コスタリカ旅行の日記 後半(1990年)
1990年
1月1日 晴れ後曇り一時小雨
早寝のせいか5時には目が覚めて、サンホセの地図の確認などをして過ごす。8時にもぐちゃんが起きてクラッカーとジュースで朝食を取る。アラヤさんから電話が掛かることになっているので部屋で待つことにする。
いつも賑やかな外が 異常に静かだ。
ホテルのレストランで朝食を取り、午後3時前にアラヤさんが車で迎えに来てくれたのでホテルを出る。
車には、奥さんと2歳の女の子と10歳の男の子が乗っている。男の子は親類の子で、イワン・レンドルに似ている。女の子は可愛くてミスターアラヤにそっくりだ。
みんなでお祭りに行く。遊園地の乗り物は危険な物が多く驚く。日本の場合は万が一に備えてシートベルトが有るが、それが無いものが多い。私は1つだけ乗ることにする。
人出は多く下は砂(土だけれども埃が立つ)なので砂埃が立っている。男の子は車に、女の子はメリーゴーランドに乗り写真を撮った。夕食は屋台のコスタリカ料理、サラダと焼き豚で日本にも有るものとビールで済ませる。
私はトロス(闘牛)を見たかったのだけれども、遊園地で遊んだ後はもう終わっていた。アラヤさんは日本のお祭りを見たことが無いらしい。やはり日本の方が進んでいるので何となく物足りない。
帰り道、女の子はもう眠っていた。ホテルに着くまでにヤマハの音楽教室を見かける。ひとりで歩く日に行ってみよう。
ホテルに着くと、ビールのせいか大して歩いてもいないのにすぐに眠れた。
後になったが、トロスに参加する人たちは逞しくていかにもそれらしい男の人ばかりだった。
1月2日 火曜日 曇り 風が強い日
今朝は教会の鐘も聞こえずぐっすり眠れてすっきり起きた。もぐちゃんはお土産を持って午前8時に仕事に行き、その後私は洗濯してシャワーを浴びて洗髪する。朝食はスーパーで買ったオレンジジュースとクラッカーで済ませる。
午前10時にもぐちゃんから電話があり昼食は一緒にすることになる。髪がなかなか乾かず出掛けたのは11時半。
ラクサに行ったが順番が来る前に待ち合わせ15分前になったので、番号札を隣のおばさんにあげて急ぎ足で事務所へ向かう。途中偶然にオスカルさんと久美子さんに会う。今事務所に行って来た所だと言うこと。この間のお礼を言って別れる。
事務所で色々な人、同室のフレディさんにも挨拶をしてビゲスさんと3人でカサドを食べに行ったのだが、どこもいっぱいだったので、もう1度戻ってアラヤさんも一緒に中華料理を食べに行く。おなかも空いていたし、味もまあまあだったので全部食べる。
その後はひとりで町を歩く。土産物屋と本屋とレコード店、最後にスーパーで買い物をする。
お土産は特に欲しい物が見つからず、タオルにしようかと思う。レコード店はEP、LP、カセットテープが主で、CDはCBSソニーが出しているクラシックものだ。1~2枚買おうかな。
町を歩いていると時々「チノ」と呼ばれる。中国人だと思っている様だ。ホテルに着いたのは3時半。買って来た小さな林檎と牛乳をおなかに入れて休む。
4時半にもぐちゃんが帰って来て、6時半にレストランに食べに行く。今日はビールとライスと魚(白身のシーバス)で美味しかった。
ところで、私は27日にヘアーマニキュアをしたばかりなので、シャンプーすると少し色が落ちて(1か月位で取れてしまうそうだ)タオルなどにつくのだが、そのおかげでホテルがタオルを取り替えていないことに気が付いた。
もぐちゃんは気持ち悪がってタオルにサインペンで印を付けている。シーツを取り替えないことは知っていたが、タオルまでとはひどい。でもこちらの感覚では普通なのかもしれない。
1月3日 水曜日 曇り後晴れ 風が強い日
快晴なら火山を見に行く予定だったのだが雲が多かったので中止になる。もぐちゃんはいつもの様に仕事へ。私は朝11時までホテルに居る。その時に部屋の掃除の人が来たのだが、何も言わなくても今日の人はタオルと石鹸を取り替えてくれた。
近くの店でレコードを見てから事務所に行く。約束の10分前に着いたので斜め前にある公園で10何年、殆ど20年振りにブランコに乗ってみる。ブランコを漕ぐのに足の力が要ることを思い出した。
今日は同室のフレディさんとカサドを食べに行く。すると偶然ホルヘさんが居て4人で食べることになる。肉が焼き過ぎて固かったこと以外は美味しかった。牛肉、ご飯、豆、キャベツの千切り、ジャガイモ料理(これが1番良かった)で日本食と似ている。カスというマンゴーに似ている果物のジュースも美味しい。
食事の後、トイレを借りて帰る。
帰り道に町を歩いて買い物をする。林檎の形をした小物入れ2個(1個275コロン)と絵葉書10枚(1枚25コロン)、バスタオル(1800コロン)、LPレコード3枚(約2000コロン=1979,5)、バスタオルの1800円が高いなあと思ったが、ホテルに持って帰って広げてみると、とても大きくてタオルケットとしても使えそうだ。
今日は昨日と違ってひとりで歩いていても精神的に疲れるということは無かった。2時間半歩いたが、前に見たヤマハの店を見つけることは出来なかった。まるでわざわざ避けて歩いている様だ。
見えにくい信号にも慣れたし、所々にある教会や公園も綺麗で道も直線で分かり易い。
外に居る時間よりホテルの中に居る時間の方が長いのが勿体無い。
テレビも番組を覚えた。「みつばちハッチ」が懐かしい。こちらではハッチの名前がホセに変わっている。
フイルムが裏返しなのだろう。みつばちハッチのタイトルが逆になっている。
他にも日本のアニメをやっている。
もぐちゃんは今日はかなり仕事で疲れたらしく帰るとすぐにベッドで眠っていた。
夜、アラヤさん御夫妻と夕食に行く。サンホセが一望出来る山の上にある店でレストランが閉まっていたので屋外の店でビールとトルティーリャを食べる。とうもろこしの粉で作った皮に肉や野菜を包んで食べるもので美味しい。夜景も綺麗に見える。
もぐちゃんがはっきり知らない華道や茶道のことを説明するのが面白い。
ホテルに帰ったのは午後10時半で疲れていたのですぐに寝た。
1月4日 木曜日 曇り時々雨後晴れ
午前8時にもぐちゃんと一緒にホテルを出て事務所へ。コーヒーを頂いて9時に出発。アラヤさんとサンチェスさん(マリオに似た人)と4人でドライブに出掛ける。
まずカルタゴへ行って教会を見る。元首都だけあってサンラモンよりは大きかった。悪い所が良くなるという水が有ったので手を洗うことにする。少し肌寒いのだが、みんな子供の服を脱がせて水を掛けていた。
町を見下ろせる公園や田舎町オロシの教会へも行く。
途中、コーヒーを収穫している人が居たので、写真を撮ってコーヒー豆を取った。皮を剥くとみずみずしいけれど、あのコーヒー豆の形をしていて面白い。またチヤヨテという瓜の様な野菜園(ブドウの様に実がなっている)に入ってチヤヨテをおじさんから貰った。茹でて味付けして食べる様だ。マイアミに送っているそうで1ドルするそうだ。どこの人も皆親切だ。
昼食は大きな公園の中にあるレストランでチキンライスを食べる。ここは休日には一杯になるそうでボートに乗って居る人、プールで遊んでいる子供を見る。長袖でも寒い位だが晴れると暑くなる。
イラス火山はサンホセから54キロの所(標識では)に在り、富士山位高いのでとても寒い。火口が見下ろせて少しだけ下りて見た。雲が無ければサンホセ市街も太平洋も見えるそうだが、あいにく雲が多くて駄目だ。
山頂近くにレストランが有って、アグア(水)ドルセ(甘い)コン(英語のウイズ)レチェ(牛乳)とトルティーア コン チーズを食べる。
壁中にここへ来た人達の残して行った名刺が貼ってあって日本人のものを3枚見つける。私達も紙に名前など書いて貼って貰った。火山の絵と地図を買う。(どちらも50コロン)
今日は1日中車に乗っている時は眠かったが、帰りは山が寒かったせいか大丈夫だった。ホテルに戻ってレストランでビーフステーキ、ライス、サラダ、コカコーラ、パンを2人共残さず食べる。とても美味しいし、なぜか値段表より安かった。
今日も疲れていたので、私はシャワーを浴びないですぐに眠った。
1月5日 金曜日 晴れ
午前6時に起きてシャワーを浴び、昨日の分の洗濯をして、もぐちゃんより少し遅れて8時35分にホテルを出る。そして事務所で待っていて10時過ぎに部長さんとアラヤさんともぐちゃんと4人でココに向かう。
部長さんはかなりスピードを出す人で、高速で所謂ネズミ捕りに捕まったが、同じ運輸省の人なので身分証明書を見せて許して貰っていた。2時間ちょっとで到着する。
ホテルにチェックインして昼食は運輸省の人の親戚の家でカサド(魚)とホームメイドチーズを食べる。臭く無いし美味しいチーズだ。ただ後でふたり共このチーズ(多分これが原因だろうということ)にあたって皮膚が赤くなり頭が痛くなった。もぐちゃんは症状が酷くて下痢してしまってずっと具合が悪かった。
順序は逆になるが、ビーチへ行く前に海水パンツやビーチサンダル、日焼け止めクリーム(全部で1000コロンちょっと)を買った。もう午後3時を過ぎていて日差しはきつく無かったし寒い位だった。
少し海に入って休み、近くのココビーチ、そしてオコタルビーチに行ってサンセットを見る。
ソーダを注文したら、ミネラルウォーターが出て来た。
もぐちゃんは、この頃は最悪な状態だった。私もビーチでビールを飲んで皮膚がチーズにあたってせいで赤くなっていて頭痛がしていた。
車で45分走り、ホテルに入ってシャワーだけは浴びようと思ったが、お湯は出ないし巨大な蟻やコオロギが沢山居て気持ち悪いのでそのまま寝ることにする。
ベッドカバーをめくったらまた蟻が沢山居たので、ベッドカバーの上から寝て、バスタオルをタオルケット代わりにして朝までずっと眠った。夜中に2匹の蚊に悩まされタオルをかぶる。ただ、クーラーが付いていることはいい。ビーチのそばにあるホテルはとても値段が高いそうなので、仕方無い。(大きなゴキブリも居た。)
1月6日 土曜日 晴れ 夕方サンホセに入った時に小雨がぱらつく
午前8時にいつもの店に朝食を食べに行く。私は、卵、パン、コーヒー、ジュース、もぐちゃんも少し食べたかった様だが、部長さんに「No food!」と強い口調で言われて胃の薬(牛乳の様な色だが味は苦かったそうだ)と紅茶とパン1切れだけ食べる。
その後ビーチに行って(パナマビーチ)今日は沢山泳ぐ。波も無くて砂浜で泳ぎ易い。しかし時々チクチクと体を刺すものが居る。目で見ることは出来ないがクラゲでは無く小さな蛇の様なものらしい。
蛇で思い出したが、車でビーチに行く途中、道に大きな蛇が居て(死んでいたのだが)かなり迷った末、もぐちゃんは片手で持ち上げて(それでも地面に着く程長い)写真を撮った。彼は蛇を触るのは生まれて初めてで、とても気持ち悪かったとか。
その少し後、道に大きなイグアナが居て、アラヤさんが写真を撮ろうとしたら機敏に逃げて行った。私達はイグアナを見るのは初めてだし、逃げて行く様子がコミカルで面白いので大喜びする。植物も動物も日本のものとはだいぶ違う。
パナマビーチの海の色は日本と同じ青色で、今日はもぐちゃんは泳ぎの練習をした。15メートル位ずつだが、段々慣れた様だ。私も久し振りに泳げて嬉しい。
ビーチでピパという実を売っていて、割って貰って飲んだのだが、自然な甘さで美味しい。ピパを売っているおじさんは、ギターの伴奏で歌を歌ってくれた。
タマリンドウの木を見る。大きな木で実はサヤエンドウの様な形をしている。ジュースにするのだそうだ。
ビーチの近くに住んでいる人達と話をして、私達はオレンジを貰う。とても美味しい。
このあたりは、サンホセとはアクセントが違うそうだが、言葉としては同じで十分通じるそうだ。
休みを利用して家族で車で来てキャンプをしている人が多い。
ビーチでのんびり過ごした後、ホテルに戻って水のシャワーを浴び、髪を洗う。
こちらのホテルは皆チェックアウトは午後2時だそうだが、2時15分にホテルを出て(ホテル代は2人で1500コロン)またあのお店に行ってみんなで昼食を取る。いつも2人で350コロン。今度はチキンのカサドとオレンジジュースにする。もちろんチーズは食べなかった。
お店を出たのは3時15分で、今度はアラヤさんの運転でサンホセへ。3時間ちょっとでホテルに到着。
ホテルで洗濯をして、午後8時にホテルの前で待ち合わせ。その前に隣のスーパーで牛乳10個、ジュース4個、ビスケット2個、お土産用チョコレート7袋の全部で1000コロン弱の買い物をする。
順序は逆になるが、今日食事をした店には三毛猫が居て、日本に居るのと同じだったのだが、それを見てもぐちゃんが「猫はどこの猫も同じ顔をしているのにねえ・・・」と言ったのは可笑しかった。コスタリカの猫は目が大きくて、日本のが小さかったら自然なのかな。
今、ホテルのロビーで待ちながらこれを書いているのだが、8時の約束なのにまだ来ない。(現在8時50分)こちらの人は時間の感覚が日本人と違う様だ。いつも30分以上待たされている様な気がする。結局9時10分にアラヤさんと奥さんが迎えに来て、パーティー会場の家へ向かう。
今日集まったのは、部長さん夫妻と息子さん、アラヤさん夫妻、サンチェスさん、もうひとりと家主の御夫妻と私達だ。
部長さんの息子さんは部長そっくりで8歳。今、ヤマハ音楽教室に通っていて、古いジュニア科アンサンブルコースの1の本をしている。ソルフェージュ曲は日本の教材と同じで、後はワークブックとテキストを足してある。(全体の曲数は少ない。)
持っている楽器は、4オクターブで小さい鍵盤だった。
息子さんは、幼児科のテキストにあった「こいぬ」と「ひとつぼし」を弾いてくれた。「ひとつぼし」の和音付けは間違っていたけれども。
私は「子供の世界」とリクエストに応えて「上を向いて歩こう」と、こちらで流行っているパブロ・ルイスの曲(ラジオで覚えたもの)を弾いた。サンバのリズムがこの時分かりにくくてうまく弾けなかった。
奥さん達は皆おしゃれをしていて、この家の奥さんはとても公務員の奥さんとは思えない程色っぽい人だ。アラヤさんはなんと松田聖子の大ファンでカセットテープを1本持っていた。演歌のテープを持っている人も居る。
部屋には奥さんの描いた絵が沢山掛けてあって買わないかと言われるが、日本の家は狭いからと断った。
おつまみとジンジャーエールでまあまあお腹が膨れた所に、カサドとコーンとパンで出来たケーキの様なものと最後にプディングが出てびっくり。コーンのお菓子は嫌いだったが我慢して半分食べる。奥さん達はスマートなのに、みんな食べてしまったので驚く。
写真やビデオもアラヤさんが沢山撮ってくれた。みんな陽気でやはり声が大きくておしゃべり好きな部長さんはどこに居ても目立つ。
午前1時15分に、他の人達はまだ残っていたが、私達はアラヤさんにホテルまで送って貰う。ホテルに着いて、すぐに寝た。
1月7日 日曜日 晴れ、雲は多い
ホテルのレストランで、ここでの最後の朝食(アメリカーノ)を食べる。
昼過ぎに町へ出て国立劇場や国会議事堂などの写真を撮る。
ヤマハのお店があり、休みだったので外から覗いて見る。HS-8は置いていなかったけれどもHS-5、6、7は売り場に置かれている。他は、ドラムとかキーボードなど。但しピアノは無い。
隣に音楽教室があるが休みなので1階の受付だけ覗いて見る。それによると、レッスン時間は、 午前8時から12時までと、午後2時から6時までの間で、クラスは4~5歳、6~10歳、11歳以上とあり、日本と大体同じ様だ。しかし、楽器の面でも他の面でも日本の子供の方がずっと恵まれている様な気がする。
こちらは日曜日は殆どの店が休みで、もぐちゃんとゆっくりお土産物を見て、買い足りないと思うものは買うつもりだったが、出来なくなる。結局1時間歩いただけで帰る。
最後の夕食はレストランで取るつもりだったが、レストランも閉まっていたので、前に昼食を食べた栄興という中華料理屋さんで、もぐちゃんは焼飯、私は焼きそばを食べる。細いそばで美味しいのだが、上にどろっとした野菜が掛かっているのがあまり好きではない。
帰りに2つの教会の前を通ったのだが、どちらもミサをやっていた。考えてみると、コスタリカに来て、夜歩くのは私は初めてだ。昼間とは違う賑やかさがある。
ホテルに戻り、夜9時半には寝た。
1月8日 月曜日 晴れ 雲は多い
もぐちゃんはホテル代を払うといつもの様に8時に仕事に行った。
私は9時にホテルを出て土産物屋に行ってみたが、まだ閉まっていたので近くのスーパー(デパート?)の土産物コーナーで1個177コロンの牛車の小さいのを買う。ホテルの受付では名刺入れとして使っているものだ。
9時半に事務所に行き、みんなに挨拶してから10時にそこを出る。アラヤさんは土曜日のパーティで約束してくれた通り、LPレコードを1枚下さった。
事務所の人に車で送って貰って空港まで行く。
ツーリスト以外は入れない所までもぐちゃんは付いて来て貰う。
カウンターで手続きをする時、丁度私の番から係の人が、スペイン語しか話さない人に替わったので少し困るが、なんとか通れた。
TAX(空港使用料)は517コロン。4種類あってトランジットは1番安い。TAXのチケットには色々記入することがある。もぐちゃんと別れてからは難しい所は無くて良かった。もぐちゃんからは、1月15日のラグビーとマラソンをビデオに録画することを頼まれる。家に着いたら電話することも。
午後1時15分に出るはずの飛行機が50分遅れて2時5分に離陸した。ゲートに居る人は英語は話せないし、飛行機に乗るまで不安だった。
離陸後すぐ(2時20分)機内食が出る。デザートのチョコレートパイはとても美味しくて全部食べる。この飛行機に乗っている東洋人は私ひとりの様だ。
BIENVENUEに、午後3時15分着陸、4時4分離陸。(小さな空港で、降りたのはひとり、乗ったのは70人位)
雲が最高に美しい。まるで森の様だ。行きも帰りも窓側の席でラッキーだ。
午後4時25分 オレンジジュースとお菓子が出る。お菓子は断った。ずっともこもこした雲が見える。
時刻表ではメキシコシティーに着くまでにグァテマラにも着くことになっているが、どうもこのままメキシコに行く様だ。
ヤマハの長谷川先生はメキシコに登山に行くと言っていたが、なるほど高い山並が続いている。途中1か所止まらなかったので、午後5時50分着陸。予定通り午後6時に飛行機を降りることが出来る。
殆どの人は終着のロスまで行く様で、メキシコで降りたのは私を含めて3人だけだ。
入国審査、税関(手荷物チェック)を終えて50ドルをペソに変える。50ドル=133,900ペソ、1ドル=2678ペソだ。
セッタ乗り場に行き、4番(10,500ペソ)のチケットを買う。
偶然日本人2人(若い男性)と相乗りすることになる。話はしなかったが、2人の話から、どうやらレストランで働いている人達の様だ。今回は下見の様だった。彼らはスペイン語を話せる様だ。ホテルは違っていて彼らが先に降りた。
セッタの運転手は優しいおじいさんで「どこから来たのか。」とか「ホテルは予約しているのか。」(スペイン語で)聞かれた。着いてお礼を言って手を振ったらにこにこしていた。
マリア・イサベル・シェラトンホテルは1流ホテルで(1泊15,200円)とても立派だし、英語を話せる人も居た。荷物はあまりに少ないので自分で持って上がったためチップは要らなかった。
部屋も広くて置いてある調度品も立派だ。バスタブは私の身長(158センチ)でぴったり寝られる位。お風呂に入ってコスタリカから持って来たジュースと牛乳を飲む。空港の税関のおじさんは、この牛乳とジュースに気が付いて笑ったのだと分かった。
メキシコでは高級ホテルでも水道水は飲むなと聞いて来たが、ここは日本人観光客の多いホテルらしく、スペイン語の下に「飲料水」と漢字で書いてあったので、試しにコップ1杯飲んでみたら大丈夫だった。
1月9日 火曜日 晴れ
午前6時起床。外はまだ暗いので散歩をするのは止める。7時に下に降りて行ってチェックアウトし、ホテル前のタクシーに乗る。大型タクシーだ。料金はTwentyとだけ言われたのでドルのことかと思い、5万ペソ渡したら「サンキュー!」と嬉しそうに言われたので、ひょっとして2万ペソだったのかなと思う。コスタリカで20ドルまでと言われていたので高くはないはずだが。(20ドル=53,560ペソ)この運転手さんも親切な人で「JALはあっち。」と教えてくれた。
JALカウンターで手続きをして(TAX=10ドル=26,500ペソ)まだ7時50分なので、空港内のお店を覗いて回る。残りのペソを使おうと見ていたら、コスタリカの国旗が入っているエプロンを見つけたので1枚買う。
8時半に搭乗手続をする。久し振りに沢山の日本人を見た。コスタリカとは違ってメキシコは朝6時にテレビをつけた時、どの局も放送をしていた。ニュース中心で、パリ・ダカールラリーのバイクが走っている所も映していた。
午前10時44分 離陸。10時5分離陸予定だったのだが、日本人客でパスポートなどを入れたバッグを失くした人が居て、それを探していて遅くなったそうだ。見つかったのかどうかは分からない。
飛行機内は日本人も居るが、5時間後にバンクーバーに到着するため、カナダ人も多い。全体としては日本人以外の人の方が多い。
午前11時10分 飲み物とおつまみ。
午前12時00分 昼食。昨日の夕食と今日の朝食を取っていなかったので、嬉しい。でも全部は食べられなかった。昨日からずっと窓側の席になったのはいいのだけれど、景色は見えてもトイレに立ちにくいので飲み過ぎない様に注意している。
イヤホンを3ドルで借りて名人会とシューベルトの即興曲を聴く。出来るだけ聴いて帰ろう。映画音楽も全部聴く。「ある愛の詩」は懐かしかった。
午後03時48分 バンクーバー着陸。今回は降りなかった人もまあまあ居る。(70人位)バンクーバー時間で午後1時48分、気温7度、小雨、緑の多い綺麗な所の様だ。
今回はバンクーバーはもちろん、1泊したメキシコも通過しただけという感じ。ただメキシコの街の感じや運転マナー、道路事情はなんとなく分かった。中心部の道は6車線(一方通行)位あって、混む夕方は車線は6でも車は7列になったりする。またクラクションはそう鳴らさないが、すぐに車線変更する。(信号が青に変わって、前の車がすぐに発進しないとすぐ横に出て追い越そうとする。)交通標識はしっかりしている。高いビルも結構あるが、とても古いビルも残っている。
もし、今度メキシコに来ることが有れば、メキシコの歴史とスペイン語を勉強して来よう。
多少文法が間違っていても、単語(発音も含めて)がしっかりしていれば、かなり分かって貰える様だ。
ここから先はバンクーバー時間
午後03時46分 離陸。回りは皆日本人になる。(私の座席は42A)30分して飲み物とおつまみが出た。前のスクリーンで1989年のスポーツハイライトを見る。
午後05時15分 機内食。和食も少し有って3分の2位食べる。食事の後に免税品の販売が有り、もぐちゃんに頼まれたお酒を3本買う。帰りは荷物が多くなる。
今日の映画は「ティニー・ウイニーズ」で、パパの発明した物質縮小機に偶然かかって小さくなってしまった子供達が裏庭から家に帰るまでの冒険と愛の物語だ。面白かった。
映画が終わってからもずっと音楽は聴いていたが、1時間位は眠っていた様だ。
午後12時00分 軽食。半分位食べる。日本時間では午後5時で、みんな仕事をしている頃だ。早く家に帰りたいという気持ちと旅行が終わってしまうのが寂しい気持ちと両方だ。
前のスクリーンで東京の名所案内と日本食の紹介をしている。
私もテレビでしか見たことが無いものが幾つも有る(歌舞伎座で見る歌舞伎など)。
午後06時45分 成田空港着陸。手荷物だけなので待つこと無く税関もすんなり通ることが出来る。7時20分発のリムジンバスで横浜シティエアターミナルへ。
午後08時45分 横浜着。バスの中では流石に眠かった。(リムジンバス3,100円)すぐにタクシーで自宅へ。
午後09時20分 自宅着。(タクシー3500円)
タクシーの運転手さんの話に寄ると、霧のため、今朝着いた便は成田にすぐ着陸出来ず、羽田に着陸して霧が晴れるのを待っていて、4時間も遅れたそうだ。その点、私はラッキーだった。
バンクーバーも寒かったが、こちらに着いても驚く程ではないが雨も降っていてやはり寒い。コスタリカの様に1年中春の様な気候の方が過ごし易い様だ。けれども、四季が有るというのも良いものだと思う。
紛争中のパナマの隣国ということもあって、みんなに心配をかけてしまったけれども(実は私も心配だった)結果としては、楽しい旅行になった。
1990年
1月1日 晴れ後曇り一時小雨
早寝のせいか5時には目が覚めて、サンホセの地図の確認などをして過ごす。8時にもぐちゃんが起きてクラッカーとジュースで朝食を取る。アラヤさんから電話が掛かることになっているので部屋で待つことにする。
いつも賑やかな外が 異常に静かだ。
ホテルのレストランで朝食を取り、午後3時前にアラヤさんが車で迎えに来てくれたのでホテルを出る。
車には、奥さんと2歳の女の子と10歳の男の子が乗っている。男の子は親類の子で、イワン・レンドルに似ている。女の子は可愛くてミスターアラヤにそっくりだ。
みんなでお祭りに行く。遊園地の乗り物は危険な物が多く驚く。日本の場合は万が一に備えてシートベルトが有るが、それが無いものが多い。私は1つだけ乗ることにする。
人出は多く下は砂(土だけれども埃が立つ)なので砂埃が立っている。男の子は車に、女の子はメリーゴーランドに乗り写真を撮った。夕食は屋台のコスタリカ料理、サラダと焼き豚で日本にも有るものとビールで済ませる。
私はトロス(闘牛)を見たかったのだけれども、遊園地で遊んだ後はもう終わっていた。アラヤさんは日本のお祭りを見たことが無いらしい。やはり日本の方が進んでいるので何となく物足りない。
帰り道、女の子はもう眠っていた。ホテルに着くまでにヤマハの音楽教室を見かける。ひとりで歩く日に行ってみよう。
ホテルに着くと、ビールのせいか大して歩いてもいないのにすぐに眠れた。
後になったが、トロスに参加する人たちは逞しくていかにもそれらしい男の人ばかりだった。
1月2日 火曜日 曇り 風が強い日
今朝は教会の鐘も聞こえずぐっすり眠れてすっきり起きた。もぐちゃんはお土産を持って午前8時に仕事に行き、その後私は洗濯してシャワーを浴びて洗髪する。朝食はスーパーで買ったオレンジジュースとクラッカーで済ませる。
午前10時にもぐちゃんから電話があり昼食は一緒にすることになる。髪がなかなか乾かず出掛けたのは11時半。
ラクサに行ったが順番が来る前に待ち合わせ15分前になったので、番号札を隣のおばさんにあげて急ぎ足で事務所へ向かう。途中偶然にオスカルさんと久美子さんに会う。今事務所に行って来た所だと言うこと。この間のお礼を言って別れる。
事務所で色々な人、同室のフレディさんにも挨拶をしてビゲスさんと3人でカサドを食べに行ったのだが、どこもいっぱいだったので、もう1度戻ってアラヤさんも一緒に中華料理を食べに行く。おなかも空いていたし、味もまあまあだったので全部食べる。
その後はひとりで町を歩く。土産物屋と本屋とレコード店、最後にスーパーで買い物をする。
お土産は特に欲しい物が見つからず、タオルにしようかと思う。レコード店はEP、LP、カセットテープが主で、CDはCBSソニーが出しているクラシックものだ。1~2枚買おうかな。
町を歩いていると時々「チノ」と呼ばれる。中国人だと思っている様だ。ホテルに着いたのは3時半。買って来た小さな林檎と牛乳をおなかに入れて休む。
4時半にもぐちゃんが帰って来て、6時半にレストランに食べに行く。今日はビールとライスと魚(白身のシーバス)で美味しかった。
ところで、私は27日にヘアーマニキュアをしたばかりなので、シャンプーすると少し色が落ちて(1か月位で取れてしまうそうだ)タオルなどにつくのだが、そのおかげでホテルがタオルを取り替えていないことに気が付いた。
もぐちゃんは気持ち悪がってタオルにサインペンで印を付けている。シーツを取り替えないことは知っていたが、タオルまでとはひどい。でもこちらの感覚では普通なのかもしれない。
1月3日 水曜日 曇り後晴れ 風が強い日
快晴なら火山を見に行く予定だったのだが雲が多かったので中止になる。もぐちゃんはいつもの様に仕事へ。私は朝11時までホテルに居る。その時に部屋の掃除の人が来たのだが、何も言わなくても今日の人はタオルと石鹸を取り替えてくれた。
近くの店でレコードを見てから事務所に行く。約束の10分前に着いたので斜め前にある公園で10何年、殆ど20年振りにブランコに乗ってみる。ブランコを漕ぐのに足の力が要ることを思い出した。
今日は同室のフレディさんとカサドを食べに行く。すると偶然ホルヘさんが居て4人で食べることになる。肉が焼き過ぎて固かったこと以外は美味しかった。牛肉、ご飯、豆、キャベツの千切り、ジャガイモ料理(これが1番良かった)で日本食と似ている。カスというマンゴーに似ている果物のジュースも美味しい。
食事の後、トイレを借りて帰る。
帰り道に町を歩いて買い物をする。林檎の形をした小物入れ2個(1個275コロン)と絵葉書10枚(1枚25コロン)、バスタオル(1800コロン)、LPレコード3枚(約2000コロン=1979,5)、バスタオルの1800円が高いなあと思ったが、ホテルに持って帰って広げてみると、とても大きくてタオルケットとしても使えそうだ。
今日は昨日と違ってひとりで歩いていても精神的に疲れるということは無かった。2時間半歩いたが、前に見たヤマハの店を見つけることは出来なかった。まるでわざわざ避けて歩いている様だ。
見えにくい信号にも慣れたし、所々にある教会や公園も綺麗で道も直線で分かり易い。
外に居る時間よりホテルの中に居る時間の方が長いのが勿体無い。
テレビも番組を覚えた。「みつばちハッチ」が懐かしい。こちらではハッチの名前がホセに変わっている。
フイルムが裏返しなのだろう。みつばちハッチのタイトルが逆になっている。
他にも日本のアニメをやっている。
もぐちゃんは今日はかなり仕事で疲れたらしく帰るとすぐにベッドで眠っていた。
夜、アラヤさん御夫妻と夕食に行く。サンホセが一望出来る山の上にある店でレストランが閉まっていたので屋外の店でビールとトルティーリャを食べる。とうもろこしの粉で作った皮に肉や野菜を包んで食べるもので美味しい。夜景も綺麗に見える。
もぐちゃんがはっきり知らない華道や茶道のことを説明するのが面白い。
ホテルに帰ったのは午後10時半で疲れていたのですぐに寝た。
1月4日 木曜日 曇り時々雨後晴れ
午前8時にもぐちゃんと一緒にホテルを出て事務所へ。コーヒーを頂いて9時に出発。アラヤさんとサンチェスさん(マリオに似た人)と4人でドライブに出掛ける。
まずカルタゴへ行って教会を見る。元首都だけあってサンラモンよりは大きかった。悪い所が良くなるという水が有ったので手を洗うことにする。少し肌寒いのだが、みんな子供の服を脱がせて水を掛けていた。
町を見下ろせる公園や田舎町オロシの教会へも行く。
途中、コーヒーを収穫している人が居たので、写真を撮ってコーヒー豆を取った。皮を剥くとみずみずしいけれど、あのコーヒー豆の形をしていて面白い。またチヤヨテという瓜の様な野菜園(ブドウの様に実がなっている)に入ってチヤヨテをおじさんから貰った。茹でて味付けして食べる様だ。マイアミに送っているそうで1ドルするそうだ。どこの人も皆親切だ。
昼食は大きな公園の中にあるレストランでチキンライスを食べる。ここは休日には一杯になるそうでボートに乗って居る人、プールで遊んでいる子供を見る。長袖でも寒い位だが晴れると暑くなる。
イラス火山はサンホセから54キロの所(標識では)に在り、富士山位高いのでとても寒い。火口が見下ろせて少しだけ下りて見た。雲が無ければサンホセ市街も太平洋も見えるそうだが、あいにく雲が多くて駄目だ。
山頂近くにレストランが有って、アグア(水)ドルセ(甘い)コン(英語のウイズ)レチェ(牛乳)とトルティーア コン チーズを食べる。
壁中にここへ来た人達の残して行った名刺が貼ってあって日本人のものを3枚見つける。私達も紙に名前など書いて貼って貰った。火山の絵と地図を買う。(どちらも50コロン)
今日は1日中車に乗っている時は眠かったが、帰りは山が寒かったせいか大丈夫だった。ホテルに戻ってレストランでビーフステーキ、ライス、サラダ、コカコーラ、パンを2人共残さず食べる。とても美味しいし、なぜか値段表より安かった。
今日も疲れていたので、私はシャワーを浴びないですぐに眠った。
1月5日 金曜日 晴れ
午前6時に起きてシャワーを浴び、昨日の分の洗濯をして、もぐちゃんより少し遅れて8時35分にホテルを出る。そして事務所で待っていて10時過ぎに部長さんとアラヤさんともぐちゃんと4人でココに向かう。
部長さんはかなりスピードを出す人で、高速で所謂ネズミ捕りに捕まったが、同じ運輸省の人なので身分証明書を見せて許して貰っていた。2時間ちょっとで到着する。
ホテルにチェックインして昼食は運輸省の人の親戚の家でカサド(魚)とホームメイドチーズを食べる。臭く無いし美味しいチーズだ。ただ後でふたり共このチーズ(多分これが原因だろうということ)にあたって皮膚が赤くなり頭が痛くなった。もぐちゃんは症状が酷くて下痢してしまってずっと具合が悪かった。
順序は逆になるが、ビーチへ行く前に海水パンツやビーチサンダル、日焼け止めクリーム(全部で1000コロンちょっと)を買った。もう午後3時を過ぎていて日差しはきつく無かったし寒い位だった。
少し海に入って休み、近くのココビーチ、そしてオコタルビーチに行ってサンセットを見る。
ソーダを注文したら、ミネラルウォーターが出て来た。
もぐちゃんは、この頃は最悪な状態だった。私もビーチでビールを飲んで皮膚がチーズにあたってせいで赤くなっていて頭痛がしていた。
車で45分走り、ホテルに入ってシャワーだけは浴びようと思ったが、お湯は出ないし巨大な蟻やコオロギが沢山居て気持ち悪いのでそのまま寝ることにする。
ベッドカバーをめくったらまた蟻が沢山居たので、ベッドカバーの上から寝て、バスタオルをタオルケット代わりにして朝までずっと眠った。夜中に2匹の蚊に悩まされタオルをかぶる。ただ、クーラーが付いていることはいい。ビーチのそばにあるホテルはとても値段が高いそうなので、仕方無い。(大きなゴキブリも居た。)
1月6日 土曜日 晴れ 夕方サンホセに入った時に小雨がぱらつく
午前8時にいつもの店に朝食を食べに行く。私は、卵、パン、コーヒー、ジュース、もぐちゃんも少し食べたかった様だが、部長さんに「No food!」と強い口調で言われて胃の薬(牛乳の様な色だが味は苦かったそうだ)と紅茶とパン1切れだけ食べる。
その後ビーチに行って(パナマビーチ)今日は沢山泳ぐ。波も無くて砂浜で泳ぎ易い。しかし時々チクチクと体を刺すものが居る。目で見ることは出来ないがクラゲでは無く小さな蛇の様なものらしい。
蛇で思い出したが、車でビーチに行く途中、道に大きな蛇が居て(死んでいたのだが)かなり迷った末、もぐちゃんは片手で持ち上げて(それでも地面に着く程長い)写真を撮った。彼は蛇を触るのは生まれて初めてで、とても気持ち悪かったとか。
その少し後、道に大きなイグアナが居て、アラヤさんが写真を撮ろうとしたら機敏に逃げて行った。私達はイグアナを見るのは初めてだし、逃げて行く様子がコミカルで面白いので大喜びする。植物も動物も日本のものとはだいぶ違う。
パナマビーチの海の色は日本と同じ青色で、今日はもぐちゃんは泳ぎの練習をした。15メートル位ずつだが、段々慣れた様だ。私も久し振りに泳げて嬉しい。
ビーチでピパという実を売っていて、割って貰って飲んだのだが、自然な甘さで美味しい。ピパを売っているおじさんは、ギターの伴奏で歌を歌ってくれた。
タマリンドウの木を見る。大きな木で実はサヤエンドウの様な形をしている。ジュースにするのだそうだ。
ビーチの近くに住んでいる人達と話をして、私達はオレンジを貰う。とても美味しい。
このあたりは、サンホセとはアクセントが違うそうだが、言葉としては同じで十分通じるそうだ。
休みを利用して家族で車で来てキャンプをしている人が多い。
ビーチでのんびり過ごした後、ホテルに戻って水のシャワーを浴び、髪を洗う。
こちらのホテルは皆チェックアウトは午後2時だそうだが、2時15分にホテルを出て(ホテル代は2人で1500コロン)またあのお店に行ってみんなで昼食を取る。いつも2人で350コロン。今度はチキンのカサドとオレンジジュースにする。もちろんチーズは食べなかった。
お店を出たのは3時15分で、今度はアラヤさんの運転でサンホセへ。3時間ちょっとでホテルに到着。
ホテルで洗濯をして、午後8時にホテルの前で待ち合わせ。その前に隣のスーパーで牛乳10個、ジュース4個、ビスケット2個、お土産用チョコレート7袋の全部で1000コロン弱の買い物をする。
順序は逆になるが、今日食事をした店には三毛猫が居て、日本に居るのと同じだったのだが、それを見てもぐちゃんが「猫はどこの猫も同じ顔をしているのにねえ・・・」と言ったのは可笑しかった。コスタリカの猫は目が大きくて、日本のが小さかったら自然なのかな。
今、ホテルのロビーで待ちながらこれを書いているのだが、8時の約束なのにまだ来ない。(現在8時50分)こちらの人は時間の感覚が日本人と違う様だ。いつも30分以上待たされている様な気がする。結局9時10分にアラヤさんと奥さんが迎えに来て、パーティー会場の家へ向かう。
今日集まったのは、部長さん夫妻と息子さん、アラヤさん夫妻、サンチェスさん、もうひとりと家主の御夫妻と私達だ。
部長さんの息子さんは部長そっくりで8歳。今、ヤマハ音楽教室に通っていて、古いジュニア科アンサンブルコースの1の本をしている。ソルフェージュ曲は日本の教材と同じで、後はワークブックとテキストを足してある。(全体の曲数は少ない。)
持っている楽器は、4オクターブで小さい鍵盤だった。
息子さんは、幼児科のテキストにあった「こいぬ」と「ひとつぼし」を弾いてくれた。「ひとつぼし」の和音付けは間違っていたけれども。
私は「子供の世界」とリクエストに応えて「上を向いて歩こう」と、こちらで流行っているパブロ・ルイスの曲(ラジオで覚えたもの)を弾いた。サンバのリズムがこの時分かりにくくてうまく弾けなかった。
奥さん達は皆おしゃれをしていて、この家の奥さんはとても公務員の奥さんとは思えない程色っぽい人だ。アラヤさんはなんと松田聖子の大ファンでカセットテープを1本持っていた。演歌のテープを持っている人も居る。
部屋には奥さんの描いた絵が沢山掛けてあって買わないかと言われるが、日本の家は狭いからと断った。
おつまみとジンジャーエールでまあまあお腹が膨れた所に、カサドとコーンとパンで出来たケーキの様なものと最後にプディングが出てびっくり。コーンのお菓子は嫌いだったが我慢して半分食べる。奥さん達はスマートなのに、みんな食べてしまったので驚く。
写真やビデオもアラヤさんが沢山撮ってくれた。みんな陽気でやはり声が大きくておしゃべり好きな部長さんはどこに居ても目立つ。
午前1時15分に、他の人達はまだ残っていたが、私達はアラヤさんにホテルまで送って貰う。ホテルに着いて、すぐに寝た。
1月7日 日曜日 晴れ、雲は多い
ホテルのレストランで、ここでの最後の朝食(アメリカーノ)を食べる。
昼過ぎに町へ出て国立劇場や国会議事堂などの写真を撮る。
ヤマハのお店があり、休みだったので外から覗いて見る。HS-8は置いていなかったけれどもHS-5、6、7は売り場に置かれている。他は、ドラムとかキーボードなど。但しピアノは無い。
隣に音楽教室があるが休みなので1階の受付だけ覗いて見る。それによると、レッスン時間は、 午前8時から12時までと、午後2時から6時までの間で、クラスは4~5歳、6~10歳、11歳以上とあり、日本と大体同じ様だ。しかし、楽器の面でも他の面でも日本の子供の方がずっと恵まれている様な気がする。
こちらは日曜日は殆どの店が休みで、もぐちゃんとゆっくりお土産物を見て、買い足りないと思うものは買うつもりだったが、出来なくなる。結局1時間歩いただけで帰る。
最後の夕食はレストランで取るつもりだったが、レストランも閉まっていたので、前に昼食を食べた栄興という中華料理屋さんで、もぐちゃんは焼飯、私は焼きそばを食べる。細いそばで美味しいのだが、上にどろっとした野菜が掛かっているのがあまり好きではない。
帰りに2つの教会の前を通ったのだが、どちらもミサをやっていた。考えてみると、コスタリカに来て、夜歩くのは私は初めてだ。昼間とは違う賑やかさがある。
ホテルに戻り、夜9時半には寝た。
1月8日 月曜日 晴れ 雲は多い
もぐちゃんはホテル代を払うといつもの様に8時に仕事に行った。
私は9時にホテルを出て土産物屋に行ってみたが、まだ閉まっていたので近くのスーパー(デパート?)の土産物コーナーで1個177コロンの牛車の小さいのを買う。ホテルの受付では名刺入れとして使っているものだ。
9時半に事務所に行き、みんなに挨拶してから10時にそこを出る。アラヤさんは土曜日のパーティで約束してくれた通り、LPレコードを1枚下さった。
事務所の人に車で送って貰って空港まで行く。
ツーリスト以外は入れない所までもぐちゃんは付いて来て貰う。
カウンターで手続きをする時、丁度私の番から係の人が、スペイン語しか話さない人に替わったので少し困るが、なんとか通れた。
TAX(空港使用料)は517コロン。4種類あってトランジットは1番安い。TAXのチケットには色々記入することがある。もぐちゃんと別れてからは難しい所は無くて良かった。もぐちゃんからは、1月15日のラグビーとマラソンをビデオに録画することを頼まれる。家に着いたら電話することも。
午後1時15分に出るはずの飛行機が50分遅れて2時5分に離陸した。ゲートに居る人は英語は話せないし、飛行機に乗るまで不安だった。
離陸後すぐ(2時20分)機内食が出る。デザートのチョコレートパイはとても美味しくて全部食べる。この飛行機に乗っている東洋人は私ひとりの様だ。
BIENVENUEに、午後3時15分着陸、4時4分離陸。(小さな空港で、降りたのはひとり、乗ったのは70人位)
雲が最高に美しい。まるで森の様だ。行きも帰りも窓側の席でラッキーだ。
午後4時25分 オレンジジュースとお菓子が出る。お菓子は断った。ずっともこもこした雲が見える。
時刻表ではメキシコシティーに着くまでにグァテマラにも着くことになっているが、どうもこのままメキシコに行く様だ。
ヤマハの長谷川先生はメキシコに登山に行くと言っていたが、なるほど高い山並が続いている。途中1か所止まらなかったので、午後5時50分着陸。予定通り午後6時に飛行機を降りることが出来る。
殆どの人は終着のロスまで行く様で、メキシコで降りたのは私を含めて3人だけだ。
入国審査、税関(手荷物チェック)を終えて50ドルをペソに変える。50ドル=133,900ペソ、1ドル=2678ペソだ。
セッタ乗り場に行き、4番(10,500ペソ)のチケットを買う。
偶然日本人2人(若い男性)と相乗りすることになる。話はしなかったが、2人の話から、どうやらレストランで働いている人達の様だ。今回は下見の様だった。彼らはスペイン語を話せる様だ。ホテルは違っていて彼らが先に降りた。
セッタの運転手は優しいおじいさんで「どこから来たのか。」とか「ホテルは予約しているのか。」(スペイン語で)聞かれた。着いてお礼を言って手を振ったらにこにこしていた。
マリア・イサベル・シェラトンホテルは1流ホテルで(1泊15,200円)とても立派だし、英語を話せる人も居た。荷物はあまりに少ないので自分で持って上がったためチップは要らなかった。
部屋も広くて置いてある調度品も立派だ。バスタブは私の身長(158センチ)でぴったり寝られる位。お風呂に入ってコスタリカから持って来たジュースと牛乳を飲む。空港の税関のおじさんは、この牛乳とジュースに気が付いて笑ったのだと分かった。
メキシコでは高級ホテルでも水道水は飲むなと聞いて来たが、ここは日本人観光客の多いホテルらしく、スペイン語の下に「飲料水」と漢字で書いてあったので、試しにコップ1杯飲んでみたら大丈夫だった。
1月9日 火曜日 晴れ
午前6時起床。外はまだ暗いので散歩をするのは止める。7時に下に降りて行ってチェックアウトし、ホテル前のタクシーに乗る。大型タクシーだ。料金はTwentyとだけ言われたのでドルのことかと思い、5万ペソ渡したら「サンキュー!」と嬉しそうに言われたので、ひょっとして2万ペソだったのかなと思う。コスタリカで20ドルまでと言われていたので高くはないはずだが。(20ドル=53,560ペソ)この運転手さんも親切な人で「JALはあっち。」と教えてくれた。
JALカウンターで手続きをして(TAX=10ドル=26,500ペソ)まだ7時50分なので、空港内のお店を覗いて回る。残りのペソを使おうと見ていたら、コスタリカの国旗が入っているエプロンを見つけたので1枚買う。
8時半に搭乗手続をする。久し振りに沢山の日本人を見た。コスタリカとは違ってメキシコは朝6時にテレビをつけた時、どの局も放送をしていた。ニュース中心で、パリ・ダカールラリーのバイクが走っている所も映していた。
午前10時44分 離陸。10時5分離陸予定だったのだが、日本人客でパスポートなどを入れたバッグを失くした人が居て、それを探していて遅くなったそうだ。見つかったのかどうかは分からない。
飛行機内は日本人も居るが、5時間後にバンクーバーに到着するため、カナダ人も多い。全体としては日本人以外の人の方が多い。
午前11時10分 飲み物とおつまみ。
午前12時00分 昼食。昨日の夕食と今日の朝食を取っていなかったので、嬉しい。でも全部は食べられなかった。昨日からずっと窓側の席になったのはいいのだけれど、景色は見えてもトイレに立ちにくいので飲み過ぎない様に注意している。
イヤホンを3ドルで借りて名人会とシューベルトの即興曲を聴く。出来るだけ聴いて帰ろう。映画音楽も全部聴く。「ある愛の詩」は懐かしかった。
午後03時48分 バンクーバー着陸。今回は降りなかった人もまあまあ居る。(70人位)バンクーバー時間で午後1時48分、気温7度、小雨、緑の多い綺麗な所の様だ。
今回はバンクーバーはもちろん、1泊したメキシコも通過しただけという感じ。ただメキシコの街の感じや運転マナー、道路事情はなんとなく分かった。中心部の道は6車線(一方通行)位あって、混む夕方は車線は6でも車は7列になったりする。またクラクションはそう鳴らさないが、すぐに車線変更する。(信号が青に変わって、前の車がすぐに発進しないとすぐ横に出て追い越そうとする。)交通標識はしっかりしている。高いビルも結構あるが、とても古いビルも残っている。
もし、今度メキシコに来ることが有れば、メキシコの歴史とスペイン語を勉強して来よう。
多少文法が間違っていても、単語(発音も含めて)がしっかりしていれば、かなり分かって貰える様だ。
ここから先はバンクーバー時間
午後03時46分 離陸。回りは皆日本人になる。(私の座席は42A)30分して飲み物とおつまみが出た。前のスクリーンで1989年のスポーツハイライトを見る。
午後05時15分 機内食。和食も少し有って3分の2位食べる。食事の後に免税品の販売が有り、もぐちゃんに頼まれたお酒を3本買う。帰りは荷物が多くなる。
今日の映画は「ティニー・ウイニーズ」で、パパの発明した物質縮小機に偶然かかって小さくなってしまった子供達が裏庭から家に帰るまでの冒険と愛の物語だ。面白かった。
映画が終わってからもずっと音楽は聴いていたが、1時間位は眠っていた様だ。
午後12時00分 軽食。半分位食べる。日本時間では午後5時で、みんな仕事をしている頃だ。早く家に帰りたいという気持ちと旅行が終わってしまうのが寂しい気持ちと両方だ。
前のスクリーンで東京の名所案内と日本食の紹介をしている。
私もテレビでしか見たことが無いものが幾つも有る(歌舞伎座で見る歌舞伎など)。
午後06時45分 成田空港着陸。手荷物だけなので待つこと無く税関もすんなり通ることが出来る。7時20分発のリムジンバスで横浜シティエアターミナルへ。
午後08時45分 横浜着。バスの中では流石に眠かった。(リムジンバス3,100円)すぐにタクシーで自宅へ。
午後09時20分 自宅着。(タクシー3500円)
タクシーの運転手さんの話に寄ると、霧のため、今朝着いた便は成田にすぐ着陸出来ず、羽田に着陸して霧が晴れるのを待っていて、4時間も遅れたそうだ。その点、私はラッキーだった。
バンクーバーも寒かったが、こちらに着いても驚く程ではないが雨も降っていてやはり寒い。コスタリカの様に1年中春の様な気候の方が過ごし易い様だ。けれども、四季が有るというのも良いものだと思う。
紛争中のパナマの隣国ということもあって、みんなに心配をかけてしまったけれども(実は私も心配だった)結果としては、楽しい旅行になった。
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