそれが冷凍のチャーハンであっても「いつものヤツ」なら満足するのだ。味はびっくりするほど美味くなくても良い。そう思うようになって来た。そう考えると「食材本来の自然な味」に行きついたのである。つまり野菜や果物や豆やキノコなどだ。これらは味がそれ程値段に左右されない。ところが肉は値段で味が全然違うから、普段の食事には向いていないのだ。例えばコンビニ食みたいに、安い肉をソースや料理法であれこれ工夫して味付けしているのは、私は余り好きではない。これ結局は肉ではなくて「ソース」を味わっているに過ぎない、と気が付いたのだ。

やっぱり食事は「素材」を味わうに限る。



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