雑談の達人

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孫正義のスピーチ、中国では見れません。

2010年04月06日 | ビジネスの雑談
ソフトバンクの孫正義のスピーチが、あちこち有名ブログ話題になっているが、検閲大国の中国では、残念ながら見られない。中国では動画サイトは、中国民族系のサイトか、ニコニコ動画ぐらいしかアクセスできない。

「ツイッター総研」とやらがまとめた、スピーチの起こし原稿さえ見られない。
そもそも、ツイッターへのアクセスが遮断されている。

グーグルがあきれて出て行くのも、むべなるかなという感じである。

で、ちきりんのメモ経由ぐらいでしか、そのスピーチの骨子を知りようもないのだが、孫正義氏の超人的な活躍ぶりと、ケタはずれの志の崇高さの秘密は、実は↓が理由ではないかな、と。筆者のただの推測に過ぎないのだけど。

以下、ちきりんのメモ引用。

<病気> 起業した直後、26歳の時に病気が見つかる。その後29歳まで重い慢性肝炎の治療のため、3年以上入退院を繰り返す。すべてを失う。当時「もってあと5年」と言われている。

健康であったとしても、いつか死ぬ。命に限りがあることは、皆平等だ。そんなことは当たり前だ。だが、私たちは、明日も明後日も、来月も来年も、今日と変わらない日(あるいは、今日と少しだけ違うことが起こるが、まぁほぼ想定内な日々)が来てくれると信じて生きている。まずは、平均寿命ぐらいまでは生きられるだろうという前提(根拠なし)で、のほほんと凡庸極まる将来設計をたてている。

でも、実のところ、そんな保証はどこにもない。明日、交通事故でいきなり死ぬかもしれないし、くだらない通り魔に刺されて死ぬかもしれない。孫正義のように不治の病を宣告されるかもしれない。そんなふうに、人生の終わりが突然やってきても、与えられた時間の限り、やれるだけはやったんだと言えるほど、私たちは日々懸命に生きているといえるだろうか?

明日出来そうな面倒なことは今日やらないのが、弱い弱い人間のサガである。筆者も無論、例外ではない。だが、孫正義は病気ゆえに、「今すべきことを完全にやりきる」生き方しか残されていなかったのではなかろうか。(孫正義自身、アメリカ留学を前に高校を中退して、敢えて退路を断っており、自分の弱さを認めている。)寿命にタイムリミットを宣告されたことが、孫正義をして、一層自分の人生を猪突猛進せしめたのではないか。

と、肝心のスピーチも見ていない筆者は、時間を浪費して、ツラツラと駄文を書き連ねるのであった。

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