フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

推奨建築家

2006-06-21 13:37:40 | 研究室通信
お薦めの建築家を教えてくれ、といわれることがある。
なんでオマエに教えんといかんのんや!というのが、まあ、ふつうの回答だが、ちょっと考えてみようと思い立った。

まず、その導入。
好きな建築家に対する問いも答えも、イノセントではありえない。

一言で言えば、この建築家の作品いいなぁと思うことと、「この建築家の作品をいいと思っている」と言うこととは、まったく違うことだということ。

で、さっそく本題。

と、その直前、アジアの建築家がどうのこうのという話が白石からでた。

で、何人か。
Jeoffery Bawa(スリランカ)
Barklishna V. Dohsi(インド)
Charles Correa(インド)
William Lim(シンガポール)
Sumet Jumsai(タイ)
Johan Silas(インドネシア)
Van Molyvan(カンボジア)

西洋世界の建築情報にさらされている我々には、なじみのない名前だと思う。しかし建築家が西洋世界にしかいないわけではないのは明らかである。

本当に、そうか?
という問いは、実はなかなか楽しい。

建築家は近代的なものである、という命題や、そもそも建築はヨーロッパにしかない、とか、アジアに建築家はいないとかという問題設定もある。

ウィトルウィウスの存在によって、建築家が近代的なものでないことはわかる。ウィトルウィウスは紀元前20年とか30年とかの人である。歴史上初の建築家である。いま日本の大学で教えられているの建築史は基本的にヨーロッパの建築史であり、日本の建築史であるが、当然、インドや中国には少なくとも建築史があるし、カンボジアやインドネシアにも建築史はある。よって建築もある(逆か)。

つまりフランスやイタリアに建築あり建築家がいたように、インドや中国にも建築があり建築家がいた。その知識をもっていないのは、簡単に言えば、単なる情報操作のたまものであり、我々の情報リテラシーの欠如である。

ただ上述した7人の建築家のうち、みんながみんなヴァナキュラーな建築家であるとは言えない。

すべての実作を見たことがないのでなんともいえないが、Jeffery Bawaの建築(自邸)は、近代的でなく、なかなか快適であった。


近代とか建築とか建築家とかヴァナキュラーとか、言葉の定義がごちゃごちゃになってきたので、おしまい。推奨建築家の話は、また。

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