中国共産党の主張は「チベットの民衆を抑圧から解放した」というものだ。
これをどう評価するかがチベット問題の大きなポイントである。
中国共産軍によって「解放」されるまで、チベットは非近代的な社会を保っていた。
迷信を信じ、「病は祈祷によって治る」といわれていたが、近代化によって病院が建設され、
チベット人は病気の恐怖から「解放」されたのは事実である。
また学校も建設されて数学や理科を学び
近代科学の技術を手に入れることができたのも事実だ。
英国もインドを統治し、近代科学文明に触れる機会を与えた。
鉄道を建設し、経済活動のためのインフラも整備した。
つまり中国がチベットで行ったことは
英国がインドで行ったことを模倣したに過ぎない。
同じ事をしても中国人と英国人とでは評価が違う。
「中国人だけ責められるのは納得いかない」というのが中国共産党の言い分である。
インドシナはフランス領となり現地人は過酷な税の取立てに苦しんだ。
アヘン取引でもフランス人はぼろ儲けした。
日本軍によってフランス人が駆逐され、
太平洋戦争が終わると独立運動が盛り上がり、フランスはインドシナの占領を再び試みる。
それは中国共産軍がチベットに武力で侵攻した時期と見事に一致する。
だからフランス人に中国人を非難する資格はない。
北海道はアイヌ人の領土であった。
19世紀の日本は近代化を推し進めると同時に、西洋の植民地獲得のノウハウを手に入れて、
北海道全土を日本の領土にした。
それを達成するため、虐殺や搾取なども起きている。
日本の近代化達成までの歴史の闇がそこにある。
アイヌ人は日本人の武力に屈し被支配者となった。
けれども近代化の恩恵も受けて病院や学校に行くこともできるようになった。
この歴史をどう評価するべきだろうか?
近代化を19世紀の終わりまでに達成した国の多くが暗い過去を引きずっている。
歴史歪曲は西洋列強の十八番だったのである。
中国のチベット支配の是非を問うことは地雷を踏むことに繋がる。
日本人や欧米人は「過去は過去、現在は現在」と合理的な考え方をするが、
中国人にそれは通用しない。
もし日本人がチベットについて物申せば中国人はこう言うかも知れない。
「北海道をアイヌ人に返してやれ」
これをどう評価するかがチベット問題の大きなポイントである。
中国共産軍によって「解放」されるまで、チベットは非近代的な社会を保っていた。
迷信を信じ、「病は祈祷によって治る」といわれていたが、近代化によって病院が建設され、
チベット人は病気の恐怖から「解放」されたのは事実である。
また学校も建設されて数学や理科を学び
近代科学の技術を手に入れることができたのも事実だ。
英国もインドを統治し、近代科学文明に触れる機会を与えた。
鉄道を建設し、経済活動のためのインフラも整備した。
つまり中国がチベットで行ったことは
英国がインドで行ったことを模倣したに過ぎない。
同じ事をしても中国人と英国人とでは評価が違う。
「中国人だけ責められるのは納得いかない」というのが中国共産党の言い分である。
インドシナはフランス領となり現地人は過酷な税の取立てに苦しんだ。
アヘン取引でもフランス人はぼろ儲けした。
日本軍によってフランス人が駆逐され、
太平洋戦争が終わると独立運動が盛り上がり、フランスはインドシナの占領を再び試みる。
それは中国共産軍がチベットに武力で侵攻した時期と見事に一致する。
だからフランス人に中国人を非難する資格はない。
北海道はアイヌ人の領土であった。
19世紀の日本は近代化を推し進めると同時に、西洋の植民地獲得のノウハウを手に入れて、
北海道全土を日本の領土にした。
それを達成するため、虐殺や搾取なども起きている。
日本の近代化達成までの歴史の闇がそこにある。
アイヌ人は日本人の武力に屈し被支配者となった。
けれども近代化の恩恵も受けて病院や学校に行くこともできるようになった。
この歴史をどう評価するべきだろうか?
近代化を19世紀の終わりまでに達成した国の多くが暗い過去を引きずっている。
歴史歪曲は西洋列強の十八番だったのである。
中国のチベット支配の是非を問うことは地雷を踏むことに繋がる。
日本人や欧米人は「過去は過去、現在は現在」と合理的な考え方をするが、
中国人にそれは通用しない。
もし日本人がチベットについて物申せば中国人はこう言うかも知れない。
「北海道をアイヌ人に返してやれ」