不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

おれの8・15

2007-08-15 12:39:08 | Weblog
引き戸の狭いすき間から、大きな蝉が乱入した。「キミはおれの食材ではないよ」とつぶやく。
IQ度の高い蝉だ。入ったポイントを知っていた。ばたばたばた。青い空に戻った。
8・15 ニホンの敗戦記念日。ぶざまな歴史を刻んだ、記憶されるべき日だ。

ヒットラー暗殺を企てたドイツの神学者が処刑された。彼はいっている。
<神の前に、神とともに、神なしで生きる>
偉大なる宇宙に対しては神も仏もない。いくら祈りを捧げても、邪悪なヒットラーの前には無力である。キリストも偶像にすぎない。もちろんブッダも。

しかし。人間には祈るべき宇宙がある。無神論者にも宇宙は存在する。
宇宙はわたしたちそのもの。わたしたちのいのちはわたしたちが決める。

この国は神の代理人に偽装した当時の為政者にだまされて戦争にひきこまれた。そして62年前の必然の敗戦。
おれは蝉でいい。邪悪な神に化けた権力志向のバカどもに殺されるよりは。

外国に行くと、おれたちの宗教はブッディストということになる。ふだんは自覚がないから、「あれ、おれって仏教徒なんだ」思い知らされる。見物がてら教会に出かけて合掌する。小銭を寄付したりする。
こころに残るシーンがあった。チェコ・プラハの教会。
いかにも地方からやって来たかのような集団が静かに、しかし祈りの思いのたけをこめてアカペラで宗教歌の合唱。巡礼の人たちだろう彼らの歌は、音楽である前に祈りであった。いまの安らぎに感謝して、未来の安らぎを乞いねがう。平和がいちばん。

尊敬している親戚のおじさんがいる。もう85歳になった。先日、久しぶりに話した。
農家のかけがいのない一人息子を戦争指導者は徴兵した。海を見たこともない彼は帝国海軍に引っ張られ、ビンタを食らい、その果てには乗船していた戦艦信濃がアメリカ空軍のエジキにされて沈没、漂流。九死に一生を得た。
「炎の海に投げ出されて、もう、こりゃダメだというときよ。母親の声が聞こえた。サダオォと叫ぶ声で、おれはよし何とか生きてやろうという力がわいてきたっけ」人間には祈るべき神がいるのだ。母という神。
<菊の紋章の前に、菊の紋章とともに、菊の紋章なしで生きのびた>

「おじさん、そんな話を孫子の代まで、いやいまの若い人に機会あれば語り継いでよ。頼むよ。いのちは神さまを利用する連中のためにあるんじゃないよ、と」
「わかった。しっかし、おめーらだって多少は経験したりいろいろ知っているべさ。おめーらも口をとんがらしてノドを嗄らしてしゃべって伝えてけれ」
1945・8・15 真夏。うるさい蝉の音をBGMにして、ラジオから異様なニホン語が流れた。オトナたちは泣いていた。「やっと終わった」というセリフも聞いた気がする。

敗戦日以降の数年、このニホンにいまでいう所のストレスというやつはどこにもなかった。みんな生き抜くために思い悩んでいるヒマはなかった。知り合いの精神科医の話である。
祖母がいった。「松川さんていい人のようだな」食糧事情が最悪だったこの国に、家畜のエサを気前よくくれたマッカーサー元帥のことだ。

確かなことは、おれたちの年代は「松川さんの援助」で餓死しなかった。生きのびよう・・・この向上心にストレスは介在しない。こんなこと考えると、この国の指導者は敗戦後おれたちに何をしてくれたんだろう。<耐えがたきを忍び、忍びがたきを耐え>やっこらさ生きてきたのはおめーらのおかげじゃねーぜ。。

安倍首相のじいさんとその最悪の仲間たちが・・・彼らが目指したのは国家権力の保持がすべて。戦前も戦中はもちろん、戦後に至っても。
兵士を、民間人を盾にして、無残に死地に送り、自分たちはズル賢く生き残った。結果責任を負うという人間の原則すら無視して国家権力を手放そうとはしなかった。
アジアの占領地から収奪した貴金属などの資金をもとに党派の旗を立てた。彼らはいま自民党と名乗っている。――「美しい国」よくいうよ。

生まれかえったら蝉になってやる。戦争を遂行した責任者たちに、敗戦記念日には耳元でがなり立てて発狂させてやる。
おめーらは神の代理人と詐称してこの国を破壊した。民草はそのことをよ-く知っている。おれらは神なしで生きる。神は自分の宇宙のなかにあるのだから。