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親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

マトリョーシカ 7

2009年06月05日 | 物語
ねえ、大丈夫?無職のくせに過労死とか勘弁してよね。


あれ?ここは。どこだ?


何を寝ぼけたこと言ってんのよ、区役所の医務室よ。あんた自分の足で歩いてきて眩暈がするとかなんとかいって、無理を言って寝かせてもらったんじゃない。もう30分も寝てたのよ。

ああ、すいません、本当に。もう大丈夫そうなんで帰りますから。

彼女は区役所の女性職員さんにふかぶかと頭を下げて、僕を、きっ、とにらみつけて言った。

大丈夫でしょ、ほら早く靴履いてよ。

というわけで、僕らは二人で世田谷線に乗り込んだ。

日曜日の夕方の世田谷線は、家族の匂いがする。

それはいつものことだけど、彼女は怒っていた。


本当は嫌なんでしょ。コウカイしてるんでしょ。

いや、ぜんぜんそんなことないよ。ほんとに。

じゃあ、どうして自分の名前を書くときに気分悪くなったりするわけ?ほんっとに意味わかんない。だいたいそういうの失礼なの。アタシのキモチにもなってみてよ、区役所の係りの人だってびっくりしてたのよ。婚姻届書いてる最中に気分悪くなって寝かせて下さいなんて人ハジメテだって言われたのよ。ねえ、聞いてるの?

聞いてるよ、ちゃんと。

ほんとうは嫌なんでしょ。コウカイしてるんでしょ。名前なんて書きたくなかったのね。

そんなことないって。僕はホンキで名前書いたんだよ。「太陽」僕の名前は太陽だって。「めぐみ」に出会えて良かったなあ!ってホンキで思ったんだ!って。

ちょっと大声ださないでよ。名前に本気もなにもないでしょ。でもまあいいのよ。


その後、彼女はしばらく黙って大人しくなった。機嫌も悪くなかった。

夕暮れの路面電車は 静かに僕らを運んでいく。

二人はただおし黙って 窓の外の夕日を眺めている。

穏やかで ありふれた5月の日曜日。

たぶん、恥ずかしくなったんだろうな、僕はそう思ったけど口にはしなかった。





マトリョーシカ 6

2009年06月05日 | 物語
マトリョーシカは光のなかにいた。


そこでは、マトリョーシカがマトリョーシカを見ていた。

二人のマトリョーシカがそこにいたのだ。


あなた誰?マトリョーシカが言った。

誰?私は誰だろう。マトリョーシカも言った。


私はマトリョーシカ。

私もマトリョーシカだと思う。


あなたは違う。あなたは誰?やめて!ちょっと、こないで!!

マトリョーシカが叫んだ。悲鳴というより、絶叫だった。



光の森の空気の密度が薄くなっていく。

その叫びはどこまでも私の中に反響していく。

気分が遠のいていく。

何かがひらひらと足にまとわりついて、それと同時に目の前のもうひとりのマトリョーシカは消えた。




私は、私は誰だろう。





あなたは、あなたよ。


遠くで声がした。

あなたはマトリョーシカじゃない。

でも私はあなたの名前を知らない。

だから、あなたは、あなたよ。


ひらひらとモンシロチョウが揺れている。

ああ、そうか、僕は僕だ。


そう、あなたはあなたよ。

君はメグ。もんしろさんだね。


そう。あなたは誰?

あなたは初めて会ったとき、私のほんとうの名前を知っていた。

それはなぜ?


あなたの名前を知らないせいで、ずいぶんとあなたを探すのに苦労したのよ。

そして見つけた。

あなたはだあれ?


どうか私にほんとうの名前を教えて。

そうでないと均衡が保たれないの。

門はもうすぐ閉じてしまう。

そしたら私もあなたのように失われるのよ。


僕?僕の名前。

僕のほんとうの名前は、「…





マトリョーシカ 5

2009年06月05日 | 物語
私には記憶といえるものがなかった。

無というよりは、前後不覚といった方がいいかもしれない。

なぜこの暗い森に迷いこんでしまったのか、どこへ向かえばいいのか。

そもそも私は誰なのか。

この〈凪の森〉をふらふらと、まるで浮遊するようにして進む。

光を探している。

そうだ、私は光を探しているのだ。

でもここにはまったく光なんてない。

月もない。ただ空は何かの反射を映し出している。

こんなのまったく馬鹿げてる。

馬鹿みたい。


マトリョーシカは腹立ちつぶやいた。

きっと魔法にかけられてしまったのだ。

記憶と、何か大切なものを奪われてしまった。


マトリョーシカは進んだ。

足の裏が乾いた葉を踏むたびに、ぱき、ぱきと土の声が聞こえた。

私は靴もはかず、こんなところをなぜ歩いているんだろう。


破れたシャツの胸もと、そして脇に血、それに膝小僧が痛む。あ、痛み…。

私なんでこんなに傷ついているのかしら。ぼろぼろじゃない。

靴の紐がほどけてる。

結ばなきゃ。結ばなきゃ。

でも今はなんか、そんなことどうでもいい。

とにかく光。

光に向かって進まなくっちゃいけない。


遠くにちらちらと懐中電灯の光が何本も見えた。

ああ、助かった。

でも私を見ないで下さい。

私を見ずに、私を見つけて。


マトリョーシカはつぶやくようにそう願った。


こんなふうにお願いするの高校以来。

ふと、そんなことが頭に浮んだ。


もっとちゃんとお祈りしとけばよかったかも。


そして光に向かって叫び声をあげた。

彼女の望む光はようやく彼女を見つけた。


マトリョーシカはそうして光に包まれた。



マトリョーシカ 4

2009年06月05日 | 物語
とても静かな夜だった。

暗い森の闇がさっきよりずっと深く思えたのも、頭上高くにぽっかりと顔を出した月のせいだ。

牢壁のようにそびえる細い枝、その隙間を縫うように青やら白やらの靄が汗ばんだ頬を照らした。

白く細い指の爪、その先にある闇、それは闇なのだとわざわざ知らせる。

まったく余計な光。

私は腹立たしげにそうつぶやいた。

何も見えないほうがまだましじゃない。

だいたい、どっちに向かえばいいのかもわからない。

どこから来たのかもわからない。

これって普通に考えたら絶体絶命っていうんじゃないの?大ピンチじゃないの、私。


私は歩く。

ミズノのスニーカーは地面の土の柔らかい部分を踏んで、にゅっ、にゅっと奇妙な音をたてた。

土が少し湿っているせいで、買ったばかりのスニーカーは泥にまみれた。こうなるともう紐を結びなおす気もしないが、大丈夫、ヒモは堅く堅く縛ってある。

靴ヒモが緩むのって大嫌い。靴のヒモが緩んでいる人を見るも嫌い。

どうして平気でいられるのかしら。

そのヒモに転けて馬鹿をみるのはあなたなのよ。

そんな風に彼に言ったのがそもそもこんな森をひとりで歩いている原因なのに。

私は自分の口の悪さを呪った。

口は災いの元って言うけど、まったくほんとにそう。

でも、こういうのって生まれつきだからしょうがないのよ。

今、この瞬間からご丁寧におしゃべりさせていただきますわ。

皮肉なんていいませんわよ、なんていう訳にはいかないの。

ああ、私ってどうしてこんなに頑固なんだろう。


私は闇を見つめて歩いていたが、

闇を見つめることもすっかり飽き飽きしてそんなことを考えていた。


すると突然、月明かりとはまったく別の光が彼女の顔を照らした。

強力なLED光。彼女の網膜はしばし麻痺した。



結果的には、それは彼女の待ち望む光ではなかった。

まったく微塵も望まない光だった。


ただその時、わけもわからず、彼女はその光へ入っていった。


それは決して避けられなかった。

それは決して逃れられなかった。


ただ彼女は、その光に吸いこまれていった。



















マトリョーシカ 3

2009年06月05日 | 物語
オオソレミーヨは 不安になってきました。

ぼくをぼくだと教えてくれる そんなひとはほんとうにいるだろうか。

そんなひとがいたとして、このひろいひろいせかいのなか

ぼくはそんなひとにであうことが できるものだろうか

そんなことは さばくのすなつぶのなかから

ひとつぶの輝きを さがすようなものでなかろうか

ぼくは ひあがってしまいはしないか

いや、ぼくはもうひあがっているのかもしれない


オオソレミーヨは もうろうとしてきた。

もしもその輝きをみつけることすらできないなら

ぼくはこのさばくでしんでいくのだろうか

ずいぶんとおくまできてしまった。

もうもどることもすすむこともできない。

ああ、ぼくはこのまましぬのだろうな。

かがやきにふれることもなく

それはなんとさびしいことだろう。



そんなときにオオソレミーヨを まねくものがいた。それは魔女である。

大きな黒い帽子のひさしを爪でぎりぎりひっかきながら、魔女は言った。


おや?きみはお困りのようにみえるね、それもずいぶんずいぶんじゃないか。


オオソレミーヨはもうろうとして応えた。

ぼくは ぼくをさがしているんです。

いや、そうでなくって、ぼくをぼくだと教えてくれる そんな人をさがしているんです。

そんなひとはいるだろうか、いないのかもしれない。そうおもっているのです。


それを聞いた魔女は しわのよったかおをくしゃくしゃにして言った。

おや、そんなこともおまえはしらないのかい?

かわいそうに。わたしはおまえより ずっと、ながくいきているからね。なんでも知っている。

もちろんおまえがおまえであることを 教えることもできる。

そんなことは猫の首をつらまえて、ぽいっ、とほうりなげるのとおんなじくらい簡単なこと。

ただしね、

かわりというは世の理屈 もちつもたれつ もたりかけつつ…。

おまえのほんとうのなまえと交換といこうじゃないか。


オオソレミーヨはじぶんのほんとうの名前があまり好きではありませんでした。

そんなら魔女に名前をあげて、かわりにもっと知りたいことを教えてもらったほうがずっと得だと思いました。


うん、いいよ。

では、契約は成立だね。


『おまえの ほんとうのなまえはなんという?』


『ぼくの名は太陽』


その瞬間、辺りの風がやみ、砂漠が消えて、深い森があらわれた。



                  <凪の森>




オオソレミーヨはびっくりした。どうやったらこんな風に世界がかわったりするものだろうか。ぼくは、どこにきてしまったのだろうか、と。


魔女は言った。

お前のほんとうのなまえはいただいとくよ。

いいなまえをもっているねえ。このなまえは上等さ。なんたってこれはあらゆる光のミナモト、生命のイブキ、すべての父なるもののショウチョウだ。おまえはおまえの父親からこのなまえを受継ぎ、そしてその意味するところを忘れた。それはとてもとても大きな過ちだったといえるねえ。もっともそんなこと、おまえにはわからない。まあよく肝に銘じておくんだね。取引というものは、さきにあげてしまう者がいちばんキケンをともなう。それもおまえの失敗だった。ああ、そうだ。かわりのなまえをおまえにやろうじゃないか。これよりおまえはオオソレミーヨではない。今のおまえにぴったりのなまえ、それはマトリョーシカ。



マトリョーシカは言った。

私はマトリョーシカなんて名前じゃない。私は…、誰。誰だろう。

私はついさっきまで違った考え方、違った名前、違った世界にいやしなかった?いや確かにいた。でもすっかりそれを忘れ、私は深い森の中にいる。

そして私は今 誰と話していたのだろう。

私はひとり、この森で気を失っていたのだろうか、何をしにこの森に入り、どうやってここから出てゆけばよいのか、さっぱり私にはわからない。

ただわかっていることは、この森は暗く深いということ。

そして私は 今も昔も ずっと独りぼっちだったような気がする。


歩かなきゃ、とにかく、歩かなきゃ。

光を探すのよ。

あの光じゃない。

あれは嫌。

歩くの。とにかく歩くの。


そうしてマトリョーシカは〈凪の森〉を歩き始めた。










マトリョーシカ 2

2009年06月04日 | 物語
オオソレミーヨは出かけることにしました。

ぼくをぼくだと教えてくれる そんな人をさがさなきゃ。

でないと、ぼくはなににもなれない。


ウチを出てしばらくすると 小さな白い女の子に会いました。

あまりにしろくてもんしろちょうのようでした。

ねえきみ、ぼくがだれだかわかるかい?(もんしろさん、もんしろさん)


あたし、あなたのことなんかなんにもしらない。

そもそもあたし、もんしろさんなんかじゃない。わたしはメグ。

目がぐりぐりしてるからメグっていうの。


そうか、メグさんはじめまして。(なんでわかったんだろうか)

でもぼくがだれだか知らないね。


そりゃそうよ、だっていまはじめてあったじゃない。


オオソレミーヨは思いました。

はじめてあっただけで、ぼくがなにものかわかるものだろうか。

ぼくをぼくだと教えてくれる、そんな人ならきっとわかるにちがいない。


オオソレミーヨは また歩きだしました。

さよなら、メグさん。(さようなら)

うしろでかぜが まいました。


オオソレミーヨは ずんずん進む。

そのうち歌を唄いだしました。


♪♪ ♪♪♪ ♪ ♪♪♪

すすめ、すすめよ、どこまでも。

ぼくを ぼくだとおしえてくれる

そんなひとに であうまで

かぜをひかない なきださない

ドン ドン カカカ ドン カカカ

なげださないし あきらめないぞ

トン トン ツツツ トン ツツツ


すすめ、すすめよ、どこまでも。

ぼくは あなたの オオソレミーヨ

♪♪ ♪♪♪ ♪ ♪♪♪






マトリョーシカ 1

2009年06月04日 | 物語
オオソレミーヨは言いました。

ぼく、大きくなったら王さまになりたい。

するとお母さんは言いました。

ざんねんだけど、この国に王さまはいらないのよ。


なんで王さまはいらないんだろう。

ぼくは王さまになりたいのに。




オオソレミーヨは言いました。

ぼく、大きくなったら魔法使いになりたいな。

おまじないをかけて、お母さんをしあわせにするんだ。


するとお母さんは言いました。

魔法使いなんていないのよ、私は魔法がなくてもしあわせなの。


お母さん、夜中に泣いたのぼくみたよ。

でも口にはしませんでした。




オオソレミーヨは言いました。

そしたらぼく、おかあさんのお父さんになってあげるね。

するとお母さんはなんにも言わず、いんげんをかじりました。


なんでぼくにはお父さんがいないんだろう。

ほかの子たちにはみんないるのに。




オオソレミーヨは言いました。

ぼくやっぱりお父さんになるよ。


するとお母さんはやっと顔をあげて こう言いました。


あなたのお父さんはね、あなたのなかにもういるの。

お母さんのお父さんもね、あなたのなかにもういるの。

だからなんにも心配しなくていいのよ。

あなたには いつかきっとわかるの。


それがいつかわかるとき、お母さんはほんとうにしあわせになるのよ。


オオソレミーヨにはよくわかりませんでした。

なんでぼくのなかに、ぼくのお父さんがいるんだろう。

ぼくのなかなんて ちっともみえやしないのに。




オオソレミーヨは困ってしまって言いました。

それじゃ、ぼくなににもなれない。

王さまにも魔法使いにもお父さんにもなれない。

ちょっぴりかなしくなって涙がこぼれました。



するとお母さんが言いました。

なにかにならなくたっていいの。

あなたはもうあなた。

あなたはあなたで それでもういいの。


どうしてもなにかになりたいのなら、

あなたをあなただと教えてくれる そんな人をさがしなさい。

その人にあえば、あなたはいやでもなにかになるの。

私もそうして あなたのお母さんになったのよ。



オオソレミーヨにはよくわかりませんでした。

ぼくをぼくだと教えてくれる、そんな人はいるだろうか。









だんな様へ

2009年06月03日 | 物語
桜は満開だった。

夕暮れ時の千鳥ヶ淵。穏やかな風に花びらはヒラヒラと舞い、水面をうす桃色に埋め尽くしていた。

すべてが美しく思えた瞬間、ふいに空気がねじ曲がる気がした。すれ違ったカップルはウチのだんなであった。

発端は去年の2月、子どもの受験のまっただ中だった。

「すべてを捨てて彼女のところに行こうかと考えている」

その言葉に私の心はぐしゃぐしゃになってしまった。

浮気は初めてではないが、人生50年でこれほどつらい時間はなかった。子ども3人を育てながら仕事もしてきた。やっとこれから夫婦の2人の時間が持てると思っていたのに。

必死で助けを求め、何十冊もの本を読んだ。たくさんの人が手をさしのべてくれた。「食べなきゃだめよ」と届けられる手作りのおかず。「ケータイ持っていつでも待機しているよ」のメール。犬の散歩ついでに来てくれた友人。気分転換にと、水泳、芝居、映画、食事へのたくさんのお誘い。医者にもカウンセラーにも恵まれた。

だんなの方はすべてを捨てて行くことはとどまったものの、気持ちは行きつ戻りつしているのであろう。しかし、私は大丈夫だと確信している。

起こったことは重いけど、さまざまなことを考え直すチャンスでもあった。私を支えてくれたすべての人に感謝の気持ちでいっぱいである。

だんな様、いつでも両手を広げて待っています。



                  東京都北区 匿名希望 主婦 51歳 




これは2009年6月3日(水)毎日新聞 くらしナビ 「女の気持ち」に掲載されていた匿名希望の投書です。つまり本当のことです。

(もしも問題があるならばお知らせ下さい。削除、あるいは文章をすぐに改めます。)


僕はこの投書を読んでひどくショックを受けた。

なぜかというと、この文章を僕はすでに読んだことがあったから。

いや、正確に言うと場所の描写や住所、年齢などは違っていたが、この文章には既視感がある。

それは以前『宛名のない手紙』として受け取ったある女性からの手紙だった。

あれ以来、返事はなかったので、もう忘れかけていたけれど、今日珈琲を飲みながら新聞を広げていて、おや、と思った。僕はこの人を知っているぞ、と。

正確に言えば、顔も名前も住所も、ましてや会ったこともないこの女性を知っているというのは間違いだけれど、一度手紙を読んでしまった僕としては他人とも思えないのである。

彼女は、手紙ではなく、投書に形を変えてメッセージを発している。

そこで僕はまた悩んでしまう。

「宛名のない手紙」と「投書」というのはいくぶんその位相が異なるからだ。


前者はそれが読まれないことを願っているが、そこに微かな未練がある。

(だから、それが伝えられることに僕はためらいがあった。)

後者はそれを読まれることを知っているが、そこにはもう未練すらない。

(その言葉は、もし相手に届いたとしても、もう彼女に失うものはない)


ああ、と僕は思う。

一見するととても寛容で、お人よしな女性に思えるかもしれないけれど、

僕はそうではないと思う。


彼女がほんとうに望むのは、自活していくココロなのかもしれない。

返事がこないのも、まあ当然かもしれない、そう僕は思った。



手紙をつなぐ店

2009年05月09日 | 物語
店内は静かだ。

営業していないのか、と思うくらいにひっそりとしている。

カウンターの奥から、いらっしゃいと声がしたのでとりあえず進む。

店はせまいが片づいている。壁はくすんだ白の漆喰でまだ新しい。

そういうのは匂いと、反射する塗料の光でわかる。

あの…、青葉通りにオープンした焼肉屋のチラシを置かせてもらえないかと思って…。

おずおずと僕は用件を言った。

あ、そうですか。じゃあ、その辺に置いておいて下さい。

男はカウンター横のスペースを指で示した。そう若くもないが、おっさんというには若い。たぶん、40前後だろう。無精ひげははえているが、身なりは清潔だ。シャツのボタンが一番上まで留まっている。僕は個人的にシャツをきちんと全部閉める人は好きだ。



店内をぼんやり見回す。

年代モノの書き物机が数台並んでいる。アンティークショップか何かを兼ねているのだろうか、とそう僕は思う。

珈琲でも飲んで行きませんか。せっかくですから。と男は言う。

あの…、ここは家具とか売ってたりするんですか、ひょっとして。

ひとまず疑問を先に解消したかったので、僕は尋ねる。

え?ああ、これはね、売り物じゃないんですよ。手紙を書くための机でね。ここは喫茶店なんだけど、手紙を書く喫茶店なんです。

はあ。

机の上に便箋とペンと国語辞典が置いてあるでしょ。あれを好きに使って、ここに来た人は好きなように手紙を書いて出すことができる。僕は毎日ここで書かれた手紙をポストに投函する。

あの…、ここはどれくらいの人が利用するんですか?

男は少し恥らいながら答える。

今のところ、週に5.6人くらいかな。でも、まだ出来たばっかりだからね。お兄さん良かったら、僕の店も紹介して回ってよ。

変わったお店ですね。

というわけで、僕は今、便箋をアンティークの机の上に取り出して、国語辞典で「もんしろちょう」ってどういう漢字だったかしら、と調べているところだ。



窓から、曇りがかった空にこうこうと月が光っている。

満月か、と僕は思う。

店内は音楽すらない。珈琲を入れるために用意されたお湯が、こぽこぽと静かに、いびきをたてているだけだ。

黒くて硬いラバーマットが、薄い便箋の真っ白な紙を通して透けて見えている。ペンは黒のみで、金属製のペン立てには、万年筆とボールペンが種類もまばらに差しこんである。

重そうな本棚が壁に張り付いており、色あせた本が天井に届きそうなくらいぎっしりと詰まっている。難しそうな本に紛れ、永島慎二の『フーテン』が混じっている。

もう一方の壁には、何だかわからない瓶がつらつらとぶら下がっている。

悪くないシチュエーションだ。よくわからないけど。


僕はきみに手紙を書き始めた。

が、案の定何一つ、ほんとうに最初の一行すら浮かばず、

すいません、どうも手紙は苦手でして、出す相手もいませんし…。

とお茶を濁して男に向かってしゃべりかけた。

あ、それでしたら、よかったら『宛名なしの手紙』を書いてみてはどうですか?

思いもしないことを急に言われて、

え…?と、目で疑問を伝える僕。男は続ける。

このお店では、『宛名のない手紙』をストックしているんです。ええと、どういったらいいんでしょうね。ぐりとぐらの絵本読んだことありませんか。海辺で漂っている子瓶に入った手紙を拾う話。あれと似たようなことをやってるんですよ。

さっぱり意味がわからないんですけど…。はい。という僕。話の先を聞きたい。

そこの壁にぶら下がってるガラス瓶、実はその『宛名なしの手紙』が入ってる瓶なんです。うちのお客さんのなかにはお兄さんみたいに手紙を書く相手が特にいないとか、出すに出せなかったりとか、出したいけど住所がわからない人なんかがわりにいるんですよ。そういう人は手紙を瓶に詰めてそこに吊るすんです。

ああ、あの瓶がそうだったんだ。

あの、それって誰でも他の人が読むことできるってことですか?

ええ、もちろんできます。でも、一人一日一つだけ。それに、読んだら返事を書かなくてはいけません。差出人には僕から手紙を転送することにしています。

面白いですね、それ。



というわけで、僕は薄緑色のガラス瓶を一つ選んで、なかの丸まった手紙を取り出した。(丸まった手紙を取り出した人ならわかると思うけど、これはあんがい取り出しづらい。)

手紙の内容はブログには載せられない。

何と言っても現実のどこかの誰かの気持ちなのだから。

ただ、内容からすると僕よりもずっと年上の女の人の手紙だった。

そしておそらく僕ではなく、ある特定の大切な人が読むべき内容の手紙だった。

どうして、これだけの気持ちを伝えられなかったのだろう。

たとえ、この相手の人がどんな立場に今あるとしても、この手紙を受け取って嫌な気持ちになるはずないのに。

こんなに綺麗な字なのに。

この人は、何も求めていないのに。



僕は短い返事を書いた。

趣旨としては、この手紙はきちんと投函し、相手に伝えるべきである。

というものだった。



でも結局やめて、別の内容を書いて男に手渡した。

僕はその日からしばしば店を訪ねたけれど、その女性からの返信はまだない。








アントニオの夢は二度見ない

2009年01月29日 | 物語
昔書いた文章を引っ張り出すのはやはりよろしくない。

と、思いなおし削除。

過去は過去、今も半分は過去だけど、目は前についてるから見えているのは半分ミライ。

言葉の賞味期限についてはつねづね考えていても、ついやってしまうのが悪い癖だ。

さてさて。


アントニオの歌-UA



注記:僕がかつてアントニオについて文章を書いていた頃、UAのこの歌を想定していた訳ではなかったけれど、頭の隅になかったとも言い切れない。ちなみにその時の物語に登場させたアントニオさんは実在するアントニオさんをモチーフにしています。彼は高円寺で小さなバーのマスターをしており、僕は彼の独特の雰囲気がとても気に入っていてつい登場させてしまったのです。UAのこの歌とは無縁です。実物はええ!っていうくらいのおっさんですけどね(笑)



うそつき!

2009年01月28日 | 物語
ねえ、うそつきってどういう人なの?


「自分の言うことは間違っているはずないって信じている人のことだよ。」


それじゃ、みんなうそつきになっちゃうじゃない…。まったくもう…。

じゃあ、正直な人ってどんな人なのさ?



「自分のことをうそつきなんだよ、って嘘をつく人のことだよ。」


…?え?

それってどういうこと?

残酷な夢のプロット

2009年01月18日 | 物語
こんな夢をみた。

僕はある街の商店街を歩いていた。僕の知らない街の知らない商店街。関西のどこかの街だ。というのもいわゆる関東の文化圏とは少し違ってどこかにアジアを感じるというのかな? 夢だからうまくわからないけれど、どこか少し文化的差異を覚える商店街を歩いていた。


僕は仕事の都合により、その街である人と待ち合わせをしているようだ。

だが、予定が変わって-早く着きすぎたのかもしれない-待ち合わせの時間までまだ少し時間がある。

僕は腹が減っていたものだから、その不思議な街のコンビニに入った。



店内には-予想通りというか-僕の食べたいものなど何もなく、しばらくうろうろと歩き回り商品を物色するのだが、どうも店内の様子がおかしい。


陳列用の棚と棚のあいだの床のうえに、スーツを着たおっさんが倒れている。

眠っているのか、死んでいるのかわからないけれど、気持ち悪いから避けて飲み物の棚に向かう。やはり飲みたいものなどない。


視線を移すと、おかしなことに店内の端と端には出店のようなブースが出来ていて、まず若い女が涙を流しながらハムサンドを鉄板の上で焼いている。

なぜ泣いているんだろう?と思いながらも僕は、ハムサンドなら食べたいな、とそのブースの前まで行ってみる。

女は愛想よく僕にハムサンドを作り始めた。すごく手際がいい。でもなぜかぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。

いろいろと、触れてはいけないことが世の中にはあるものだろう、と僕は黙って待っていると、もう一方の端のブースでは男が焼きイカを売っているのが目に留まった。若い、威勢のよい男だった。


もしかしたら、この二人の間に何かあったのかもしれないな、とそう思った時、まさに火蓋が切って落とされたように壮絶なケンカが二人の間で始まってしまった。

男は僕の目の前まで来て女に詰寄って文句を言っているが、女の方もさっきの涙と裏腹にものすごい剣幕で怒り心頭しており、結局、僕はハムサンドをそっとひらうとレジに向かった。


こういうケンカは犬も食わないのだ。


そして、外に出てこの不思議な街の往来で、僕はハムサンドを食べた。味は覚えていない。

ただ、食べた後からものすごい眠気というのだろうか、意識が薄くなっていくのを感じた。

そして、意識の薄くなっていく僕を、待ち合わせていた男なのか、もしくは知らない人なのかもうよくわからなかったけれど、ある屋敷へ案内した。



僕の意識が少し戻ってきたとき、僕はその屋敷のどこかで、エロ漫画を読んでいた。

雑誌ではなく、単行本で、作者は今となっては有名になってしまったがこの頃はこんなのも描いていたんだ的な有名な人の作品。残念だけれど、作者の名前を僕は知らないし、そんなことをここで紹介したい訳じゃない。

ただ、そのいやらしさたるやなかなかのもので、なにせ夢の中で読んでる漫画だから直接的なのか間接的なのかよくわからないエロさなわけです。(まったく…なんて夢だ)

で、そんな恍惚に酔っている僕の前に、さっきの僕を連れてきた男が現れるんです。



まったく何て間の悪い、というか意地の悪い男なんだと思いながらもその男の話を聞いてみたところ、男は傍にいる女を連れて出かけなくてはならないという。


女を見ると、歳の頃は40前後で身なりも品も良い感じで、すごく申し訳なさそうな顔をして黙って座っている。

どこへ行くのか、と訊ねると、ある若い女が催しているパーティーに二人で出かけるのだと男は言う。

しかもその若い女は男の元愛人であり、今そこにいる女もどうやら妻ではなさそうだ。


ますます世の中には触れてはいけなそうなことが多いものだ、と僕は思う。



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と、突如僕は誰かの記憶の中なのか?過去のどこかに飛ぶ。



僕は真暗い管の中を泳いでいる。



まったくの闇だ。



しばらくして目が慣れてくると、横には何かがいる。ポニョみたいに泡をまとった小さな女の半漁人だった。

顔が大きくて目もくりくりしている。髪も黒髪でとてもかわいらしいが、なんせリアルポニョを見たのは初めてだ。

ただ妙に親しみのわく顔をしているせいか、僕は彼女と並んで細い管の中を泳ぐことにする。彼女は始終にこにこしていて自分の行き先を知っているようだ。

僕は彼女に続くことにして、途中に開いた右側の穴からさらに管の中を進み、上昇していく。

すると細い管の先が膨らんでいる、風船状に広がったスペースに到着した。

その風船の上半分は透明のビニールのようで向こう側が透けて見え、そこから白い光が差し込み風船全体をぼんやりと照らしている。


女の子を見ると、にこにこしながらその透明の先の光に向かって

「お父さん!お父さん!」と叫びながら近寄って行くのが見える。

と、ビニールの先に先ほどの間の悪い男が巨大な顔でヌット現れ、来やがったな、というように醜い顔をした。


あるいはそう口にしたのかもしれない。


次の瞬間、男は消えたかと思うと、凄い勢いで先ほど僕らが来た場所と逆の管から追いかけてきた。


そして、あっというまに僕らのいる風船スペースまでやって来た。


彼は半漁人ではなかった。体が小さくぶよぶよして気持ち悪いが人間の姿だ。

そんな彼が僕を見るなり「よく見ていろ」としゃべったかと思うと、女の子の首筋に喰らいつき、彼女の柔らかな白い肉を噛みちぎった。


僕は目を見開いて、そのおぞましい光景を目の前でただ見ていた。


彼女の首から赤いクラゲのように細い血がゆらゆらと湧き出てきたかと思うと、その血は風船内の水をじわじわと侵食していく。




男はといえば、僕を見ることもせずに、もと来た方向へ全速力で泳ぎ始めたので、僕もとても怖くなって後を追った。


小さな女の子は仰向けに「く」の字になって風船の中央に浮かび、だんだんと沈んでいく姿が最後に見えた。顔はもう見る勇気がなかった。






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僕と男は、はあはあと息を切らしながら、さっきの屋敷に戻っていた。

おそらく今の半漁人は、ここにいる中年の女か、もしくは今から会いに行く若い女の子どもだったのだろうな、と僕は思う。


また一方で、僕は彼にどうしても言わなければならない事があって少し悩んだけれど、



「                        。」


と告げた。

男は僕をじっと覗き込んだ。そして、そんな気がしていたが、別に驚くほどのことではないな、と彼はぼそっと答えた。

ふと気づくと、傍に中年の女がいて、僕を仰いで言葉を待っているので、聞かれてしまったのなら仕方がないと思いもう一度、


「                        。」


と彼女の目を見て言った。

彼女は何も答えなかったけれど、僕をひどく哀れむような目をしてショックを受けた様子だった。



(以上 夢 以下 夢の後)



夢から覚めてのちしばらくの間、僕は布団の中で今見た夢を自分なりに解釈しなければならないなと思った。


そして一連の流れを書き出した。





おそらく-あの半漁人は若い女の子どもだったのだな。


と、夢から覚めて数時間経った後になって、やっと僕は悟ったのだった。









※追記

この夢のせいで夜中に汗だくで目が覚めた。

伝わりづらいかもしれないけれど、これはとても怖い夢だったよ。本当に。

「」は僕だけがわかっていればいいセリフなので、割愛しました。





今夜みる夢の話でもしようか

2009年01月10日 | 物語
二人の冷戦が、壁の崩壊を経て静かに終わり、終わりと告げる寂しさに耐えられない二人の怨とも言うべき空がぽっかりと晴れ渡っている、夜。

教義的な二人の轍が道に、その先を見通す限りは-いくどと続く。

ぽくぽくと歩くロバの足音に、僕は耳を澄ます。ロバは轍を頼りに、てくてく歩く。

てくてくと歩く僕とロバが出会うのは、そんな夜で、僕らはそこいらで一休みをする。


「何か食うものはあるのかね」と僕が訊ねると、「もちろんでございますぅよ、ふがふが。」とロバは背中の袋から火縄銃を取り出して僕に向けてマッチを擦った。

「いやいやロバ君、それは本来の食い方とはどうも違うようだね。」と僕はロバの銃を取り上げて空に向けた。


炸裂音は空まで届きそうだった。


静かな夜だったから、音はそこらじゅうにこだまして、やがて何事もなかったかのように吸い込まれていった。

空を見上げると、真暗だった空には月はなかったが、かわりにいくつかの星が瞬いている。



そうなのか、それは散弾銃だったんだね。と僕は一人で頷いた。

追記:詩 「動物園」

ラクダ ガ ボンヤリ タツテマス。

アヲイ オソラ ヲ ミテルノカ。

オクニ ノ サバク ガ

コヒシノカ。

ソレトモ オナカ ガ

スイタノカ。

サンタの贈り物-修正-

2008年12月23日 | 物語
過去の記事をリニューアル。

サンタにお願いはもう済ませませたか?僕は先日酔っ払った帰り道、神社にお願いをしてきました。カタチあるものは恋人に、カタチなきものはカミサマかサンタクロースにお願いしましょう。




朝目が覚めて、テーブルを見やるとなんと!完成した見積書が!!

なんてこと、ないか…。

最近、僕自身追い込まれているせいもあるけど、物欲ってものがとんと無くなってしまった。

循環型環境社会なんて本を読むうちに、ああつまりは僕等がモノを大事にして、モノを買わなくなって、モノを捨てなくなればいいのだろうな、なんて思ってしまうと、新しく何かを欲しがることが何だかめっぽう悪いような気持ちになってしまうんですな、これが。

物欲の塊のような僕がそんなことを思うのはおかしなことで、あまり説得力はない。

とくに衣類を買わなくなったな、ここ何年か。

前も友人と話したけれど、物欲ってものは、見れば刺激されるもの。売る側も必死になってるから、見たら欲しくなるような努力をしているわけだしね。当たり前な話だ。

僕が大学に入ってすぐのころ、第一期物欲放棄時代が訪れた。

それは単純に金がない(まあ、その金のない原因はバイクを買ってしまったことにあるのだけど)ってこともあったけど、衣装にあれこれ工夫したところで自分の価値は変わらんよ、なんて冷めた気持ちでいたりしたのだ。


そんな生活が一年ほど過ぎ、塾講師や家庭教師、焼き鳥屋のバイトを掛け持ちでやるようになって割に金に余裕が出てくると、それまでもっていたシニカルな心持ちはどこ吹く風、僕は好きな服やレコードを迷わず買うようになる。


消費は一度始めるととまらない。

そもそも計画性ゼロな僕は―今ある金はすべて使いきる―という馬鹿げた信念を貫き通した。財を散らす日々が続いた。高い酒もこのころはたくさん飲んだものだな、今思えば。

輝かしい世界に憧れていたんだと思う。

キラキラしてまぶしい夜の都会にね。

それらを幻想だなんて言うつもりはないし、それはそれで素敵なものだと思う。

金が続けば、の話だが。

僕はその後、いくつかの決定的な要因で生活に困窮した。

そうしてここ何年かはずいぶん地味な生活をキープしている。

僕は環境適応という意味ではたぶんなかなか優れた力をもっている(気がする)。金があればあったなりの生活をするし、なければないなりの生活をするのだ。そこでたいした葛藤を覚えたりはしない。

逆に、そこが計画的な人にはあきれられもするところなんだろうな。

自分を持続的にある環境状態におきたいとはあまり思わないんだ。(今はそうは思わないけれど)

ただし、このような僕の生き方は誉められたものでもないし、文字通り不安定だろうな。(本当にその通りだよ。)

そんなことは大昔からわかっていたからこそ、なるべく個人主義をとって生きてきたのだけど、どうもそうはいかないこともわかり始めた昨今。

いやはや。


昨夜、家を間違えてサンタが家にやってきた。

郵便物の配達かと思いきや、髭の爺さんで、彼は唐突にこう言った。


「メリー・クリスマス☆片平さん!」

サンタクロースだ!慈愛に溢れた表情をしているし、赤い帽子の先に星がついてる!

でも、彼は家をまちがえてる…。「いや、あの、お爺さん、僕は片平じゃないですけど…。」と私。サンタというものは三十路も手前の独身アパートにわざわざ来るはずはないのだ。「ありゃ、こりゃ…。間違えたかのう。」と困る爺。

宗教勧誘ではないようだし、僕は気を取り直した。


「でも、これもなにかの縁です。貰いましょう。」玄関越しに手を差し出す僕。

「…。」訳がわからないという顔のサンタ。


「え?何って、プレゼントですよ、プレゼント。あるんでしょう、僕にも。」したり顔で僕は言った。


だが、予想に反して、「…、ないんじゃ。」渋い顔をするサンタ。

サンタのくせにプレゼントもないなんてふてぶてしいなあ、などと思いながら僕は続けた。「え、だって、サンタなんでしょう、あなた。僕にもくれたっていいじゃないですか。プレゼント。」

するとサンタは押し黙り、哀しい顔をして僕に言った。

「お前さん、サンタのことを何にも知らんようじゃから教えるがのう。サンタはお願いごとをしないとプレゼントを届けないということになっとるんじゃ。サンタ機関(WSO)でも調印されとる。お前さん、何も望んどらんじゃろ。たいていの人は心の中に何かしらお願い事をもっとるもんじゃがのう…」


見た限りではあんたさん、何も望んどらんじゃろがね。


玄関先に立つ二人の間に小さな沈黙があった。

やがてサンタが口を開く、「だから、ないんじゃ。」そう言い、お爺さんはトナカイの鼻をくいっとひねって飛ぼうとしたから、僕は慌てて引き止めて言った。

「ちょっと待ってください!お爺さん!僕は確かになんにも望んでないかもしれません。でも、それはモノは欲しくないっていう話なんです。だけど、プレゼントは欲しいんです。僕だって。」

お爺さんは少しやさしい顔をして言った。

「モノじゃないプレゼントが欲しいというんじゃな。」そう言って僕の顔をまじまじと見る。僕は何度もうなづく。

だが、そうしてしばらく僕の顔を見た後、

「では、さらばじゃ。」と言うとお爺さんはトナカイの鼻をくいっとひねって空高く舞い上がった。

「おいおい、プレゼントはどうなったんだよ。」と僕は叫ぶ。

僕の家の狭いマンションの玄関からその姿はすぐに見えなくなった。僕はサンダルのまま、階段を下り、おもての道路に飛び出してサンタを探したが、その姿はもうどこにもなかった。



呆然と部屋に戻り、僕はその夜一人で思いにふける。

そもそも「モノでないプレゼント」ってなんなのか、と。



今朝、目が覚めて、現実はあきれ返るくらいになにも変わらず、僕はまたばたばたと一日を始める。

しかし、僕は昨夜、サンタにモノではないプレゼントを貰った。-はずだ。

でもそれが一体なんだったのかは、見えない。

見えないけれど、

きっといつの日にかそれがわかる日が来るだろう。


そう思い、僕はジングルベルが鳴る朝の商店街を抜け、会社へと向かった。

眠り

2008年10月27日 | 物語
できるだけ、静かに生きていきたい。

眠りこけた山をさくさくと登っていく、その山道をよく思い浮かべる。

あたりは真っ暗。懐中電灯の小さな光が闇に小さな穴をあけ、その穴に一歩一歩足を踏み入れていく。そのようにして前に進んでいくのだ。

しだいに空が白み始め、薄く青いシーツのような世界が生まれる。

懐中電灯も消し、その青い世界をさくさくと登っていく。

心臓の打つ音が聞こえる。

木の葉が触れあう音が、もう怖くない。

そう広くない頂上に出たとき、眼下の町はまだ眠っている。

あの町の中に、僕の知った人も何人かいて、彼らもきっと眠っているだろう。

そう思うとき、誰かの眠りを想像するとき、心安らぐ。

出来る限り深く眠っていて欲しい。