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不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

  カポネ母

2015-03-10 02:00:49 | 酒場にて
  お、おひさ。 お、すんばらく。
 各席にTVをセットしている地元の居酒屋。元TVマンの通称カポネと酒談わめきあい。
 彼の「アニキ」、 とてもマイナーなフリージャズの分野をライフワークにした。
 根っこはゴリゴリに前衛過激派だった。予定調和された音楽なんざイヤでござる。

 音楽は自由でありたい。演奏家は音符を超えた音世界を創る。{異議なし!}
 昨年旅立った。小粋な予言をしていた。「近く京都に引越しします」 菩提寺の墓所だった。

 カポネ母の挿話に感動した。
 「兄弟ケンカした?ガキ時分」
 「そりゃぁ当然だろ」
 「で、殴りっこも」
 「やったやった。アニキは意外にしつこくてさ。最期のあたりになっても説教されたよ、さんざっぱら」
  ふむ。いつも満面スマイルのソエジマさんだった。

 「あるとき、大戦争になった」
 「・・・」
 「参ったよ、おふくろには」
 「・・・」
 「最初、おふくろがさ。鍋のふたを2枚合わせて、そいつをシンバルのように叩く。ジャンジャーンジャーン、やめなさい!・・・それでも取っ組み合いをやめなかった」
 「で?」

 「そしたらさ。次なるアクションには参ったよ。おれたちの目の前に出刃包丁を2本、静かに置いた」
 「ほ」
 「抑制の利いた声でいった」
 「・・ん」
 「あなたたち、この出刃で存分に殺し合いしなさい、と」

 兄弟は目点になる。おたつく、たじろぐ。あな恐ろしや。
 この国の民のDNAなのだろうか・・・良くもやばいもサムライ気質。ジャパニーズ・スピリッツ。

 居酒屋でいろいろ,{醜悪ヨシモトが姑息にもTV各局の株主になって、愚劣芸人をゴリ押し露出させている末法現況etc} わめき合ったけど、なぜかカポネ母の鬼気せまる気合いに感銘した。

 20世紀のある日、経堂のカポネ屋敷の離れを借りていた演劇青年「準備の準ちゃん」の杵臼で餅つきイベント。参加した。{いまマクロバイオテック方面の巨匠。偶然、紗羅と共通の友人だった} 
 そのときに カポネ母と会っているはずなのだが記憶にない。

 わが母親も大正生まれ。出刃こそ持ち出さなかった。でも、ある夕方。
 兄弟ゲンカのとき、ケンカ現場のど真ん中に正座して動かない。無言の行。
 その迫力に圧倒されたある断片を回想した。

 カポネ母の決然とした局面突破、いい話だ。ありえるワンシ-ンだ。 {21世紀ではありえない、か}
 ・・・意味深のバラード楽調だったので、酔いながらPCで遊んだわけであります。

 

 ヒゲを生やした高校生

2015-02-21 18:50:00 | 酒場にて
 クラシックは重音楽とはいわないようだが、軽音楽という音楽ジャンルがある。
 たとえばロックやジャズなのだが、少年たちはなにゆえに楽器を手にしたがるのか。
 答えは明快だ。女の子にモテたい。そこに集約される。
 {女の子の場合はSWだ。そんなのわからねー}

 動機はいたって不純そのものであって、鼻たらしのガキのときはそこそこモテた形跡がある。
 しかしながら音楽少年その後はというと・・・そうはイカのインキンタムシ。
 真っ当路線は少数、離婚者多数。だからどーしたの後半人生、ああ。

 カメラマンQは、「おれはまるでモテなかった。理由は楽器という代物、ギターでさえ弾けなかったことにある」 「・・・・・・{そのすすけたツラのせいだろ・無音声}」
 そんな話題で酒談していると、プロもどきジャズドラマーのMRサイトーのケースが痛快!だった。
 {ガッコ時代は青学の桑田啓祐のバンド「温泉あんまももひきバンド」と張りあっていた。
 学歴的にはセントラル大{アウト}ロー学部卒、越境入部の東工大ジャズ研OBを自称。

 女の子にモテたい一心でミュージシャンにあこがれたMRサイトー、さらには高校生の分際でヒゲをたくわえたという。しかも高1で。
 ローカルではとても考えられない。リベラルという理解を超えている。


 ☆MRサイトーのモノローグ☆

 ~おいらはドラマーなんて歌じゃないけど、中学のときからドラマーにあこがれてさ。もちろん女の子に注目されたいその思い。
 ま、動機はみなさん並みだけれども、ハタチすぎると待てよとなる。
 だんだんと音楽に深くのめりこむようになって、そのうちオンナなんてとなる。当然、だろ。
 だらだら女の子を追いかけるてーケースは・・・ろくな人生にならねー、てなことは百も承知、千も万端、万はコーマンてなもんさ。


 いまでもたまにはジャムセッションで叩いている。あんたに小うるせータイコだといわれながら性懲りもなく。これから夜中のリハーサルに行く。

 おれ、高1になると小粋なヒゲを生やしたミュージシャンよ。 笑っちゃうよな。
 親は剃れだの勉強しろだの一切いわなかったね。おれんちの親、なに考えてんだろ。
 学校?公立だったら問題になったろうけど、私立でさ{特に秘す某セイジョー高校}。鼻のヒゲならセーフだった。
 モミアゲまでやったら校長室に呼び出されたんじゃないかな。あいにく生えなかったけど。

 何十年も前のことだけど、担任の教師も生やしていて、「お、どっちがカッコいいかな」 おたがい競って念を入れて手入れしてさ。
 もちろん高校ではおれひとり。なんてガッコだろうね。

 ヒゲして間もなくのこと、ニホン女子大付属の子が、「キミ、ちょっと付き合いなさい」と逆ナンパされて、そいつは高2でおれが高1だろ。こっちはまるで奴隷さ。
 清く正しく、へこへこデートして、彼女はヒゲ男と歩くだけであとは・・・鉄板。

 これもんでおれはすっかりオンナ嫌いになってしまってさ。おれ15歳の童貞ノイローゼ少年よ。
 かくなる状況を突破するためには、ヒゲを剃って音楽一直線、と思ったけどやっぱなぁ。
 ぶん生意気な年上はいけません。

 そんなときにスーツを着こんで新宿のレコード屋に出かけた。すると街頭でアンケート調査するひとにつかまった。
 調子にのって協力したよ。「ご職業は?」なんて訊く。音楽関係です、なんてね。
 「学園闘争について、同世代の若者としてどう思われますか」なんて訊くから、こっちはオトナ顔して、
 「過激派の連中はなに考えてるんだか共感できませんね」 
 困ったもんだ、と、顔をしかめたりしてね。
 
 こっちはまだ高校生よ、ガキだよ。ヒゲってすごい効果があるもんだと実感させられたよ。いきなりオトナになれるんだもの。

 この一件ですっかり自信がついたんだ。オンナ嫌いよ、さよーならてなもんさ。
 でもって当時はディスコ全盛期だろ。赤坂あたりに堂々と出かけて遊びまくったね。
 ガッコは遅刻覚悟で真夜中までわいわい、お祭りよ。酒とバラの日々よ。ミドル・ティーンだつーのに。

 ヒゲは大ヒットだったよ。白状するとさ、おれには必殺ナンパ作戦があったんだ。
 かわゆい女の子を見つけて やさしく耳打ちするんだ。
 「キミさあ。ヒゲを生やした男とキスしたことがある?」
 みんな未経験に決まってるだろ。そこからが勝負さ。
 おれのヒゲ・マジックは見事に決まったよ。

 殺し文句はさ。
 「だったらさあ、おれと試してみない?いい機会だと思うよ」 
 いやはや当時のおれ、チンチンはかなり忙しかった。 
 こんど高校時代の写真を見せてあげるよ。いまみたいに顔が崩壊してない?よくいうよ。
 
 その後の人生がどーだって? ま、並みにいろいろあり。
 いわせないでくれよ。多少は知ってんだろうけどさ。

 

 

 その男、昭和の説教強盗

2014-08-06 16:50:29 | 酒場にて
 新宿愛住町の残骸風化マンションの一室を借りた。年号が平成になるあたりだ。
 NHKで月給ドロボーをやっているバカが所有している部屋だ。
 「借りてくれよ、な。地名が愛が住む町だぜ。あんたにはお似合いてーもんだろ」  いろいろあった時期だったから乗った。ま、いっか、いつもの調子だ。

 新宿といっても、アクセスは地下鉄四谷三丁目。消防署の小路を入って下る。なむとそこは暗闇坂。急な坂を素っ転んでまだ生きてさえいれば、そのマンションにたどり着く。
 ♪良い子が住んでる良い町はァ、楽しい楽しい愛の町ィ やけくそ原理主義で鼻歌した。

 どうせならエラソーなネーミングにしたいので奇策に出た。オフィス「海舎」にした。会社=カイシャ、スタッフには社長=シャチョーと呼ばせた。「会社の社長」を詐称して小ゼニを稼いだ。

 午後になると近くの雀荘から電話が入る。「おいしいお客がお出でになる」悪魔のお誘いではない。収入源の営業ひとつだ。
 「下手の麻雀好き」新宿や赤坂のお高級なクラブホステスどもが相手だから、常時収入はとても美味だった。

 愛住町に日の出あたりまで営業している居酒屋があった。ある朝の5時ごろ、よろよろっとしたジーサンが忍び足で引き戸をあける。伏し目でぼそ。
 「いっぺぇ、やってくんねぇ」
 おお、江戸弁だぜい。いまごろなら浅田次郎の小説「天切り松闇がたり」シリーズの世界だ。

 店主は黙ってそぅっと茶碗酒を出す。そいつをくいくいぃ、三口、四口ぐらいで飲み空ける。ジーサン、無言で立ち去る。朝もやに溶けた。渋い絵の一幅だ。その男、昭和の説教強盗。本名妻木松吉。
 ドロボーの名横綱、昭和の有名人、石川五右衛門クラスだ。

 こいつはおもろそー。良くいえば仕事のテーマになる。ざっくりいうとカネになる。じっくり観察することにきめた。動機はいつだって不純だ。

 消防署の通りを歩くと、木造アパートのまえでジーサンと年配のオバサンがふたりでのんびり日向ぼっこをしていた。

 いつか仲良しになってやる。活字にしてうまい酒を飲んでやる。それなりに資料を集めて、そのオバサンは看護師さん。刑務所仲間の娘で、頼まれて養女にしたことなどがわかっている。

 説教強盗、妻木松吉。1901年生まれ。左官職人。とてもユニークなドロボーだった。東京市内の新宿、池袋、板橋あたりの民家にそろり深夜訪問する。
 「お静かに願います」といって入場。一家は金銭を差し出す。それから正座でドロボーの追い銭のような説教を謹聴させられることになる。

 「この家は戸締まりがなってねえ」 自分の侵入手口を明かして防犯の不備を指摘する。
 「泥棒除けに犬を飼うもんだ」・・・朝までこんこんとさとす。始発電車の時間になるとす~朝もやの彼方に消える。

 帝都騒然。現代では愉快犯の一種になるだろう。このユニークなドロちゃん、一躍スーパーになった。昭和なる時代のおどろおどろしたダーティー・ヒーロー。

 なかにはわが家にもウエルカムの風潮があったそうだ。強盗さんいらっしゃい。
 はっきりしているのは、この事件をきっかけにして番犬を飼うのがブームになったことだ。
 戦後になって出所してから新宿末広亭で「防犯講演」なる演し物をやって評判を得たくらいの、よっ、ワルのデェートーリョー!一世風靡した。

 妻木松吉は平成の世になろうという現代にリアルタイムで生きていたのだ。絶望の暗黒の時代を総括するのにふさわしい存在のひとりといえる。
 昭和のビッグスターの「あの人はいま」が、愛住町でのへら~と日向ぼっこをしている。そっち関係を生業としている身にはおいしそうな素材であった。

 昭和裏面史を証言者としてご登場願いたかった。なにそろ海千山千の怪人だ。一筋縄ではない。たぶん誇大、嘘八百を並べられることになるのは想定内だ。
 したたか帝王だ。千三つ、つまり1000分の3しか真実はない!ノンフィクション分野では<犯罪者のホントの証言は1割>が相場だ。それはまたそれ。漫画チックで痛快そうだ。


 ☆当方、私的キホンは<ただいま夏期冬眠中>つづき予定は・・・はしょるのでござる。
 <メモ>1929年{昭和4年}逮捕。無期懲役。獄中で井上日召(右翼団体血盟団のリーダー)や河上肇(マルキスト)らと出会い、左右両翼の大物から諭されて、文字を習った。
 1947年{昭和22年}出所。獄中18年。<戦争を知らない明治男>
 永い戦後の暮らし向きは生活保護。1989年{平成元年}89歳で死亡。

 ○新橋の出版社にいた友人が「烏森の飲み屋にチンチンカットの阿部定がいたぜ」タイの幼妻ハーレムの玉本敏雄をチェンマイに取材に行ったぜ」こっちは説教強盗で勝負してやる。対抗心めらめら。

 ○ところがぎっちょん。飲み仲間の作家Nに説教強盗の話題をした。その10日後のサンデー毎日に彼の記事が掲載された。Nは「すまん。結果としておれがリークしたことになる」

 ○直後にくだんの飲み屋から出禁の宣告。「わけのわからないライターが多勢やってきてトラブルになった。あんたのせいだ」どうやら本人が取材協力費などでもめて、店のおやじが巻きこまれて迷惑したという。必然な流れとしてボツにした。
 ○その後、妻木は愛住町から老人ホームへ転じた。

 ○ことし。野暮用で四谷三丁目に出向いたさいに、くだんの飲み屋を数10年ぶりに再訪。亭主が覚えていてその話題に終始する。彼は妻木老を尊敬していた。

 てなC調なメロディラインを予定していたわけでありまして。  FIN