日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

ドロローサ(十字架の道)

2017-02-24 13:55:21 | 日記
「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』。」マタイ26:25



私は他は行けなくてもこの十字架の道だけは行きたかったのです。しかし想像したのとは随分違いました。想像では道の両側に並木があり、ゴルゴダの丘には教会と遺跡があると思っていました。実際は両側は夜店の様な店がずらりです。途中まではアラブ人の店。そこからユダヤ人の店。どうしてなのでしょうね。聞けば遺跡は段々沈む様にここも5mは低くなってる様です。そして多くの人が訪れるので、貧しい人が競ってお土産物店を出したのでしょう。



イエスキリストは強い皮の鞭で数十回打たれ、棘の冠を被らされ、自分の十字架を背負わされこの道をよろけながら歩いたのです。初めてよろけて壁に手をつかれた所があり、そこを私も触って来ました。残虐なストーリーはまたにして、兎に角罪のないイエスキリストが最も極刑の十字架だったのです。人間の罪の恐ろしさを痛感します。
本当は今も私達はイエスを十字架に着け槍でさしているのです。そして我々が十字架にかからねばならないのに、変わりにイエスは十字架にかかって下さり、私達の罪を赦して下さってるのです。





所々に絵があります。







唯無言で歩きました。



ネコちゃんは何処も同じですね。





色んな道を歩き、帰国してよく考えたら、聖墳墓教会がゴルゴザの丘で、7つの教派の方がここを保管して下さっていたのでした。2000年の間、オスマントルコ、十字軍、その他いろんな国に責められたこの地。よく保管して下さったと感謝を覚えます。



十字架の場所へ向かいます。

上の言葉
イエス様はだれが裏切ろうとしているかを知っていました。だから、本人にはっきり指摘したのです。しかし、彼は意に介さず他人ごとのようです。それはユダのみならず私たちも同じです。主を裏切ることの多い私たちは、「いや、あなただ」と言われるのに聞こうとしません。サタンの力で心が頑なになっているからです。主のみ声を聞くなら、素直に従おうではありませんか。(KE)
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