不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

 その夏、の物語

2015-08-07 13:06:22 | ちょっといい話
 その夏の甲子園のヒーローは、ハンサムな混血の快速球投手だった。
 決勝戦で延長18回をひとりで投げ抜いて0-0の引き分け。翌日の再試合も全イニングを投げたが2-4で敗れた。

 1969年夏、東北の無名の高校が準優勝、決勝の相手は名門松山商。そんな惜敗のドラマがあって悲運の「幸ちゃん」はその夏のスーパーヒーローになった。
 青森・三沢高校のエース太田幸司。

 焦げるようなクソ暑いニッポンの夏は甲子園球児たちの青春の汗と涙が天下を取る。メディアは彼らの泣ける話、つまり美談を探しまくる。
 {純!な高校生だから恋人との別離は考えにくいが、肉親との死別などは活字メディアにとってごちそうだ。来年には「パパ球児出現」のニュースを期待!}
 大田幸司はおいしい話の無限の宝庫だった。
 母親のタマラさんの存在だ。

 戦時中、タマラさんはソビエトで太田さんと熱愛の仲だった。
 戦後になって彼女がやっとのことで海を越えて青森駅にたどり着いた。
 <青森出身・太田>ヒントはそれだけだった。愛する人に再会したい一途な乙女心。

 駅頭で途方にくれる、言葉もままならない異国人に県紙東奥日報が反応してくれた。
 尋ね人・・・記事が出て間もなく愛する男性と劇的な再会。
 国境を越えた愛。しかも日ソの間には深い溝が背景にあった時代だ。
 その結晶の大田幸司。晴れて甲子園のヒーローという図式だ。
 たしかに風貌は色白のハンサムな外国人であって、アイドル人気は沸点に達した。


 個人的に野球は嫌いだ。暑苦しい高校野球を見るのは拷問だとうそぶいている。
 青いガキのころ野球記者なんぞをやって、毎日毎日の仕事が野球を見る。うんざりだった。

 試合が9回裏に同点になって延長戦となると、記者席全体が「あ~あ、ばっきゃろー」絶望のため息になる。
 その発声が人一倍でかかったので、先輩記者にいつもにらまれた。
 こと仕事となると、ゲームが勝った負けたはどうでもいい。頼むからさっさと終わってくれ。

 甲子園にも出張した。美談探しがテーマであったから、試合なんかはどうでもよかった。
とりわけ1日に4試合。地獄で業火もんで、その朝は「死んでもいのちがありますように」と神仏に祈りたかった。
 よく隣りの甲子園プールで息抜きをした。派手めの柄パンツのままでシカとして泳いだ。やんちゃな悪童記者だったと総括する。

 太田幸司の持つ物語は破格のおいしい話だった。
 こいつをふくらませるともっと泣ける記事にな。確信して甲子園から青森に直行した。
 三沢に行ってタマラさんに詳しく話を聞こう。
 当時は飛行機移動なんて時代ではないから鉄路、急行でのたのた。

 タマラさんは不在だった。周辺取材をする。
 と、近所のおばさんのさりげない土地言葉の証言にヒクっとした。

 「幸ちゃんのことだべ。なに、新聞もテレビもタマラさんの子どもになって・・・そんなことはねーし。タマラさんに子どもが出来なかったはんで、はあ」
 ほう。

 「幸ちゃんは養子だはんで。あの子はしな。アメリカの軍人が浅虫温泉の芸者に産ませたワラシだ。ソ連人の混血でねーてば。アメリカ人の子だ」

 事実だとすれば、真夏の鉄路移動は大漁旗だ。複数の人から同じ話を聞いたから間違いない。
 ならば実父の米兵と実母をえぐりだすか。
 とりあえず記事にした。現地に出かけただけで苦労はまったくしていないが、ちょっとした泣かせスクープだった。

 そのころは、とことん野球に醒めていた。週刊誌や本のゴースト、ラジオの台本書きとアルバイト原稿に忙殺されていた。他社の文化部からオファーもあった。
 おれはやめる。居直っていた。

 太田幸司の出生のことも知り合いの週刊誌に売りこんでやろうとした性悪だ。
 でもなあ。三沢までの出張費は新聞社が出したからなあ。自分なりの仁義を守った!ブン生意気なガキ。
 その後まもなく野球から開放された。

 数世紀前の「その夏、の物語」・・・タイトルは思わせぶりなのだが、この程度のセコイ昔日の雑件1だ。
 ことしは甲子園の記念大会ということで、ジサマ風情になった太田幸司がニュース番組に出演していたから思い出した。

 にしても。ことしは乱暴な暑さだ。
 野球は嫌いだから、せめてサッカーを好きになろう。こう自らをいい聞かせてテレビで東アジアのチャンピオンシップを眺める。
 男女とも沈没した。
 ふんだ、こうなると腹いせするしかない。敗因はテレビ中継しているフジテレビにある。

 貧乏神のフジテレビが放映したからサムライ、なでしこが惨敗した。こう強調したい。
 だったらどのテレビ局にやってもらいたいのか悩む局面だが、さーて。どうでもいいけどさあ~。
   

夜叉の群れ

2009-06-20 01:57:31 | ちょっといい話
コーヒー屋に行って100円玉2個を出す。いかにも新人といった店員が応対した。
「ブレンドの小」
「はい、ブレンドのSサイズですね」念を押すように聞いてくる。
「小さいのだよ」
「Sサイズですね」・・・くどい!

こっちは怒りっぽいお年頃だ。注文するだけでエネルギーを消耗したくないから、この場面はむっとしてやり過す。
最初っから「時代と寝て」Sサイズというべきだろうか。悩む局面だ。

マニュアル社会になった。マニュアル人間にならなければ生きられない時代になったようだ。
こうした飲食店では「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の言葉が実に多用されている。アナウンス・テープみたいに人間味のない無機質な声で飛び交う。
マニュアル人間どもはシステマチックなロボットになった。100円玉2個の客を含めてあらゆる客は流れ作業の「1件処理」でしかない。

そのコーヒー屋には毎日出かけている。店の右側面にもテーブルがある。野外席である。
パイプの椅子にもったりと座ってコーヒー&シガレット。至福の時間である。
対面は雑居ビルのうらさびれた壁面で、いささかの風情もない。
しかし・・・自分を孤立状況に追い込むという快楽がある。

目をつぶってソフト瞑想にふける。実際は擬似幻想、お遊びハイなのだが。
するとどうだ。視界には紺碧に輝く海の眺望が広がる。そろりと吹く南国の風は潮の香りがして清しい。
波がざわっと岸辺を洗う。
雨の日はビルマの朽ちた僧院にしたたる水滴の音楽をイメージする。メロディ・ラインはねむりを誘う心地よいとても単調なリフ。百年王国か。

ざざーっと驟雨・・・と思ったらクルマが通り過ぎたその音だった。
あらゆる幻想は現実の前に敗走する。こてんぱんに粉砕される。
生来がさつな男でも全理解している。メデテ-ションなんて境地にはとてもとても。邪念のほうが親密な友だち。

野外席にいると、そこは駅に続く小路になっているから、知り合いが通りかかる。ヒマそうな御仁はいつの間にか隣りでコーヒーをすすっている。
今日はいつもダンディなジュンだった。元前座歌手、離婚4回。
「おれもコーヒー・タイムにするか」黄昏どきのおしゃべりだ。

飲み屋などの内装工事の親分をやっているジュンは「おれは昔ヤクザだったんだ」という。
「だから、それがどうしたんだ」と突き放すとニヤリ笑っていった。
「ヤクザだった男が更正して、いまはまともなカタギをやってるんだ。そこんとこを強調したかったんだ」あはは、あはは。

「これでもよう。おれは小学校では麻生太郎の嫁さんと同級生だからね」
「えらいねぇ。それで、スカートでもめくったか」
「まーた、それだよ」

こっちは生意気にも人間観察というか、好奇心のレベルが高いせいか、関心のある話題には食いつく。

ジュンの話。
ウチの仕事を手伝っているアサ坊てやつ、こいつはナッパ服を着て、率先して便所掃除をするタイプだけど・・・おれみたいに第一の人生を卒業したね。まだ25歳だけどね。
サッカー少年だったようだが、マスクがいいもんだから、新宿でホストクラブでモテモテだったらしい。

それで3年間で2億円を貯めた。大金だよ。そのカネを、とことん惚れていたトルコ嬢にそっくり取られた。つまりトルコ嬢の裏には怖いヤクザが付いてたってことさ。
一文無しになっていたところをおれが拾ってやったけど、「フツーのいまの暮らしが最高」だとさ。おれの息子にしたいほど好青年だよ。
寄り道をしたけどね。いや、寄り道したほうが真っ当な人生につながるんじゃないか。

この間、オールナイトの仕事があってさ。おれもいい気になって若い衆に1万円づつ渡した。早朝トルコは半額だからね。行って来いと。
そしたらアサ坊だけは「行きたくないし、カネもいらない」てんだ。
2億円も溶かした魔窟に近づきたくないってことだろうね。

ジュンは「煙草の予定数の3本はすった。さぁ現場だ」といって帰った。
大都会には悪魔のような天使がいる。天使のような悪魔がいる。うじゃうじゃいる。
真夜中の新宿を彷徨する連中は、雌雄例外なくみーんな堕天使。夜叉の群れ。
おれは通り過ぎた。まぎれもなく夜叉の群れのひとりだった。
後悔を重さにすると1グラムもない。

生きたいように生きる。とても難かしい、やっかいなテーマだ。

もち明日もコーヒー屋に行く。孤立という快楽をエンジョイしたり、悪友たちとヨタ噺をしたり。

真夜中のジャック・ニコルソン

2006-02-03 20:49:28 | ちょっといい話
JAZZYなBAR AM1:06 晴れ 気温0度

さっぶいねえ。お、しばらく。
そう、あれから一年ぶりだよ。ちょうど365日目。おれはちゃんと記憶している。個的な記念日てぇところだ。
この日には飲もうと決めていたんだ。あ、酒なら何でもいいよ。ビール?いいね。でっかいの頼む。

何軒目だろう。どうでもいいけど、今日は飲む、と楽しみにしてたんだ。うれしいねえ。ジャズてぇのもいいねぇ。酒とジャズ、とても滲みます。
次回というか、再会はまた365日後になるかも知れないけどさ。

いま深夜の1時だろ。1時間は飲める。こうやって酒場で一杯やるなんて、あの日以来さ。
「明日からおれは真っ当な人間をやる。これから2~3時間寝て新聞配達だ。決めたんだ」なんて、大袈裟にここで宣言をしたのが去年の今日。覚えてるかなあ。
何日続くか賭けをしようといったのは、あんただよ。

続けているさ。58歳の新聞配達マン、心身ともに絶好調です。
でもって今夜で365日目、一杯ぐらいおごってもいいんじゃないの。
今日は思い切り安い居酒屋をはしごして、ここがゴール地点。2時にはウチに戻って、仕事のスタンバイ。睡眠時間はゼロ。完徹飲酒よ。・・・ううう、あー、うめえ。

おじさん走ってるよ。負けねーよ。まだまだへこむわけにいかねー。
毎日2時15分には起きる。タイム・スケジュールは完璧だね。2時45分には新聞販売店に出る。トラックで配送された新聞に折り込み広告を入れて、3時半にはバイクに乗って、ざっと10キロは走り回る。時給890円。
ウチに帰って7時のニュースを見ながらめし食って、7時38分のラッシュの電車に乗る。

背広にネクタイを決めて、サラリーマン。ちんけな会社だけど、これでも一応は役職が付いてて、年収は500万・・かな、毎日残業して。会社を出るのは9時10時になるかなあ。
てなわけで配達のほうは、夕刊は不可能。もちろん会社には内職のことは内緒。

ナポレオンじゃないけど、人間は一日3時間寝るだけで十分。もうすっかり馴れちゃったよ。
汗をかく仕事と、ネクタイを締めてへこへこ頭を下げているばかりの仕事のかけもち。超売れっ子アイドルって路線さ。20時間労働者、成せば成るってもんよ。

冬場は寒い?冗談じゃない。快適そのもの。とりかかって20分もすると体がポッポッしてきて、まさにみなぎる充実感てぇ感じ。高層マンションなんかでもさあ、エレベーターなんか利用しないよ。もっとも、あれを待っていると時間的効率が悪いからね。

つらいのは夏だよ。暑さで体力は磨耗するし、最悪は頭。バイク乗ってるから、ヘルメットを被る。まいいかって脱いでいると、ヒマコキ中のおまわりにコラコラやられるし。あいつらの点数稼ぎに付きあっているヒマはねーてんだ。税金泥棒め。
おかげで髪の毛がほら、すっかりまばらになってハゲてしまって・・カミさんはジャック・ニコルソンみたいで惚れ直したわよ、なんてぬかしやがるけどね。

JAZZYなBAR AM1:32 晴れ 気温マイナス1度


お、ビールをごちそうしてくれんの。有難くて涙がちょちょぎれます。いただきやす。
ああ、なまんだなまんだ。
・・・1年前に告白したよな。酒とジャズが好きな実直なサラリーマンが、ひとりの女に、それも大金のかかる女に入れあげて、絵に画いたように地獄に堕ちた話をさ。薔薇の日々をやっちゃた。

男がカミさん以外の女に惚れて、とことん尽くすてぇのは自由だ。世間様が不倫だ、モラル違反だと非難するのも自由だ。ここまでは何の問題はない。
おれの人生はおれが決めるってもんだ。

その顛末が、別れただのお粗末な一幕で収まればいい。おれの場合は金だ。借金をごそっと背負ってしまった。
結果として経済的に破綻して・・・サラ金からやくざ絡みの町金融にまで突撃して自爆したというわけさ。カミさんにも全容がばれちゃった。さあ、どうする。

おれだって、自己責任てぇ言葉はもちろん、その意味するところも知っている。そこには醒めきったぶざまな自分がいた。
でもって、ポイント部分を修正しようという結論に達した。つまり負債をゼロにして、人生をやり直すことに徹しようと。時間と肉体があればなんとかなる、地道にコツコツやるしかないと。

偉いって?よくいうよ。誰にだってそれなりの物語はあるだろ。おれの場合は単なるどっかのバカ。恥さらしの終着駅さ。これも人生。
カミさんだって、張りきってパートタイムをダブルでやっててさ。
雨降って・・じゃないけどいまは「ラブラブの関係」って、子どもたちや兄弟どもにひやかされているんだぜ。

いま現在の一番の幸せはね、明日は年に何回かある新聞休刊日って夜の午前2時15分。仕事の習性だろうね。この時間には決まって目が覚めるんだ。

ん、ちょっと待てよ。ああ、今日はこのまま寝てもいいんだ、と思った瞬間だよ。
<おれって、幸せだなあ。なんて幸せなんだろう>天にも昇る恍惚感にひたる。
他人が見たら、顔は最高の笑顔になっていると思う。

JAZZYなBAR AM1:58 晴れ 気温マイナス2度


よく飲んだなあ。おいしい酒だった。
愚痴も聞いてもらったし。ビル・エバンスの死ぬ直前にレコーディングしたピアノも聴いたし。ああハッピー。爽快感。

実をいうと、365日の休肝日だったんだよ。わかるだろ。どのくらいの味わい深いか。
酒、断っていたんだ。そうさ。あんたに嘘つく理由はあるか。
それでね、さっきまでカミさんと一緒だったんだ。ふたりで休肝明け記念日にしよう、なんてね。居酒屋で梅干し入りの焼酎とやきとり、いか納豆。
アイコンタクトでカンパーイなんかしてね。
でさ、カミさんが「たまにはジャズ聴きたいでしょ」てなわけで・・。泣かされるだろ。あ、ジョークジョーク。

ほら、さっき頭の毛がジャック・ニコルソンになった話をしたよな。それにつなげてカミさんがいうんだ。
「人間の顔って、普通はその人の人生がどこかににじみ出るもんでしょ。あんたなんか絶好のサンプルよ」
その点、ホリエモンの顔には、人生や生活感がまったくない、と。

あ、そうだな。同感だった。そう、思うでしょ。
ワンクリックで何千万という数字をあやつってマネーゲームをしている連中には、顔も表情も感情もない。視野は平面的で金銭欲がすべて。
もっといえば、ちゃんとしたセックスをする器量もない。オナニーしかできないロボカミさんにいわせりゃトミー。女性の生理なんか想像もしたくないようなガキ。マンガの世界だよね。
カミさんにいわせりゃ、まともに生きているってのは顔にきっちり出るもんだ、おれに顔がなかったとさ。

いい視点をしてんなぁ、感心したよ。と同時にぎくり。きましたよー。
おれ内心では「ちょびっと金をくんないかなあ。だったら、支持してやっても」なーんて下卑たことも考えていたんだ。カミさんに見抜かれていたんかなあ。

甘いねぇ、男って。
あ、失礼。反省。猛省。おれだけが甘いんだ。
あーやだやだ。おれって、懲りないとんちき野郎だね。どこがジャック・ニコルソンだてんだ。

帰ります。ごちでした。これから、ウチで渋茶を一杯すすって仕事です。
こんどは365日後になるかどうかねぇ。
目標地点は「あと500日」に設定しているんだけど・・・。
ま、これもハゲ男のセラヴィ、人生いろいろということで。おやすみぃ。

[欧州連合の母」は明治なでしこ

2005-08-25 14:10:36 | ちょっといい話
名高いフランスはゲランの香水「ミツコ」。青山みつ{1874~1941}という日本女性をイメージしてネーミングされた。わりと知られている話だ。というのは、長年にわたるNHKスペシャル:吉永小百合:彼女のライフワークのひとつ、と連想して、あ、あれだ、ピーンとくる人が多いと思うからだ。
ハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵夫人ミツコ.


おばかな友人が、名刺にボギーのイラストを刷り込んでいたから、自慢たらたら能書きをたれてやった。 

 名作「カサブランカ」で渋く決めたのがハンフリー・ボガード通称ボギー。沢田研二が♪ボーギー、とがなっていたアレ。

かって熱愛していた仲のイングリッド・バーグマンが聞く。
「昨日はなにをしてたの?」
ボガードがつぶやくようにいう。
「そんな昔のことは忘れたさ」「じゃあ、今夜は?」「そんなことは、わからない」

 なにゆえにミツコとボギーかというと、興味深い因縁がある。なにしろ19世紀から21世紀に至るヨーロッパの歴史に関わりがあるのです。
 かいつまんでいうと、こうなる。ハンガリー・オーストリア帝国の外交官として日本に赴任していたボヘミア{チェコ}に城を持つ伯爵が、後妻としてミツコを選び結婚した。

 渡欧して、伯爵夫人ミツコは「黒い髪黒い瞳の貴婦人」として社交界の名花とうたわれ、7人の子供にも恵まれた。
当時のヨーロッパは戦乱が続いていた。ミツコは望郷の思いに駆られながら、1941年、第二次世界大戦のさなかにひっそりと異郷に果てる。母国に帰ることは一度としてなかった。

ミツコには「欧州連合の母」という枕詞で呼ばれる。なぜかというと、次男リヒャルトの存在があるからだ。
東京生まれのリヒャルトは「パン・ヨーロッパ運動」の旗を高々と掲げ、当時台頭してきた反ナチズムの運動家で、指導者のひとりであった。
日本とオーストリアの両親を持つ彼は訴えた。
「ヨーロッパはひとつになるべきである。ひいては全世界がひとつになるべきである」
新しい大胆な発想からの思想であった。

通貨まで統一した現在のUEの原型がそこにあった。そのシンボルとされる旗手の母親がミツコ、だから「欧州連合の母」といわれるゆえんだ。

しかし、その次男は14歳年上の大女優と結婚。この結婚に猛反対したのが明治生まれの誇り高い伯爵夫人。両者はここで絶縁している。

さて映画「カサブランカ」に戻る。ボギーは酒場をしていた。かつて愛したバーグマンとその夫のアメリカ亡命に献身する。自らのいのちを犠牲にした。これぞモノホンの男!渋さ、世界一。
もちろん映画であり、フィクションだ。
ミツコの次男リヒャルトと大女優の妻、映画では小型飛行機で亡命するこのカップルが「カサブランカ」のモデルと定説化されている。

現在のヨーロッパ大統合の序曲に、日本人・青山みつという実在の明治女性が関りがあった・・・。その名前は香水として、いまも愛されている。

2001年、パリにすこし滞在していた。思い立って列車でベルギーの首都ブルッセルに2泊だけの小旅行をした。テーマは「ムール貝をキロ単位で食ってやる」。
あてずっぽうでトラム{市電}に乗り、小高い丘のあたりで昼飯をとり、ぶらぶら歩くと小ぶりな凱旋門があった。ほう、と坂を下っていくと巨大な建造物が工事中だった。
全身硬直。感動した。UEの本部ビル。青空のそこら中になびく青い旗。

20世紀は戦争の歴史でもあったヨーロッパが、21世紀になって、ひとつにまとまって非戦の話し合い、ユーロ通貨など友好の大輪を咲かせようとしている。しばらく立ちすくんで、ヨーロッパの人たちの平和への思い、知性、理想への確かなステップを感じた。

ミツコの物語でもうひとつ感心したのは、結婚相手クーデンホーフ伯爵{40代で病死}の異常なほどの外国語趣味。旅好き人間にとっては、憧れの対象だ。

まず、できる言語を順番でいうと①ドイツ語 ②英語 ③フランス語 ④イタリア語 ⑤スペイン語 ⑥ポルトガル語 ⑦ロシア語 ⑧チェコ語 ⑨トルコ語 ⑩アラビア語 ⑪ヒンズー語 ⑫ギリシア語 ⑬ラテン語  以上読み書きOK
⑭朝鮮語 ⑮日本語 ⑯中国語 ⑰マレー語 ⑱アルメニア語・・・以上、会話OK。

外国語がこんなにできたら、どんな旅になるんだろう。スパイでもしようか。しばし夢想してみることにしよう。

「愛が住む町」ものがたり

2005-07-28 00:58:35 | ちょっといい話
自分はどこに住みたいのだろう。どこに住んだらよいのでございましょうか。

生まれた土地、育った土地でしょうか。それとも潮騒の彼方に夕日が沈んでいく海の見える町、小川のせせらぎと小鳥たちのさえずりのハーモニーが心地よい山あいの村。

あるいは、しばれるオホーツク海から海鳥と共に流氷がやってくる深い雪の町、南国沖縄のさんご礁が彩なす星砂の海辺・・・いろいろとございます。

それともプール付き、執事、護衛、お手伝いさん、庭師、自家用運転手、門番を抱えたギリシャ神殿風大豪邸と参りましょうか。

そこには、愛がありますか。

不良、嫁さんに逃げられたという構図でございます。肩で泣いていたのです。
涙は人間がつくる小さな海、と申します。不良の海は肩、流れ落ちる涙はすでに枯れ果てておりました。

ふりむくな、ふりむくな。 
うしろには、夢が、ない。

「愛が住む町」にしました。嫁さんに離縁された貧乏人には、町名だけでも身に余る光栄です。
不動産屋{背広着たちんけなヤクザ}に行くと、新宿区「愛住町」の物件がありました。
いいなあ、愛が住んでいるのかあ。憧れの町だなあ。このように夢想したのでございます。

決めました。
愛は、ございませんでした。

角っこに消防署があります。消防博物館もあるそうですが、敷居が高そうなので、低い値段の隣りのスーパー・セイフー。せこい買い物をしておりました。

朝まで営業の飲み屋で、寺山修司の「肩」イメージで渋く飲んでいたのです。
 彼の詩でございます。

  肩は男の丘である
  その彼方には 過去の異郷がある

  肩は防波堤である
  いくたびも 船を見送った

  肩は男の翼である
  ひろげても もう 飛ぶことはできない

・・「愛住町」愛がなくても、ものがたりがございます。
セイフーの並びにあった飲み屋の早朝、ひとりの老人がもの静かに引き戸をあけます。
「いっぺぇ、やって、くんねぇ」
店主が黙ってコップ酒を出す。黙って飲む。いかにも旨そうに飲み終えると、「あ・」とだけいって、朝靄のなか立ち去る。老人のやせたその肩は、まさしく明治期の残侠でございました。
浅田次郎「天切り松闇ものがたり」極色世界でございます。

妻木松吉。説教強盗。大正・昭和初期の泥棒のビッグ・スター。強盗で押し入ったあと、その家の人に「戸締りがよくない」「犬を飼いなさい」と説教を垂れて、一躍有名人になったご本人。この方のおかげで犬屋が大繁盛、犬の価値と値段がぐんとお高くなったと申します。
<生きている近代史>でございます。

終身刑囚はこの国の敗戦によって釈放され、監獄仲間のこどもを養女にして、愛住町のアパートで一緒にひっそりと暮らしておりました。看護婦さんになった養女、といってもおばさんでしたが、ふたりでアパートの前で仲良くひなたぼっこしている姿を、なんどもお見かけしたものです。
妻木さんは1988年、87歳で亡くなりました。最晩年のころでした。

新宿通りに面した古いビルの地下に麻雀屋がありました。店をまかされている気のいい中年男は、いつもきちんとスーツを着て大会社の役員風。彼の結婚歴を聞いたときは、ちょっと感動したものです。
「ぼく、いま誰と結婚してるんだろ」 え。なん?
中国人女性と名義貸しペーパー結婚、一回20万円。
「20回くらいになったのかなあ、ぼくは」その肩にはちらり、東シナ海をうごめく暗黒の波浪が見え隠れしておりました。

   肩は男の墓場である 
   いつも誰かの手を想う

   肩は男の水平線である

20回結婚して、400万円。結果として19回離婚したことになりましょうか。おかしなご商売でございます。それにしても、あと何十回、ご結婚なさいますことやら・・。

彼から電話をいただきました、よく。
「おいしそうなお客様がみえました」仕事を放り投げて、いそいそと麻雀屋に出かけるのです。
ほんとうにおいしく、きっちりカモらせていただきました。特に「キャバレー・グランド・ハイツ」No.1ホステスの桃代さん、その節は毎度、有難うございました。長くはないお付き合いでしたが、「これ、うちの亭主」と紹介されたのは、三人程度、でございましたね。

愛住町では、残念ながら愛には恵まれませんでしたが、ちょっと風変わりな旅をした思いがございます。

「愛が住む町」いったい、どこにあるというので、ございましょうか。