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チベット人とアイヌ人

2012-09-24 16:39:29 | 歴史
中国共産党の主張は「チベットの民衆を抑圧から解放した」というものだ。
これをどう評価するかがチベット問題の大きなポイントである。
中国共産軍によって「解放」されるまで、チベットは非近代的な社会を保っていた。
迷信を信じ、「病は祈祷によって治る」といわれていたが、近代化によって病院が建設され、
チベット人は病気の恐怖から「解放」されたのは事実である。
また学校も建設されて数学や理科を学び
近代科学の技術を手に入れることができたのも事実だ。

英国もインドを統治し、近代科学文明に触れる機会を与えた。
鉄道を建設し、経済活動のためのインフラも整備した。
つまり中国がチベットで行ったことは
英国がインドで行ったことを模倣したに過ぎない。
同じ事をしても中国人と英国人とでは評価が違う。
「中国人だけ責められるのは納得いかない」というのが中国共産党の言い分である。

インドシナはフランス領となり現地人は過酷な税の取立てに苦しんだ。
アヘン取引でもフランス人はぼろ儲けした。
日本軍によってフランス人が駆逐され、
太平洋戦争が終わると独立運動が盛り上がり、フランスはインドシナの占領を再び試みる。
それは中国共産軍がチベットに武力で侵攻した時期と見事に一致する。
だからフランス人に中国人を非難する資格はない。

北海道はアイヌ人の領土であった。
19世紀の日本は近代化を推し進めると同時に、西洋の植民地獲得のノウハウを手に入れて、
北海道全土を日本の領土にした。
それを達成するため、虐殺や搾取なども起きている。
日本の近代化達成までの歴史の闇がそこにある。
アイヌ人は日本人の武力に屈し被支配者となった。
けれども近代化の恩恵も受けて病院や学校に行くこともできるようになった。
この歴史をどう評価するべきだろうか?

近代化を19世紀の終わりまでに達成した国の多くが暗い過去を引きずっている。
歴史歪曲は西洋列強の十八番だったのである。
中国のチベット支配の是非を問うことは地雷を踏むことに繋がる。
日本人や欧米人は「過去は過去、現在は現在」と合理的な考え方をするが、
中国人にそれは通用しない。
もし日本人がチベットについて物申せば中国人はこう言うかも知れない。
「北海道をアイヌ人に返してやれ」



政治を改革する方法

2012-09-22 23:19:54 | 歴史
かつて徳川家康に対する評価は散々なものだった。
山岡荘八が小説「徳川家康」を出版して高く評価されるまで
家康は朝廷の敵であり典型的な悪者だった。
江戸時代、家康は「神君家康公」と称せられていたが
薩長によって幕府が倒され、その評価は一変する。
何故なら薩長による明治政府樹立の正当性を主張するため
江戸時代を全否定しなければならなかったからだ。

現在においても韓国は政権交代すると
新政権は前政権の全否定を行うのが通例となっている。
長州藩は朝鮮と近かったせいかどうか分からないが
今の韓国政府とよく似ていた。
長州藩は幕府に蔑ろにされ、苦汁をなめ続けた。
倒幕は幕府への復讐であり政権奪取が目的であったのだ。
だから政権を掌握すれば幕府を否定するのは当然だった。
江戸幕府を築いた家康をとんでもない悪党にしなければならなかったのである。

愛知県のイメージは近年徐々に改善されつつあるが
元来、あまり芳しいものではない。
「愛知県民=田舎者」という図式を作ったのは明治新政府であった。
「長州藩士=田舎者」と幕府からバカにされてきたものだから
長州藩が政権を握った途端立場を逆転させてしまったのである。
そもそも愛知県の悪いイメージを作ったのは明治新政府だったのだ。

そして明治政府の歴史観をそのまま引き継いだのが司馬遼太郎である。
司馬は兎に角、長州藩を褒め称え、三河藩には辛辣だった。
司馬の歴史観は明治政府の歴史観そのもので偏見に満ちている。
だが司馬作品が大衆に受け入れられ「長州藩=正義」という認識が定着してしまった。

実は幕府が倒される時にはいろいろなことが起きていて
明治政府はその負の部分を隠蔽してしまったため今でも謎が多い。
長州藩を支援した英国人工作員グラバーのこととか、孝明天皇暗殺のこととか闇の部分がとても多いのである。

政治改革が急務の現在、日本人は真の歴史に目を向けるべきではないだろうか?
現在の政治の基礎を作ったのは長州藩だからだ。
明治維新とは一体全体何だったのか?
何故、幕府は倒されたのか?
何故、明治天皇は東京に住み、洋装をしなければならなかったのか?
歴史の闇の部分に光を当てなければ真の政治改革はできない。