なんだかぐっとシガーロスが身にしみてくる昨今。
甥っ子の学校が流行りの学級閉鎖でシルバーウィーク開けまでお休みとあって、毎日うちに来て暇を持て余している。
友達と遊んでもいけないそうな。
子どもはよく「退屈」と口にするが、
オトナになると、「退屈」の多くは「ゆとり」に変わる。
でも、勘違いしてはいけない。
「退屈」の部分集合として「ゆとり」があるのだから、
「退屈」は「退屈だ」
ゴーヤの苦さや、豆板醤の刺激がわかるようになるのと一緒で、
世界に対する認識そのものが、生きてゆくにつれ深まってゆく。
だから、子どもをうらやんではならないし、
むしろ、「ゆとり」に気づかないことを哀れむべきなのだ。
そう、思う。よし。
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