●今年もまた8月15日が近づいてきました。
●私は、普段ラジオを聞きながら仕事をしております。
FMではなく、AMラジオ。(ほとんどTBSですね。)そのTBSラジオから、8月15日になると、決まって流れてくるのが、「秋山ちえこさんの朗読」。.....ゾウの花子の話。
●ご存知でしょう。このおはなし.....。
戦争末期、上野動物園の猛獣たちに、“もしもの時、町中に出て人間に危害を加えたりしないように毒殺しろ”という命令が来るのです。軍の命令には逆らえません。大方の猛獣たちが、毒入りの餌を食べさせられて死んで行きました。
ただ、ゾウの花子は、毒の入った餌を絶対に食べようとはしませんでした。飼育員は、仕方なく、そのまま餌を与えず、餓死をさせる方法をとることにします。
●あの大きな身体が、どんどんと細くなり、衰弱をしてゆき、仕舞いには立っていることすら、おぼつかなくなった時、花子は、最後の力を振りしぼって、飼育員の前で、おじぎをしたり、鼻を高く振り上げたり、(いつもお客さんの前でやってみせたように、)芸をし始めたというのです。芸をした後には、かならずご褒美の餌がもらえたから......。
●8月15日。毎年、この話しを聞いています。そうして、毎年、泣いてしまいます。
●初めてこのお話しを聞いた時から、私は『動物園いらない論者』になってしまいました。
(動物も水族館のお魚も、大好きなんですけどね。)
●野生の動物を捕まえてきて、おりの中に入れて見せ物にすること事態が、人間のエゴじゃないか?子供たちに、本物の動物を見せてやりたい? それこそが、親バカの極みじゃないか。
野生の動物を見たかったら、大人になって、働いて、お金をためて、アフリカへでも、南米へでも出かけて行って、....そこで見て来なさい。それが本当の、野生の動物です。
それまでは、テレビの映像や本で我慢しなさい。
●だってさ、人間って奴は、バカで懲りない生き物だから、いつまた戦争を始めないとも限らないんだもの。情けないけれど、“絶対ない”って言い切れない。いつまた、第二の花子を作らないとも限らないんだもの。
(いきなりですが、どうして憲法を変えなければいけないのか、私にはわかりません。)
●大自然の中でも、動物は餓死をします。殺されもします。過酷です。分ってます。
だからといって、彼らを捕獲して、まるで違う環境の中に放り込んでおいて、挙げ句に、自分たちの勝手な事情で殺して良いということではないはずです。ことは戦争だけに限ったことではありませんが。
●ふむ。とは言っても、現に動物園はある訳で....。となると、結論はひとつ。
とにもかくにも飼い通せ! 戦争なんてやるんじゃない。
●今日、フジテレビで、「ぞうの花子」のドラマをやるそうです。
私は、つらいから見ません。この手のはなし、....ホント苦手なんです。
科学技術は理論や図面や数式として残り、累積されて発展するから後戻りする事は無いだろう。
技術的な失敗や成功の事実も情報としては残り、歴史と実績として学ぶ事ができるから。
例えば、空を飛ぶ理論を一から研究しないでも資料は充分にある。
しかし人間の感情はその人その人の一生だけの物で、貴重な親の経験と心情が子供には伝わることは少ない。
一人一人が経験と学習を積み上げて、自分の一生を完成させてゆくので、先輩達の心情をベースにして高潔さや優しさが高まるという事は少ない。
破壊と殺生の戦争はいい事ではない。と万人が思っているが、境界線に関して威圧的な隣家や、単なる経済的不満からいきなり襲ってくる強盗集団がいつの世もいるから、日頃の防犯態勢やスキの無い言動が大切になる。
私もゾウの花子の話は、聞く度に泣けます。
人に生まれた事を幸運に思い、自分に恥じない行動をとる事に尽きるのですが、日本の道徳基準が曖昧になりました。
おっしゃる通りです。
せめて、『ゾウの花子』が、“かわいそうなゾウのおはなし”だけて終りませんように....。