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不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

 「Thomas Cook」 鉄道旅の聖書

2014-02-01 21:53:31 | 

 図書館のリサイクル本で、全ヨーロッパの鉄道時刻表「トーマス・クック」<EUROPEAN RAIL TIMETABLE>を発見!ゲット。町でサンバ行進に出会ったように浮かれ気分になった。2009年版だが、気にはならない。かっては何度か購入した。重たいから必要なページ以外はぶっちぎって捨てた。だから手許には痕跡もない。

 利用したということは、何度か鉄道に乗った。同じことは等しいのだ。最初はパリからウイーン経由でチェコに侵入した。ベルリンの壁が開放されてから直後あたりだった。東側だったチェコの国境を越えたあたりで、武装した兵士が乗込んできた。マシンガンを突きつけてわめく。

 車両にはバイヤーだった連れ合いと、彼女の出張の赤帽を任じていた自分だけだ。てやんでぇ、こっちはパスポートに滞在ビザだってある。いきり立つんじゃねー、ばーろー。・・・よその国で何度か自動小銃を突きつけられた。おろおろ動揺するのは敗北、こんなハードボイルド鉄則の信奉者だから、馴れもあってなぜか楽しい。

 フランス、ドイツ、イタリアが発着だから、周辺のスイス、オランダ、オーストリアなどを通過移動をした。ふたりとも「2等車限定、できれば鈍行」タイプなので「オリエント・エクスプレス」にはまったく関心ない。生意気ながらスイスはどこを走っても山と湖と森の絵葉書風景でいささか飽きた。スイスよりアジアの混沌が好きだ。

 「トーマス・クック」を手にする。これからは多分味わうことがないだろう、記憶にある「世界の車窓から」を反芻する。・・・様相がごろるりらんと変わった。通貨がまだフランだのリラ、マルクいった時代だ。あのときの夜行列車は?イタリア早朝発、スイスで乗り換えてヨーロッパを縦断。ドイツのライン川沿いを走ってオランダ深夜着のあれは?ない。

 主として1990年代の体験だ。あれから数世紀、ヨーロッパだって新幹線の時代だ。ニホンだって ♪上野発の夜行列車降りたときからぁ・・・なんて紀元前の回想になった。

 ゆかいな鉄道旅のいちばんはイタリア・ミラノ中央駅~フランス・ニース駅までの国際夜行列車だ。 「トーマス・クック」で探してみたら、やっぱりなかった。いまどきはTGVだから、この区間は5時間で突っ走る。風情がないといえばないものねだり。

 よるミラノ発、2等寝台の指定席は列車の最後尾のどん尻、仕切り1枚で車掌室。その車両は貸しきりだった。必然的に車掌と仲良しになる。小太りのイタリアのおっさんでさすが国際列車乗務員、英語、フランス語は自在。しかし語学のほかはお気軽イタリア人の見本で、いまにも歌い出しそうな笑顔でおれたちの座席でおしゃべり。「おいおい、勤務中だろ」 そして思い出したようにきついスピリッツ「グラッパ」をちびりちびり。

 列車はジェノバから地中海沿いを西へ西へ。よるだから車窓からは何も見えない。サンレモを過ぎると深夜になった。こっちは「水を買う」という。「売店は閉まっている。それに・・・水を飲むのはバッカス酒の女神に叱られる。だろ」 こうなれば、とことん国際交流って祝祭儀式をやるっきゃない。

 3人でしこたま飲んだ。「グラッパ」1本を飲みきった・・・・いつの間にかおっさんがパジャマになっている。「もう間もなく国境だから」という。彼の勤務はどうなっていたんだろうか。このような場合、考えるのは野暮というものだ。小なるパーティーであってもさんざめく、これもん貫徹。気がついたのはモンテカルロ駅。

 どんな会話したのか、思い出せない。 ♪オー ソーレミーヨ 彼がカンツポーネを高らかに歌い、こっちは ♪ヘイ マンボ マンボイタリアナ ヘイ マンボ と応酬した。ニホンの歌はどんな曲だったか。たしか「お富さん」 ♪死んだはずだよ、お富さん!がなったかな。1車両貸しきりの大宴会となった。

 あさ、南仏ニース駅に着く。おや、前のホームでトランペットの音色。歓迎のファンファーレと思いきや、同じ列車から降りた青年による演奏だった。ひとり凱旋式かぁ。駅の案内所でホテルをブッキングしてあたりを歩いていると、しっかりした服装のかのトランペット青年が、楽器を前に置いて右手を出している。道中に若者の物乞いはよく似合う。

 旅情なんぞの言葉が失神しそうな列車旅だった。「トーマス・クック」には決して記載されることのない国際夜行列車は、飛行機移動では味わえない。こんな旅、あんな旅をいろいろやった。「ふらふら人生、後悔なし」・・・久しぶりにじんめり「トーマス・クック」に目を凝らして夢想する。・・・単騎、また出張ってみるか・・・ ユーロ札を握りしめて。

 


旅のおわりは、歌かもしれない

2013-09-06 23:26:24 | 

代官山の本屋村、蔦屋に行ってきたの。旅行の本のアドヴァイサー、ステキ。TVにも出たんですって。

町にて知的アラフォーがおっしゃる。

おや、モリモトくんのことだ。もらい泣き、ではなくもらい微苦笑。

「あら、その方、ご存知なの」 「です」


モリモトくんは、このブログの見張り人のひとりだから悪口は禁物。

「還暦過ぎて首をネクタイで締め上げて就職したよ。ぼくの変身、ひやかしに来てよ」

「どれどれ」たしか去年だったか、ネクタイ男を見学に行った。気持ちのいいTea room。

「渋い、お似合いだ」 「無理していってる」 「わかるか」 「わかりますよ」 「やべえ」


団塊世代、小田実の「なんでも見てやろう」に背中をどづかれて、世界一周のビンボー旅行に出た。ニホンのバックパッカーの先頭ランナーだった。

のっけにソ連、シベリア鉄道に乗ってひーこらひーこら。本格的だ。これから旅行というビョーキが・・・エンドレス。


旅行ライターだ。オファーがあれば、あほい、外国のあちゃらこちゃらササっと飛ぶ。

代々木八幡の個人事務所は旅関連の本でみっちりだった。その数、半端じゃない。

代官山・蔦屋、旅行書の棚、それの5倍はあった。


モリモトくんは几帳面タイプ。なにしろデータ優先。確認、さらに確認。誠実。

小器用で、はったりをぶちかます書き屋タイプじゃなかった。こちらのように。

旅行ライターをステップアップして、旅行作家をやれ。けしかけた・・・旅のおわりは、歌かもしれない。


わたしの旅は、まだおわってないかも知れない。歌う途中かも知れない。


月給泥棒から足を洗ってフリーランスになった。やたら外国を漂流した。はったり人格だから、誇大と妄想で売文した。

国内の仕事は、すべて外国旅の経費。取材費にした。こんな裏事情があって漂流が可能だった・・・いまになってすれすれ脱税?を反省している。あたまを丸めようかー忸怩たる思い。


旅、好きです。旅行本、たくさん読んだし。ここじゃないどこかを歩いてみたい、そんな病理を抱えこんでいる。

与太アダ花20代、月給泥棒のみぎりは、思いきり国内をうろちょろした。野球担当の遊軍記者をしていた。文字通り遊び優先。

業界用語で出張のことを「草鞋を履く=わらじをはく」という。いつでもわらじ志願兵だった。先輩記者が嫌がるわらじは、嬉々嬉々、唯々諾々。とことんフットワークが軽快だ。ペナント・レース、オープン戦、春秋のキャンプ、日米野球、それに春夏の甲子園野球・・・あー、きりがない。

それがエスカレートして、大阪支局開設にあたって、阪神タイガース取材で1年間、わらじ往復。偉そうに現地記者の鬼コーチ。名古屋支局立ち上げの1年間は、中日ドラゴンズ取材で行ったり来たり。やはり無鉄拳鬼軍曹。年中旅がらす、20代ほとんど。

それが9年続いて、もーやめ、飽きた。文化部に転じた。


へらへら綴った。なにをいいたいかというと、社費ではいたわらじで国内の旅はもういいや、これもんだった。国内卒業。次なるターゲットは!!

文化部でのわらじ機会はゼロに等しい。1975年、シンガポール政府観光庁のマスコミ招待ぐらい。タイガーバームがまだ珍らし珍らしの時代。

当時は文化革命のどさくさ中国に行ってみたい、つよく思った。


「さあ、自由になったぞ。企業組織の呪縛からやっと開放されたぞ」

それまでさんざお世話になったのに、呪縛、解放なんてまったくいい加減、不義理。{それでも辞めた会社のネガティブなこと、マル秘は書かないとハラに決めた。これはいまでも変わらない}


フリーランスになって、自費のわらじになったって、それがどうした。

とにかく善は急がなくても、旅支度は急げ。

蓑笠に合羽、手甲脚半、わらじ、路銀、道中手形をふところにすぐ中国へ、その広大な赤貧期の町あちこちへ。

いっぱい、たくさん飛行機に乗った。大げさ百も承知で小声でいう。

おれは生物体でも、人類にこだわらない。ぐれてやる。地球の空を自在に飛ぶ鳥類になってやる。


生意気だ。iPad、iPhoneの類いは無用、使えないけれど。

まだ懲りない。これからも、隙あらばとひとり謀議をしている・・・・歌うのは、その時が到来したら考えようか、ほい。


         My best strange place & trip


☆タイ チェンマイの水かけまつり 1週間完全密着。毎日ズブ濡れ。なかには氷でぎんぎん冷やした水を背中に。こちらも対抗してお堀の泥水返礼。おわって戦時、日本軍がこさえたチェンマイ空港へ。タクシーを降りたそのタイミングで運転手がドバアー、当方ドシャー。

☆ギャンブルの聖地、ラスベガス、モナコ、マカオを波状襲撃。ちょい負け。ラスベガスで勝てなかったひとをロスベガスという。わてもそうどす、ロスベガス哀歌。マカオは船で港。行きは賭場までタクシー、帰路は乗り合いバス。

☆オランダ 真冬、極寒に震えながらの北海ビーチでぼんやり数日。オランダきってのの避暑地Scheveningen=スケベニンゲンで通用する。海の色くすんで、さながら亡命気分。渋く、寒い国に来たスパイ。

☆フィリピン 観光地で戸板に乗せられた老衰バーサンが手を差し出す。物乞い。口をあけてやっと呼吸している。無視したら担ぎ手のおばさんの目に殺意。無視の理由は おれはカモ対象じゃない。

☆スイス アイガー北壁を見たい。ふもとに着いた夕ぐれ、ひとり5千円で観光ヘリ。翌日も快晴なので登山列車ユングラフコッホ標高3500メートル地点へ。スイスの山は晴れの日が少ないのだ。ガスると予定がすべてパーになる。ついでにいうと仕事で3度来日したドイツ人が3度とも富士山がくもって見えない。彼は断言した。「ニホンにフジサンはない!壮大な虚構だ」ドイツ実証主義に笑わせていただいた。

☆アメリカ 北部の町コーニンのBARで、修道女数人にスコッチのストレートを死ぬほど飲まされた。敗戦国民として堂々と受けて立った。ブルー・ジャパンの底意地。見栄を張った。翌日半死。さむらいやる、つらい。

☆パリ モンマルトルを下った「シガール劇場」でドラムカンでわっさわっさのし歩くショーを楽しんで真夜中、ピガールの秘宝館。浮世絵など日本の性文化多数。訪れた日本のねーちゃんたちの感想文も多数。あたりは「SEX」のネオン氾濫。あちゃらのねーちゃんが声をかけてくる。まづ「ニーハオ」当然無視。お次は「アンニョンハセヨ」完璧無視。ねーちゃんニッタリを笑って「こんばんわ、社長さん」おれはむむむ!いってやったね。旧東欧のねーちゃんと判断して「ドブリーデン」チェコ語で逆襲。

☆コリア・ソウル 1990年、あっちで「平凡パンチ」みたいな雑誌を創刊するオファーがあって延べ60日間ほど滞在。ライバル誌がその筋に「日本人が不法就労している」と密告、逃げるように帰国した。

かの国は女性差別、買春売春が当然のご様子で、たとえば理髪店。くるくる回る店頭のサイン・ボールが勢いよく早く回る店に注目。おお。男性は頭髪をきれいさっぱりにして、それから下半身のポイントをきれいさっぱりしてくれるサービス。


仰天したのはソウル市内に3か所ある売春地帯。ピンク、バイオレットの妖しいネオン満開、数100軒単位。きれいなねーちゃんが一斉に「アジョシ!!」・・・あの国の多数は自分らは世界一高潔!なることを誇り!にしている。ご立派!!

もひとつ。あちらさんは「家の格」をいかにして隆盛させるかが人権より大事。その手段として娘をいかに権力者、資産家に嫁がせるかに目の色を変える。娘のムコの存在にはりついて威張る側の人間になりたい。だから娘は切り札、見た目をよくするために整形手術、ハクをつけるために有名大学進学。すべて「家」をステップアップするための投資。

気の毒なのは、おしりにヤケドの跡が残るある娘さん。幼いとき、オンドルでおしりをヤケドする。これ、親の責任なのに、ほんの小さな名残りでもあると「いいところのお嫁になれない」商品価値がなくなったと。こんな娘さんは必然的に肉体を売る仕事へ。「敵である日本人からゼニをふんだくってこい」こんな図式。たいへん高貴、崇高な国民性。それだから従軍慰安婦をことさら強調するようです。ご自分にはとても甘く、他者に目ェ釣り上げて厳しく、ご立派すぎて涙ちょちょぎれます。


☆ハワイ 金持ちで男性なら金のブレスレット、趣味はゴルフ。こんなイメージが強烈にあって行ったことありません。全額出すからと誘われたら・・・うーむ迷う局面だ。    

 


千葉さん

2013-06-24 23:56:59 | 
千葉さん、といっても千葉産ではない。
のっへりじーさん、四国松山産。
千葉茂、といえば古い野球フアンには懐かしい名前でしょう。
なにしろ球歴が濃い。

創成期の巨人軍の花形二塁手。
「栄光の背番号3」を長嶋に譲り託した。
「猛牛」のニックネーム、近鉄バファローズの球団創立のとき、監督に就く。
自分のニックネームを球団の看板にした、耀くスタア。

その後はしこたま枯れて、ひたすらのっへりじーさん。ラジオではのっへり解説者。
ー会社勤めのとき、のっへり千葉さんのひまこき担当。毎日ぶらぶら、一緒にぶらぶら。
行き先関係なく、シニアただのパスを持ってバスに乗る。「今度来るバスに乗ろう」都内を漂うがごとき。

午後、テキトーな時間にやってくる。「あー、お茶をいっぱいくれませんかぁ」そこらのテーブルにごろり。
なにしろ、この人、昔の後楽園球場の近くに住まいがありながら、球場の小部屋に住んでいる。めし、などテキトー。
球場に住んだ人なのだ。

「あー、野球選手てのはさ。ユニホームがピタッと身についてないと若造だな。まだ二軍の洟垂れ」なんていいながら、服装がダラーとしている。靴はかかとをふんづけている。
しかし、よく見ると収まりがいい。感心する。
この人、超一流高級品の衣服をダラーと着こなしている。
「見事に着崩している」くすぶりダラーの美学。

しかし、自分の存在感を、うまーく周辺の空気感にとけこませている。消している。元スタア選手だなんて、だれもそんな目をよこさない。

その証明のひとつ。新宿ゴールデン街の、先代の「洗濯船」に何度か一緒した。ゆっこママは聡明、しかし「まったく記憶にない」という。
ー同じ年頃になった。あの超一流のダラーイズムとは天と地の差を痛感するのだ。

そのころ数年、こちゃらは「東京トピックス」なる5分間のラジオ番組をアルバイトでせこせこ書いた。
知友の「60年安保の」アナウンサー島碩弥(しま・ひろみ) さん。{RFで国会前から中継。機動隊に殴られ「痛い!痛い!」が電波LIVE}」が読む5分間番組。もちろん駄作、濫作。殴り書きのコンビニ。早い、まずい。でも値段は?!

そうだ、思い出した。見事なデッドライン脱出の週イチ。
日曜深夜から週5本分を書く。月曜朝、そいつをラジオ関東に持ち込んで、収録に立ち会う。もちろん寝てない。
それから月給ドロボー出社の流れ。スリルとサスペンダー。最後は大抵、電車の中で立って書いた。
知らないうちのストレッチとバランス感覚UP、遊興費。

ENDは番組デレクターの遊興費。いろんなギャラを自らのポケットに入れクビ。当方のギャラも齧られた。いでで。
勢いでこの時点での「フリー転向」を思うが、家族の反対で断念。
後悔なし。十分イナッフ。

ダラリズムの小旅もいいかあ。当時もいまも東京のことを知らない。でも、知る知らないは関係ないことに気付く。
今度、ぶらっと出かけることにしよう。バスに乗って。PASMO持って。

それにしても、何となく知り合いには千葉産がいるなあ。

ダンシが・・・

2011-11-24 14:30:33 | 
上から読んでも下から読んでも同音・同語になるを回文と申す。
12月21日はどっかの誰かが「回文の日」と制定したそうだ。
所詮言葉遊びだから許す。
英語では「Madam, I'm Adam(マダム、私はアダムです)なんて遊んでおる。

噺家の立川談志師匠が故人となった。「談志が死んだ」洒落である。本人が自らあちこちで披瀝していた・・・つまり長いこと洒落回文では死者になっていた。

<ダンシガシンダ>このたび事実化された。回文死であり回文葬の声は・・・ない。

コイケケイコさんは現実いる。友人の友人だ。命名者の親の回文センス。もって12・21の日は顕彰され金0封を授けよう

「シンブンシ」「タケヤガヤケタ」「ダンスガスンダ」トマト」 「クドクドクドく」・・・古典の味わいがあります。

ちょいとネットで<作品>を拝見、ちょっとだけ紹介してみよう。

「軽いノリのイルカ」
「元ミス住友」
「草の名は 知らず珍し 花の咲く」

「 裸体画描いたら?」
「かばん屋?いやん馬鹿」

「アナルすりすりするなあ」

「和歌山や遥か光るは山や川」

「電気でないな。出来んで」

「鉄火丼今度買って」

「ジーコの親、小野コージ」・・・ご苦労はん
 

竜馬

2011-02-11 02:35:40 | 
新宿のバーのマダムによると「うるさいくらい」という。
お客さんの連日の話題は坂本竜馬、そして司馬遼太郎の「坂の上の雲」に限定され、途切れることないそうだ。

ニホン全体がくすんでいるいま、NHKTVが「元気の出る電波薬」として発信した気がする。それで反応触発されたおっさんたちがギンギンに個的燃焼をしている・・・素直に近代史の学習とみるか、怪現象とみるか単なる一過性とみるか。
そういえば竜馬の銅像がある高知・桂浜は大賑わいだという。歴史イノチの老若男女、ことに歴女が多く、ある活字によるとソフトバンクCMの「おとうさん犬」までひしめいているそうだ。

オクノという元新左翼がいる。彼にとってのゲバルトは革命のココロザシは皆無だった。調子こきもん、付和雷同そのものである。キャンパスに張りめぐらせたアジ立て看板を書く才能だけはあった。

オクノがなぜ70年闘争に参加したか、そのテーマはねーちゃんにもてたい、その1点。潔しといっていいか、ま、それもあり。
機動隊とのどんぱちが終焉になると、彼はゲバ棒をピッケルに変えてちょっとした登山家になった。女性にもてるためのアルピニストだった。

ところが冬山で転倒して足にボルトを入れた。もてる種目を急展開した。
スキュ-バダイミングだ。インストラクターとなって女性たちのセンセになった。
しゃくな話、この部門では女護ヶ島・・・つまり想定以上のもてもてで数回目の結婚して一応は落ち着いた。

フリーランスだったおれに「一緒に事務所を借りよう」と持ちかけられた。
当時のおれは事務所名を「海舎」とした。人生いちどぐらいは「会社の社長」と呼ばれるのもおもしろそうだ。かくして言語発声において「カイシャのシャチョー」となった。「社長」というより「詐称」である。

オクノはいった。「竜馬舎はどうだ。ほらまたシャチョーだぜ」根軽薄だから乗った。
事務所は神保町にあった。有志に起業通知を出した。みんなせせら笑った。

竜馬はさいしょに北辰一刀流の二本差しで革命を志した。・・・刀剣じゃ無理ぜよ。
ところが、ピストルをもらうとテンションが上がった。
「ニホンを洗濯するためにはこれぜよ」
そうしているうちに自覚するのである。船中八策を起草したりしているうちに気づいた。
「ピストルよりもここぜよ」人差し指でアタマを差した。
「革命は銃口から生まれない」トロッキーや毛沢東に聞かせてあげたいもんだ。
どんな武器よりもバランスのとれた知恵がいちばん。

今夜、雪になりそうだ。実は降ってくる雪の風情を楽しみたい。ちいさな高揚感を胸に待っているのだ。東京の雪は視野をモノクロトーンに変えてくれる。一瞬の幻想世界に連れて行ってくれる。
きょうは本日発売の月刊文芸春秋をさっそく購入したがしばし待て。ひまこきだから玩具の落書きをして深更の雪を待っている。