goo blog サービス終了のお知らせ 

不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

 long Goodby・・・副島輝人さん

2014-07-25 16:43:40 | ART
 柔和な笑顔がまぶしいおだやかなひとだった。昨年は2度お会いした。
 上野でドイツ前衛美術の現状報告の小さなイベントと、成城のcafeでのJAZZ講座。LPレコードでJAZZ100年を快刀総括した。いつでも談笑の永い付き合いだ。

 <7月12日、胃がん、冥界>

 永別はままならなかった。ちょいとよその国に出かけていて,帰国すると留守電、FAXが点灯していた。仲間と故人を悼みを共有したかった。

 温和な高等遊民といった存在感で、前衛モダンアートがお好みだった。いちばんはフリー・ジャズでこの国のまぎれもない旗手であった
 「一般的なジャズってみなさんがわーわーやる。ぼくは欲張りだろうか、少数派でこつこつやってる、創造性に富んだ思い切り展開するアートにたまらなく魅せられるんだ。びっくりさせてくれる遊園地さ」
 耳障りのいいジャズ、ではなく、フリー・ジャズはマイナーだから、だから応援するスタンス。

 20世紀なる時代は、この地球がというか、世界がちゃぶ台返しの時代だった。戦争が人身を破壊した。まぎれもなく人智がこわれた。

 荒廃からのそのそと立ち上がったのは「うるせー、ばーろー」これもんの熱血スピリット。
「旧来の価値観は死ね、自由な表現は生きろ」
 ジャズ、美術、映画、演劇、ダンス・・・副島さんはわれわれを笑顔で飛びっきりの遊園地をエスコートしてくれた。

 数年前には労作「日本フリージャズ史」を刊行した。東京の片隅でひそっと炎を灯していたマイナーな音世界ジャズ。副島さんは無邪気スマイルで克明に検証した。


 季刊誌「ジャズ批評」ー副島さんに背中押しされて書き殴ったのはこの国のジャズ・シーンに山下洋輔が乱入したころだった。
 「おれ、ジャズオタクじゃなくてジャズ不良。専門的のことはなーんも知らない」と固辞したのだが、結局はカラーセクション6ページ、ド破天荒に遊んだ。副島さんはうふふ評価、ジャズはなんでもあり、と。
「好きなことを書き散らすのだからギャラは要りません」とカッコつけて、タイトルはあろうことか「新宿ジャズ日記」・・・おばか乱文を5,6発やっつけた。
 LPレコードの解説、ライナー・ノーツなんてのも、怖いもの知らずで書いた。

 もし、文句があるなら、副島さんにいってくれ。そんな感じだから、副島さんは格別のジャズの親分だった。
 いろいろお世話になりました。あの世で再会したら、またひとつ飲酒でも。

 副島さんの旧家は経堂で、往年には餅つきイベントにも参加させてもらった。いまブラザーのカポネが棲む。1時間50ダジャレ連弾に苦戦しつつ、近いうちに「偲び飲酒」でもしよう。

 三軒茶屋シネマ・パラダイス

2014-07-05 08:31:37 | ART
 世田谷の三軒茶屋、246ストリートの宿場町のおもむきがあって賑わいのある町だ。
 かっては映画館も3軒あった。1館だけ生き残っていた三軒茶屋シネマが今月で閉館となる。

 末期のラインアップに「ニュー・シネマ・パラダイス」{2本立てで併映は「ひまわり」}。感傷気分、ちょっとしたセンチメンタル・ジャーニー。どちらの作品もうんと以前に通過している。

 名残りの映画、いや、この場合は映画館であります。そんなこんなでいつになく客席は50%の入りで、多くのひとの記憶の糸くずのなかに「わがこころの映画館」 があることを物語っているようです。

 スタートしてから60年。いかにも「くたびれました」の斜陽風情。建物は木造モルタル風で、イスはギシギシ。昭和期の映画館というと「便所くさい」「タバコのけむりが充満」・・・そんなイメージであります。

 イタリアのいなかにあった「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画館があった。もう歓声と嬌声、そしてタバコ靄でいっぱいです。こんなときの語彙としては「隔世の感」ということになりましょうか。文字からしてカビ付いています。

 「わがこころの映画館」 初婚の相手だったマサコのパフォーマンスには苦笑。夏になると部屋の照明を落として、TVの前で正座してお化け映画を見ていた。
 「女の子」だった時分、吉祥寺の映画会で味わった思いが刻印されていた。もっともそのときはタバコとビールがかたわらにあった。

 映画評論をしていた愛人がいた。試写会に同行してそのあと酒場で激論、激高にエスカレートしてつかみあいまでやった。映画さえなければ仲良しだった。いまごろどうしているやら。インド漂流に出てから不通となった。
 映画をとりまくセラヴィ、これは万人共通の思い。

 闇からにじむ光
 光からとけだす闇
 空は死んでいない

 生きるちからを祭れ
 銀幕では だれも死なない 

 にしても「わがこころの映画館」=「ニュー・シネマ・パラダイス」は名作であります。まずエンニオ・モリコーネの音楽が秀逸。
 じつは昨晩、地元でジャズ・ライヴがあって「美女とヒグマ」くるみ割り人形ピアノvsベース楽聖の対決だった。幕前に「ニュー・シネマ・パラダイス」の話題をしてそれとなくリクエストしたつもりでありますが、それとなく無視された。
 美女にとっては軟弱な音楽らしい。ヒグマのほうはCD最新作、ベース・ソロでこのテーマ曲を展開している。

 シチリアのいなかの小さな村。第2次世界大戦で敗戦のあと、純朴なひとたちの唯一のお楽しみは映画館というパラダイスだった。ロシア戦線に従軍したまま帰らぬ父を待つトト。
 家族愛、映画館を天国とした少年、文盲だった映写技師との無限のつよい絆、初恋、片田舎からの旅立ち、それから30年・・・
映画屋に成り上がったヲッサンにとっては、たかが故郷、されどふるさと。それはそれは重たい存在だった。

 暗い顔をして、せつない追想とともに帰郷。さりげない村人のやさしさがあった。物語があった。新しいパラダイスという名の映画館が墓標のようにあった。

 
 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品。初見のときはデティ-ルの豊かさ、確かさから自伝かなと思った。違いました。
 彼は1956年生まれで、少年トトより15歳くらい上の世代になる。でもって32歳ぐらいにこの作品を創っている。
 トトの見事すぎる「なれの果て」だ。


 トトなるガキ、たくさん共感するのは自分と同時代性であることだ。
 わけわかんない戦争期と敗戦。仲間にはいっぱい戦没者の遺児がいた。トトがいた。イタリアと同じ敗戦国少年であった。
 父親がいる自分たちも、やはりトトだった。ガッコの授業よりスクリーンでうかがい知る世界が宝箱になった。

 生まれ育った鉱山城下町には共楽館なる娯楽施設があった。隣町には映画館が6館あって、そのフィルムを隔日で上映する。もちろん無料だ。
 モノがなくても映画だけはふんだんにあった。西部劇、チャンバラ、そして世界の映画大作はすべて無心でながめていた。キス・シーンはカットされていなかった。

 便所くさい共楽館の2階の右前あたりは「小学生の鼻たらしども」の専用席。オトナどもはうるさかった。でもとことん楽しんでいた。
 タバコは吸う、キス・シーンになると野卑に叫ぶ。西部劇でインデアンに攻撃されそうな守勢カウボーイが危機一髪、と・・・騎兵隊のラッパが鳴る。大拍手。

 「こいつら、この間の戦争にコテンパンにやられたというのに懲りてねー」 自分たちはけっこうシラけていた。つい数年前まで騎兵隊を鬼畜呼ばわりしてたテメーら単純。


 東京に出てきた当時はTV放送が開始されていた。チャチで見る価値がなかった。映画育ちだから、いまだにTVをコバカにしている。

 同世代でいつも話題になるのは日活名画座だ。
 新宿伊勢丹のまん前に古いビルがあって、5階までぜいぜい階段をのぼる。なによりもうれしいのは入場料30円。伝説の3本立て小屋であった。
 わがこころの映画、そして映画館。思いつのりは果てしない。

 

Documennta。

2013-12-03 10:48:50 | ART

都々逸ではなくてドイツ、カッセル市の現代美術DOCUMENTA。5年に一度開催、その報告というべきスライド・ライヴを奇襲。リポーター!は長い付き合いの友人でやはり5年ぶり。彼は前衛いのち。音楽、美術、舞台表現、なんでも前衛もん大好き、アバンギャルド・サポーター。「やあ、やあ、現れたな」上野・入谷のちんまりした劇場「上野ストアハウス」近ごろ現れ男。ことし前半まで不調、やや太めで出不精、夏以降は一転体型シルエットすっきり、大江戸出没現れカムバック、シェーン・シェ~。

この現代美術展DOCUMENTA9は全日程100日、全世界のアーチスト200人が参集して逆宇宙を知的創造したモダン・アートのWカップ、壮大ムーブメントだったらしく、インドア、野外大小問わず、明快作品群、ややややこしい作品群はダイナミック。この大消費時代をばっさり、でか斧で薩摩示現流叩き斬っちゃう凄い、瞠目。

ドイツは先の大戦で全土が地上戦の戦場となり焦土壊滅した。ざくっといえば古い文化、概念をご破算に願いまして大胆、そのリアクションは半端ではない。行政だって本気だ。おらが国のあたま鉄板ばかやろどもとは雲と泥の差。会場行きのトラム路面電車を特設走らせ、その軌道はメイン会場の建造物、段差のあるポーチ玄関をくぐらせる荒業コンセプト、途中にはあちこちにでっかい耳のオブジェ。ここから流れる五感ちょちょぎるミュージック。耳は聴覚器官、聴くだけではつまんない、聴かせるメディアでもあるのだ。

Documenntaではないけれども、ドイツ・フランクフルト現代美術館で体感したそれは記憶鮮明で、ある展示ルームに入ると真っ暗闇それだけ、なにも見えない闇空間、視覚感性集中して、はたして何が見えるんだろう。同行した連れあいは「暗闇回廊は長野の善光寺だわ」つれなかったが、

「ふんだ、同じような祈りの空間であっても、お寺さんのセット・メニューとは一緒にしてもらいたくないね」 戦争総体のブラック・ホールを感じとめ、アンダー・グラウンド、アングラは漆黒の闇で模索する祝祭。日本でもアングラは演劇をトップランナーにして市民権を得た、破滅終末思想ムーブメントは失速したものの。百年王国、どうだろう。わりがほどよいのスタンス、たしかに東独はまだ生煮えだった。心情過剰はNO GOOD。

フランクフルト現代美術館の別の展示、墓石に刻まれた子どもたちの生前写真、没年は1943~1945 それだけが数百枚。モダン・アートは時代を超えて指弾訴求する。ドイツの東西融合の2,3年過ぎたあたりだったので、館内には旧東ドイツの作家の作品も展開していて、それらは異様に直線的で重かった。表現はやさしく、思考はしなやか。 

地球環境、強欲経済システム、国、地域、人種、宗教の反目・・・原発・・・音楽は国境を超える、舞台作品しかり、もちモダンアート美術しかり。知的遊戯で不条理をおちょくってやれ。浜野安広なる質素革命の旗手が「あらゆるものがファッションだ」と逆説文脈で指摘した。そう、時代と寝ちゃいけません、ファッションはごってり体毒てんこ盛り。前衛は虚弱ながらレジスタンスの1兵卒。

現代アートとは? 井上ひさしの表現が分かりやすい。果実、たとえばリンゴをナイフでむくゆっくり、無表情でむいた本体をポイ、あっけなく捨てる、皮を食う、美味しそうに。果肉より果皮の美味、これも真っ当であります、表現の自由がいちばんおいしい。どなたさんにも支配されない。果皮を食って文句あっか。

美術は平面、立体、映像などによるインスタレーションもろもろの表現多彩で、いま平面でワールドクラス人気が村上隆と奈良美智の作品。特筆されるべきは現在形日本のユニークなジ・アザー・ポップ・カルチャーというべき漫画、アニメ、オタクがここに集約されている。

村上のそれはたとえば作品「コスモス」花咲き乱れ、よく見ると花に顔があり口を空けて笑っている。かわいいと不気味のグロテスク浮薄をアピールしている。奈良作品も同じような地平で「サヨン」は少女がでかいお目々でギロリにらんでいる。かわいい、不気味、そこらにあるおかしさは呪術的魔力がある。無知だと思ってるんでしょ。とんでもはっぷんよ。オトナどもの悪行、ぜ~んぶお見通しよ。と、少女の鋭い目はいっている。

 

 おっとそうだ、70年代前衛のあだ花発火したころ、「撹拌」の2文字がキーワード重用された。「感性の闇夜鍋」「五目めしごっちゃまぜまぜ」「糠床漬けこねこねミキサーぐるぐる」「あっちとこっちを種付けしてミックスド探査」「異界化学反応ゲーム」・・・のちに撹拌はクロスオーバー、異種格闘技などなどと変調する。

美術なるものキレイキレイ表現はそれもいいだろう、でもでも同時代共通意識を造形でメッセージ化しようとする作品をめざす芸術家がいる。彼ら彼女らがは発信するのです。そのあたりがモダン・アートのエッセンスDocumenta。いまカネカネの日展が騒々しい。あんなん権威主義クソジジィども、指摘するのもけがらわしい。アートとは別次元。

ニホンの前衛美術家だってワールド・クラスはごろごろいる。通過した19670年前後はけっこうダ・ダ・イ・ズ・ム現場にいたからびっくりしたりがっかりしたり。いちばんラジカル期にちゃぶ台ひっくり返えし決行したのは美術家たちが先頭で、ハプニング、ボディーペィンテング、キッチュなどのジャンク・アートは肉食系勇猛で楽しかった。

帽子に電池でくるくる回る竹とんぼのおっさんがいたり、後楽園ホールのインター・メディアではホンモノのハンギングIF死亡の首吊りハプニング、これにはハイドン作曲びっくり驚愕だった。ゲリラ・パフォーマンス・ゴリゴリ、不逞力があった、たじたじ。

モダン・アートは美術館から飛び出した、いやいやちょっと待て。のっけから美術館なんぞ知らないよ作品が日本列島どこかしこにある。コンチ作品列島のおもむきなのだ。たとえば浅草のアサヒビールの広告塔、金色の雲だ。みなさん「うんこ」「おたまじゃくし」「練り辛子」「「クジラ」「おばけ」とお喜び、しかしこれは現代アートの立派な作品。本来は「炎のオブジェ」だそうだが、見たものの感性で楽しむ。

 やつがれも前衛はお気に入り、根っコはいつもアバウトまず愚的好奇心ありき。ガキのころ鉱山町に巡業にやって来たテント・サーカス団の楽屋に忍びこんで見た老ピエロの化粧崩れ深いしわ、ため息が原点のような気がする。ピエロの哀愁は泣いて笑う。あるいは笑いながら泣く。てなわけでモダン・アート賛、「さあさあびっくらこかせておくれ、一生のお願い」わくわくびっくり箱、サーカスの楽屋のぞき志向。評価が定まっている泰西名画は流し視線、あちこちのモダンアート・ミュージアムをのぞき見た。けっして愉快犯さがし旅ではありませぬ。

いまや世界の安藤忠雄、彼は建築家であり美術家、取り組む建造物の作家なのだ。アーチスト、街中にあるアート表参道ヒルズをなんざあひやかし歩きもいいぞ、ほかいっぱいあるぞ。作品創造の8割が海外からオファー、上海のオペラ・ハウス、ボストンの美術館・・・高卒で東大教授になるアプローチに強く共感する。こよなく散歩に愛、歩くモダン・アート。

安忠さん、高校生んとき「けんかしてお金をもらえる」6000円のファイト・マネーに魅かれてプロボクサーのライセンスをゲット。24歳で建築家の大志、こころに響く建造物を見るこころにフック連打打ちのめされ世界ぐるりの貧乏旅行。とりわけローマの神殿パンテオンにKOされて、美術作家・安藤忠雄1日にして成らず。

新宿西口東京都庁、建てもんは高い高い、はて評価はおごる権勢ぶざま奇景にもならない。つばを放とう、上に向ったのでは自分に戻るから水平撃ちがおすすめ。都のオメコ紋章は有名あほ、まして悪慎太郎伝承イノシシブタ知事、極上の醜悪極道。おいしい5000万円、「選挙に使わない気持ちが強かった」弁明史に記憶される名言、都民こぞって支持投票行動した、とても正しい!!!美しい!!!ぎゃあああ

彼はドキュメンタリー作家としてはいい仕事をしている。でもみなさん一様に「死んでも友だちになりたくないNO1だった。ここんとこの猪瀬劇場はとてもゆかい。彼は悪態報道データをしっかり格納して早ければ10か月後には「DOCUMENT 5000万騒動」を書くだろう、ただもんじゃないあの権力志向、逆襲なるか、それとも起訴されて拘置所でしゃがんでいるのかな。

ご近所の新宿西口しょんべん横丁、ゴールデン街は戦後文化遺産、しっかと美術しているモダニズムしてる。多摩川河川敷に素材木っ端の豪邸あり、門を構え番犬がいて小鳥飼う、立派なるホームレス・アーチスト。都心エリアの芝・増上寺大門はあたりの景観に恵まれて堂々たるアート、築55年の東京タワーを借景として、ふむ東京タワーもライトアップで得点ゲット、奇景懲役から出所したことだし、現代アートにまぜてやろうか、けっけっけ。

町を歩く。欧米の街景観はしっかり「突出禁止」プロテストされているのに比して日本の建造物、屋外広告、ショップのデザインは海千山千百鬼夜行、あちらが立てばこちらも立つ、馬子にも衣装バブル以降はなかなか洗練されてきた、モダン・アートしている視覚反応メニメニ。アートは町にある、と特上の。日の丸アーチストのデザイン凄い凄い。アートは大衆が評価する。「二足歩行でアートしてる肉眼スナップ」おすすめ。

ビンテージもんの和製美術家おそろしおそろし。数年前の横浜トリエンナーレでオノ・ヨーコの作品に反応した。客車が鉄道軌道に乗っていて、その客車には機銃で撃たれた穴が無数にあり、夜間はその銃創からやわらかい光とともに低くしなやかな音楽。たしかなメッセージを受けとめた。同時期の美術家には水玉模様特化の草間弥生がいて、いまだに騒々しい。卑弥呼パワー元気すぎる。

牡はギュウちゃん篠原有司男。NY在住40年の名物、古強者牢名主で「NYにワラジをはくならまづギュウちゃんところに挨拶、仁義をきれ」こちらも在NYのカメラマンを紹介してもらうなどお世話になった。彼のスタンスに岡本太郎断言「ひたむきなベラボー」異議なし。前衛=ベラボー、スクエア管理奴べらんめえええ。

おやおや、ドイツ人のドキュメンタリー映画監督の生きてる素材になって、この年末封切り「キューティー&ボクサー」予告編だけでも痛快、チラシのコピーをコピー「現代芸術家81歳VS妻乃り子、ふたりの愛と闘いの記録」

壁面キャンバスが死闘のリング、水中メガネの夫婦がペンキたっぷりのグローブでパンチ、フック、合い間にくすぐりこちょこちょ、張り手、肘打ち、脳天唐竹割り、ひと息ついてキャンバスに愛撫、掟破りのウエスタン・ラリアート。極彩パンチを浴びた色無残散開、カウンター、アブストロ地平の作品ゴング渋さ知らズベラボー・ライフあっぱれ、いえいえまだ中間点。

モダン・アートの作家は売れない?食えない?徒労だ?のっけからそんな発想はゼロなのだ。よけいなお世話。サンダンス映画祭で「こんな夫婦見たことがない!」観客をノックアウトしたそうだ。ドキュメンタリー部門監督賞、ギュウちゃん夫妻は?ごくろうさまでござる。現代アートをチョイスした生き方イコール作品なのだ、まさしくDocumennta この映画には1食抜いてでも行く、うふ。

小生のご学友、ものぐさ作家志望でバイトやらず売血専門。鉄分の粉末を飲み飲み隔日に300ccの血を抜いて結果、頭髪真っ白、まつ毛も白化してだるそう、中退して行方不明ケセラセラ人生色色なるようにしかなりませぬ。くすぶり表現者だって雌伏100年で夢かなうかもしんない。創造街道きびしいぞ、小幸せを願うんなら撤退、それがベター、バターじゃなくベター。

BGMは105円でゲットしたルイ・アームストロングを聴いている。ニッチもサッチモいかない、その理由は?そんなんどうでもいいけど、ついつい元気印の年代ものビンテージお歴々に感心するばかり。

あー、私事、旅の寸景。新宿のBAR「洗濯船」のマダムとは大化の改新以来の仲良しで、おーそうかあ4年ほど前にパリをうろつき「アトリエ洗濯船Le Bateau-Lavoir」の前で小休止、タバコをすっていた。・・・おや文字に斜体が・・・モンマントルの中腹にありここはピカソ青の時代のアトリエだった。名所といっても文化遺跡ポイント標識板1枚。お、お、右となりのドアに入るおばばがこっちゃらに気付き「おいでおいで」の手招き猫。坂を下ると歓楽街ピガールでねーちゃん過激に客引き。まさかおばばが。

その日、中国人の画家が来訪する予定だったそうで、こっちはジャポネ、でもいささかも気にしない。「コーヒーでタバコをゆっくり」知的マダムはカサノヴァさんといった。洗濯船のとなりをアトリエとする画家。ヴェネツィアのカサノヴァと同じ名前、回想録で生涯1000人といたした好色男、その最多安打的な愛のボリュームに感動しない男性はいない!

気さくなカサノヴァさん、作品やらそのアトリエのどこかしこを見せてくれて、こちとらお上りさんハトバスツアー、電話があってフランス語でおしゃべり。おっと受話機を寄こす。「ジャポネよ」京都の絵描きで来週からパリで個展をやるという。思いがけずの日本語会話「そういえばマダム、洗濯船をテーマにした版画作品がありますよ」

「見せてください」「1枚分けてください」マダム、日本人画家との間で営業仕掛けをしたかのような流れをすごく気にした。客を呼びこむために・・・まったくの偶然であることは明白だった。手持ちの全部400ユーロを出す。マダム、100ユーロを戻す。高い安いの価値はわからない。お互いに恐縮。マダム・カサノヴァのナンバーありのリトグラフは新宿ゴールデン街のBAR洗濯船の吹き抜け壁面に収まっている。

モダンアートは美術館から離脱、大胆不敵に超える。箱におさめて管理されるぐらいなら1ミリの価値意味がないこと自明だ。既成概念の枠組みからはみ出して、創造にスケールなんぞは取っ払いますです、管理されませんです、。岡本太郎ラッパ・ファンファーレ「芸術は爆発だあ」時空間は酸素さえあれば創造可。表現者、前衛、もっと前へ

 


新宿WEST GATE麦わら帽子で行く

2013-07-23 14:52:07 | ART

将棋の駒をおっ立てたような高層ビル。新宿西口損保ジャパンビル。

くそ暑いからストロー・ハット帽子で行く。

損保ジャパン東郷青児美術館に行く。

53億円で落札したゴッホの「ひまわり」が常時展示されたいるから、ゴッホにあやかって頭い麦わら帽子風を乗っけて行く。

新宿WEST GATEといえば、思い出すのは新宿警察署。きゃっきゃっきゃ喜劇過去あり。飲み仲間がパクられ、釈放参りに参拝すること数度。わいわい。

 <遊ぶ>シュルレアリスムー不思議な出会いが人生を変えるー

こんなミュージアム企画展に誘われた。一応はべろっと拝見した。こっちはモダン・アートが好み。わけわかんない作品と対峙して、イメージを増幅させる遊びごころのこんこころ。


でもって追想がふたつ。キーワードはふたつ。

☆東郷青児

☆シュルレアリスム

・・・・・・・・・・・・・

東郷青児 1897年~ 1978年} 洋画家。

夢見るような甘い病的な昭和の美人を描く画家として一世を風靡した。派手な遊び人。女性遍歴!憎ったらしいよー。嫉妬めらめら。宇野千代との「色ざんげ」などはみんな読んで知っている。

上京したガッコ迷門国学院大の教養課程は井の頭線久我山で、そこで2年間‘服役‘‘した。そこら一帯は陸稲畑で牧歌牧歌している。ゴッホの絵画的風景であった。

ついでにいう。文学部は勉強しない。飲む打つ{賭け麻雀・賭けビリヤード}のバンカラ日常、蛮勇学習と実践。不毛ナンパと酒と薔薇の葉っぱ、さらに雑草博徒の日々。

駅近くに蕎麦屋があった。その向かいが東郷青児邸だった。

あろうことか、かの著名画家との接点はこれだけ。

ガッコの昼休みは駅近くの蕎麦屋に行く。結集。忠臣蔵討ち入りモード。総勢10人ほど。

当時はまだ少壮文化人だった丸谷才一、串田孫一、飯島耕一センセらとつるんで出陣。彼らだってやんちゃだった。アルバイト講師のセンセたち。みなさん、20代の若造だった。

ちなみにおれはまだ初々しい10代少年の部。同じクラスの仲間には30代がふたりいた。出自は医大崩れ、開成高卒の元知能やくざ。

B級の低級遊民文学部は異才ぞろいだ。A級文学部の試験に袖にされた、ペーパーテストが苦手な連中。おれも。ふて組。

郊外キャンパスだから、これもんのセンセとの交流が自然の流れだ。単科ガッコの強みでしょう。小回りがきく。総合ガッコならそうはいかない。

蕎麦屋では蕎麦は食しない。野暮天は食う、おれらは都会派だからNEVER。本音はやせ我慢。武士は食わねど苦通。

焼酎甲類ストレートを揃ってオーダー。ククーとすする。受け皿をコップに加えてククー。

コップの上部に少々の余裕がある。そこに唐辛子をぶち込む。赤色焼酎をズズズすする。

といった一連の儀式をすませて、こんどは店外に飛び出して走る。全力で走る。走れメロス。ダザイスト衆は100メートル疾走。途中、頭部花火炸裂。よたよた4足歩行。へたり込む蕎麦屋の庭先。

すきっ腹によく効くのだ。当時の焼酎の逆襲代償は頭痛、そして激しい頭痛。さらにガンガン頭痛。ウエ~。助けてくれ~。必殺悪酔い。

センセ諸氏も同様だ。ゼーゼーして

「効率よく酒に酔う。これは経済優先の飲酒行為なり、あーはは。にしてもグルジィよな」

アルバイト稼ぎとすねかじり。まるで集団敗残兵群。

そして。

東郷青児邸の塀の前で、みんなで吐き散らす嘔吐、吐寫物がいっぱい。

東郷どん、許してたもんせ。さぞかし渋面、いや激怒だったろう。それも一度じゃない。たび旅、たび足袋だったのだ。

こちらの大義は、オトナ色魔、女性の敵にちょい報復したつもり。正義感ぶりっこ。

あー、東郷青児巨匠。その絵は軟弱じゃ。青白い病的もの憂いねーちゃん像ばっかじゃねーか。

わめく自由。意味不明の雑言。若気の至り。


センセいう。「嘔吐はJ・Pサルトル。終りの来ない吐き気には意味があるんだ。無意味なる意味」

ガクセイ合いの手。「意味?どんな?わかんないスよ」

センセ「実存主義だ。あー、人間てやつは自分の人生や行動に何か意味があると思っている。しかしだな、そんなもんはない!そもそも存在そのものに意味がない」

わかるかな?わかんないよ!

ガクセイ「へどを吐く。意味はあると同時に意味がない・・・でも吐寫物が証拠として残っています

センセ「そうそう。ロンパリ・ナンセンス、ゆるふん岸恵子。ばかロシア、イワンの脱腸」

ガクセイ「あ、そーれすか。へろへろ、えへら、う~ぷ」

センセ「あー、そーらよ。午後の耀きの彼方に天空、星空だあぁ・・・う~ぷ」

昼酒朦朧。みんな仲良く泥酔、センセのぶっ飛び講義。いや、酔いどれ哲学。

・・・・・・・・・・

☆シュルレアリスム{surrealisme}

1924年にブルトンの「シュールレアリスム宣言」に始まったとされる。おっとどっこい。何かの行事みたいにパンパカパーンで開始なんて無関係。単に屁理屈をこねただけ。

一般には、<シュールレアリスム=超現実主義>とする。ややこしいから一刀両断する。

<美術ムーブメント。既成のARTにアッカンベー、うっせーばーろーを論理化。しかし衝動優先>

なんでもART,それでもARTなのだ。芸術はのっけに破壊ありき。破壊から始まる創造主義。


ん!?おれたち、「おもろそうじゃないか」と反応。

拗ねた、ケツまくり不良芸術家たちの「全身遊興展開」なのだが、

各論的にはあぶない。

たとえば、この美術館に展示されているマルセル・ヂュシャンの作品。

ダヴィンチの「モナリザ」にひげを画き加えた。落書きだ。鼻ひげ、あごひげ。

いたずらによる、いたずらのための「ひげモナリザ」立派な作品と評価されている。

・・・それなりの蒼白青年らの主張がある。

「伝統や慣習にしばられないユニークな遊び展開」

「理性の支配をしりぞけ、夢や幻想など非合理な潜在意識の世界を表現している」

文言はゴリりっと硬直、こんなニホン語キライだよね。


その当時のガッコでは、そこら中にシュールレアリスト、ダザイストがうろうろ。一山10円の粗雑軽薄な文学部雄軍鶏。気取り一流、実質三流。

 一例。仲間の恥さらし事件。

吉祥寺のチープなBARでナイフを取り出して「これ、人肉がよく斬れるんだ」とやって即パトカーに乗せられた。署で暴れて起訴された。

彼はダダイスト行動派を宣言、シュルレアリスム確信犯を自称。仲間はその反逆を評価してヒーローとした。

Nohh!おれは猛然と吠えた。「遊びというよりお子さまランチ。薄っぺらい悪たれ、短足、粗チン、不良もどき。がんもどき。無粋のきわみだ。遊びになっていない」

「時代と寝るな。死んでも前へ、前衛こそいのち」おれはカッコつけて咆哮。はい。いちばん年下のくせにいっちょまえに。ああ不良少年、若かりしころ。

その当時。不良都市新宿は、Oh  my buda!の巣窟。あちこちで旗が満艦飾。

ダダイストがいて、ダザイストやら、メタフィジシャン、ロスト・ジェネレーション、無頼派。アバンギャルドにヒッピーの旗を掲げしもの。Angry Young men{怒れる若者たち}、アナーキーズム、ノンセクト・ラジカル・・・欧米発の前衛思想群てんこ盛り。百家争鳴。ラジカルは美術家。マガジン「美術手帖」が地雷原。哲学少女の黒でまとめた衣装サルトルのパートナー・ボーボアール女史の信者。あるいはシャンソンのグレコまがい。見る前に翔べ、さあ革命だ。終末思想に、わがニホンから禅思想が特別参加。邪馬台国はまだあるぞ。地下にうごめくアングラ暗黒小劇場澎湃、テーマは情念だ、怨念だ、胎内回帰だぁ。かぶく者あり白塗り舞踏。映画は遅刻、まだ巨匠が元気で俊英は資金集め不発。あえて孤高弧立するModanJazz信仰・・・まるでタダ同然の閉店セール。ああ、列挙疲れ。

あー、メンドーじゃ。いうなれば掛け声だけ勇ましく中身は空疎。安BARでほざくだけ。

蒼い獅子たちわかったぶりっこ。消化不良。下痢便秘連結症状。でも、通過しておもろかった。


★・・・当ブログを盗み読みしている知友どもが「最近のはやたら長い。読むのに苦痛感」と文句を垂れる。モンクは説教僧侶、セロニアス・モンクなんて知ったこっちゃねー。

長くなる素因は、最初のUPから、ごそごそと全面改訂構成変更添削大胆加筆訂正挿入自在誤字無視脱字平然意味混濁森羅万象色男無力全裸抱擁罵詈罵倒絶品秘宝凹凸結合揶揄中傷春草桃尻焼肉定食剛力醜女青色申告鈴木清純野糞爽快無毛無穴剛毛密林下呂温泉放屁爆音処女懐胎日光結構手淫空虚鰻超高騰新婚不休拉麺餃子桃色秘境獅子奮迅万古不滅非核陰核強制退去説教強盗初夜不発村上春歌接吻妊娠夜尿異臭夏期休暇膣部秩父蹴球弱体魔羅落日松田性交無印良品交合未遂海老天丼野合露見麻雀引退体位騎乗加藤茶臼満漢大席劣情歴女飲酒休日天下大変女陰封印本日休診禿頭亀頭署名捺印男尊女神七転八倒特攻夜這山形芋煮愛人粗万出発進行勃起猿人美女乱調喫煙堅持痴女薄命笑門招福遅寝遅起巨根中折腐乱納豆不抜七回経堂無情国士無双貫通姦通海千山千美姫出産英妃出産神仏乱交整形巨乳長身貧乳腹上悶死絶倫即死団扇冷房苦吟哄笑してハタ。気付いてみたら2倍3倍になっているのだよ。長々と馬のしょんべんになってしまうのだよ。馬しょん、芭蕉ん。

お願いだから読まないで、ほっといてちょうらい。こちとらはお遊び特化地帯。ましてブログはFREE KOPY無料だし。有料なら話が違うんだけどなあ。

*MEMO*4文字は世界的文化。 英語圏では<Fack>が帝王。Four lettar wardsなんていうらしい。この国では<オOOコ>で対抗するが、<Fuck>の迫力に敵わない。それより漢字による4文字熟語が教養の親玉。だから上記のように遊べるから便利。

一般的4文字熟語は上記文字速射機関銃で散華せり。延べ5時間の地獄散策であった。


追書 近く損保ジャパン東郷青児美術館に行く、再び。

ストローハットを退嬰腐乱頭部に冠帯して。

クラシックの演奏会がある。梅毒死したモーツァルトにブラームス、J・シュトラウスⅡ・・・入場無料。ここいらがとても好感!