うんざり雨がどうしても止まない。軒下に落ちる雨音に、ポトンポトンとした単調な弦の音色もほしい・・・。
ラオスの首都・ビエンチャン滞在は一週間が過ぎた。24時間40円ほどのレンタル自転車は借りっぱなしだ。首都といっても独立記念塔を中心にした小さな町だ。舗装されていない裏町に入り込み、地元の人たちにまざって飲み食い、僧院でシャワーを借りた。孤立した旅人は奔放だ。
ラオスの表通りはタイ語が通じる。小ホテルのレセプションのきれいな女性に、いわくありげにタイ語で、この街には地獄みたいな天国はあるのかい、と聞いてみた。首を横にふった。
翌日、同じ質問をしてみた。タイ紙幣を何枚かそこらにあったパンフレットに忍ばせて渡した。
「メコン川岸の一番大きな木の下の屋台」。地獄みたいな天国行きのヒントをもらった。
ぱらぱら雨、が降り続く。民家にもう一階分を付け足したホテルの三階の部屋では、天井のファンが回り続ける。止めようにもスイッチが見当たらない。壁面には遠慮なくやもりが運動会をやっている。
ホテルの食堂で「元日本人」に出会った。「ニホンゴ、ワスレタヨ」」タイ北部に住む原籍台湾人。旧帝国陸軍兵。敗戦後はタイにとどまって、そのまま定住した老人と、そのワイフだった。もっと話したかったのだが、その日はラオス観光を終えて帰国する朝だった。
この国のアジア侵略史の傷跡と、一瞬交差した。
明るいうちに自転車で見つけておいた場末のBAR。客になった。
ホステスは例外なく「今晩、ハネムーンをしよう」と誘ってくる。「明日にしよう」こんな毎日では退屈する。まして雨。
ホテルのおねえさんに聞いたポイントに、重たい自転車を走らせた。
メコン川沿いの大樹の下、川風が通り抜ける屋台は店じまいをしていた。西日の残照を受けた川面に、ひかりの波紋がきらきら流れる。
「ここでビールを飲めたらなあ」残念そうなゼスチュアをすると、片付けに忙しいおばさんはいってくれた。
「わたしの家で飲む?」もちろん。椅子、テーブルを樹木にくくり付けて、飲み物類を自宅に運ぶ手伝いをする。全身好奇心の旅人は、こんなところで点数を稼ぐ。
おばさんの家は無造作な二階建ての家屋。急な階段をのぼった台所兼居間。階下では豚がきーきーわめいている。天然肥料とお香の匂いが充満する。おばさんが出してくれた豚の血漿を固めた具入りの春雨、ニワトリの足などをいただく。
「ラオスのウイスキー」各種を賞味した。強いのか甘いのか判断しにくい飲み物だ。
「あの人たち、なに?」と聞く。「わからない・・・」おっさんたちが、こそこそと目の前を往来するのだ。みんな無言だ。もしかして天国?地獄?
気配でわかった。匂いでわかった。二階の奥の間はオピューム・ルームだった。そこら中に漂う妖しいけむりにほろ酔い気分になる。
とても静かだ。確かに視線の先に魔界がある。
おばさんに目で合図する。「ラオス・ブッダ?」うなずく。そのまま沈んだ。
霧雨の町を、自転車をこいでホテルに戻ったのは、その二日後だ。
長大なメコン川にかかる唯一の橋、国境の橋。ニホンで使いきった中古のバスを乗り継いで、タイに向かう。座席の隣りではメガネをかけた老僧が、煙草をゆったりとたしなんでいた。
この国の戦中、戦後に奇怪な男がいた。辻正信。元帝国陸軍の大本営参謀。後年「虹色のトロッキー」と呼ばれた連戦連敗の、狂信的で犯罪的な軍人。むちゃくちゃな戦略立案者だった。数万人の自国兵士を犬死させた張本人。A級戦犯は避けて通れない。
ところが、敗戦となると、この男は降伏より逃走を選んだ。さっさと僧に変身してインドシナで沈殿する。どうやら昨日の敵、蒋介石軍の参謀として、インドシナから中国大陸を転々としていたらしい。
この男、ただものではない。三年後にはこっそり帰国して戦犯免除となる。どうもアメリカ軍に情報提供することで、司法取引きを果たしたようだ。そのうちに、単行本「潜行三千里」を書き、一躍ベストセラーの著者。はては国会議員にまでなってしまう。
「わしの体内には、五か国の弾丸が入っている」
「智者は説き、愚者はアジれ」などと吹きまくっていた。
ところが、現役の国会議員であった1961年、忽然とその姿を消してしまったのだ。民主国家に舵をとったこの国に、安住したくなかったのか。
「インドシナ情勢を探りに行く」僧衣をまとったメガネ老人が、タイからラオス・ビエンチャンに潜入したことは確認されている。以来、消息不明。
奥アジアの秘境、深いジャングルに消えた元参謀。映画化してもおかしくない異界の人物である。
ー何度も僧衣をまとった辻正信の幻影を見た。そればかりではない。いろいろと話した。実をいえば、あんたに会えるかも知れないとビエンチャンに来た・・。
「発想はよし。しかしながら、わしはこうして貴公の眼前におるようで、まぼろしのようでもある。ま、この地でアジアの20世紀を俯瞰してきた」
よく、いうよ。興味があるのは、あんたの最期を見た、知っているという証言だけだ。ちょっとした原稿料稼ぎ。最高はあんたが書き遺した日誌発見。メモでもいい。
「貴公も阿呆だねえ。わしほどの見識と実行力があれば、末期にアリバイは決して残さない。東南アジアの赤い大地ににじんで消え果てた。ざまーみろ」
ところで、あんたの実相は何なんだ。正確にいえば、敗戦後になってなお狂い続けた帝国軍士の残滓。かっこつけて評価するなら、アジアの夜明けを夢想した老残ロマンチスト。
こらぁ、元参謀とやら。またまた潜行記のネタ探しに来たのか。それとも、ベトナム戦争の仕掛け人はわしだなどと広言したいのかい。一体偽坊主のあんたは・・・闇の時空間。
バスは国境の橋を渡る。雨季のメコンの大河は、赤茶けてくすんだ色の大奔流だ。もやった上流から、悠然と森が流れてくる。樹木が寄り添って森を作り、それらが集合体になって迫ってくる。木造の家屋が原型をとどめたまま流れる。水牛の死骸も。戦乱期には、人間のそれも大量にあったはずだ。
橋がなかった時代、船による雨季のメコン渡河は無理だったような気がする。川に真ん中あたりは、そんな激流だった。
あっけなく対岸のタイに着く。バスの乗客は全員パスポート・チェックの列に並ぶ。隣りにいた老僧は、そんな光景に目もくれなかった。ゴムぞうりですたすた歩いて行く。後姿にまたしても辻正信。
ふり向けば霞んで見えるラオスの地平。
ラオスの首都・ビエンチャン滞在は一週間が過ぎた。24時間40円ほどのレンタル自転車は借りっぱなしだ。首都といっても独立記念塔を中心にした小さな町だ。舗装されていない裏町に入り込み、地元の人たちにまざって飲み食い、僧院でシャワーを借りた。孤立した旅人は奔放だ。
ラオスの表通りはタイ語が通じる。小ホテルのレセプションのきれいな女性に、いわくありげにタイ語で、この街には地獄みたいな天国はあるのかい、と聞いてみた。首を横にふった。
翌日、同じ質問をしてみた。タイ紙幣を何枚かそこらにあったパンフレットに忍ばせて渡した。
「メコン川岸の一番大きな木の下の屋台」。地獄みたいな天国行きのヒントをもらった。
ぱらぱら雨、が降り続く。民家にもう一階分を付け足したホテルの三階の部屋では、天井のファンが回り続ける。止めようにもスイッチが見当たらない。壁面には遠慮なくやもりが運動会をやっている。
ホテルの食堂で「元日本人」に出会った。「ニホンゴ、ワスレタヨ」」タイ北部に住む原籍台湾人。旧帝国陸軍兵。敗戦後はタイにとどまって、そのまま定住した老人と、そのワイフだった。もっと話したかったのだが、その日はラオス観光を終えて帰国する朝だった。
この国のアジア侵略史の傷跡と、一瞬交差した。
明るいうちに自転車で見つけておいた場末のBAR。客になった。
ホステスは例外なく「今晩、ハネムーンをしよう」と誘ってくる。「明日にしよう」こんな毎日では退屈する。まして雨。
ホテルのおねえさんに聞いたポイントに、重たい自転車を走らせた。
メコン川沿いの大樹の下、川風が通り抜ける屋台は店じまいをしていた。西日の残照を受けた川面に、ひかりの波紋がきらきら流れる。
「ここでビールを飲めたらなあ」残念そうなゼスチュアをすると、片付けに忙しいおばさんはいってくれた。
「わたしの家で飲む?」もちろん。椅子、テーブルを樹木にくくり付けて、飲み物類を自宅に運ぶ手伝いをする。全身好奇心の旅人は、こんなところで点数を稼ぐ。
おばさんの家は無造作な二階建ての家屋。急な階段をのぼった台所兼居間。階下では豚がきーきーわめいている。天然肥料とお香の匂いが充満する。おばさんが出してくれた豚の血漿を固めた具入りの春雨、ニワトリの足などをいただく。
「ラオスのウイスキー」各種を賞味した。強いのか甘いのか判断しにくい飲み物だ。
「あの人たち、なに?」と聞く。「わからない・・・」おっさんたちが、こそこそと目の前を往来するのだ。みんな無言だ。もしかして天国?地獄?
気配でわかった。匂いでわかった。二階の奥の間はオピューム・ルームだった。そこら中に漂う妖しいけむりにほろ酔い気分になる。
とても静かだ。確かに視線の先に魔界がある。
おばさんに目で合図する。「ラオス・ブッダ?」うなずく。そのまま沈んだ。
霧雨の町を、自転車をこいでホテルに戻ったのは、その二日後だ。
長大なメコン川にかかる唯一の橋、国境の橋。ニホンで使いきった中古のバスを乗り継いで、タイに向かう。座席の隣りではメガネをかけた老僧が、煙草をゆったりとたしなんでいた。
この国の戦中、戦後に奇怪な男がいた。辻正信。元帝国陸軍の大本営参謀。後年「虹色のトロッキー」と呼ばれた連戦連敗の、狂信的で犯罪的な軍人。むちゃくちゃな戦略立案者だった。数万人の自国兵士を犬死させた張本人。A級戦犯は避けて通れない。
ところが、敗戦となると、この男は降伏より逃走を選んだ。さっさと僧に変身してインドシナで沈殿する。どうやら昨日の敵、蒋介石軍の参謀として、インドシナから中国大陸を転々としていたらしい。
この男、ただものではない。三年後にはこっそり帰国して戦犯免除となる。どうもアメリカ軍に情報提供することで、司法取引きを果たしたようだ。そのうちに、単行本「潜行三千里」を書き、一躍ベストセラーの著者。はては国会議員にまでなってしまう。
「わしの体内には、五か国の弾丸が入っている」
「智者は説き、愚者はアジれ」などと吹きまくっていた。
ところが、現役の国会議員であった1961年、忽然とその姿を消してしまったのだ。民主国家に舵をとったこの国に、安住したくなかったのか。
「インドシナ情勢を探りに行く」僧衣をまとったメガネ老人が、タイからラオス・ビエンチャンに潜入したことは確認されている。以来、消息不明。
奥アジアの秘境、深いジャングルに消えた元参謀。映画化してもおかしくない異界の人物である。
ー何度も僧衣をまとった辻正信の幻影を見た。そればかりではない。いろいろと話した。実をいえば、あんたに会えるかも知れないとビエンチャンに来た・・。
「発想はよし。しかしながら、わしはこうして貴公の眼前におるようで、まぼろしのようでもある。ま、この地でアジアの20世紀を俯瞰してきた」
よく、いうよ。興味があるのは、あんたの最期を見た、知っているという証言だけだ。ちょっとした原稿料稼ぎ。最高はあんたが書き遺した日誌発見。メモでもいい。
「貴公も阿呆だねえ。わしほどの見識と実行力があれば、末期にアリバイは決して残さない。東南アジアの赤い大地ににじんで消え果てた。ざまーみろ」
ところで、あんたの実相は何なんだ。正確にいえば、敗戦後になってなお狂い続けた帝国軍士の残滓。かっこつけて評価するなら、アジアの夜明けを夢想した老残ロマンチスト。
こらぁ、元参謀とやら。またまた潜行記のネタ探しに来たのか。それとも、ベトナム戦争の仕掛け人はわしだなどと広言したいのかい。一体偽坊主のあんたは・・・闇の時空間。
バスは国境の橋を渡る。雨季のメコンの大河は、赤茶けてくすんだ色の大奔流だ。もやった上流から、悠然と森が流れてくる。樹木が寄り添って森を作り、それらが集合体になって迫ってくる。木造の家屋が原型をとどめたまま流れる。水牛の死骸も。戦乱期には、人間のそれも大量にあったはずだ。
橋がなかった時代、船による雨季のメコン渡河は無理だったような気がする。川に真ん中あたりは、そんな激流だった。
あっけなく対岸のタイに着く。バスの乗客は全員パスポート・チェックの列に並ぶ。隣りにいた老僧は、そんな光景に目もくれなかった。ゴムぞうりですたすた歩いて行く。後姿にまたしても辻正信。
ふり向けば霞んで見えるラオスの地平。