フィールドワーク通信

広島を拠点にフィールドワーク。カンボジア、インドネシア、市民まちづくり

伝統への問い1226

2006-03-07 18:45:15 | インドネシア通信
 伝統への問いはまだまだ続く。

 ソリキさんがへんな人形を買った。イリアンジャヤの人形をバリ人がリメイクしたものである。バリ・ウブドゥのまちなかには、石像や木彫や絵などが数多く並ぶ。芸術のまちと呼ばれるゆえんでもある。しかしその中にはバリのものではないものが数多くふくまれる。「バリのものではない」とは何をもってそう言うのか。そのモノの、センス・かたち・技術などがバリの伝統的なものではないものを原則としてさす。しかしそうであっても、現在バリ人の技術によって作られているのであれば、バリのものであるといってもいいのではないか、というのが、そのへんな人形をめぐる議論である。昼のうちは冗談めかして、それ中国製じゃないの、といっていたのであるが、そういったケースもまんざらないわけではないと思う。プリミティブやアジアらしさをデザインして、廉価な労働力、効率的な生産力を利用して大量に中国で生産して、アジア各地の観光地に伝統工芸品として輸出する、そんなビジネスがあってもおかしくない。何をもってバリのものだといえるのか、目の前にあるモノがバリのものだといえるのか、厳しい視線が必要になる。

 土産物屋で、西洋人や日本人、ジャカルタのインドネシア人などに消費されるバリのイメージが貼りついたモノと、バリ人の生活に密着し昔からバリ人によって作られてきたモノ。その境目をどうやって見極めるかが重要である。

 私は明日王宮でおこなわれる葬式のために用意された、山車のデザインの一部にあるボノ?のお面を欲しいと思った。これは間違いなく、バリのものだ。なんせ、バリ人の生活の中でもっとも重要な儀礼の中で、まさに使われようとしているモノそのものだからである。一緒のものが、みやげ物やで売っていたとしても、それを買おうとは思わないが、例えば祭りでつかったあとのそれならば、売り物でなくても、売り物でないからこそ、欲しいと思う。

 これまで、様々なみやげ物を東南アジアの旅で日本に持ち帰ったが、毎回頭をなやませるのだが、一つ定番化しているのは、大工道具である。かんなが特に面白い。大工道具は、木材加工の行動様式と関連して、作業の仕方がことなると、道具そのものも異なってくるのだが、インドネシアのかんなは中国系で、日本のものとは異なる。日本のかんなは手前に引くが、インドネシアでは逆である。そういった歴史・文化によって異なる大工道具を、そこらへんで作業している大工さんと交渉して手に入れるのである。みやげ物やで売っている創られた異文化よりは、多くの事柄を雄弁に語る。

 夕陽を見ながら、考えた。

 制度で人間は語れない。制度で社会を統御することもできない。社会の基本は人間であり、人間の生活である。制度の出自は、人間の生活の営みである。人間的な営みを円滑におこなうための便宜的なシステムが制度である。制度をいかに深く理解しようとも、人間の真実には近づけない。

 東南アジアの都市計画制度と実際の都市空間との関係について考えている。制度そのものに対して、私は興味をもてないでいる。その理由が夕陽の中にポッと浮かんだので、急いで名刺の裏に書きとめたのである。

 このスタンスは松江でのテーマにも関連する。松江では自治体の委員をさまざまと体験した。市民まちづくり活動にもかかわった。その両方にかかわってわかるのは、やはり市民レベルのまちづくり活動ひとつのインパクトは公共事業ひとつに比べると明らかに小さいということである。しかし市民まちづくり活動はひとつひとつは小さくても、それが多く集まることで大きなインパクトをもたらす。多く集まるには、多くの人の賛同と共感が必要である。賛同と共感を得ずして多くの活動が実現することはありえない。そこが大きな違いである。我々は社会的なインパクトが大きな仕事をしたいと思っているが、もう一方でその仕事には多くの人々の賛同と共感が不可欠だとも考えている。だれが認めたかわからないような公共事業はいくら実現しても意味をなさないのである。それは制度の運用についても同じで、制度の発生の意味が忘れ去られてしまった状態では制度の運用には意味がない。民主主義の中で、選挙で選ばれた首長や議員がその制度を支えていたとしても、多様な価値観や変化の多い現代においては代議制のみでは市民の意見を真に反映することは無理であり、現行の制度は、すでに時代との適合性を欠いている。

 今日は4時から夕陽を見に、タナ・ロット寺院に行った。宍道湖の夕陽が松江の人間の気質に影響を与えるように、バリの夕陽がバリの人間の気質を決めると思う。バリの夕陽は特別である。それを学生たちに知ってもらいたくて、夕陽ツアーを企画した。はじめてインドネシアに訪れた時に、毎日調査の帰りの車の中から眺めていた、夕陽を思い出していた。朝6時や7時から調査したこともあった。へとへとに疲れ、水田の水に映える真っ赤な夕陽を毎日眺めていた。今日の夕陽は沈むまでは穏やかだった。比較的雲が多く、宍道湖の夕陽のようだと思いながら日没を眺めた。しかし沈んでから様相は急激に変化した。穏やかなオレンジが、真っ赤へとかわった。日は自らの存在を主張するように、周りを真っ赤に染めた。その赤も時々刻々変化している。日没から周囲が闇に覆われるまでの20~30分が夕陽のハイライトである。周りを見渡すと、海を眺めているのは我々だけになっていた。まったく何を考えているんだ、観光客は。

 午後は、土地区画整理事業の調査・視察の続きをおこなった。20年近く前に事業がおこなわれた古い地区をあるいた。多くの土地では宅地が建ち並び、あるところでは分筆もはじまっていた。道路空間、排水溝、植樹帯は、公共用地であるにもかかわらず、接する敷地に建つ家の人々の自助によって、様々な改変がおこなわれていた。事務所として利用されていたり、美容院としての利用もあった。つまり住宅のみではないのである。道路の痛みは激しい。施工の精度・技術が不十分なためだと思われるが、不動沈下によって、アスファルトの陥没や剥脱がいたるところに見られる。

 それぞれのサイトの現状は、立地と施行年代に影響をうけている。中心部では建て詰まり、周辺部では、空地が多く残る。宅地として整備された地区と、農地として整備された地区の2つがある。道路の公共空間は、施工の程度が低いため、継続的な手入れがされなければ、質が急激に劣化する。宅地化された地域と、空地としてそのまま放置されている地域とでは、公共空間の質に大きな開きがある。

 3年生に対してレポートを課そうと思っている。いくつかの投げかけとノルマを課すことで、主体的に対象をみるための仕掛けである。とりあえず、2つ考えた。日本人がアジアを研究する意味と、都市と集落とで一つずつ対象を選び、その地域の課題と解決策を提案するというものである。日本の研究を例えば西洋人が行なうときに、自ずとその限界と可能性が想起される。同じことが、日本人がアジア(ここでは日本を除く)を研究する時にも言えると思う。さらに日本はアジアの一部であり、なにかしらの近接性を感じることができる。西洋人がアジアを研究するのとは、違ったかたちでアジアに接することができるはずである。歴史的なバックグランドもある。もう一つのテーマはケーススタディである。今回まわった中には、必ずしも課題と解決策というフレームでは語れないフィールドもあったのだが、我々の都市建築分野の視線の一つである「フィールドへの還元」をイメージしながら、都市、集落のフィールドを歩いて欲しいと思ったからである。

 もう一つ、建築計画あるいは都市計画分野でアジア研究を行う意義について、というのはどうだろうか。

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