月給取りというアホウドリは銀座界隈で済ませた。しかるに新橋、銀座、京橋はディータイムの縄張りだった。ガッコ出しなには映画ってのもいいかな、されど松竹に門前払い、まいっか、東銀座の極小広告屋でシコシコ。ラジオCMコピーライト、即戦力だった、こほ。ところが青々したガキだったのね~、新宿でJAZZ倶利伽羅紋々を背中に背負って深夜~朝までわいわい。3月生まれのストレートだったとは言い訳にもならないが、10か月ほどでシカト、電話1本しなかった敵前逃亡。その後、専務から散々コピー書きの無償懲罰をうけるハメに。イカサマ麻雀、週刊誌のトップ屋奴隷なんぞで食いつなぎ、さらに新宿流浪のある日、ガッコから「浜松町1丁目{新橋に至近}の与太Tスポーツ紙に出頭せよ」のお達し。そんなんエログロナンセンス新聞なんぞ知るわけがない。3畳間腐れアパートに居候レてた実弟に「そんな新聞あるか」と聞くと「あるある。駅で売ってる」とのこと。ひやかしにぶらり、チャイナタウン信濃町から都電33番に乗って青山、六本木を通って東京タワーはあったのかまだなのかどうだっていい、神谷町を下って浜松町1丁目。かっては銭湯だったという香港九竜城みたいな薄汚いビル。あ、来なければよかった、都電代損した。したところ天下大変、どぼじでだ?翌日にはプロ野球担当記者として取材現場にいた。巨人に別所という投手コーチがいてドタマにきたから退団する、ユニホームを突っ返すというゆかいな初仕事だった。なにゆえに与太新聞から通知があったかというと、ガッコを出るとき別の夕刊紙N社会部に内定していたのだが、社長面接で小骨なりとも示してやれ、おれは自己主張して社会に出てやるとばかり過激な発言を放ち、結果は「キミ来なくていいよ」この前科がガッコにインプットされていて連絡を寄こしたのだ。とっくに忘れていた。新宿ふうてんがなにゆえに与太新聞行きの仇花電車に乗ったかというとそこは未知なるオトナの魔窟世界をちろり肉眼で感応したのだ。元銭湯2階のT紙には応接する部屋なんてないから、常務と自称するおっさんととなりの喫茶店に行く。そこで見聞したのはあなおそろしや。茶店のおねぇさんが「{コーヒーに}ミルクを入れます?」とたずねると平然と「あ、1発分ほど」おねぇさんが足を組んで休んでいると「キミなぁ、あそこの形が崩れるよ」ぐわーん、仰天!ハイドン作曲ビックリ、面白れー異界ここにあり!蒼い貌のビート族は娑婆へと急旋回、おれもミルクじゃないけど1発やってみるか。前夜までのイキガリふうてんが変節、20時間後にはペンにSの字のバッジを襟につけた野球記者。東京五輪では取材の応援部隊、いやはや卑弥呼姫の時代だ。仕事は軽く手早く、余裕の団扇でパサパサ涼しく、麻雀飲酒の合い間に痴性あふれる仕事をやっつけ、加えてアルバイト原稿を書き飛ばす。少年向きのマンガ野球入門なんてのは30万部売れた。印税5%だから飲み代は無限、貧困JAZZ・MENの救済にとポーカーバクチに参戦、彼らのなけなしのカネをむしり取る博愛の精神を見せた。内職原稿はオファーあれば断らないイズムでジャンル関わらず、なにを書き飛ばしたのか記憶はすっぽんぽん。きつかったのはラジオの帯番組の台本だった。ラジオ局に持ちこむ原稿の重さにわれながら嘆息した。あまりにも浮薄量産、すなわち遊興費を稼いでこれも瞬間判断、おそれ多くも「不労所得は身を亡ぼすあるのみ」と邪教神の声を聞いたつもり、すっぱりやめた。しかしこれもブン生意気なること命知らず、「好き勝手に書くんだったらOK,ギャラ要りません」あ~、なんちゅう耐えられない増長!そのうちに会社が銀座エリアの築地に引っ越し、野球はとっくに辞めさせてもらい、これもんの小社会では小賢く小器用だったからやりたいことを自由奔放にはき散らしてどっくらしょ。ほぼ5半世紀にわたって長居してしまった。45歳で月給ドロボーからアシを洗った。てなわけで銀座はおなじみさんだった。だからどうした?な~にもありましぇ~ん。ひさしぶりに花の銀座通りをテクった。
ロンドン五輪のメダル・ヒーローの銀座凱旋パレードに50万人!なんとまあ。数世紀以前、月探査アポロ・アームストロング船長の銀座凱旋パレードをミーハーしたっけ。くそ暑い初夏の昼下がり、ひさしぶりに新橋から歩く。ひとりセンチメント・パレード。首都高速がひん曲がる、その直下に大好きな軒下コーヒー屋。まずは1服。500円とやや高なのだが乱雑な景色におもむきがある。銀座というより猥雑新宿の風情で、でかいスクリーンもある、となりの古式牛丼屋はしょんぼりだった。それはいいとして、紫煙の先には新幹線がのそのそ走る。新橋停車場はもち素通り汽笛はない。ずいぶん乗客はやっていない、でも新幹線はもうちょいで東京駅、上りの乗客はいそいそしてんだろうなぁ、下りの客はイスのすわり具合にもそもそしながら、いつ弁当を広げようかともじもじしてんだろうなぁ。そんなこんな思いにくすぐられる草枕。
銀座通りにはショッピングにヒートアップする中華系ツーリストわんさか。ビール屋、銀座三越のライオン吠える。売らんかな獅子奮迅。このあたり、往年は銀行など鉄板商売が並んでいて、現在はすっかり退散してしまった。理由はというと銀行なんぞは夕方になると、さっさと店じまいしてしまう、夜の部は閑散シャッター街になるから撤退しろ、と銀座のねーちゃんがいちゃもんをつけた。そのおかげだなんて嘘。おんや、銀座松坂屋が溶けた。その後方に見えるビル群、醜悪露出。裏通りのどうでもいいデザインのビルが「こっ恥ずかしい」としょぼくれていた。かっての東京温泉もあった、徹夜麻雀の朝のおねんね友だちだった。サウナには6,7分蒸されて汗腺をオープン、そのあと水風呂で汗腺をクローズ。これを3回ばかり繰り返すこと、なんてお知らせ書きがあった。これもんで効果があるのか、いまでもサウナにおいて励行している。出張帰京のときは東京駅地下の東京温泉。勤め人みなさん夜行列車で着いて仮眠をとっていた。なにを隠そう、夜行に乗れば1日分の出張費が浮くというせこい作戦だったのだ。どうしてそんな実情を熟知しているか、当然である、常習犯だった、なんせ出張大好きで他人がいやがる強行わらじだって志願して、飛行機代を節約してもっぱら鉄路。最高記録は北海道、東北3日間取材の移動をすべて夜行で完遂寝転がったのはなつかしの青函連絡船の仮眠あるのみ、これもあれも出張費という臨時収入ゲットという高貴なモチベーションがあった。終着点は東京温泉、ありがたい神社仏閣であった。とりわけ1か月に2,3回の頻度で名古屋出張の時節があり名古屋駅深夜、入場券で夜行に飛び乗る、検札があればアンラッキー、けれども90%はラッキー、早朝には東京温泉で水風呂につかりながらうふふ出張費丸儲け。湯上りをさまして出社「あー、わらじはくたびれる」とため息演技をするのだがみんな悪行を知っているからドッチラケのシラケ鳥、しかし因果応報、横須賀線爆破事件という災難で検札びしびし、その犯人の名前が当方と一致するダブルな不幸に泣かされた、自分の名前を呪った。思い出した、名古屋のお泊りは独身社員のマンションで旅館投宿てのはなかった。名古屋の混沌の東エリアでタクシーを捕まえようとしたが乗車拒否にあい、よせばいいのに「おめぇも雲助か」と悪態をついたら、そのタクシーが激怒して逆走しやがる、ヤバイのヤバは、アブないのアブ、きしめんタクシー恐るべし。名古屋のタクシーは走るメカニックながら怒りの感情だって持っている。さすが世界のトヨタ地元!再認識した。名古屋の西と東、天と地の違いがあった。
即売の与太新聞はなにトチ狂ったのか持ってけドロボーとばかり売れた。毎日が有料の号外てなハイノート・アタックでそれまで出前のラーメンはスープ残さずだったものが餃子まで追加して驕る平家ここにあり、すぐ近所の麻雀屋に入りびたり専用の歯ブラシがあった、朝のご出勤は築地といえばでかい魚屋場外、納豆食い放題の定食がいい感じで、こちとら威勢GOODの青年将校、スタッフから「どこかでふらふらしてるより麻雀屋にいてくれ」連絡即OKの好位置につけていて天下ご免の24時間営業のギャンブラー。ポーカーにチンチロリン。メンバーが足りないと社に電話して呼び出す、逡巡している団塊世代に凄む、「おめぇ、仕事と呼び出し、どっちが大事なんだ」「この仕事、さっさとやれと指示したんでしょ」「そんな1時間前の過去のことだ、知るか。20世紀にたしかにあった」写真部の暗室の、あの調和のとれた暗がりでせっせと電話帳をめくる。ページ数を足して9が最強のオイチョカブプロ競技、写真屋が忙しいとフィルム現像室1坪ばかりの淫靡、赤電球小部屋にこもった。立ち食いではなく立ちばくちで窮屈な思いを強いられた。詰将棋のチェックしているふりをして、実態はばればれなのだが白昼堂々と賭け将棋、伝送室のTV、クイズ番組を見ながらコインを出して当てっこ、道路でドカンと事故らしい騒音すれば「救急車が来るかどうか」で賭けが成立したり、しっかりした正しい不良の巣窟、そのころはあろうことか任命者があに考えてんだか、こんな無責任男がビルのフロアの火元責任者だったりしたから格調高い牢名主と詐称できるかもしれない、げほげほ。
加筆予定・・・
そんな風の月給ドロボーのランチは混雑するめしどきをずらす。いちばんのお気に入りは。プール施設だってごきげん遊泳。ご近所の歌舞伎座観劇はもっぱらは天井桟敷。三原橋の地下キネマ、無断利用の電通図書館まぼろし。文具の伊東屋エンペツビル、休講中だった。
テアトル・キネマんとこの渋々のモニュメントがある。「京橋」の土台とガス灯で明治7年もん。明治屋の創業なんて知らないよ。美々卯のうどんすき、好きだった。もち、自腹ではなくおごられ選科。お支払いは嫁が不動産屋の上司と、カツカレー発想者!巨人の背番号元3番、千葉茂さん。へい旦那、ごちになりやした。
せこせこ歩く京橋勤め人、みなさん背広の生地エコ、丈が短いな。なんと軽薄な七五三ファッション。短足衆はチンドン屋。おぼっちゃま、そろって首枷、IDカード。江戸参内の視線には町奴に見える、足軽に見える。没個性の集団、喜々として手枷足枷、勝手におし、わしゃ知らん。
左折すると昭和通りまで画廊、古美術商が目立つ。骨董あさりの中国人が団体でうろちょろ。ビルの軒下cafeで一服。となりのおっさんがペコペコあたまを上下するケイタイ会話、次なる通話は横柄にそっくり反ってどなる。嘲笑。この国のタテ社会構造サイテー遺産。
軒下cafeは読売中公ビルの1階正面。ヨミウリが売るんじゃなくて買い取った中央公論社のビルなるぞ。心情複雑骨折。しばし思い出す文芸誌「海」編集長スキオさん。筋金入りのシチィボーイ。ローラースケートで青山からご出勤。ちっこいザッグをしょいと背負ってすーいすい。
その対面で、昼下がりの試写会。「ジプシーのフラメンコ」 ビバ・カルメン! <母親はメロディ、父親はリズム、スペインに嫁いだダンサー鶴さん、いまごろどこにフラメンコ?