図書館のリサイクル本で、全ヨーロッパの鉄道時刻表「トーマス・クック」<EUROPEAN RAIL TIMETABLE>を発見!ゲット。町でサンバ行進に出会ったように浮かれ気分になった。2009年版だが、気にはならない。かっては何度か購入した。重たいから必要なページ以外はぶっちぎって捨てた。だから手許には痕跡もない。
利用したということは、何度か鉄道に乗った。同じことは等しいのだ。最初はパリからウイーン経由でチェコに侵入した。ベルリンの壁が開放されてから直後あたりだった。東側だったチェコの国境を越えたあたりで、武装した兵士が乗込んできた。マシンガンを突きつけてわめく。
車両にはバイヤーだった連れ合いと、彼女の出張の赤帽を任じていた自分だけだ。てやんでぇ、こっちはパスポートに滞在ビザだってある。いきり立つんじゃねー、ばーろー。・・・よその国で何度か自動小銃を突きつけられた。おろおろ動揺するのは敗北、こんなハードボイルド鉄則の信奉者だから、馴れもあってなぜか楽しい。
フランス、ドイツ、イタリアが発着だから、周辺のスイス、オランダ、オーストリアなどを通過移動をした。ふたりとも「2等車限定、できれば鈍行」タイプなので「オリエント・エクスプレス」にはまったく関心ない。生意気ながらスイスはどこを走っても山と湖と森の絵葉書風景でいささか飽きた。スイスよりアジアの混沌が好きだ。
「トーマス・クック」を手にする。これからは多分味わうことがないだろう、記憶にある「世界の車窓から」を反芻する。・・・様相がごろるりらんと変わった。通貨がまだフランだのリラ、マルクいった時代だ。あのときの夜行列車は?イタリア早朝発、スイスで乗り換えてヨーロッパを縦断。ドイツのライン川沿いを走ってオランダ深夜着のあれは?ない。
主として1990年代の体験だ。あれから数世紀、ヨーロッパだって新幹線の時代だ。ニホンだって ♪上野発の夜行列車降りたときからぁ・・・なんて紀元前の回想になった。
ゆかいな鉄道旅のいちばんはイタリア・ミラノ中央駅~フランス・ニース駅までの国際夜行列車だ。 「トーマス・クック」で探してみたら、やっぱりなかった。いまどきはTGVだから、この区間は5時間で突っ走る。風情がないといえばないものねだり。
よるミラノ発、2等寝台の指定席は列車の最後尾のどん尻、仕切り1枚で車掌室。その車両は貸しきりだった。必然的に車掌と仲良しになる。小太りのイタリアのおっさんでさすが国際列車乗務員、英語、フランス語は自在。しかし語学のほかはお気軽イタリア人の見本で、いまにも歌い出しそうな笑顔でおれたちの座席でおしゃべり。「おいおい、勤務中だろ」 そして思い出したようにきついスピリッツ「グラッパ」をちびりちびり。
列車はジェノバから地中海沿いを西へ西へ。よるだから車窓からは何も見えない。サンレモを過ぎると深夜になった。こっちは「水を買う」という。「売店は閉まっている。それに・・・水を飲むのはバッカス酒の女神に叱られる。だろ」 こうなれば、とことん国際交流って祝祭儀式をやるっきゃない。
3人でしこたま飲んだ。「グラッパ」1本を飲みきった・・・・いつの間にかおっさんがパジャマになっている。「もう間もなく国境だから」という。彼の勤務はどうなっていたんだろうか。このような場合、考えるのは野暮というものだ。小なるパーティーであってもさんざめく、これもん貫徹。気がついたのはモンテカルロ駅。
どんな会話したのか、思い出せない。 ♪オー ソーレミーヨ 彼がカンツポーネを高らかに歌い、こっちは ♪ヘイ マンボ マンボイタリアナ ヘイ マンボ と応酬した。ニホンの歌はどんな曲だったか。たしか「お富さん」 ♪死んだはずだよ、お富さん!がなったかな。1車両貸しきりの大宴会となった。
あさ、南仏ニース駅に着く。おや、前のホームでトランペットの音色。歓迎のファンファーレと思いきや、同じ列車から降りた青年による演奏だった。ひとり凱旋式かぁ。駅の案内所でホテルをブッキングしてあたりを歩いていると、しっかりした服装のかのトランペット青年が、楽器を前に置いて右手を出している。道中に若者の物乞いはよく似合う。
旅情なんぞの言葉が失神しそうな列車旅だった。「トーマス・クック」には決して記載されることのない国際夜行列車は、飛行機移動では味わえない。こんな旅、あんな旅をいろいろやった。「ふらふら人生、後悔なし」・・・久しぶりにじんめり「トーマス・クック」に目を凝らして夢想する。・・・単騎、また出張ってみるか・・・ ユーロ札を握りしめて。