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田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

むかしを偲び 今を知る

2020-08-08 04:31:46 | 日記


与論島の将来の展望
                        与論町長  龍野通雄



 面積は狭く、岩盤だらけであるが、緑と碧い空、純白の砂浜とエメラルドの海、何と美しい島だろう。
悠々幾千万年この美しい自然環境は連綿と続いてきたのである。
 明治、大正、昭和と百年余の間には与論でも数限りない出来事があった。
台風、高潮、疫病、飢饉、日清日露の大戦役、第一次世界大戦、大牟田大量移住、南洋群島開拓移住
支那事変、満州開拓団移住、第二次世界大戦敗戦、祖国日本と行政分離、米軍政下、猛運動による日本復帰
与論高等学校開校等々。
この変遷のなかにあっても、この自然の美しさは昔も今も変らず光輝いている。
この島に生を受けた我等町民は何としあわせなことだろう。
人誰しも我が家が楽しく、健康で笑顔の絶えないものたらしめようと願い努力しない者はないのである。
人その個々はすべての面で差はあるにしても、わが与論島出身者ほど、
島をこよなく愛し、祖先に孝行をつくす者は他に類をみないであろう。



 敗戦の憂き目から早15年、変れば変るものだ。
敗戦当時誰が今日の与論を予測し得たであろうか。
勤勉なる町民性を遺憾なく発揮し、今日の隆盛が実現したのである。
このように目まぐるしく急速に進歩発展する時勢の明日の、来年の、十年後の予測することは容易なことではない。
本県の場合国鉄新幹線が昭和55年頃には鹿児乗り入れが実現するとみており、
東京鹿児島間を七時間たらずに短縮されるという。
航空便にいたっては空港の整備にともない現在の半分以下となろう。
 船舶も年々大型化、快速化し、昭和の初期鹿児島まで5日以上も要していたのが
僅かに18時間余、将来は更に半減されるであろう。
一方陸上においては終戦直後米軍の払い下げトラック一台であったのが、現在ではどうだろう。
乗用車その他実に千五百十台余となっている。
人間夢をもつことは大事である。
 兎が餅をつくという美しい童話の月の世界は科学の進歩により、
ついに人類が月面上に降り立つにいたった。
我々は与論の将来の夢を描き、町民すべての福祉のため努力しなければならない。
このことは現世代に生をうけている我々の責務ではなかろうか。
 港は大型港湾が建設され五千トン級以上の豪華船、快速船が横付けされ、
人客の往来はますます頻繁となろう。
また、フェリーボートからは自家用車で家族連れがそのまま目的地に直行し、
道路は舗装され諸車の通行は快適となろう。
飛行便も頻繁となり、又、自家用飛行機の発着も多くなろう。
 要所には近代的なホテル、旅館、宿泊所、休憩所、海中公園センターが設置され
諸所に海水浴場など整備され、海上では水上スキー、ヨット、高速船、グラスボートなど疾走し、
島全体が国民休暇村的な役割を果たし、
明日へのエネルギーの蓄積保養をなし得る。
 電話は集団自動電話が全戸に施設され、行政放送施設が全町に普及し、行政情報の伝達が迅速になる。
は集落の再編成がなされ住宅は集団化さし、電気、水道、ガス等集約投資により
安い料金で利用できるようになろう。
そして農耕は自家用車により往復することとなろう。
 整備された集団耕地には、畑地かんがい施設がなされ、適期適作はもちろん、
他産地にない高級園芸作物などが早場生産され、ミカンコミバエ等病害虫の根絶により
亜熱帯や熱帯の柑橘類がいたるところに実り、観光客への提供、都市周辺への出荷がなされよう。
 農作物の作付け、収穫、出荷は農業協同組合が一元的に実施、または農業生産請負の事業も実施されることが予想され、グループによる協業化も進むであろう。
 の集落が整備されることに伴い一部においては放牧の協業化も進むことも予測される。
 保健医療、福祉については、町営の総合病院施設の充実はもちろん、
母子健康センター、養護老人ホーム等が集中され、一大総合センター的管理化におかれることとなろう。
 商業は現在の個人経営の協業化が進み、より廉く消費者にサービスが可能となろう。
 工業も協業化が進み、機械化され、近代的な経営方法となろう。
 教育については人口の老齢化が進み、出生率の低下を来たすものと思われ、これに伴い
幼稚園、小学校、中学校、義務教育化するであろう高等学校までの施設が一画に集合され
関連教育が実現し、他に類のない理想学園が出現するであろう。
 このように田園都市化し、国民の休養、保養の環境が実現する。
 志布志湾を始め鹿児島近郊に臨海工業地帯の形成がなされる予測にともない、公害等の甚だしい
京浜、阪神方面で働いている子弟は鹿児島周辺に職を持つことになり、交通の発達により、
飛行機あるいは豪華船により、またフェリーボートにより日帰り孝行をつくすとともに保養することになろう。
 島のあちこちに別荘が建ち、各方面からの保養客の往来も多くなり、住人口は減るにしても、
将来は週五日就労の可能性が論議されているので、土・日曜および連休時の人口は一万人近くなろう。
いずれにしても、このような理想郷、夢を実現するためには与論高等学校卒業生が中心となり、
町民すべてが協力と信頼と融和にたって、一歩一歩、一つ一つ、時勢の進歩におくれをとらぬよう、
持ち場持ち場において努力することであります。
 与論高等学校の限りない栄光を祈念いたし随想を終わります。


      

    現在・過去・未来を予想して構想を立てる。


      コロナの次を予想して
         与論島ならではの  展望を描きたい。




      海洋牧場 小さな試験地を創ろう。