雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

続・リーダーシップは如何にして育つのか?

2009年06月08日 | ビジネスの雑談
今回は、前回のブログ記事の続きである。

筆者は、一介のヒラ営業マンに過ぎないが、それでも懇意にしていただいている客先では、社長さんや役員の方々とお会いする機会が結構ある。客先も中小企業がほとんどすべてなのだが、それでも従業員を何十人、何百人と抱えるまでに会社を成長させた方々には、普通とはどこか違うものを感じてきた。

色々な方々のお話を総合すると、最初は社長ご本人とご家族だけで始めた会社が、どうにかこうにか軌道に乗り、少しづつ人を増やしていくのだが、その中で極めて優秀な人、いわば社長の右腕的な人の参加により、会社の成長に弾みがつくことが多い。社長はそこで初めて、日常の実務的な仕事を全面的に任せることが出来るようになり、将来における会社の更なる発展に向けた布石を打つことに専念できるようになるのだ。

そうした経験をしているので、上司のすべき仕事、部下のすべき仕事について、確固とした信念のようなものを持っているようだ。多少の失敗は恐れずに部下に任せるべき仕事は任せる、また、経営者として会社の将来のためやらねばならぬと判断したことは、現場を支えている部下の反発を恐れず、持論を貫き通すこともある。他方で、組織がまだ小さかった頃の経験から、優秀な人材が突然抜けることの痛手も良く知っているので、部下の気持ちに対する配慮にも絶妙なものがある。

中小企業の社長さん、役員さんたちは、小さな組織が段々と拡大、成長していくにつれて、多くの人間の力を有機的且つ効率的に生かせるよう、リーダーシップに磨きをかけてきたのである。こういう力は、後付けで勉強したりして、簡単に身につくような種類の能力ではないと思う。

しかし、今の日本で組織が段々と成長していく現場など、ほとんどないのではないか(そもそも、新規採用の抑制と非正規雇用の増加で、若い世代にリーダーシップが求められる機会自体まれである)。だとすると、日本社会は今後益々リーダーシップ不在の負の連鎖へと落ちていくような気がする。

例えば、日本を代表するような大企業であっても、組織の成長を経験した世代は次々と定年を迎え、せいぜい残っているのは組織をリストラして生き残った人たちばかりであったりする。たまたま回ってきた管理職ポストに、これまた、たまたま人事の巡りあわせで配属されてきた部下たち… そんな部下の教育や、彼らの失敗に対する上司としての管理責任など、いちいち取ろうという気すら起きないのも仕方がないことだ。彼らは、既に出来上がった組織に乗せられただけであって、成長に伴って拡大した組織を、うまく機能させようと懸命にマネージメントした経験などないのだ。

筆者の過去の勤め先での苦い経験は、決して特殊なものでないと感じている。実のところ、リーダーシップ不在の病は、日本社会を相当に蝕んでいると思う。そうした危機感から、企業においては、日産自動車のゴーンCEOや、ソニーのストリンガーCEOのように、外国人をトップに招いたりしているほか、政界においても、東国原宮崎県知事や、橋下大阪府知事、河村たかし名古屋市長といった、これまでにないタイプの地方公共団体の長が登場したりしている。しかし、これらの人々は、停滞気味の既存の組織がある中で、そこに突然トップに就いた方々である。しがらみとは無縁なので組織のリストラはできるかもしれないが、将来の展望を描き、良きリーダーシップを発揮できるかどうかは微妙ではないだろうか(実際、改革路線のトップと事務方の対立は激しさを増すばかりで、当の国民もそれを他人ごとのように面白おかしく見守っているだけけのように見受けられる)。



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