不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

そのバス、行き先不明

2009-07-28 15:14:25 | 
気分は漂泊のギャンブラー。
ビンボー人のくせにギャンブルが好きれす。
種目は麻雀とポーカーとバカラ、それとオイチョカブ、チンチロリンを少々。それ以外は興味のキの字もありましぇん。
パチンコ、競馬、競輪などには無縁れす。

ただいま事情あって麻雀は数か月お休み中。ポーカーは人手不足。
バカラなる種目はこの国はご法度で、パスポートを持ってよその国のカジノに遠征しなければ奈良ぬ。

ギャンブラーとほざくが、ふところの実相、種銭は情ないほど微少で、それでもいざ勝負の局面なると、姿勢そのまま、おだやかなポーカーフェース。
胸中はけっしておだやかではない。どこそこの神様でもいいからお願い!

漂泊の・・・というがこれも怪しい。一応は7、8か国のカジノに参戦したが「どっぷり首まで」といった内風呂スタイルとまで至らなかった。
旅の大義に「カジノに出撃あるのみ」は少ない。
たとえばラスベガス。並みの観光客となって出陣、日米決戦にのぞみ、わがい愛しのショートピース・紫煙猛アタックで顰蹙をかった。

大半は、旅の途中にその近所にカジノがあったから・・・こんな動機だから漂泊のギャンブラーなんてカッコつけるのは詐称犯れす。単なる願望れす。

オランダ・アムステルダムのスキポール空港内にあるカジノなんぞは、ちろりとのぞいて背を向けた。スロットマシンなんぞはパチンコと一緒。手を出さない門。
東洋最大の賭場マカオには数回出撃した。ある日

国境の長い桟橋みたいな通路を歩いて行くと、そこは中国本土だった。珠海市だった。
関所で3日間のビザを取った孤高のギャンブラーは、あてもなくマカオの門前市状態になってさんざめく珠海市内をふらつくのだった。

小川沿いには理髪店がずらりと並び、店の前には派手なホットパンツの若い女性が客待ちしていた。真っ昼間から営業である。
男性の散髪はする、シモ半身の「放水」サービスもするという立派な中国裏文化のピンク・ポイントであった。そして男性はなぜか軽快な足どりで出てくる仕組みであった。

ギャンブラーはバスに飛び乗った。行き先不明のバスでも、この地点に戻ってくることが可能だ。往路あれば復路あり。バスの不滅の根本原理だ。
未知なるところにさまよう。不確定移動。こんなふらふら旅の常習犯的なギャンブラーであっ田。

終点の町の裏通りを歩いた。路地に布を広げて無造作にガラクタを並べてしゃがんでいる少女がいた。
使いこんだ鍋や手垢にまみれた帽子、欠けたクシなどバラエティに富んでいてとても楽しい露店だ。

「こりゃ、こりゃ」と思ったのは、ラフで渋い手作りの松葉杖のわきっちょに白色化した革靴が半足。ぽつんと1個。1足ではない。
感動しながら、深く考えるなと自分に言い聞かせた他。
行き先不明のバスには珠玉の味わいがあ留。

ギャンブラーは、少女の主力商品であるバラ売りのタバコを3本買って帰路についた、バスに乗っ手。

トラムに乗って

2009-07-10 01:00:39 | 
1994年1月。その5年前にビロード革命を果たしたチェコにいた。
ソ連に圧迫された暗黒の時代の残影がまだまだ明確にあった。硬直した社会主義体制の軋みを至るところで実感した。
街は燻ぶってまるでモノクロ映画の画面。街を急ぎ足で遠ざかる人たちの表情も暗かった。

プラハ城はちょっとした丘の上にある。その丘の右側の延長線に巨大な異様なオブジェがあった。よく目立つ位置である。どうしても古都の風景にふさわしくない異物感である。
よく見ると棒状の鉄製の時計だった。

ここにかのスターリンの巨大な銅像があった、と聞いた。
スターリンという、墓に唾をかけたい20世紀の極悪バカヤロ独裁者のひとりが、その偶像がプラハの街を睥睨していたのである。

冬だった。木枯らしがうなりを上げている。銅像がブッ壊されるときのチェコ国民の大歓声を体感した思いだった。

チェコのいなかを点々とする旅をしていた。
ポーランドの国境に近いヤブロネッツという町の小さなホテルに宿泊していた。
レストランではまずいハウスワインを飲み、ビアホールでは無骨な木製のテーブルにすわって極上のチェコ・ビールを堪能した。

よりポーランドに近いリベレッツという町に出かけた。小川に沿って進むレトロなトラムに乗って。
森のなかを、おだやかな清流をくねりながら、素朴なトラムはゴトゴトゆっくりと走る。小鳥たちの楽園空間を漂うようにゴトゴト。
その車窓から見た風景は忘れられない。どこを切り取っても絵はがきになるような美しい森が続く。今でも残像を幻視する。

リベレッツでは完全な迷子になった。帰りのトラムの駅が見つからない。困ったちゃんになって通る人にたずねる。
この場合は下手くそな英語だ。???通じない。連れあいはフランス語が達者だ。これも通じない。

そのうちに人だかりが出来た。・・・この珍しい東洋人は困っているらしい。なにを知りたがっているのか。
みんな親切だった。
「ロシア語は?」「ハンガリー語は?」「ドイツ語は?」「スペイン語は?」
大道芸人になって帽子を回したくなるほどの人の輪。しばらく困ったちゃんをやっていると、通りすがりの青年が英語であっさり反応してくれた。

小さなショルダー・バッグを背負ったボヘミアン風というかヒッピー風というか革命戦士というかチェ・ゲバラ風というか、その青年は「これからポーランドに帰る」と足早に国境に向かって去った。

ホテルに戻ってしかめ面をして生臭いハウス・ワインを飲んでいた。
突然、思い出した。あの男は見た。まるで似ていた。

マチェックという男だ。
アンジェイ・ワイダ監督の作品「灰とダイヤモンド」マチェックを演じ、さっさと天空の星になったズビグニエフ・チブルスキー。
ソ連支配下のポーランドにあって、実権を握っていた共産党幹部を狙ったグラサンのレジスタンス戦士。
そのマチェックが酒場の女性にノヴォクの詩を聞かせるシーンがある。真夜中の廃墟になった教会。詩碑はマッチの炎の明かりで読んだ。

燃えさかる松明の炎が燃え尽きるとき
きみは自由の身なれどそれを知らず 
あるいはきみの手にあるもの すべてが失われたりともそれを知らず 
きみは知らず
灰も昏迷も 
燃え果てたたその底に ダイヤモンドが残らんことを

地球上でいちばん高価でかけがいのないもの・・・ダイヤモンド。
人間社会にたとえるならば、たとえばいのち、たとえば青春。

ダイヤモンドは炭素。燃え尽きてしまえばすなわち灰は残らない。
<ダイヤモンドが燃えてしまったら・・・何が残るのか・・・>

独学でフランス語をマスターした連れあいは、いまもちろん本意ではない重い病いを背負っている。
今日、西洋医学的な治療をやめることにした。手術はしない・・・
彼女の選択である。このしなやかな結論はずっと以前に出していた。だから特別な感慨はない。

夕食後の雑談。話題は過去の旅になった。
チェコのヤブロネッツからリベレッツに向かうトラムから見た見事な風景や、リベレッツでの迷い子パフォーマンスの話で中程度レベルで盛り上がった。。
それでもって駄文ブログでは「灰とダイヤモンド」に脱線してしまった。

「またヤブロネッツからリベレッツに向かうトラムに乗りたいね」
おれたちにとって、この記憶もあの記憶も光り輝くダイヤモンド。燃え尽きない、決して。