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田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

この季節になると

2015-10-27 04:16:20 | 日記

  今朝は冷える。



 セブン-イレブン記念財団の助成金の活動実績報告書を提出できたので
 ほっとしている。

 ウーファーの手伝いも順調に行っているので、
 苗木の鉢上げもはかどった。

 この季節になると
 ハイネやヘッセを読みたくなる。

 枯葉、バイオリンの音色、
 別れ、なんとはなしに・・・、

 昔の生活を思いだしたり、
 特に学生の頃読んだ小説や映画の世界にひきもどされてしまう。

 星日記」を最近になって読み返したせいもあるが、
 今現在の自分が幸せなので
 過去をふりかえる余裕があるとも言える。

 甘美な時間だ。

 あの頃に比べると・・・、
 あの頃思っていたことが
 こうなっているんだとか、
 
 「春の嵐」が読みたくなったが
 本棚の何処にしまったか捜せない。

  断酒日記など
 過去の記録を穿り返して現在を見つめなおしてみよう。
 どうせ
 死んだら何もないのだから
 わがままをとおして生き永らえようと思う。



 自分史の下書きにしようかとも・・・。


 

     

セブン-イレブン活動助成、2015年度 緑化植花醸成活動

2015-10-26 04:27:48 | 日記
2、活動の広がり・他環境NPO活動への影響・ セブン-イレブン助成金の活用効果について




 セブンイ-レブン記念財団の助成金があることを知ったのは、同じ集落内に住む青年が始めた「ほこれる島づくり海岸清掃365」が清掃助成金の援助を受け活動してると聞かされてからであった。
 それまでは、公益自然保護ボランティアファンドの助成を受けて海岸地域の試験植栽をさせてもらい、それが成功したのでこの方式を広めたいと思ってた矢先に今回の公募で採用されました。
 緑化植花助成金は金額も大きかったことから、植栽には人手がいることや、緑化の啓蒙や活動を広めるためには他団体との連携が必要だと考え依頼をすることにしました。


 ヨロンマラソン完走記念植樹は平成19年から始めましたが、今回植えた場所は風当たりの強いところであったせいで、せっかく植えた木が育ってくれませんでした。
他団体の植えた木も次第に枯れていく状況の中での再度の挑戦でした。
 環境団体が少ない中で、役場の職員にアピールする意味もあって、また兼ねてからお互いに協力しあっていたB&G海洋スポーツクラブにも呼びかけてみました。
行事が重なって即戦力の勇士の参加は少なかったけれど、職員互助会員が子供連れで来てくれたことがとても嬉しかった。環境教育を目指していましたからです。


 緑を育てるのは子供を育てることに通じることから効果は大だと思いました。
緑化と景観については私たちNPOが特に力を入れていることもあって、景観アドバイザーの派遣も要請して、関係機関との連携もとることができました。


このセブン-イレブン仕組みを啓蒙するために、町の「広報誌よろん」にも掲載を依頼しているのですが、まだ発行されていないのが残念です。
 広報としては植栽場所に立てた看板は役立っていると思います。
 前年度に植えた木々に守られて、今回は幸いに大きな台風もなくて、干ばつにも耐えておかげさまで今のところ緑を茂らせています。
 ヨロンマラソンコースの沿道のあちらこちらにこの看板のようなのが立てられ、環境への活動を啓蒙する仕組みづくりが広がるよう願っております。


他のNPOにもこの助成金を紹介しておるます。
よろんの海サンゴ再生ネットワークの団体と協力体制が出来て、陸の緑の再生が海の再生につながる啓蒙も推進するためにもこの助成金が大いに役立ちました。
今後ともご支援とご指導のほどよろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。

 

奄美市は雨だった。

2015-10-25 03:17:00 | 日記

  船上にて



 ハイネの詩を思い出した。



 今 手にしている。

  海には真珠
  空には星
  わが胸 わが胸
  されどわが胸には恋

  ひろきかな 海とそら
  はるかにひろきはわが胸
  真珠より星よりうつくしく
  かがやきひかるわが胸の恋 

  わがうらわかきをとめよ
  わがひろき胸にきたれ
  げに恋のあまりに
  わが胸おとろえ 海もそらも消ゆ



    古本の香りがする。

 名瀬は雨だった。

 早朝 傘をさして 漁協に行った。



 靴までびしょびしょになった。

 現地研修会は雨で
 マングローブの自生している河口が
 水かさをましているとのことで
 室内研修に切り替わった。

 

 水生動物について
 県立博物館から学芸委員が

 

 説明のあとは意見交換。

 こちらは有意義な会になった。
 私も提案や要望など述べさせてもらった。



 夜の部 懇親会でもいい交流が出来てよかった。

 

理想の妻、    「完全なる結婚」 ヴァンデ・ベルデ

2015-10-24 03:30:37 | 日記

 1975年、星日記を開いた。
 丁度40年前の10月23日の記録から。




 10/23
  眠たい目をこすり登校する。
 計画(公務員試験)をたてて今日で三日目になる。
 都市計画は古代都市から現代都市までを簡単に済ませた。
 来週は休講とのこと。
 昼寝をしたらすっきりした。
 風呂に入る。
 都市計画のノートをとって中断し
 食事をしながら「ガールハント」を観た。
 土壌学をもうすこしやりたい。



 10/24
 土壌学を仕上げる。
 
 庭園学の課題をコピーしてもらう。

 読書
 「完全なる結婚」 ヴァンデ・ベルデ

 きわめて貞節な妻は、最も性欲的な妻である得る・・・。



  3年前 いよいよ入院することになって
  船に乗ったことを思い出しながら
  写真を撮った。



  船上にて 昔を偲んだ。


希少野生動植物保護推進員研修会

2015-10-21 03:07:04 | 日記
  今日から奄美市に研修旅行に出かける。

 毎年一回開催される会合では懐かしい面々と出会える。
 今回、樹木医のMさんに会えるか・・・、
 術後の経過が心配である。



 二ヶ月前、モンパノキを持っていったとき、
 のどの手術をしていたことを知った。
 与論小学校のガジュマルの大木を診てもらってからのお付き合いだから
 10年以上は経っている。



 奄美市への出張の楽しみは
 40年来通っている居酒屋のママに会えることだ。
 自分のお店を持ったのは20年ぐらい前だろうか・・・、
 今は
 昔のなじみの客のためだけに営業してる様子、

 民宿を紹介してもらったので
 今回はそこに予約を入れてもらった。



 これから旅の支度をしよう。
 飛行機はキャンセル待ち。
 船かもしれないが
 船も台風の影響が心配される。







   お宿はどこだ・・・、
  昔書いた 小文を載せてみる。
 
 



      ユムドゥイ(スズメ)が消えた


「与論でヤマシギを食べる習慣がありますか?」との電話問い合わせに、
「無いと思うよ」と答えてくれと女房に返事した。
一瞬、今年の冬にトラツグミが屋敷に居ついていたことを思い出した。
これまでお目にかかれなかった渡り鳥である。
数年前、史跡ガイドをしてもらったという女性の方の言うことには、近所に住んでいる与論島出身のかたが、昔ヤマシギを食べたという。
食文化の話なのかと思って、
電話口を代わった。
「シロハラは食べたことがあったので、
ヤマシギだったら鳩よりも大きいから食べごたえもあっただろう。
スズメも食べたから」と答えた。
顔は思い出せなかったが与論にまつわる楽しい会話になって、
案内したお客様から電話がもらえたことに感激したのがつい最近ことである。
 ユムドィ(すすめ)が居なくなったのは何時ごろからだろう、
調べて書いてみようと思っていたら、「パンチキヤマ」のことを思い出した。
鳥を捕まえる罠のことであるが
「パンチキヤマ」のこと共通語ではなんて言うのだろう。
主にキジバトを採るための罠である。
パンチキとは弾ける意味。
(絵が描けないので仕掛けを作って写真を載せることにする}添付写真。
 こども頃は鳥を捕まえるのも遊びのひとつだった。
冬の季節を知らせるターシグレ(サシバの渡り)から始まって、
次々と冬鳥が渡ってくる。
シロハラやヤマシギ、そしてメジロたちも
夏が来るまでの間とどまってくれるのである。
私の家では秋に収穫したソテツの赤い実をサタヤー(旧製糖小屋)の近くに積んでおいていた。
そのソテツの実の赤い皮は毒があると言われているが、秋から冬にかけて皮が腐れて柔らかくなった頃を見計らってメジロや鶯が食べにやってくる。
パンチキヤマをしかけて、シロハラを狙うかたわら、
メジロをターゲットにしたのがソイヤマであった。
ザル(ソイ)をうつぶせに棒をたてかけて、鳥たちが餌を食べに入ったところを引っ張り倒して抑え込む罠である。
のぞき穴から鳥たちが入るのを待っているゾクゾク感が堪らない。
ソイは大中小と使い分けたが、時には大切なパラというのも使った。
たいてい2~3匹はいったら仕掛けの紐を引っ張ったが、鶯を採るためにはメジョロをたくさん集めなければならない。 
鶯は用心深くなかなか罠のソイの中には近づかないのであるが
メジロにつられてやってくるまで痺れを切らして待っていると、
欲しくもないヒヨドリがやって来てメジロを追い散らかしてしまう。
鶯もメジロも採れないこともしばしばで、悔しいおもいをするのだ。
ふせて閉じ込めたソイから獲物を取り出すには着物の上着をかけ、袖を伝って手をさしいれてつかみだすのだが、脇からにげられることもしばしばだった。
メジロやシロハラよりもっと邪魔をしてくれたものが厄介な人間、
しかも父や母の農作業だった。
こうなったら、あきらめて藪の中に仕掛けたスーヤマを見回り行く。
スーヤマはシロハラ専用の罠だった。
餌はミミズだったが
仕掛けや作り方が難しかったし、
一つしか持ってなかったので父に作ってもらったのだろう。
今は仕掛けをかける術を思い出せない。

  

 久しぶりにパパゲーノとパパゲーナ(魔笛)でも聴いてみよう。

  渡り鳥たちの中にはこの島で子孫を残していくのもある。
エリグロアジサシが今営巣しているが、
いつまでも生き物にやさしい環境の島であり続けたい。