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不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

  400年後の山田長政

2015-04-19 23:47:45 | 外国事情
 「日に焼けてるね」といわれる。「そうそう、日焼けサロンに通ってるんだ」・・・おれはメリケンの大統領とは明らかな他人だ。

 タイという国にしばしば埋没、くすぶっている。「タイの怪人」呼ばわりされたりする。
 「あのさ、タイ王室から招待されててね。シリントン王女はまだ独身なんだ」 「タイの名物、クーデター輸入を画策してるんだ」 こんな虚言ラッパを吹いているせいか。

 しかし。疑惑のマナコ。
 小指をちょい立てして「これもんがいるんだろ?」 よこしまな遊びをテーマにしているんじゃないか。
 Oh No! そんなあ、とっくの大昔に卒業した。きっぱり!

 先日、数年ぶりに首都バンコクに出かけた。
 いつもは空港からバスで2時間ほど南下した海っぺりのジョムティンに直行、そのまま日常滞在しているから、バンコクにはご無沙汰なのだ。

 とても仲良しのファミリーがいる。小デブのヲッサンとは20年以上に付き合いだ。
 「サックラァ」と呼ぶ。
 「サックラァ、バンコクに出かけて電車に乗ってみたい。まだ一度も、なんだ」
 「おー、きみらはローカル・ピープルだもんね。うん、案内してやるべーか」

 ニッサン車を購入して乗りたがり期が続いているヲッサン、そのファミリーと共にで出かけた。
 空港までクルマ。パーキングして空港から都心までの電車に乗り換える。
 平然としていたが多少おろおろした。近年になって開通したこの電車は童貞初乗りだったのだ。

 それからご一行を引率して地下鉄、モノレールと乗り換えて、ついでにチャオプラヤ河を爆走するどでかい水上バスと堂々の進軍。バンコクは常に交通路が渋滞しているのでベストのコース取りだ。
 「どうだ、参ったか。全路線クリアだぜ」
 「参った。とてもお利口なコースだ」 てな調子でお気楽にやっている。
 紹介したいおもしろタイ情報は無数にある。
 今回は400年の時空を超えたサムライ・サッカー!?

 微笑の国の国民性の一断面。射幸心、というかバクチがことのほか好きだ。
 たとえトランプ遊びをしても、ポリ公にみつかると奴らにカツアゲされてしまう。トランプカードを持っているだけでもヤバイお国柄なのだ。
 闇夜賭博に参戦したことがある。いうなればわが国のオイチョカブによく似ていた。

 てなわけで宝くじが異常に盛んだ。床屋しているときでさえ徒歩の宝くじ売りに出会う。髪を洗ってタオルしたその眼前にぬっと駅弁宝くじ。笑える。

 ムエタイ、キックボクシングは公然ギャンブルだ。カネがかかっているから、熱狂するのは当然だ。そして近年のギャンブル傾向はサッカーになった。イギリスのプレミア・リーグがメインでこそこそ賭けの対象だ。

 さらなるサッカー熱が進化した。18チームで構成する「タイ・プレミアリーグ」 射幸心高揚!おそるべし。
 サポーターは馬券ならぬサッカー券。命より大事なモノを賭けるのだから、その熱量はおそろしいものがある。といった前置きで、


 バンコク発行の日本語フリーペーパー「DACO」を流し読む。「タイ・プレミアリーグ」に所属するサムライサッカー群の特集だった。
 ・・・なむと。そのリーグで活躍している日本人サッカー選手が50人!

 キャプテンマークを巻く河村崇大{元ジュビロ磐田}やエースナンバー「10番」を背負う猿田浩得、スター選手の下地奨、イケメン人気の大久保剛志・・・・・
さらにさらに。今季から元日本代表の岩政大樹、茂岩照幸に4000万円で契約したカレン・ロバート。
 外国人枠の制限で急減して50人だが、昨季は80人もいたという。

 選手ばかりではない。今季監督としてチームを引っ張る日本人監督が実に7チーム。7人のサムライだ
 いま京都サンガの和田昌裕監督は、昨年チョンブリFCを率いて最優秀監督を受賞。
 今季から元日本代表でキングカズの実兄である三浦泰年がチェンマイFCの監督に就いた。ほかにサポート・スタッフが無数。
 新興タイ・サッカーを底上げしているのはトヨタ、ホンダ、アベノミソクソの国なのだ。

 彼らのコメントを読むと「出稼ぎ」では決してない。
 選手たちは本国で出場機会に恵まれなかった。別天地でサッカー人生を続けたい。ゼニカネはこだわらないチャレンジ魂。この1点に尽きるようだ。

 タイとしてもアジアのトップランナーを見習おう。戦力としてはもちろんだが、規律面を含めてサムライたちのサッカーに向き合う姿勢をチームに浸透させたい・・・

 まだタイのサッカーは肉眼で見てはいない。チョンブリFCの本拠地はバスで1時間ほどの距離にある同じ県でおらが地元?なのだが。
 TV画面で散見するとタイのサポーターの熱気はただものではない。とまあ、意外なところで赤いパスポートの所有者はにんまりしている。

 
 バンコクに近い観光ポイントのアユタヤの河畔。<日本人町跡>なるぼんやりした小さな森がある。
 江戸時代前期、ここには1500~8000人の日本人がいたとされる。彼らはシャム王国の都アユタヤにいた傭兵だった。
 多くは豊臣方の落人や交易の落ちこぼれ、フリーター浪人たちだ。こうしたくすぶり漂流者はいまのバックパッカーの先達といえるだろう。

 シンボルは山田長政なる人物。日本人部隊のトップで、王朝ではかなり高いランクの旗本まで出世するものの毒殺されてしまう。それと同時にアユタヤの日本人町は消滅した。

 注目したいのは、この山ちゃんの出自だ。
 駿府藩の駕籠かきだった・・・突っ走り屋だったというからおもしろい。
 それから400年の歳月を経た。
 いまタイの地でわっせわっせと走り回る先人が山田長政なる韋駄天の駕籠かきなるぞ。
 クソ暑い南国タイでひたすら走るサムライたちの先人は山田の長さんでござるのだよ。

   ※ちなみに。
    「タイ・プレミアリーグ」にはアユタヤを本陣とする「ヤマダFC」、なんてチームはござらぬ。 

 Jordanー冗談ではなく

2015-01-27 17:15:59 | 外国事情
 中東にはお邪魔したことがなく、ドイツのフランクフルト見本市にいたときにヨルダン・レストランのドアをくぐって中東を疑似体験、招待してくれたオーストリアはインスブルック在住のガラス屋ファミリーで彼らは「おかしの国のつながりだね」というからこっちは調子に乗って「JORDANはニホン語だと冗談となるんです」ははは、クスクス料理なんぞをいただいてショータイムはヘソダンス、妖しげ気分のあとのダンスタイムではバイヤーでありダンサーの紗羅の出番、ヘソ出し熱演にオーナーのヨルダン人が「ここで舞姫を毎晩やってくんないか、そして」自国アンマンの王室ハーレムに加わらないか、ははは冗談Jordanのよしこさん、彼女の友人ビーズ・アクセサリーのアーティストは北インドの藩主スルタンの愛妾になった面白時期があり「買い物に出かけるときにどっしりした札束を手渡されたんだってさ、ちょっぴりやってみようかな、うふ」なんともゆかいなヨルダンだった。

 当節、イスラム世界については池上彰さんがTVでやさしく解説してくれるのだが、おれ世界史なんぞは勉強したことはなく映画を見ておやおやそーだったのかなるへそ、ぼんやりとにわか学習したつもりでとりわけ「アラビアのロレンス」はなんど見てもわくわくする作品だったし気になったので、20世紀あたまごろあの中東をめぐる物語のアウトラインを本で読んで、あくまでも好奇心あるのみ、オスマン帝国いまのトルコが支配していた部族支配のあの一帯はイギリス軍将校「オーレン」ロレンスがなんとかまとめたのだが、結果はイギリスとフランスが武力で威圧して二枚舌どころか三枚舌四枚舌ごり押し外交でぐしゃぐしゃにしてしまい、国境線だけはきっかり直線で引いてしまったのが現在の混迷に至ったようだ。

 冷戦構造が「がおわったとき、飲み屋で一応飲み会乾杯してやれやれでだったものの、「ニッポンは神の国」なんぞ口走るご立派総理がいたり、でも世界中には紛争の火種が顕在してくるそれは宗教対立だと問題提起するひとたちが多く、ゆるいぞ平和ぼけとなじられ結局はその通りになってしまい、回教徒のことをモスリムと呼ぶ外国で見た光景はホテルのチェックインの署名に○を書きこんでいるツアー客の集団で文盲石油肥満児どもめと冷視した自分がいた、やばい。

 かくなる偏見の視線には反省猿であることを承知のうえでほざいてみると、こんどの人質騒乱はネット動画を武器にしたまさしく情報の苛烈戦争であって、これら情報機器ハードについては先進国側の知恵が結実したものであり、これを彼らはネット投稿なるソフトを武器に全世界にリアルタイムで発信している皮相な展開になって、もっといえば彼ら手にしている銃器弾丸は彼らが生産はずはないのはまっこと常識、たぶん産地は先進国なことは間違いなくついでに世界の武器輸出量ランキングはアメリカ全体の29%、ロシア27%、ドイツ7%中国6%、フランス5%の順となっていてイスラム国にはUSA産兵器がたくさん流用されているのは当然だろうしロシア、中国産が圧倒的であろうと受け止めるのが正解だろう、死神武器商人国の高笑いが聞こえる。

 ニュース映像では重火器を積んだ車は日本車で、まっことに本意ではない<準武器輸出>という濡れ衣を着てしまいかねないよな冷感ぶるぶる、車は軍儒にはあたらないとは思うけどおらが国の官邸は極右伏魔殿、武器輸出についてはアベ某なら国威発揚国際社会にいい顔したい暴走車てな推測が明白に厳然と成立する、官邸の腹部の血色はドスっと黒い疑惑100%ぶりぶり、やばいのやばは危ないのあぶ、危険の危、DANGERのDAN、総選挙で多数にYESした人たちが熱烈応援するなら、あーそうですかおれは友だちになりたくない、きっぱり。

 20世紀後半はいま思えばガキ芸人並みのガキ喜劇照れ笑いしてしまう、「武器より花束」PEACEメッセージの紙爆弾紙つぶてなんて幼稚園そのもののお笑いチックトレンドはパリテロ以来「I AM XXXX」画用紙アピールに変容して相手はどんな革命荒野をお持ちなのか、いや革命なんてそんな思想はまるでなくこっちはやけくそ原理主義者とすねてみるが、お主ども心得違反、ただ単にイスラム原理ここにあり駄々っ子ここに在り人間を殺しまくり収奪しまくり全世界を相手にした愉快犯にしては神なんか知らないよ、ならこっちは仏ちゃん彼方マホちゃん信仰自由の合理的共存はどうしてなのさ思案橋だよあきれ蛙、彼らにとっては蛙のつらに温しょんべんだろ、あらそてなもんだろうなくち惜しや。

 私事になりまする当方風邪症状鼻水じゅるじゅるテッシュー無残浪費、こんなヨルダンはグワバっと酒を喰らってグワバっと寝る大原則ままならず、就寝儀式なる終電に乗り遅れたぜPC乱打で遊んでやる無常、こんな拷問駄文だれがどなたさんがお付き合いするのか知ったこっちゃないけれども往年こんな駄馬のションベン文体で遊んだ前科があって、野坂昭如お得意であるが野坂がいう、織田作之助調でしてまあまあ、当方としてはどっちにせよフェークそのものでございます浅学文系のご遊戯るんるん自涜したわけでごぜーまするだ、ところでタイトルの<Jordanー冗談ではなく>アッラーどこにいずこあるか、しっかし冗談が巨シリアスでありますいい加減にしてみそ。

  プラハ、1993

2014-12-14 15:05:13 | 外国事情

 海外旅行世界遺産 プラハ歴史地区 プラハ歴史地区の絶景写真画像ランキング  チェコ

 NHKTVでチェコのビロード革命25周年のドキュメントを流していた。 マルタという名の聡明な女性シンガーが歌いあげるビートルズの 「ヘイ・ジュード」。

 この歌が民主化の旗印になり、 革命の夜明け前には国歌の代わりになった。市民がこぞっていのりをこめて唱和した。音楽のちからが銃口に屈しなかった映像に感動した。チェコという国に好感するひとりだ。

 

ついでに。1968年、チェコスロバキアが民主化を求めて国民が反モスクワの声をあげた。「プラハの春」 は世界中から支持された。残念ながら赤い狂犬が戦車で蹂躙して結実しなかった。この一連の動きを点火したのは、同年春5月の 「プラハの春音楽会」。

 ボストン交響楽団が演奏するスメタナの「わが祖国」 指揮したのはわがセイジ・オザワだった。マルタと同様の役割りを果たしたのだが。

 青山表参道でフランス骨董店を経営しながら自らダンス・カンパニーを主宰していた紗羅は急展開した。平成になったあたりの時期だ。オープン予定の「箱根ガラスの森ミュージアム」 の特任バイヤーのオファーをうけてOKした。もとよりダンサーでは生業は難しい。

 オーナー社長が「出張の合い間のダンサー活動よし」 「専用のスタジジオもこしらえましょう」 この条件に紗羅は乗った。実際には忙務で公演活動はほとんどできなかった。

 バイヤービジネスには乗ったものの、 自転車に乗れなかった。水泳はカナズチという軟弱者がクルマの免許を取って八王子の山奥に通い、大半はせっせとヨーロッパに買い付けに通うことになる。

 ガラス・アート作品、ガラスのミュージアムグッズの買い付けでイタリアのヴェネツアン・グラス、そしてチェコのボヘミアン・グラスがメイン・ターゲットだった。

  パートナーのわたしはとんちきな風来坊、もとより旅好きだ。 「どう?赤帽さん、やってくんない」 やさしくやんわり強制された。断る理由は0%以下だ。当時はネット新聞で毎日コラムを書いていた。ヘボ記事を早く仕上げる、それだけが取り柄だ。ヒマをもらって参戦した。  そうしてチェコなる国をノックした。 「ドブリーデン」=こんにちは 「ジェクェバーム」=ありがとう、 なんてチェコ語まで忘れていない。

  ふたり連れで、ヨーロッパにアメリカと10年ほど転々と移動するのが日常になった。お気楽な立場の旅人のわたしにとっていちばん印象深いのは、やっとのことで銃火のないビロード革命を勝ち取り。 民主化にこぎつけたチェコだった。1993年、はじめてのチェコを追想してみる。

  のっけからハードな洗礼をうけた。 汽車でパリからウイーンを経由してチェコのブルノに向かうローカル国際線の乗客は数人だった。

 どうやら国境を越えたらしい、そんなときに武装兵士にマシンガンを突きつけられた。下車させられた。 ていねいな荷物点検、そしてがなり声。どうやら「パスポート」といっている。「がなることねーだろ」と笑顔でがなり返した。 ついこの間まで東側にいた国の歓迎ぶりというか。

  チェドックなる管理システムがあって、 これがやっかいで不自由でいつも苦笑してしまう。旅人からすれば、アクセス移動やらホテル宿泊はすべてチェドックを通さなければならない。もちろんパスポート持参。だれだって監視対象なのだ。

  ブルノ・オペラ座で「蝶々夫人」の公演があった。反応してチェドックにてゲット。 円換算で500円ほどと信じがたいお値段だったが・・・ 案内されたのは指揮者の汗が襲ってくるような真ん前の特等席で実に当惑してしまった。たぶん熱烈歓迎されたのだろう。それはおくとして。

  ちゃんとしたオペラだ。劇場も歌唱も音楽もすばらしい。けれども大道具、小道具、衣裳が無残、ひどすぎた。背景の富士山は銭湯の壁絵のようだし、 衣裳は貧相な浴衣らしきもの、ちゃんちゃんこ風で頭にはベトナムらしいトンガリ帽子。

 蝶々ではなくてガチョーだ、カマキリだ、マダム・バタフライではなくバター犬だ。 見るに耐えないとあって、ふたりで幕間にそおーっと脱け出した。2幕目の開演のブザーが鳴って客がロビーからいなくなったすきにそーっと。

 「蝶々夫人」 ゆかりの国から来たからといって特等席を用意されたのに裏切ってしまった。「目立つとこに座ってたから、全館のみなさんにバレバレだわよねえ」 紗羅がニヤった。

 

  バスで首都プラハに向かう。はるか地平線にぼんやりと尖塔が浮かんだ。 なるほどの百塔の街だ。着いてあたりを見渡すと、その光景はまるでビュッフエの絵画の世界だった。

  いかつい建造物はすべて黒い。 真っ黒の濃淡がすべての色彩であった。文字通り暗黒支配したモスクワ体制のおかげだろう。まるで石炭でおもいきり燻られたモノトーンの化石の町並みだった。

  プラハには2年おきにぐらいに通った。 するとどうだろう、そのたびに街は色彩を取り戻していく。数十年にわたって放置された重厚な地球遺産の街が、 民主化によってだんだんと生き返る。みんなして建物をモップでゴシゴシしたのだろう。

 21世紀になってからはすべての景色はピッカピカ、光り輝いていた。 尖塔が金色に見事な光彩を放っていた。

  それと同時に市民の顔や表情は、明らかにかつてのそれと比べて明るい。 押し黙った顔に笑顔が戻るようになった。

  紗羅と熱心に街歩きをした。 目当てはストリート・ミュージシャンだ。カレル橋や聖フランチェスク、天文時計塔がある旧市街あたり。 路地裏で演奏しているミュージシャンたちの音色は素人耳でも超一流なことがわかる。 毎夜毎夜街頭コンサートをたのしんだ。 彼らはみんな国を代表する音楽家だった。

  旧体制支持だった音楽家は民主化によって放逐されて失職の身だったのだ。 紗羅は「音楽には政治は関係ないもんね」 といって投げ銭をはずんだ。


  はじめてモルダウ河{ブルダバ}を前にした衝撃は忘れない。思わず歌ってしまったのだ。 スメタナ作曲 「わが祖国」の一節・・・

 ♪ 水上(みなかみ)は遠く 遙か
   豊かなる河 モルダウよ


   
舟人の歌は 星青く たゆとう波間に浮かびつつ

   遠き夢の 君がもとに 還りゆけ~~  

  。。。思い入れがとことんだった。わたしにだって感受性がやわな時代があった。

  中3のとき小雪が散る12月のことだ。 担任の教師が職員室でブロバリン130錠を飲んで服毒自殺。後追い心中だった。 モルダウを目前にして、あの日の悪夢がよみがえったのだ。

 純情青年だった小林先生。 生まれ育った秋田の鉱山町は全国から流れてきた荒くれが支配する町だった。 あんなピュアなオトナにはじめて出会った。心底、リスペクトしていたた。

  29歳。戦死をまぬがれた復員兵士だった。敗戦後は腕っこきの大工だった。向学心に燃えた青年は、教師になりたくて大工を8年、 カネを貯めて2年間の短期教員課程を経て、悲願がかなったその年の暮れの悲劇だ。

 永いこと彼を慕う恋人がいた。 「きっと一緒になる。でも待ってくれ。やっとのことでセンセイになれたんだ。頼む」 待ちきれなかった事情があった彼女は自死してしまう。

  担任の教師はそのあとを追ったという図式。  たぶん彼は童貞だった。 修学旅行の青函連絡船のよる、「男全員集まれ」 彼としては性教育をするつもりだった。わたしたちはその程度の性知識ははるか前から知っていて無関心だった。むしろ教師の表情に注目していた。

 彼は顔面やら耳たぶを真っ赤にしてしどろもどろ。童貞だったことは明白だ。 そのあとに「さ、気分を変えよう、みんなして歌おう」 それが「モルダウ」だった。

  ♪遠き夢の、 君がもとに 還りゆけ~~

 「モルダウ」は後追い心中教師の鎮魂歌にしていた。自分で禁断の音楽にしていた。現実のモルダウ河岸に立って無意識のまま歌ってしまったのだ。モルダウを肉眼で見て、感じた積年の思いがこもった惜別であった。 数年前には離婚した前妻が病没していた。

 これでも当時はいっぱしの早熟な文学少年だった。 生意気にも仙台の文芸同人誌の会員にも名をつらねたりしていた。 こんなあんなで後追い心中はとてもとても精神感応的衝動、 ハードな、 ハート・ビーティックなショック。オトナの、それも愛の悲壮な結末と直面した。

 男と女の間には暗くて深い河がある。 その河のイメージがモルダウ。純愛をつらぬいて愛するひとのもとに追って散ったおとこ。 わたしのメンタルの屈折反動はずっとひきずったままだった。

 ある映画監督が泥酔してうそぶいた。 「男は悔しがって生きる。女はかなしがって生きるんだ」 こんなセリフにをシラフで聞き流せない性分だ。

  校内で担任の自死に痛撃にダウンしたのはわたしばかりではない。 3年C組の誰それが打ちのめされた。 大館市にある墓標に日参する同級生はとりわけ女子だったが4,5人はいた。 たぶん後遺症だったのだろう。 その数年後、成人になってから2人の女子同級生が自死している。 それぞれが愛のもつれが原因だったと聞いた。

  「なーんも死ぬことはなかったんだ」と床屋がいった。 「悩みぬいた結果、先生の愛の完結のことが浮かんで、それが引き金になったんだろうね」  わたしは彼女たちのためにも思いをはせて、 深くて暗いモルダウのよどんだ風に乗せて歌った。 惜別のラストソングに紗羅はもらい泣きした。


 

 プラハのホテルで朝食をとっていると、 直立した巨大な熊に話しかけられた。ネーティブな日本語で、聞くと父親が元駐日チェコ大使、大相撲の優勝者に手わたすクリスタルガラスのプレゼンターだった。 ひげもじゃの巨熊は日本育ちだった。

  「東京の広尾の丘の上にチェコ大使館があるでしょ」 「そう、ビザを取りに行った」 「あそこはつい先日までチェコスロバキア大使館だったんだ」 「分離したんだよな」 「そうなんだ。スロバキアは建物の右側で、左はチェコと仲良く折半したんだ。 問題は・・・」 

 「なんだ。ケンカになったか」 「じゃないよ。裏庭には池があってさ。鯉がたくさん泳いでいる。その鯉がどっちのものなのか、果たして」 「魚が帰属権を争う投票したのかい」 こんな軽快な話で打ちとけてヤンという彼とは仲良しになった。 通訳として助けてもらったりした。

  ヤンにアテンドしてもらって、ポーランド国境に近いガラスの国営会社を商談に訪れた。運転手は固い表情のいかにも軍人に見えた。 ヤンがこっそりいった。 「彼、秘密警察のトップクラスにいた男。現体制から追い出されたんだ。こんな仕事やるなんて夢にもみなかっただろ。おれたちだって・・・」 

 ヤンの家族も旧外務官僚だった父親の失脚のおかげでおろおろしながら生きているのだという。 体制崩壊の悲喜劇をうかがい知る。しかし秘密警察とはけっして同情したくない。 「殴ってやろうか」 「おれだってそうしたいさ」 国営会社で珍しい昇降機を見た。 こいつの説明をブログ「紗羅のアトリエ」から引用しよう。


記憶の中の、止まらないエレベーター。
二台のエレベーターが並んでいます。
右側が上り。左が下り。
ドアはありません。
止まることなく
ゆっくりと動き続けているのです。
空いている床が上昇してきたら
上に行く人が乗り込みます。
降りるべきフロアに着いたら
ばらばらと降りていきます。
下がるときも同じ。
観覧車のようなシステム。
ごく日常の風景。

目にしたのはチェコの大会社の従業員フロア。スロバキアと分離したばかりの1993年。

そうなんです。観覧車、そしてスキー場やお山にあるリフトと同じように、タイミングを見計らって乗り込み、降りる。止まらずに動き続けているエレベーター。

驚いた。そして楽しくなった。なーんだ、エレベーターってこれでいいんじゃない☆と、楽しく乗り降りさせていただきました。・・・遊園地気分♪

手動の重たい回転ドアも好きです。人間の体感で把握出来る装置。

理解を超えるものがどんどん増える世の中。便利かつ安全が当たり前。事故が起きるとマスコミ総出で大騒ぎ。いいのだろうかこれで・・・と、アナログ原始人は思うのでした・・・

   ・・・・・・・・・・・・・・


 昼どきだったので、ひとまず案内されたのは社員食堂だった。 ヤンが説明する。「食堂は4段階でさ。てっぺんは社長や役員専用。でもって、いまわれわれがいるところで管理職レベルの食堂さ。みんなメニューまではっきり違う」 

 その下は一般的なヒラ従業員用。 「で・・・?」 地下にある食堂は、解雇できない旧体制にいた人たちの食堂となっているそうだ。 共産党なのか、 社会主義っていうのか、 ようするに区別システムがビロード革命後でも厳然として残っていた。 旅というより20世紀の世界地図を実感させられた。 東側はあきらかに周回遅れのランナーだった。


 ヤンに聞いた話で記憶の停車場にとどまっているのは、 ヨーロッパに厳然とある難題、 ジプシー、圧迫され続けている流浪の民。 紗羅はワールド・ミュージックとされる音楽を好んだ。とりわけジプシーの,生活感のなかにある愛を音楽をつよく支持していた。 ニホンで差別問題の教育をうけているヤンの表情はくぐもった。

 この国はさ。 せっかく民主化になった、自由を得た。ベーシックな問題が片付いたとなったら、 市民は新しい不平不満のはけ口をジプシー、ロマに向かったんだ。 彼らは教育がない無知な連中だから、 近親相姦でぼこぼこ子どもを産む。 行政が住まいを与えても、 家財を焚き木にして燃やしてしまう。

 といった極端なケースをとらえて、攻撃する。おぞましい差別の現実が起きているんだ」  ヨーロッパでも知的レベルが高いとされるチェコ。 それから間もなくEUに加盟を果たした国でさえ・・・痛感した。


 1993年のチェコ。ホテルのベッドはお子様用のようなちんまりしている。 横幅はまさしく病院の手術台。 この国の男女は「あに考えてんだ」 と仰ぎ見るほどでかいのに。 ふむふむ、 いろいろ考察してみる。 共産党体制下では移動は不自由だった。 宿泊は人民の招待所と命名された合宿所で、 これは1985年の中国旅で体験している。 なるほど、 意味不明ながら納得する。


 チェコの食い物は、まずジャガイモをごてっと煮た付き合せプラス肉かソーセージが定番。 腹に折り合いをつけるために食う。 体調はいつも通りなのだが、 どうしても少食になってしまう。 ならどうだ、チャイナ・レストランに出没する。まず視覚的に怪しい。 フォーク・ナイフでおそるおそる味見する。 なんと大胆にデフォルメされた「怪奇中華風」よ。

 街でラーメン屋を見つけた。日本製の生ラーメンを調理しただけだからとても納得した。納得がいかない問題点があった。割り箸は有料なのだ。つまりフォーク使用。む。

 お楽しみは、毎夜レストランでオーダーするハウス・ワイン1本。 これがとてもとても渋くてえぐい。 紗羅と毎晩ワイン・ソムリエをやった。「本日のこれも☆5個ってとこかね」 「いや、もっと高得点を差し上げたい」 「ほんと。☆7つってとこで」 「納得だわさ」 評価基準は逆算方式だ。こいつをいかにも「美味なり」 のポーズでいただく。目はけっして笑わない。


 プラハ旧市街広場のヤン・フス像。一角はテント小屋のバザールが常設されている。ひやかし歩きをしていると、赤毛の派手派手な20代の女性が「寄ってけ」という。


 予定としては、この女性は狂女で、 粘土の人形を作るユーゴの不法難民たちを隷属していた。彼らユーゴ難民の青年たちの悲哀。 それから、プラハ城の教会で巡礼団のアカペラ賛美歌。プラハの中世風地下酒場・・・などなど。 

  あー、しばらく休載ス。


 

   あー、某国のコンビニのねーちゃんに聞いた。「口がひん曲がるほどスっ辛いカップ・ラーメンはどれあるか」 軽ろやかに購入して帰国しやした。

 

   

 


 微笑みの国のブル~

2014-12-05 21:56:00 | 外国事情

 タイのプミポン国王。健康状態が不安定で、入退院を繰り返していて87歳の誕生日を迎えたものの、5日の祝賀式典は中止された。微笑みの国の人たちは顔をゆがめて「長生き」をいのっている。

 タイの東北地方をうろついていたとき、国王の車列に出会った。クルマはすべて路肩に止められて、ものものしい。先導車がビュン!そのあとに大型オートバイがビュン!爆走する王様ライダーだった。

 タイでは絶対人気をキープしている。どんな家庭にも恭しく肖像写真が飾ってあり、けっして独裁者が強要するそれではない。超々スーパースターなのだ。

 親愛感の根っこにシティボーイ風な多趣味の持ち主であることがあげられる。セーリングの国際大会でチャンピオンになった。カメラや油絵をやる。

 個人的にホッホー好感するのはとてもジャズが好き。サックス、トランペット、キーボードをやってのける。作曲だって。1964年、わが国の現天皇が皇太子のときにタイ訪問した。チェンマイからの同行機中で愛用のクラリネットを取り出してベニー・グッドマンばりに「メモリー・オブ・ユー」をサービス演奏したという。

 履歴書をたどるとなるほどと思う。1927年にアメリカ・マサチューセッツ州生まれ。そして1934年~1952年までスイス暮らし。ローザンヌ大学で政治学と法学を専攻している。しかるに1946年に国王に即位している。このあたりのタイム・ラグは・・・知らん。

 それと。父親のチュラロンコン大王の69番目の子どもだそうだ。南国の大奥なるものに興味あり。しかしながらプミポン国王夫妻の間には1男3女。大奥ではないところもスーパースターのゆえんとなっている。とりわけご婦人たちが高く評価している。

 一般に。タイの男はなまけもので浮気もので、そのぶん女性はしっかり者、勤勉。「キングを見習いなさい」と怒髪マダム。タイの知友の夫婦ケンカにはなんども遭遇した。

 ちょこっとタイ語ができるので、ヲッサンにけしかけてみた。「タイのお土産はなにがいいんだろう」 「うー、ドリアンなんてどうだ」 「あれ、イガイガしてっからなぁ。これといった名物はほかにないか」 「そっちのほうがよく知ってんだろ」

 「おー、そうだそうだ。タイの特産といえば、クーデターだ。クーデターてのはどこに行けば売ってる?買って帰りたいのだよ」 ヲッサン、思いきしイヤな顔をした。

 目黒名物はサンマ、タイ名物はクーデター。現在もリアルタイムでクーデター決行中なのだ。軍事政権がガッツリコンと全権を握っている。タイでTVのチャンネル・サーフィンをしているとびっくらこく。

 午後7時台に突然、どのTV局も同じ放送になる。軍事政権がチャンネルを独占している。どう考えても大本営発表。不っ思議。

 理由がはっきりしている。これまでのクーデターは政府系TV局と、反政府系TV局がお互いにTVをフル利用して民衆を扇動するメディアとしてきたからだ。21世紀は「TVのちから」がものをいう。これは民主主義ではご法度の言論統制だべさ。

 にしても民衆を大動員したクーデターはどえらい破壊パワーがある。空港は占拠する。ASEAN会議に乱入して国際会議をキャンセルにしてしまう。日本でいえば銀座一帯を焼き討ち、日比谷公園を占領して仮設村にしてしまう。必然として流血、そして流血、さらに流血・・・

 プミポン国王はクーデターの「止め男」だった。葵の御門だった。錦の御旗だった。軍事クーデターは王様がOKを出してゲームセットだった。なにしろタイの軍隊は国民のそれではなく王様の軍隊なのだ。あーそれなのにどうしてゲームセットにならないのか。加えてキングが弱っている。アタマが頭痛。歯がはがゆい歯痛。ここがブル~な難問。

 タクシン元首相。19世紀後半に中国・広東から移住した客家の4代目。丘達新。通信事業で長者になち、金満首相になって貧しい人たちに公金をばらまいた。

 そうした善政?のおかげで赤シャツ軍団は選挙になれば圧倒的な多数票になる。おもろくないとするのはバンコクの中流層だ。「おれたちの1票と、いなかで農業している連中の1票は重みが違うじゃねーか」 あっちに行け、多数決ども。

 ここにタイ式民主主義の???がある。矛と盾の構造だ。そこで「王様の司法」が腐敗タクシンを有罪にした。国外逃亡者となったタクシンだが、いまだにカリスマ存在だ。それに加えて王室、軍部、アンチ・タクシン集団の政治家=財界人の利権キープ構造。あーややこしい。

 こんなあんなで微笑みの国は闇夜鍋。そこで頼みの綱である国王が不在・・・ことによっては・・・タイではこんな話題をすると不敬罪になる。

 よその国のトンチキがヲッサンと床屋談義。「キングパワーてでかい免税店ができたね」 「行ってみたのか」 「いや、ここんとこバンコクには寄らねー。ところでさ、次のキングは誰だ」 

 「よせよ、そんな話」 「多少関心があってさ」 「むにゃむにゃ」 「皇太子は評判がよろしくない。次女のシリントン王女かな」 「む、む。違うな。おれたちの意見は・・・」 「いってみそ」 「暫定で王妃だ」 「そっかぁ」 「こら、声がでかい。内緒だぜ」 「うーん、ダークホースだ。賭けようか」 「このばかー」 そのシキリット王妃も病中の身とか。

 政情はとても不安定。なのに市民の日常ははのんびり昼寝、宝くじ。「革命は銃口から産まれる」なんて革命の大義はどこのもない。貧しい人たちは医療費100円などという善政!に暮らし向きの向上を主張する。それが投票行動と直結する。

 これを税金ドロボーだと都会の知識層。この対立構造はわかりやすい。けれどもけれども実態はどうか。いってみれば富んでいる人たちが「より確かな利権を守る」・・・タクシンも王室も、殺傷する武器を持っている軍部も。同じことは等しいこと、なのだ。


 ヲッサンたちとと90分800円食い放題の回転シャブシャブ屋で豪華ディナー。彼らはサーモンの刺し身やら巻き寿司やらカニかまぼこをむさぼり食う。「最近はトーフがねぇな。それにクーデターは回って来ねえ。プンプン」 「そんなぁ、怒るなって。あんたのおごりだから、おれは文句はないさ」 「あ~あ、ビンボー人なのに、つらい」

 「ほら、これがクーデターだ」とヲッサン。うどん玉だった。「どんな意味でいってる?」 「食ってしまえば同じってこと。あんたはタイのゴタゴタを笑っているけど、あんたの国だってセームセームだろ。みんな権力が欲しい。違うか」 「うーむ。絶句だ。ご指摘の通りだ」  

 いま和の国では総選挙。ふつーの市民は自分の暮らし向きを反映させようとする。そして保守層は、自分たちの利害だけを投票行動につなげようとする。もし同じ船の乗客なら自分たちだけが乗る救助ボートを用意して、あとは見て見ぬふり。

 「だね。タイのことけっして笑えない」 「だろ」 「うん」 気分がブル~になった。しかめっ面で青い菜っ葉を3皿ほど取りあげて食ってやった。

 


 ちょべっと鉄道旅

2014-09-11 01:46:40 | 外国事情
安チケットを入手した。ヨーロッパ旅をせしめた。いつになく元気印なので鉄道移動を軸心にした。
オランダ・アムステルダムからドイツ北西部をうろちょろした。こっちは厳しい残暑の国からやってきたのに、あちらさんは気温20度に満たない初冬期で。ほとんどの女性はマフラー着用だった。

教会の時刻を告げるカリヨンが鳴る。窓をバンとあけてタバコを一服。いまごろはどこに行っても禁煙のご時世だ。ホテルで「喫煙ルームを」などと要求すると門前払いだ。「満室です」さっさとずらかってくれ。
こんな流れになるので、そのあたりはテキトーに対応してチェックインしてから窓をバン、持参の灰皿でささやかな幸せのけむり。

対面にある教会はお洒落で、ステンドグラスの部分は時間差で色彩が変る。赤、青、橙色と変化する。
門灯、街路灯のひかりはそろって闇夜にやさしい暖色灯、ジンとくる異空間だ。
輪郭の黒い直線にイエロー夜景がぼんやり、影がひっそり重なりあって欧州欧州している。

汽車旅はビギナーではないが一応は緊張する。まず駅のチケット・オフィスを探す。キップを買う。プラットフォームを確認する。フリーなスケジュールだからドジこいてもいい。しかし内心ではおろおろ。
ヨーロッパでは車中改札はあるが、駅舎では完全素通りだ。豪華な国際列車ではないかぎり指定席はない。いかにも馴れたという顔で乗客をやってしまう。

駅前大聖堂で知られるリヨンに着く。ほどほどのホテルを物色するべくやたら歩く。
条件は
①朝食込みが必須なので☆3個ぐらい
②外観でタバコが吸える環境かどうかを判断する。窓があきそうだと可 
③あまりない・・・強いていえばモダン・アート美術館回遊がテーマのひとつなのでそのお近く

デユッセルドルフに行く。旧市街があってライン川があってとりとめのない商業都市だ。
むかし新宿ダダイストの堕天使だったノラはドイツ人の嫁になってこの町にきた。彼女のオトコだった。偶然出会ったならばどうしよう。
「やあ、奇遇だね」なんてテレる自分をイメージしてテレたりする。{ノラの姉ミミを生涯片思いをしている書評家Iさんにアドレスをもらっていた・・・}

ちょこっと近隣のヴッパタールに向かう。2009年に亡くなったピナ・バウシュのダンスカンパニーの本拠地だ。ダンサー紗羅がめざしたダンス創造の拠点のひとつだ。
ドイツのこのあたり、ダンスばかりではない。あちこちではフリージャズやらモダンアートのフェステバルで町起しをしているのが実に特徴的だ。アバンギャルド地帯なのだ、雑知識不良の。その空気感にざわっとひたりたかった。

どうせなら。ちょいとベルギーに寄って極上ビールを1杯、と意図したが投宿不発。ベルギーのいなか経由でオランダのユトレヒト下車。ここでカメレオン色調教会でこの旅いちばんの至福の一服となった。

いちばんの苦戦はタバコが吸えるビアホールの痛恨事。ロンドン出で医療機器の役員をやっているおしゃべりヲッサン、ナイジェルとの舌戦だ。
「英語はうまく話せない」というと「自分はジャパンを含めて外国によく出張している。非英語圏のひとたちの英語のヒアリングには慣れているから」とイニシアチブをとられてから狂った。羞恥意識があっち向いてほい。

いまでも冷や汗が出る。最初はナイジェルの14歳の娘の話題。マンガ、アニメでニホンの興味を持ち、いまでは日本刀の美しさや強靭さに夢中になって図書館通いをしているんだ」
そこからのおしゃべり展開は・・・あろうことかブロークン英語の会話が成立。テーマはリアルタイムの世界情勢。サシで国際会議!童貞だった。

スコットランドが英国から独立する動き。
「通貨をユーロにするかポンドにするかが争点だろ」
「そうだ。お互いにアタマが痛い」
「ならばジャパニーズYENにしたらいい」
「そうはいかない。アメリカドルにしろとオバマがけん制している」

日中関係。「ジャパンとチャイナがファイティングポーズをしているじゃないか」
「どれもこれもイギリスの責任さ。近代史における大英帝国はアジアの歴史を破壊した」
「それってインドのことか」
「そう、のっけにインドでドロボーして味をしめて中国に乗り込んだ。とんでもない国だ大英帝国。国名からして生意気だ」

「その通り。わかっている。決定打はオピューム戦争だろ。アヘン戦争でチャイナを制圧して、次のターゲットはジャパンということだ」
「だろ。いいか、ニホンの開国はこのアヘン戦争がきっかけだったんだ。国ぐるみの危機本能さ。おれたちはチャイナの二の舞いにはならねえ。イギリスを断乎粉砕」
「確かにわたしらは収奪して収奪しまくった。反省している」
「大英博物館なんぞは世界中からドロボーしたコレクションの山」
「・・・」
その結果、清王朝が瓦解してニホンが優勢に立って・・・・・その中国はいまやおよそ200年ぶりに大国にカムバック。

青臭い会話で盛りあがった。
「中東のイラク、シリアのあたりだってイギリスの2枚舌、3枚舌外交でめちゃくちゃにされたんだ。現実に今日だって戦死者が・・・」

「そこまでいうんだったら、ジャパンだって。新興大国のポーズをとって、発展が遅れたアジアを武力で制圧したことは知らないといわせない」
「そうなんだ。一般には原罪意識を共有している。でも、そうではない精神構造をもつ層が確かにいるんだ。こいつらを増長させないてのがわたしら雑草の見解なのだよ」

ナイジェルはビールを2杯オーダーして「こんなに率直にアジア人のあんたと話せてよかったよ」こっちもビール2杯。おごりっこ。

いまでも思う。英語で高揚して議論したこと信じられないのだ。これって潜在能力なのか。いや、<旅の恥はかき捨て>の原則がそうさせたのだろうか。とにかくしゃべるのが恥ずかしくて必要のない英語はつかわないのが美徳とされる国民性なのだ。
突然変異だったことは明白で、そのせいか凡アタマが混濁してしまい、ナイジェルとの翌日の飲み会の約束時にはホテルで爆睡していた。旅には魔物が同行していた。

鉄道旅はまた決行するつもりだ。その日のために英語の学習しよう。パツキン美女をナンパしてやる。その大義の旗のもとに。
あちらさんは「なーに考えてるんだ」とあきれるほどでかい。身長2メートル強の巨女を相手に首投げ{*}で思いきしブン投げてやる。 
         {*}大相撲界の隠語。生殖をともなわない裸体男女競演アクション