フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

フィールドワークの本

2006-05-17 11:35:29 | 研究室通信
菅原和孝編『フィールドワークへの挑戦』(世界思想社2006)

最近フィールドワーク関連の書籍の出版が相次いでいる。新しいカリキュラムで「フィールドワーク基礎演習」や「地域社会フィールド実習」や「地域環境調査法」など、フィールドワーク関連の授業を担当する予定なので、そういった新刊を集めている。

そもそもフィールドワークは、大学院以来ずっと私とともにある世界だ。

馴染み深いのは、建築のフィールドワークというよりも文化人類学のフィールドワークだ。文化人類学ほど長いフィールドワークを行ったわけではないが、それでも1ヶ月~2ヶ月山奥の集落に住み込んで調査を行った経験がある。

1日もしくは数日、都市を歩いて、新たな切り口で、都市の様相の断面を見せるような最近の建築系のフィールドワークは、それはそれで面白いが、違和感を感じ続けているのも事実だ。

昨晩は、『フィールドワークの挑戦』を読んだ。
京都大学の教養で、人類学系の授業を担当する筆者が、受講者であった元学生とともに練り上げた本である。

ここには、愛と実感とドラマがある。

建築系の人間の行うフィールドワークが、どうしてもカタチに依拠して論じようとするので、表層的になりがちである。
現在、研究室で進めているプノンペンの外部空間でのアクティビティ調査にしても、そこに人はいるけど、内面がない。ただいろんな活動をする人がいるだけ。その人の内面はからっぽのままである。

建築の世界で、人間の内面と向き合おうとすれば、私のジャンルでは、集落調査になる。そこらへんの話は、「インドネシア通信」で既に書いているが、個人が登場して、その人間の生き方に接することができるのは、集落である。

とはいえ、ある種の表層性を帯びた都市調査を批判しているわけではない。それはそれで大切な仕事であり、大切なフィールドワークである。

ただ本質的に異なる世界であるということ。
フィールドワークと、同じ言葉でひとくくりにできても、これら2つは全く異なった世界だと気づかせてくれる1冊である。

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