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不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

砲戦

2010-12-23 22:04:34 | 
よその国、万国旗のような露店Tシャツ屋。
チェ・ゲバラの顔があり、オサマ・ビンラデンの顔もある。オサマを革命の英雄視するイスラム観光客対象だろう。
そういえば、むかし坂本竜馬のTシャツを買い求めた。飲んだくれに「交換しよう」と取り上げられた。新宿ゴールデン街のBARだ。
オサマ・ビンラデンのTシャツは買わない。欲しがる物好きはいないと判断した。

気になるTシャツがあった。胸部のロゴには購買意欲をそそられた。
<NO MONEY NO HONEY>
・ ・・やっぱりあざとい、あざとすぎる。結果として自らの購買意欲をキャンセルした。漆黒ジョークにも成立しないという結論に達した。きわめて大げさ。

羽田空港は至便。バッグには20冊の文庫本、重たい。
分類すれば、NHKTVで触発された司馬遼太郎の「坂の上の雲」群、村上春樹群、その他アトランダム。

NHKTVで病床の正岡子規を演じた香川照之は、17キロ減量したそうだ。役者魂に敬服。

「坂の上の雲」は未読だった。極私的事由ははっきりしている。
いまわたしらが通過している近代史の原点は1945年8月15日。無残な敗戦だ。
明治期の日清、日露戦争に勝った勝ったはその助走であり、驕りすぎの結果だと理解している。
司馬史観は熟読支持してはいたのだが、「坂の上の雲」だけは遠ざけていた。

よその国ではほとんど移動しない。1日1冊読書三昧、それにCDカセットで音楽少々。
「坂雲」を読み始めたら、その夜には悪夢に襲われた。
毒消しにハルキ・ムラカミ。軟弱といえばあまりにも軟弱。「それもよし」納得するしかない。

よその国、真夜中のビーチ。若者たちが花火で遊んでいた。
30連発の花火を激しく水平射撃して歓声をあげている。砲戦だ。平和な砲戦だ。

わたしは両切りのタバコ「PEACE」をたしなみながら観戦士官。だから誰がなんといおうが、この光景は☆☆☆ PEACE ☆☆☆御名御璽

巴里のラオス人

2010-02-15 16:49:45 | 
深夜のパリ1区。赤提灯の串焼き屋のカウンターに座る。客はいない。
メニューにはない焼酎をオーダーする。80%ハゲの店主が奥から「二階堂」を持ってきて「これでいいですか」「うん」痛飲する。無口で渋く決める気でいた。

「ぼくも・・付き合います」とハゲテン。お喋り男だった。同じ国籍の人だと思った。おやおや意外だった。
「ぼく、ラオス人なんですよ」

――ニホンに8年いました。ラオスのビエンチャンの近くで材木の商売をやっていた父はコミュニストにいじめられて、一家で亡命しました。
両親はパリ、兄と姉はカナダでぼくはニホン。それぞれが分散して、誰かが生き残ればいいという父の考えでした。

ぼくは21歳でした。浜松町の貿易センタービルの建設現場で雑用しました。その仕事が終わると六本木で朝まで皿洗い。1日18時間働きました。ニホン語は漢字の勉強をしてからうまくなったですね。
大井町のアパートに住んで、オカネ欲しいの毎日だったから、ニホンのことは知らない。東京タワーに2回行ったのがいちばんの思い出。

パリに来て30年になります。この国の人の考えることがわからない。自分中心主義で、予測のつかない考え方をする。そしてアジア系を低く見る。
コンピュータ関係の仕事をしている息子だって同じ。親子なのにぼくとは人種が違う考えをする。
ニホン人がいちばん。嘘をつかない。

そう、ぼくたちには世界中どこでも居場所がないんです。生まれた国から追われてあちこち流されてね。
あんたの個人的なことはわかるけれど、いまこうやって話し合ってねぇ、それはそれで・・・生きてるんだしね。流行歌であるでしょ。人生いろいろ・・・

ラオスに戻りたいねぇ。あの国には木と水しかない・・・あ、最近はコーヒー豆を生産していてタイやベトナムに輸出しているらしいけどね。そんなこと関係ないね、こっちで家庭を持ったから仕方ないよ。
パリで死んじゃうよ、このまま。
納豆ごはんにワカメの味噌汁どうですか?ぼく食べる。

1950年生まれのユイさんは、自分史を吐き出す相手に出会えたという感じで喋りつづけた。こっちも関心があったし、いささか聞き出し上手のほうだ。カウンター越しに飲みまくってお互い酔った。

と、奥のほうから声がかかった。「もう、いい加減にしなさいよ」奥さんだった。ラオス語だった。もうとうに店の明かりはダウンしていた。
つかう言語は母語だし・・・そういえば、ちょっとタイ語でも会話した。ラオス語とタイ語はかなり近い。あたまがウニになっていた。

店を出るとパリは雪になっていた。わたしにとって単なる日常のようなよるだった。
通りに出ると娼婦とぶつかりそうになった。
「ボンヌイ・マドモアゼル」「ボンヌイ・ムッシュー」・・・ボンヌイ・パリ。

そのバス、行き先不明

2009-07-28 15:14:25 | 
気分は漂泊のギャンブラー。
ビンボー人のくせにギャンブルが好きれす。
種目は麻雀とポーカーとバカラ、それとオイチョカブ、チンチロリンを少々。それ以外は興味のキの字もありましぇん。
パチンコ、競馬、競輪などには無縁れす。

ただいま事情あって麻雀は数か月お休み中。ポーカーは人手不足。
バカラなる種目はこの国はご法度で、パスポートを持ってよその国のカジノに遠征しなければ奈良ぬ。

ギャンブラーとほざくが、ふところの実相、種銭は情ないほど微少で、それでもいざ勝負の局面なると、姿勢そのまま、おだやかなポーカーフェース。
胸中はけっしておだやかではない。どこそこの神様でもいいからお願い!

漂泊の・・・というがこれも怪しい。一応は7、8か国のカジノに参戦したが「どっぷり首まで」といった内風呂スタイルとまで至らなかった。
旅の大義に「カジノに出撃あるのみ」は少ない。
たとえばラスベガス。並みの観光客となって出陣、日米決戦にのぞみ、わがい愛しのショートピース・紫煙猛アタックで顰蹙をかった。

大半は、旅の途中にその近所にカジノがあったから・・・こんな動機だから漂泊のギャンブラーなんてカッコつけるのは詐称犯れす。単なる願望れす。

オランダ・アムステルダムのスキポール空港内にあるカジノなんぞは、ちろりとのぞいて背を向けた。スロットマシンなんぞはパチンコと一緒。手を出さない門。
東洋最大の賭場マカオには数回出撃した。ある日

国境の長い桟橋みたいな通路を歩いて行くと、そこは中国本土だった。珠海市だった。
関所で3日間のビザを取った孤高のギャンブラーは、あてもなくマカオの門前市状態になってさんざめく珠海市内をふらつくのだった。

小川沿いには理髪店がずらりと並び、店の前には派手なホットパンツの若い女性が客待ちしていた。真っ昼間から営業である。
男性の散髪はする、シモ半身の「放水」サービスもするという立派な中国裏文化のピンク・ポイントであった。そして男性はなぜか軽快な足どりで出てくる仕組みであった。

ギャンブラーはバスに飛び乗った。行き先不明のバスでも、この地点に戻ってくることが可能だ。往路あれば復路あり。バスの不滅の根本原理だ。
未知なるところにさまよう。不確定移動。こんなふらふら旅の常習犯的なギャンブラーであっ田。

終点の町の裏通りを歩いた。路地に布を広げて無造作にガラクタを並べてしゃがんでいる少女がいた。
使いこんだ鍋や手垢にまみれた帽子、欠けたクシなどバラエティに富んでいてとても楽しい露店だ。

「こりゃ、こりゃ」と思ったのは、ラフで渋い手作りの松葉杖のわきっちょに白色化した革靴が半足。ぽつんと1個。1足ではない。
感動しながら、深く考えるなと自分に言い聞かせた他。
行き先不明のバスには珠玉の味わいがあ留。

ギャンブラーは、少女の主力商品であるバラ売りのタバコを3本買って帰路についた、バスに乗っ手。

トラムに乗って

2009-07-10 01:00:39 | 
1994年1月。その5年前にビロード革命を果たしたチェコにいた。
ソ連に圧迫された暗黒の時代の残影がまだまだ明確にあった。硬直した社会主義体制の軋みを至るところで実感した。
街は燻ぶってまるでモノクロ映画の画面。街を急ぎ足で遠ざかる人たちの表情も暗かった。

プラハ城はちょっとした丘の上にある。その丘の右側の延長線に巨大な異様なオブジェがあった。よく目立つ位置である。どうしても古都の風景にふさわしくない異物感である。
よく見ると棒状の鉄製の時計だった。

ここにかのスターリンの巨大な銅像があった、と聞いた。
スターリンという、墓に唾をかけたい20世紀の極悪バカヤロ独裁者のひとりが、その偶像がプラハの街を睥睨していたのである。

冬だった。木枯らしがうなりを上げている。銅像がブッ壊されるときのチェコ国民の大歓声を体感した思いだった。

チェコのいなかを点々とする旅をしていた。
ポーランドの国境に近いヤブロネッツという町の小さなホテルに宿泊していた。
レストランではまずいハウスワインを飲み、ビアホールでは無骨な木製のテーブルにすわって極上のチェコ・ビールを堪能した。

よりポーランドに近いリベレッツという町に出かけた。小川に沿って進むレトロなトラムに乗って。
森のなかを、おだやかな清流をくねりながら、素朴なトラムはゴトゴトゆっくりと走る。小鳥たちの楽園空間を漂うようにゴトゴト。
その車窓から見た風景は忘れられない。どこを切り取っても絵はがきになるような美しい森が続く。今でも残像を幻視する。

リベレッツでは完全な迷子になった。帰りのトラムの駅が見つからない。困ったちゃんになって通る人にたずねる。
この場合は下手くそな英語だ。???通じない。連れあいはフランス語が達者だ。これも通じない。

そのうちに人だかりが出来た。・・・この珍しい東洋人は困っているらしい。なにを知りたがっているのか。
みんな親切だった。
「ロシア語は?」「ハンガリー語は?」「ドイツ語は?」「スペイン語は?」
大道芸人になって帽子を回したくなるほどの人の輪。しばらく困ったちゃんをやっていると、通りすがりの青年が英語であっさり反応してくれた。

小さなショルダー・バッグを背負ったボヘミアン風というかヒッピー風というか革命戦士というかチェ・ゲバラ風というか、その青年は「これからポーランドに帰る」と足早に国境に向かって去った。

ホテルに戻ってしかめ面をして生臭いハウス・ワインを飲んでいた。
突然、思い出した。あの男は見た。まるで似ていた。

マチェックという男だ。
アンジェイ・ワイダ監督の作品「灰とダイヤモンド」マチェックを演じ、さっさと天空の星になったズビグニエフ・チブルスキー。
ソ連支配下のポーランドにあって、実権を握っていた共産党幹部を狙ったグラサンのレジスタンス戦士。
そのマチェックが酒場の女性にノヴォクの詩を聞かせるシーンがある。真夜中の廃墟になった教会。詩碑はマッチの炎の明かりで読んだ。

燃えさかる松明の炎が燃え尽きるとき
きみは自由の身なれどそれを知らず 
あるいはきみの手にあるもの すべてが失われたりともそれを知らず 
きみは知らず
灰も昏迷も 
燃え果てたたその底に ダイヤモンドが残らんことを

地球上でいちばん高価でかけがいのないもの・・・ダイヤモンド。
人間社会にたとえるならば、たとえばいのち、たとえば青春。

ダイヤモンドは炭素。燃え尽きてしまえばすなわち灰は残らない。
<ダイヤモンドが燃えてしまったら・・・何が残るのか・・・>

独学でフランス語をマスターした連れあいは、いまもちろん本意ではない重い病いを背負っている。
今日、西洋医学的な治療をやめることにした。手術はしない・・・
彼女の選択である。このしなやかな結論はずっと以前に出していた。だから特別な感慨はない。

夕食後の雑談。話題は過去の旅になった。
チェコのヤブロネッツからリベレッツに向かうトラムから見た見事な風景や、リベレッツでの迷い子パフォーマンスの話で中程度レベルで盛り上がった。。
それでもって駄文ブログでは「灰とダイヤモンド」に脱線してしまった。

「またヤブロネッツからリベレッツに向かうトラムに乗りたいね」
おれたちにとって、この記憶もあの記憶も光り輝くダイヤモンド。燃え尽きない、決して。

改訂版「海国」

2009-06-04 21:19:38 | 
町境の小さなトンネルを抜けると海国であった。パック牛乳の底が白くなった。信号所に気動車が止まった。
向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を開けようとした。エアコンの冷気が流れ去った。
娘は窓越しに、遠くへ叫ぶように、「駅弁さあん、駅弁さあん」

熱海の夏の色は、海辺のそこまで行かぬうちに陽光に呑まれていた。
「駅弁です、葉子です。ご機嫌よろしゅうございます」
葉子は鬼嫁のキャラ弁のような駅弁を、ご機嫌で食い散らした。

水平線を辿ると初島である。そのはるか手前の古くくすんだ桟橋で、ひとりの男が孤立しながら絶叫していた。「芸術は爆発だあ!ゲイはレズと戦え!」
無為徒食の島村である。意味不明の雄たけびラップであった。

素っ裸である。そして島村はポーズをとるのであった。ダビデの像のポーズ、弓を引くヘラクレスのポーズ、考える人・・・天空に両手を差し伸べたマリア裸像・・・
それなりに含羞の表情を漂わせながら、潮風を孕んだ股間は威風堂々としていた。芸術性が疑われた。

「有難う、葉子」葉子の握手しようとしたしなやかな手は、あさっての彼方に逃げた。冷たく絵のように美しい指先が中天に舞った。
島村が差し出したのは手のつもりであった。ところが、なんという神のいたずらなのだろう。

俗世間でいうのその手は実は三本目の足であった。しかも生々しく硬直しているのであった。
人間、手が二本しかない。足ならちっぽけな付録みたいな三本目がある。人間は不自由で、はかないものだ。男は肩で泣いた。

生きている人を好きになれないんです。だから、死んでしまった人が好きになるんです。
こういい残しながら立ち去った魔性の女であった。

島村はすべて徒労であると、声にならないつぶやきをした。潮の鳴るような静けさが身にしみて、三本目の足を遮断機のように上下させた。


漁火のかすかな明かりが星と交差して揺れる。夜の酒は船酔いに似ていた。
「駒子だども」ふすまが静かにそっとあいた。
頭の底が真っ白になった。

島村ははっきりと自分の動悸の激しさを知った。
そこにはサッカーの日本代表DFの中澤が、着物姿で愛想笑いをしていた。不気味だった。
くちびるには真っ赤な炎のようなルージュを塗りたぐり、しかもニカーッ大口を開けて笑った。ホラー映画の世界に迷子になった。

運命が闇夜に花咲く女神を連れてやって来る。

「よろすぐね」握手しようという。
仕方なく脱力したところ、中澤みたいな駒子は「私の握手はこれだっぺ」といいつつ、島村の股間を握り締める。それどころか掴んで上下に強く振り続け、さらに捻じる、捏ねる、擦る、しごく。
島村は嗚咽しながらつぶやいた。
「私のそれは、手首の強化グッズではない」

痛みをこらえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の川が島村のなかへ流れ落ちるようであった。