雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

「相対的」金銭感覚、「絶対的」金銭感覚

2009年08月31日 | その他の雑談
最近、長年の節約暮らしの影響か、自分の金銭感覚が、「相対的」感覚から、「絶対的」感覚になりつつあるな、と感じている。このままでは、読者の皆様には何のことやらサッパリ分からないと思うので、以下、説明する。

金銭感覚というのは、本来「相対的」なものである。例えば、普段300円ぐらいするラーメンが、特価で250円なら、安いと感じる。他方、これまで300万円ぐらいしていた自動車が、エコカー減税で250万円ぐらいで買えるのなら、これも安いと感じる。数字だけみれば、それぞれ250円、250万円と、1万倍の差があるが、対象となる商品の通常の価値に照らして高い、安いといった判断を働かせるので、「安い」と感じる絶対値としての金額はない。これが、「相対的」の意味である。

他方で、3000万円する高級外車が、2500万円になっても、やっぱり高いと思うだろう(無論、ごく普通の金銭感覚を持つ人の話だが)。ある一定金額を越えると、自分の通常の経済活動の範囲を超えるので、どんなに値下げされようと、それは「高い」となる。これが、「絶対的」な金銭感覚である。

さて、筆者の金銭感覚であるが、ここ数年、無条件に高いとの判断に至る「絶対値」がドンドンと下がり続けている。具体的には、20万円+ちょっとの手取りの月給を超えると、どんなものでさえ「高い」との判断になる。半分の10万円でも、黄色信号が転倒する。「半月苦労して働かないと、これが買えないのか」と考えると、ほとんどの場合ブレーキがかかる。イエロー・ストップ。安全運転の基本である。将来の不測の事態に備えて、ちょっぴりだけ貯金をしているが、これは一切関係ない。ささやかな貯金があっても、絶対的金銭感覚は上方硬直性を堅持している。

この先、日本の製造業は中国に追い抜かれ、没落する一方だと思うので、製造業の最底辺あたりで生き抜く筆者の給料が伸びるとは全く思っていない。ボーナスが支給見送りになったとしても、それさえ織り込みつつ生活するディフェンシブ態勢である。そのため、金銭感覚が月給を基準に絶対化してしまったのではないかと思う。

さて、自動車もマンションもさっぱり売れないと聞く。エコカー減税、住宅ローン減税などなど、あの手この手で余計な買い物を我々貧乏人に無理強いしようと、官民挙げて必死のようだが、まぁ、無駄な努力だろう。ハイブリッドカーは多少売れているようだが、需要を先食いしているだけで、その内息切れするに決まっている。

何故売れないか。結局、金銭感覚の絶対化。コレではないかと勝手に推測している。「車が50万円もお安いですよ!」と言われても、こちらにしてみれば、10万円以上のものはすべて高いのである。意地でも買わせたいなら、10万円以下の自動車を売っていただくしかない(ただ、維持費を考えれば、車だけで5万円ぐらいでないと、買うつもりも起きないが)。

そういえば、一時高くても売れていた薄型テレビも、どれもこれも10万円以下の叩き売り時代に突入した。パソコンも、スペックを最小限にした10万円以下のモデルが人気だ。絶対的金銭感覚が広まりつつある中で、企業は未曾有の消耗戦を強いられるだろう。


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