不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

 新橋から京橋へ

2014-05-29 22:44:27 | 意味不明

月給取りというアホウドリは銀座界隈で済ませた。しかるに新橋、銀座、京橋はディータイムの縄張りだった。ガッコ出しなには映画ってのもいいかな、されど松竹に門前払い、まいっか、東銀座の極小広告屋でシコシコ。ラジオCMコピーライト、即戦力だった、こほ。ところが青々したガキだったのね~、新宿でJAZZ倶利伽羅紋々を背中に背負って深夜~朝までわいわい。3月生まれのストレートだったとは言い訳にもならないが、10か月ほどでシカト、電話1本しなかった敵前逃亡。その後、専務から散々コピー書きの無償懲罰をうけるハメに。イカサマ麻雀、週刊誌のトップ屋奴隷なんぞで食いつなぎ、さらに新宿流浪のある日、ガッコから「浜松町1丁目{新橋に至近}の与太Tスポーツ紙に出頭せよ」のお達し。そんなんエログロナンセンス新聞なんぞ知るわけがない。3畳間腐れアパートに居候レてた実弟に「そんな新聞あるか」と聞くと「あるある。駅で売ってる」とのこと。ひやかしにぶらり、チャイナタウン信濃町から都電33番に乗って青山、六本木を通って東京タワーはあったのかまだなのかどうだっていい、神谷町を下って浜松町1丁目。かっては銭湯だったという香港九竜城みたいな薄汚いビル。あ、来なければよかった、都電代損した。したところ天下大変、どぼじでだ?翌日にはプロ野球担当記者として取材現場にいた。巨人に別所という投手コーチがいてドタマにきたから退団する、ユニホームを突っ返すというゆかいな初仕事だった。なにゆえに与太新聞から通知があったかというと、ガッコを出るとき別の夕刊紙N社会部に内定していたのだが、社長面接で小骨なりとも示してやれ、おれは自己主張して社会に出てやるとばかり過激な発言を放ち、結果は「キミ来なくていいよ」この前科がガッコにインプットされていて連絡を寄こしたのだ。とっくに忘れていた。新宿ふうてんがなにゆえに与太新聞行きの仇花電車に乗ったかというとそこは未知なるオトナの魔窟世界をちろり肉眼で感応したのだ。元銭湯2階のT紙には応接する部屋なんてないから、常務と自称するおっさんととなりの喫茶店に行く。そこで見聞したのはあなおそろしや。茶店のおねぇさんが「{コーヒーに}ミルクを入れます?」とたずねると平然と「あ、1発分ほど」おねぇさんが足を組んで休んでいると「キミなぁ、あそこの形が崩れるよ」ぐわーん、仰天!ハイドン作曲ビックリ、面白れー異界ここにあり!蒼い貌のビート族は娑婆へと急旋回、おれもミルクじゃないけど1発やってみるか。前夜までのイキガリふうてんが変節、20時間後にはペンにSの字のバッジを襟につけた野球記者。東京五輪では取材の応援部隊、いやはや卑弥呼姫の時代だ。仕事は軽く手早く、余裕の団扇でパサパサ涼しく、麻雀飲酒の合い間に痴性あふれる仕事をやっつけ、加えてアルバイト原稿を書き飛ばす。少年向きのマンガ野球入門なんてのは30万部売れた。印税5%だから飲み代は無限、貧困JAZZ・MENの救済にとポーカーバクチに参戦、彼らのなけなしのカネをむしり取る博愛の精神を見せた。内職原稿はオファーあれば断らないイズムでジャンル関わらず、なにを書き飛ばしたのか記憶はすっぽんぽん。きつかったのはラジオの帯番組の台本だった。ラジオ局に持ちこむ原稿の重さにわれながら嘆息した。あまりにも浮薄量産、すなわち遊興費を稼いでこれも瞬間判断、おそれ多くも「不労所得は身を亡ぼすあるのみ」と邪教神の声を聞いたつもり、すっぱりやめた。しかしこれもブン生意気なること命知らず、「好き勝手に書くんだったらOK,ギャラ要りません」あ~、なんちゅう耐えられない増長!そのうちに会社が銀座エリアの築地に引っ越し、野球はとっくに辞めさせてもらい、これもんの小社会では小賢く小器用だったからやりたいことを自由奔放にはき散らしてどっくらしょ。ほぼ5半世紀にわたって長居してしまった。45歳で月給ドロボーからアシを洗った。てなわけで銀座はおなじみさんだった。だからどうした?な~にもありましぇ~ん。ひさしぶりに花の銀座通りをテクった。

ロンドン五輪のメダル・ヒーローの銀座凱旋パレードに50万人!なんとまあ。数世紀以前、月探査アポロ・アームストロング船長の銀座凱旋パレードをミーハーしたっけ。くそ暑い初夏の昼下がり、ひさしぶりに新橋から歩く。ひとりセンチメント・パレード。首都高速がひん曲がる、その直下に大好きな軒下コーヒー屋。まずは1服。500円とやや高なのだが乱雑な景色におもむきがある。銀座というより猥雑新宿の風情で、でかいスクリーンもある、となりの古式牛丼屋はしょんぼりだった。それはいいとして、紫煙の先には新幹線がのそのそ走る。新橋停車場はもち素通り汽笛はない。ずいぶん乗客はやっていない、でも新幹線はもうちょいで東京駅、上りの乗客はいそいそしてんだろうなぁ、下りの客はイスのすわり具合にもそもそしながら、いつ弁当を広げようかともじもじしてんだろうなぁ。そんなこんな思いにくすぐられる草枕。

銀座通りにはショッピングにヒートアップする中華系ツーリストわんさか。ビール屋、銀座三越のライオン吠える。売らんかな獅子奮迅。このあたり、往年は銀行など鉄板商売が並んでいて、現在はすっかり退散してしまった。理由はというと銀行なんぞは夕方になると、さっさと店じまいしてしまう、夜の部は閑散シャッター街になるから撤退しろ、と銀座のねーちゃんがいちゃもんをつけた。そのおかげだなんて嘘。おんや、銀座松坂屋が溶けた。その後方に見えるビル群、醜悪露出。裏通りのどうでもいいデザインのビルが「こっ恥ずかしい」としょぼくれていた。かっての東京温泉もあった、徹夜麻雀の朝のおねんね友だちだった。サウナには6,7分蒸されて汗腺をオープン、そのあと水風呂で汗腺をクローズ。これを3回ばかり繰り返すこと、なんてお知らせ書きがあった。これもんで効果があるのか、いまでもサウナにおいて励行している。出張帰京のときは東京駅地下の東京温泉。勤め人みなさん夜行列車で着いて仮眠をとっていた。なにを隠そう、夜行に乗れば1日分の出張費が浮くというせこい作戦だったのだ。どうしてそんな実情を熟知しているか、当然である、常習犯だった、なんせ出張大好きで他人がいやがる強行わらじだって志願して、飛行機代を節約してもっぱら鉄路。最高記録は北海道、東北3日間取材の移動をすべて夜行で完遂寝転がったのはなつかしの青函連絡船の仮眠あるのみ、これもあれも出張費という臨時収入ゲットという高貴なモチベーションがあった。終着点は東京温泉、ありがたい神社仏閣であった。とりわけ1か月に2,3回の頻度で名古屋出張の時節があり名古屋駅深夜、入場券で夜行に飛び乗る、検札があればアンラッキー、けれども90%はラッキー、早朝には東京温泉で水風呂につかりながらうふふ出張費丸儲け。湯上りをさまして出社「あー、わらじはくたびれる」とため息演技をするのだがみんな悪行を知っているからドッチラケのシラケ鳥、しかし因果応報、横須賀線爆破事件という災難で検札びしびし、その犯人の名前が当方と一致するダブルな不幸に泣かされた、自分の名前を呪った。思い出した、名古屋のお泊りは独身社員のマンションで旅館投宿てのはなかった。名古屋の混沌の東エリアでタクシーを捕まえようとしたが乗車拒否にあい、よせばいいのに「おめぇも雲助か」と悪態をついたら、そのタクシーが激怒して逆走しやがる、ヤバイのヤバは、アブないのアブ、きしめんタクシー恐るべし。名古屋のタクシーは走るメカニックながら怒りの感情だって持っている。さすが世界のトヨタ地元!再認識した。名古屋の西と東、天と地の違いがあった。

即売の与太新聞はなにトチ狂ったのか持ってけドロボーとばかり売れた。毎日が有料の号外てなハイノート・アタックでそれまで出前のラーメンはスープ残さずだったものが餃子まで追加して驕る平家ここにあり、すぐ近所の麻雀屋に入りびたり専用の歯ブラシがあった、朝のご出勤は築地といえばでかい魚屋場外、納豆食い放題の定食がいい感じで、こちとら威勢GOODの青年将校、スタッフから「どこかでふらふらしてるより麻雀屋にいてくれ」連絡即OKの好位置につけていて天下ご免の24時間営業のギャンブラー。ポーカーにチンチロリン。メンバーが足りないと社に電話して呼び出す、逡巡している団塊世代に凄む、「おめぇ、仕事と呼び出し、どっちが大事なんだ」「この仕事、さっさとやれと指示したんでしょ」「そんな1時間前の過去のことだ、知るか。20世紀にたしかにあった」写真部の暗室の、あの調和のとれた暗がりでせっせと電話帳をめくる。ページ数を足して9が最強のオイチョカブプロ競技、写真屋が忙しいとフィルム現像室1坪ばかりの淫靡、赤電球小部屋にこもった。立ち食いではなく立ちばくちで窮屈な思いを強いられた。詰将棋のチェックしているふりをして、実態はばればれなのだが白昼堂々と賭け将棋、伝送室のTV、クイズ番組を見ながらコインを出して当てっこ、道路でドカンと事故らしい騒音すれば「救急車が来るかどうか」で賭けが成立したり、しっかりした正しい不良の巣窟、そのころはあろうことか任命者があに考えてんだか、こんな無責任男がビルのフロアの火元責任者だったりしたから格調高い牢名主と詐称できるかもしれない、げほげほ。





加筆予定・・・

そんな風の月給ドロボーのランチは混雑するめしどきをずらす。いちばんのお気に入りは。プール施設だってごきげん遊泳。ご近所の歌舞伎座観劇はもっぱらは天井桟敷。三原橋の地下キネマ、無断利用の電通図書館まぼろし。文具の伊東屋エンペツビル、休講中だった。

 

テアトル・キネマんとこの渋々のモニュメントがある。「京橋」の土台とガス灯で明治7年もん。明治屋の創業なんて知らないよ。美々卯のうどんすき、好きだった。もち、自腹ではなくおごられ選科。お支払いは嫁が不動産屋の上司と、カツカレー発想者!巨人の背番号元3番、千葉茂さん。へい旦那、ごちになりやした。

せこせこ歩く京橋勤め人、みなさん背広の生地エコ、丈が短いな。なんと軽薄な七五三ファッション。短足衆はチンドン屋。おぼっちゃま、そろって首枷、IDカード。江戸参内の視線には町奴に見える、足軽に見える。没個性の集団、喜々として手枷足枷、勝手におし、わしゃ知らん。

左折すると昭和通りまで画廊、古美術商が目立つ。骨董あさりの中国人が団体でうろちょろ。ビルの軒下cafeで一服。となりのおっさんがペコペコあたまを上下するケイタイ会話、次なる通話は横柄にそっくり反ってどなる。嘲笑。この国のタテ社会構造サイテー遺産。

軒下cafeは読売中公ビルの1階正面。ヨミウリが売るんじゃなくて買い取った中央公論社のビルなるぞ。心情複雑骨折。しばし思い出す文芸誌「海」編集長スキオさん。筋金入りのシチィボーイ。ローラースケートで青山からご出勤。ちっこいザッグをしょいと背負ってすーいすい。

その対面で、昼下がりの試写会。「ジプシーのフラメンコ」 ビバ・カルメン! <母親はメロディ、父親はリズム、スペインに嫁いだダンサー鶴さん、いまごろどこにフラメンコ?


 ♪やっぱり・・・歌かも知れない

2014-05-06 16:38:49 | 音楽

 NHKテレビドラマ「夢千代日記」を再放送していた。視るのはなんどめだろう。いつだってシンとしてしまう。脚本家早坂暁の作品世界に幻夢心中するような・・・おおげさで自分うんざりするけれども。

 かぎりあるいのち。山陰の小さな温泉街にひっそりと生きる薄倖の芸者夢千代。表情翳りっぱなしの吉永小百合、、、外面菩薩内面夜叉。お座敷で凛とした遠くを見やる目。踊る貝殻節の哀調と、武満徹のかなしげな旋律。和傘ではらう雪が散ってかなしさをモノトーンで彩る。

♪ 、、、なんのぉ因果ぁでぇ、てな調子で全編これもんだと、視聴者は肩こりこり硬直してしまう。さればシナリオの名人、マエストロ早坂暁。一筋縄ではいかない。

 物語に絶妙なアクセントをつけた。円熟大福にかぼちゃ髷を乗っけた芸者樹木希林の存在感にストリッパー緑魔子、そしてどてらの照明係あがた森魚。温泉街のストリップ小屋がなつかしい。南紀勝浦温泉のくすぶり小屋では、客がおれひとり。オババ・ストリップ嬢と客席で飲み明かしたことがあったっけ。

 あえて加えると秘宝館つー設定もありだよなぁ。秘宝館=イロエロ春画、素朴な性具やら淫靡な48バリエーシヨン・ラーゲをおっぴろげ展示している温泉地の迷所!どてらファッションでひやかしたワンダーランド。

 くだらないのを承知でINすると、救いのないくだらなさに感動した。とっくにすたれてしまってわずかに熱海、鬼怒川で生き残っているとか。秘宝館やら花電車{女陰が手になり筆文字を書くなどの秘芸}などは死語になった。

 オランダ・アムステルダムの秘宝館は世界中のツーリストで大盛況だ。注目すべきは花のパリ、ピガールに深夜2時まで堂々オーップンしている秘宝館「エロチズム博物館」がある。展示作品は圧倒的にジャポネ出展が多い。なにしろ歌麿の国である。昨今はハイテク電動性具の独占生産国だ。

 訪れた人たちのメモ・ノートをチェックしたところ、大半がジャポねーちゃんが書きのこしていた。<卒業旅行の最高のポイントでした> <感動!得がたい勉強になりました> なでしこ群は裏学習にも精進しているのであります。メモのぞきの身共、おもはゆい思いで冷汗たら~り。

 夢千代に戻る。希林、魔子、森魚の設定は、コーヒーブレークというか、CMもどきタイムというか。見事なサイド・メニューになっている。ほろりとオセンチになったところで軽くショータイム!<かなしすぎると笑うしかない> <おかしすぎると泣いてしまう> こんなドラマ構成のたのしみ妙味が好き。「夢千代日記」はテレビドラマの傑出した作品です。

 

 ところで・・・1970年つーと太古になります。恐竜がバッコバッコしていたあたり、東陽一監督の映画作品「やさしいにっぽん人」てのがありました。そのテーマ曲がとても好きです。小演劇運動がアングラといわれた時代の、人気女優だった緑魔子がそっけなく歌っています。白い夢さえ溶かしてしまうような。

 いまは亡きパートナー紗羅は自転車に乗れず、水泳はカナズチで、寝つきも下手だった。「子守歌を」とせっつくので、仕方なく浪曲子守歌をがなった。♪逃げたぁ女房を恨むじゃないがぁ、、、子守歌など苦手なおれだが、馬鹿な男の浪花節、ひとつ聞かそうかぁ、ねんころぉりぃ、、、

 「これこれ。そんなんじゃないのよ。もちっとやさしく情緒のある・・・夢が手招きするような」 というのでしばし黙考。そこでシワシワジーンズの奥ポケットから、糸クズをほじくるように「やさしいにっぽん人」をやらかしてしまったわけです、ほい。好評でした、とても。フツーのお方には睡眠儀式としてはおすすめできない。アンダーなグラウンドな、地中めりこみ系の毒性情念あり。

 「夢千代日記」をながめて、こんな追想の断章にひたって、されば歌詞をつづってやろう。かく思いついたのであります。 70年代の子守歌です。

  ♪疲れたら  眠りなさい  わたしが歌を うたってあげる 

   夢をみたら ここへきて  わたしが明かりを 灯してあげる 

     あなたがひかりと 思っているものは   あれはみな 毒矢の羽の音

      あなたが闇と 思っているものは  あれは遠くの祭りの囃子{はやし} 



   明かりの下で 眼をあげて  おびえないで 眼をあげて 
   あなたが歌と 思っているものは  やっぱり 歌かも知れない 

   あなたがうたっている歌は  やっぱり 歌かも知れない

 


  韃靼人の踊り

2014-05-01 23:49:51 | 意味不明

ダッタン人と読みます。クラシック・オペラの名曲です。こんな文字ダッタンですね。書けませんよ・・・PCくん、きみはえらい。

流浪の民といいましょうか、うんとむかしのモンゴルのひとたちをいう。タイの正月ソンクランの慶祝パーティー、実体はホテルの便乗ぼったくりイベントなのだが、その宴席で韃靼人の踊ってしまったのだ。パーティーにはフリー参加した。フリー、つまり・・・

「参加者少ないから、バイキングを食べにおいでよ」 知友のホテルマンに誘われた。かってなじみのホテルだ。いまどきは別のホテルに変節投宿していて、プールとトイレだけはシカとして利用している。今回はパーティー代もシカとしてしまう。無銭飲食して、その流れでモンゴルからのアラサー旅女ふたりと仲良しになった。

タイだって禁煙事情はうるさい。だから、タバコはしかるべきエリアで、こそこそ、、、未成年の隠れタバコごとくたしなむ。タバコ仲間になる。「どこから?」 「東の果てから」 「わたしらはユーラシア大陸のセントラル、モンゴリアン」  ほう韃靼人かい。スモーカー、、、とことん圧迫される運命にある。悲壮な同志は少数民族は連帯する。

 韃靼人の太め2名が聞いた。「バンコクで仕事?」 「いえいえ、・・・実をいうと、わたしはあなた方に会うためにここにある」 「あっは、げっらげっら」 「そのために、貧乏なので歩いて来た」 「OH!YEE!」 「歩きにくかったよ。飛行機の機内は・・・」 「ぐわらぐわら」 「、、、無表情」 駄芸には苦手意識はないつもりだ。

ダンシングタイム、強引にステージに呼ばれて国際友好、怪しく踊った。民謡手踊り風テレテレ含羞のダンス。韃靼人とのチークタイムはなかったが、自称ジャック・ニコルソン!この程度はモテる。タイトル関連はこれだけ。

 

5月、初夏、新緑、足取り重めだが、東京西郊の知らないエリアをテクる。馬事公苑から世田谷通り、砧あたりをうろつく。黒澤、三船・・・東宝映画の聖地あたりだ。ドメスティックな行楽は二足歩行がいちばん。エコノミックなのがなにより。小流浪の小民。

とはいいつつ。大散財をしてしまった。激安のワゴンセール、CDが1枚90円とか100円で売っている。なんと5枚もゲットしてしまった。JAZZとなつかしきピンク・フロイドになぜか山口百恵、わけわかんないヒーリング音楽・・・PCで遊んでいる将棋のBGMにしよう。

なむと。若いもん向きの柄ステテコまで衝動買いしてしまう。両サイドにポケットがある外出可のステテコだ。こいつで洒落のめしてやろう。散策はショッピング歩きになってしまった。われながら心境は複雑骨折。タダみたいなCDを売っているから、こうゆう結末になる。消費タイプではない・・・あたまポリポリ。

 

ご近所に住まっていた伝説のJJこと植草甚一がいる。とっくに幽界人なのだが、散歩が好きな方だった。散歩とJAZZと本、とんでもない虫だった。超オタクの元祖チックな都会人だった。一軒屋の住人だったが本とLPレコードの山塊で、家がよろよろっと傾いてしまった。仕方なく近くの鉄筋の高層アパートに引っ越した。

JJが散歩の道すがらよく立ち寄ったすずらん通りの古本屋・遠藤書店。聞いてみた。「あの膨大な蔵書はどうしたんですか?」 「あ、センセイの本はほとんどが洋書でしてね。ウチで引き取るにしては問題がありすぎだったんですよ」

なのしろJJは本を読むと、要所を片っ端からぶっち切るから古本にならない。結局は神田の業者が一括して持ち帰ったという。おそらく紙クズ・・・・

数千枚のLPレコードは、あのタモリが全部引き受けた。ちょっとした美談となっている。おそらく死蔵・・・・

ついでながら。新宿文化っていう70年代をてっぺんとする遺産空間があったとしたら、そのシンボルは新宿・風月堂というでかい喫茶店。鳴り物はバロック音楽で、閉店時4千枚のLPレコード、そいつは、芸大出の山羊ひげが引き取った。

「おれ、新宿の文化の燃えさかった炎をを引き継いだんだ。評価してくれよなぁ」 と豪語していたが、その途方もない巨大遺物のせいもあって、資産家デブ嫁さんに逃げられた。

おれ、なにをやってんだろ。例によって例のごとくPCで遊んでいる。韃靼人から散歩になって、CDからLPレコードに展開。まるでFREE・JAZZ。なんでもアリ地獄。いかりや長介じゃないが、「だみだ、こりゃ」、、、

功罪ありき、軽重あり。ガキ時分からアメリカが放つ明快な空気感にじわじわ影響された。音楽に映画、そしてPOPなるカルチャー。 <BORN・FREE>、、、キャッチ・コピーなんかは秀逸だ。スカっとしたメッセージになっている。この国の表現だと、「自由に生まれて自由に生きる」 てな意味合いになるが・・・くわったるい。相田某のおぞましい世界になってしまう。

JJは,NY文化の伝道師みたいな存在で、隠れ信奉者だった。かなりインスパイアーされた。こちゃらは東京のあちこちに住んで、およそ10年前、ようやくJJゆかりのこの町に引っ越した。JJに誘われた感があって行進曲はー♪あのマーチ、このマーチ日が暮れるゥ。いまでは根っからの住人みたいなカオをして、ゆるっとしている。

花屋の店頭から若旦那がお熱のJAZZが流れ、その先の骨董屋には驚愕のアンプを所有したJAZZ好きがいる。かってはバサマがやっていた犬猫OKのお茶屋、バトンタッチしたのは駅ビルで和茶舗をやっていたヲッサン。犬猫不可のJAZZ洋茶屋に転じた。<一種の騒々しい音楽>が町のあちこちにある。

そうだそうだ。かのメリケン居士、JJと対面したことがあったっけ。博報堂にいた有能なばりばりが、「こんどワンダーランドというサブカルチャーのマガジンを出す。知恵をちょこっと・・・」という。立ち上げコンセプトのミーティングに呼ばれた。知恵もカネもないけど2度ほど小汚い面相で出頭!した。

JJがいた。ニューなマガジンの旗印がジサマだった。蚊取りキンチョーして、オズオズ小津安二郎していた。{どーも悪友テレビマンのダジャ連発に影響されている} ワンダーランドつー誌名がすでに登録されているので、コンチは「宝島社」として現存している。

さふいえば。この日、私鉄ガード下でB級JAZZピアニストSと出会った。散歩中。「勉強すんのがヤダ」、と20歳でピアノを弾き始めたヘンなやつ。 「お、JJしてるな」 「お互いそうじゃないか。JJのON TIME、つーとこだね」 この町からチバラギに都落ちするという。 からだぁ、お大事に。

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