雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

宮迫博之氏は究極のネタを手に入れてしまった。

2012年12月10日 | その他の雑談
現代の日本人が最も恐怖を感じているものは何か?

大地震と津波?
北朝鮮のテポドン? 
中国の反日暴動? 
原発事故と放射線? 

どれも全く比較にならない。それほど恐ろしいものがある。他でもない、癌である。癌こそが、日本人が最も忌み嫌い、徹底的に恐怖し、あらゆる手段で逃れようとする(無駄だが)、悪魔の病気である。どれほど早期発見であっても、一瞬であれ死神が枕元に立っていたという現実に、絶望の淵にたたき落とされるのだ。

宮迫氏をめぐる変に生温かい、妙に腰の引けた、気色悪いマスコミの報道を見ていて、ふと思った。
彼はお笑い芸人としては、余りに重すぎるネタを背負ってしまったのではないか、と。
だからこそ、本人も事務所も当初は病名を隠していた。しかし、隠していたからこそ、すぐに明らかになってしまった。日本人にとって必死に隠さねばならない病気など、ただ一つしかないからだ。

日本人にとって、癌は恐ろしすぎる。日本は清潔で伝染病もなく、戦争も半世紀以上ない。時折災害や地震その他の天変地異でまとまった数の日本人が死ぬことはあるが、全体からすれば微々たる人数で、その内「運が悪かったね」ということで、やがて確実に忘れられていく。大量の日本人が無差別、問答無用かつ理不尽に殺されていく原因は、最早癌ぐらいしかないのだ。

そんな日本人が、いささか異常なシンパシーとともに彼を見つめている。「早期発見で治る可能性が高い」と言われているにも拘わらず、宮迫氏が既に全く違う人生を歩み始めたかの如き珍妙な報道が続いている。もっと絶望的な難病に苦しんでいる人間は5万といるのである。さらに言えば、決死の覚悟で除染や原子炉の冷却に取り組む東京電力の作業員や、ならずものの中国人から命がけで尖閣諸島を守っている海保の皆さん方の安否には全く無関心な日本人が、宮迫博之という、それなりに売れてはいるが、たかが一お笑い芸人の身の上を固唾を飲んで見守りつつ、病状を案じている。

「もう冬やな~( ̄ー ̄)寒いわ~ 温泉とか行きたいな~ イヌもう一人かいたいな~ 時計欲しいな~ カレー食べたいな~ マッサージ行きたいな~ サッカーしたいな~ よしッ生きよう(^O^)/」(癌患者談)

手術前の彼のツイートである。どうだろう。癌恐怖症の日本人のあなたには、(癌患者談)という筆者の勝手な付けたしを見た途端、このツイートが胸にグサリと突き刺さり、彼がつぶやく日常のたわいもない気持ちをつづる言葉が、妙に輝いて見えたりはしないか。そうした有難迷惑な同情を振り払うべく、彼が必死に軽いノリでつぶやいているにも拘わらず。

宮迫氏は復帰後、これまでと同様に芸人として笑いをとるのは難しいだろう。今後、彼のやることなすことすべてに(癌患者談)という但し書きがつくからだ。望まなくとも彼のこの先の人生は、「不運にも健気に生きる悲劇のヒーロー」としての文脈で見られることだろう。体を張ったドタバタ芸をしても、視聴者に痛々しさを感じさせてしまうだろう。自虐ネタ的に病気を持ち出しても、「心配させまいとする気配り」として逆に変な感動を呼んでしまうだろう。終いには、彼(癌患者)が放つネタは、とにかく笑ってあげないといけないのだという、妙な空気が醸成されることだろう。お笑い芸人としては、とんでもないハンデではないだろうか。「普通に笑いを取れない」ことで、とてつもなく苦悩することになる予感がする。

とはいえ、お笑い芸人という枠組みを超えて、芸能人としては究極の上ネタを手に入れたといえるかもしれない。癌に怯える世間は、一足先に悪魔に取りつかれてしまった彼のことが頭から離れないのだ。テレビから僅かな期間でも消えれば、彼はどうしたんだ、何かあったのか、と騒ぎになるのは間違いない。そう言えば、彼はNHKの大河ドラマでそこそこ良い演技をしていたはずだ。死にゆく運命にある英雄の役を演じたら、傑作と謳われるのではないか。例え完治していたとしても。

冷酷無慈悲な死神に取りつかれつつも、どんな生き方が可能なのか。どこまでもおバカで平和ボケの日本人は、彼のお笑いネタなんかよりも、死と隣り合わせに生きることのお手本を欲しがっているのだ。そのようにして、宮迫氏を「あちら側」の人間と見なし、死は何時でも誰にも訪れ得るという当然の事実を忘れたがっているのである。病気の芸人を無神経に笑い飛ばすよりも、何やら遥かに残酷な気がする。

最新の画像もっと見る