日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

嵯峨模様

2016-03-25 10:08:15 | 日記
主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。(詩篇34篇18節)>



嵯峨へ行ったのは今月16日でした。もう随分時間が経ったような。夫がこんな遠くへ連れてくれるのは感謝で嬉しい事ですが、性格の違いでしょうが、私は見て良かったらパチパチ思い切りよく撮るのですが、いつも夫は遅い!慎重にゆっくりとパチ。さっさと撮って、帰ってからマズイのは削除すればいいのですがね。



そんなこんなで私ならこの竹の道なら2時間で終わりですが、なんと4時間!待ち草臥れた、、、連れて来てもらってそうはいえなです。我慢の子でした。





それぞれ楽しんでられるのを見ました。



10時になれば人力車が一斉にお客を乗せ出発の様です。





お店も嵯峨は日本風のもの、オシャレで欧風のもの様々で楽しめます。



保津川べりでパチリの皆さん。悪趣味かも解らないけど思わず顏が綻びました。





楽しいですが、お腹も空き、待ち草臥れもしてレストランへ。

帰って夫の画像を見れば、竹藪を横に撮ったのばかり。真ん中に道を入れ、両横の竹がスーと伸びたのがここの美しさで特徴では!?、、、何やら人が通り過ぎるのをじっと待っていた様でした。そりゃここは人の途切れる時は無いでしょう。だから時間がかかるはずだ!後日、夫だけがまた撮り直しに出かけました。天龍寺の竹も撮って、竹の道の写真を飛び切り良いのを撮って来ました。ア~ア。

上の言葉
(心の打ち砕かれた者、魂の打ち砕かれた者とはどんな人でしょうか?何かで自己掲示欲、貪欲、自己中心等を疎外され、助けを必要とした状態の人を指すと思います。そういう人に主は心の戸を叩かれるのです。戸を開くのはその人の自由ですが、戸を開き、神の言葉に聞きいり、その言葉が真実であると悟った人が救われるのです。
だから苦難も益です、との御言葉通りなんです。心が渇き、生ける水の主を受けようとする人をいいます。)
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