(Nikon COOLPIX P50)以下すべて
フォトコン受賞報告があいだに入りましたが、ピータンでの京都フォト続編です。
今回は祇園界隈をメインにいくつかご紹介。
トップは超有名な八坂神社の入り口を。
といっても石版しか写ってねえっす(笑)。
石畳の路地は祇園の象徴的な風情ですね。
かどにある表示板を。いちばん下の「やきもち」という言葉に惹かれました。
細い路地だとこれくらいの道幅になります。乗用車がかろうじて通れる程度。
京都にはこうした細い路地が無数にあります。その細さを売りにした先斗町などもありますが、今回はルートの関係から足を運べませんでした。次回は攻略してみたいですねえ。
本日のおまけ。
一件すると地味な色の自動販売機のようですが・・・
よーく見ると外装が木目になってました。気ぃ遣ってるなあ・・・
フォトコン受賞報告があいだに入りましたが、ピータンでの京都フォト続編です。
今回は祇園界隈をメインにいくつかご紹介。
トップは超有名な八坂神社の入り口を。
といっても石版しか写ってねえっす(笑)。
石畳の路地は祇園の象徴的な風情ですね。
かどにある表示板を。いちばん下の「やきもち」という言葉に惹かれました。
細い路地だとこれくらいの道幅になります。乗用車がかろうじて通れる程度。
京都にはこうした細い路地が無数にあります。その細さを売りにした先斗町などもありますが、今回はルートの関係から足を運べませんでした。次回は攻略してみたいですねえ。
本日のおまけ。
一件すると地味な色の自動販売機のようですが・・・
よーく見ると外装が木目になってました。気ぃ遣ってるなあ・・・
(Nikon COOLPIX P50)以下すべて
京都探訪フォト、D80でのショットは前回までで出し尽くしました。
というわけで今回から2回にわけてピータンことP50でのフォトをご紹介。
トップは国立京都美術館。三十三間堂の向かいにありますよ。
時間がなかったので外観のみ。
美術館の外周から敷地のはずれにポツンとあった像を。なんですかねこりゃ?
観光地での人口密度が非常に高い京都では、一眼レフくらいの大きさのものを体の外にだしてると激しくぶつかります。カメラが壊れるおそれもあるし、それ以上に他人様に怪我をさせちゃいかねません。それに撮りたいと思ってもカメラを構えてファインダーをのぞいてると周囲に目配りができないので危険です。そういうシーンではD80から小柄なピータンにスイッチしてパチパチやりました。
清水寺へと向かう坂道にて。
クルマが通るんではじっこを歩いてると、屋根から雪がおちてきてびっくりします。
産寧坂の途中にある七味屋さんの店内にあった水車小屋のミニチュア。
産寧坂での1枚。どうなのよこの人混み。さすが三連休の中日、しかも日曜日。
一眼なんざ構えてる余裕ありませんってば。
知恩院の山門を。
京都の風景や街並みをじっくり撮りたいなら、前日に下見しておいて翌日の早朝に撮るというのがいいのかもしれません。日中はどこもかしこも人だらけです。
京都探訪フォト、D80でのショットは前回までで出し尽くしました。
というわけで今回から2回にわけてピータンことP50でのフォトをご紹介。
トップは国立京都美術館。三十三間堂の向かいにありますよ。
時間がなかったので外観のみ。
美術館の外周から敷地のはずれにポツンとあった像を。なんですかねこりゃ?
観光地での人口密度が非常に高い京都では、一眼レフくらいの大きさのものを体の外にだしてると激しくぶつかります。カメラが壊れるおそれもあるし、それ以上に他人様に怪我をさせちゃいかねません。それに撮りたいと思ってもカメラを構えてファインダーをのぞいてると周囲に目配りができないので危険です。そういうシーンではD80から小柄なピータンにスイッチしてパチパチやりました。
清水寺へと向かう坂道にて。
クルマが通るんではじっこを歩いてると、屋根から雪がおちてきてびっくりします。
産寧坂の途中にある七味屋さんの店内にあった水車小屋のミニチュア。
産寧坂での1枚。どうなのよこの人混み。さすが三連休の中日、しかも日曜日。
一眼なんざ構えてる余裕ありませんってば。
知恩院の山門を。
京都の風景や街並みをじっくり撮りたいなら、前日に下見しておいて翌日の早朝に撮るというのがいいのかもしれません。日中はどこもかしこも人だらけです。
(Nikon D80 + Nikkor AF-S DX18-70G)以下全て
オートメッセの翌日に思い立って京都に赴いた時のフォトを少し。
今回は京都の玄関口である京都駅に対象を絞り、さらにモノクロ処理を施した物に限定してご紹介してみようかと思います。
建築物の高さ制限のある京都市中心部にあって、ひときわ異彩を放つ京都駅。
改札を出てみると巨大な吹き抜けのフロアになってます。古都である京都に来たつもりが未来都市に迷い込んだ感じ。未来都市といいましたが、オイラがこの景色を見て真っ先にイメージしたのが、19世紀のイギリスにあったクリスタルパレスでした(笑)。
4~5フロア分はあろうかという階段。
ここを駆け上がるイベントとかもあるそうです。
巨大な門のような吹き抜けの廊下。
SF映画に出てきそうな印象の京都駅ですが、もちろん1歩外に出れば千年の都がお出迎えしてくれます。いくつか歩いて回りながら撮った写真もありますが、それはまた後日にでも。
オートメッセの翌日に思い立って京都に赴いた時のフォトを少し。
今回は京都の玄関口である京都駅に対象を絞り、さらにモノクロ処理を施した物に限定してご紹介してみようかと思います。
建築物の高さ制限のある京都市中心部にあって、ひときわ異彩を放つ京都駅。
改札を出てみると巨大な吹き抜けのフロアになってます。古都である京都に来たつもりが未来都市に迷い込んだ感じ。未来都市といいましたが、オイラがこの景色を見て真っ先にイメージしたのが、19世紀のイギリスにあったクリスタルパレスでした(笑)。
4~5フロア分はあろうかという階段。
ここを駆け上がるイベントとかもあるそうです。
巨大な門のような吹き抜けの廊下。
SF映画に出てきそうな印象の京都駅ですが、もちろん1歩外に出れば千年の都がお出迎えしてくれます。いくつか歩いて回りながら撮った写真もありますが、それはまた後日にでも。
(Nikon COOLPIX P50)
街撮りの途中で元町中華街に立ち寄った。
ニュースでは中国製加工食品の食中毒に関する情報が飛び交っているけど、はたしてどうなるのだろうか。いまや日本の食卓に中国産の食材は欠かせないわけで、単純に締め出してしまえばいいということにもならない。かといって毎日食べるものに過剰に神経質にならざるをえないという状況も望ましくない。
中国人はおおらかで細かいことは気にしないというのが良く聞かれる話だけど、それが全世界に通用するかというとそうでもないわけで、そのあたりの気運をどこまで本気で察して対応するかが今後の彼の国の課題なのかもしれない。
オリンピックも近いことだし、ここはひとつ、メンツにこだわる彼の国の気質に期待することにしましょうかね。
ちなみにこの写真は例の報道の前のショット。
いまの中華街がどうなっているかは見てないので知らない。
街撮りの途中で元町中華街に立ち寄った。
ニュースでは中国製加工食品の食中毒に関する情報が飛び交っているけど、はたしてどうなるのだろうか。いまや日本の食卓に中国産の食材は欠かせないわけで、単純に締め出してしまえばいいということにもならない。かといって毎日食べるものに過剰に神経質にならざるをえないという状況も望ましくない。
中国人はおおらかで細かいことは気にしないというのが良く聞かれる話だけど、それが全世界に通用するかというとそうでもないわけで、そのあたりの気運をどこまで本気で察して対応するかが今後の彼の国の課題なのかもしれない。
オリンピックも近いことだし、ここはひとつ、メンツにこだわる彼の国の気質に期待することにしましょうかね。
ちなみにこの写真は例の報道の前のショット。
いまの中華街がどうなっているかは見てないので知らない。
(Nikon COOLPIX P50)
ピータンこと二代目P50だけをポッケに入れて街撮りしてきました。
この日は基本的に手ぶら。普段の一眼での街撮りだとカメラバッグを担いでてもそれほど苦にしてませんが、いざ手ぶらでてくてく歩きながら目に留まった風景を、ポッケから小さなカメラを取り出して撮る、あるいは手に持ったまま歩きながら撮るというスタイル実践してみると、そのなんと身軽なことか。
気負わずに、素直に撮る。
画質がどうの、焦点距離がどうの、レンズ交換がどうのというようなことをまるで考えずに、撮りたくなった時に撮るというスタイルは、写真を撮るということの楽しさのひとつ、というか原点に近いのかもしれない。
撮影条件が良くないと撮らないでいたために見逃していた、撮っておくべきだった情景というものが確かにあるわけで、たとえピンぼけになってしまった1枚だとしても、そこからまた新たに感じることのできる写真というものがあるのだと思う。
ピータンこと二代目P50だけをポッケに入れて街撮りしてきました。
この日は基本的に手ぶら。普段の一眼での街撮りだとカメラバッグを担いでてもそれほど苦にしてませんが、いざ手ぶらでてくてく歩きながら目に留まった風景を、ポッケから小さなカメラを取り出して撮る、あるいは手に持ったまま歩きながら撮るというスタイル実践してみると、そのなんと身軽なことか。
気負わずに、素直に撮る。
画質がどうの、焦点距離がどうの、レンズ交換がどうのというようなことをまるで考えずに、撮りたくなった時に撮るというスタイルは、写真を撮るということの楽しさのひとつ、というか原点に近いのかもしれない。
撮影条件が良くないと撮らないでいたために見逃していた、撮っておくべきだった情景というものが確かにあるわけで、たとえピンぼけになってしまった1枚だとしても、そこからまた新たに感じることのできる写真というものがあるのだと思う。