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田沼意次1719-1788を激しく憎んだ松平定信1759-1829

2010年03月30日 | 池波正太郎 江戸時代

 松平定信は8代将軍吉宗の孫にあたり、定綱系久松松平家第9代当主である。 御三卿田安徳川家初代当主・田安宗武の7男として生まれ、田安家を継いだ兄徳川治察が病弱凡庸であったために田安家の後継者、徳川将軍家治の跡目ともされていたが、田沼意次による政治を賄賂政治と批判したために存在を疎まれた。そして田沼政権を恐れた一橋家当主一橋治斉によって松平庶流の白河藩・松平定邦の養子されてしまった。定信はこれによって田沼意次を憎み、後に意次暗殺を謀ったともいわれており、一方で幕閣入りを果たすために田沼意次に賄賂を贈ったという逸話もある。

【田沼意次1719-1788】赤字財政で倹約増税
1719 紀州藩田沼意行1686-1735の子として誕生@江戸屋敷
1745 家重の将軍就任、本丸出仕 
1748 1400石に加増 
1758 郡上藩の百姓一揆制圧後1万石の大名 
1759   田安徳川家初代の7男として松平定信誕生
1761 家重死去、その子家治の信任厚く昇進
1767 側用人、5000石加増
1769 老中格
1772 57000石、老中、財政改革(以下への課税)
    ・専売制
    ・鉱山開発
    ・蝦夷地開発
    ・手賀沼干拓
      →
    ・諸大名、庶民の反発
    ・賄賂、縁故人事横行
    ・農民困窮、農村荒廃 →農業人口は140万人減(当時の人口の5%)
    ・農民の都市収入、無宿化
1783    天明の大飢饉 
       ・松平定信による藩政改革 
1784 田沼意次の子・意知暗殺 
1786 家治死去
    ・老中辞任
    ・20000石没収、大坂蔵屋敷没収
    ・蟄居
    ・孫がかろうじて大名受け継ぐ
    ・柳沢吉保1659-1714、間部詮房1666-1720と比べて過酷な処罰 
1788 死去
1787 田沼意次失脚後には松平定信が老中首座@徳川家斉
    ・田沼意次系を一掃粛清
    ・寛政の改革1787-1793で幕政再建:財政緊縮政策→備蓄金は100万両増
    ・農村復興
    ・民衆蜂起再発防止
    ・倹約令、風俗統制令→江戸は不景気
    ・
    ・       

 さて、吉宗には後継者問題という大きな悩みがあった。次男の宗武(田安家初代当主) 以下は優秀であったが長男の家重は生まれつきの重度の言語障害であったということである。 しかし結局吉宗は宗武派を諌め、長男の家重を将軍の座にすえた。 これは家康がとった考えと同じで安易に次男を後継ぎにすれば必ず御家騒動に発展するという歴史を知ってのことである。 当初吉宗は大御所となって家重を監督したのであるが、6年後には吉宗が世を去りあとは家重が独り立ちして政治を行っているから、大岡忠光という側近がいたとはいえ、家重の政治が成立していたといえる。 大岡忠光は唯一、家重の言葉を聞き分けることができ、異例の出世を遂げた。 大岡忠光は柳沢吉保と同じく側用人であり、本来であれば権勢を振るうこともできたはずなのであるが、そのような形跡はなく悪口を描かれた形跡もないのである。 これはいたって異例のことである。 またこの時代、家重は田沼意次を抜擢し大名にまでしている。 もともと田沼意次は家重の息子・家治の側衆にすぎなかったのであるが、死に際して家治に重用するようにとの遺言を残した。 田沼意次は大名になると、家重が将軍になったときには小姓組番頭となり側用取次(側用人)として老中と将軍の連絡役を行った。 そして1761年に病弱であった家重がなくなった後の10代将軍・家治の時代も権勢を振るったのである。 これは5代将軍・綱吉の時代の柳沢吉保や、6代将軍・家宣の時代の新井白石が将軍の死とともに権力の座から去っていったことを思えば異例となろう。 家重の遺言を守った家治は田沼意次を老中兼、側用人という特別の地位をあたえた。 これは江戸幕府史上最高の権力といえる。 

 家重・家治の時代に行われた改革には田沼意次の改革ともいえる、税制改革がある。 吉宗の享保の改革をはじめとした寛政の改革、天保の改革に比べると評価は低かったのであるが、それは結局成果が得られなかったことと、松平定信に影響されていることが挙げられる。 松平定信は8代将軍吉宗の孫にあたり、父は御三卿の田安徳川家の初代当主である。 祖父である吉宗の享保の改革をさらに進めた寛政の改革を行い、税制的には庶民をさらに苦しめ、幕閣からも批判されることとなり最終的には政界から去るのであるが・・・。  定信の「商は詐なり」 の政治が庶民を苦しめたのにたいして、田沼意次の税制改革は、「商人たちに課税をしよう」というものである。 もちろん松平定信にしてみれば田沼意次は大悪人であり、意次の子・意知も同様の扱いであった。 そしてついに田沼意知は暗殺されることとなる。 当時意次は老中、意知は若年寄であったが、もともと田沼家は紀伊徳川家の鉄砲足軽であった。 この成り上がりが旗本の逆恨みをかって暗殺されたのである。 つまり開国を目指していた田沼親子は松平定信に抹殺されたのである。

  松平広忠 ━━徳川家康1543-1616年 ┓幼名:竹千代
(八代当主) ┏松平忠政1580-1614  ┃
  ┃    ┣徳川家元1548-1603  ┃
 於大の方  ┣樵臆恵最      ┃ 
(伝通院)  ┣内藤信成      ┃
       ┗市場姫 矢田姫   ┃
   ┏━━━━━━━━━━━━━━┛
正室・篠山殿━┳長男・松平信康(1559年 - 1579年)(母:築山殿 関口親永娘・瀬名)       
       ┃ ┣登久姫1576-1607
       ┃ ┣熊姫  1577-1626(本多忠勝の嫡男・忠政室)
       ┃ 徳姫1559-1636
       ┃ 
正室・朝日姫 ┣長女・亀姫(盛徳院1560年 - 1625年)(母:築山殿)
側室・お津摩 ┃ 
側室・お万  ┣次女・督姫  (1565年 - 1615年)(母:西郷局)池田輝政室
側室・小督局 ┣次男・結城秀康(1574年 - 1607年)(母:小督局)
       ┃    ┣松平忠直1595-1650   (母:中川一茂娘・清涼院) 
       ┃    ┃ ┣松平光長1616-1707
       ┃    ┃ ┃┣国姫-1671
       ┃    ┃ ┃┃┣布与、市
       ┃    ┃ ┃┃松平光通1636-1671
       ┃    ┃ ┃土佐(毛利秀就娘)
       ┃    ┃ ┣亀姫1617-1681(宝珠院寧子)
       ┃    ┃ ┃┣明子女王1638-1680(後西天皇女御)
       ┃    ┃ ┃高松宮好仁親王
       ┃    ┃ ┣鶴姫(家光養女)
       ┃    ┃勝姫1601-1672(天崇院 徳川秀忠三女) 
       ┃    ┣松平忠昌1598-1645   (母:中川一茂娘・清涼院)
       ┃    ┣松平直政1601-1666   (母:三谷氏・月照院) 
       ┃    ┣松平直基1604-1648   (母:三好長虎娘・品量院) 
       ┃    ┃ ┣松平直矩1642-1695
       ┃    ┃堀氏 
       ┃    ┗松平直良1605-1678   (母:津田信益娘・長寿院)
側室・西郷局 ┣三男・徳川秀忠(1579年 - 1632年)(母:西郷局)━━┓幼名:長松
       ┣四男・松平忠吉(1580年 - 1607年)(母:西郷局)  ┃
       ┣次女・良正院 (1565年 - 1615年)(母:西郡局)  ┃
       ┣三女・振姫   (1580年 - 1617年)(母:お竹 )    ┃ 
       ┣徳川義直1601-1650(初代徳川尾張藩主)(母:お亀)  ┃
       ┃┣光友1625-1700(2代藩主)             ┃
       ┃┣京姫┣綱誠1652-1699(3代藩主)          ┃
       ┃歓喜院┃    ┣吉通1689-1713(4代藩主母本寿院) ┃
       ┃   ┃    ┃ ┣五郎太1711-1713(5代)    ┃
        ┃    ┣松平義行┃九条輔姫            ┃
        ┃    ┣松平義昌┣継友1692-1732(6代藩主 母は和泉)┃
        ┃    ┣松平友著┣義孝1694-1732(母は唐橋)    ┃
       ┃ 千代姫(家光娘)┣宗春1696-1764(7代藩主 母は梅津)┃   
        ┃        ┃ ┣勝子              ┃
        ┃        ┃伊予                ┃
        ┃        ┗松姫(綱吉養女)           ┃
       ┣徳川頼宣1602-1671(初代徳川紀伊藩主)(母:お万)    ┃
        ┃ ┣徳川光貞1627-1705(生母 中川氏)         ┃
        ┃ ┃ ┣徳川綱教1665-1705(3代尾張藩主)      ┃
        ┃ ┃ ┃ ┣徳川頼職1680-1705(養子)        ┃
        ┃ ┃ ┃鶴姫1677-1704(徳川綱吉娘)         ┃
        ┃ ┃ ┣徳川頼職1680-1705(4代尾張藩主 母真如院) ┃
        ┃ ┃ ┣徳川吉宗1684-1751(5代藩主8代将軍 母浄円院┃
        ┃ ┃ ┃ ┣徳川家重1712-1761(9代将軍)       ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┃┣徳川重治1737-1786(10代将軍)   ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┃幸子 ┗徳川家斉1773-1841(11代将軍)┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┣徳川重好1745-1795(徳川清水家初代) ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃安祥院                  ┃
        ┃ ┃ ┃ ┣徳川宗武1716-1771(徳川田安家初代)   ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┣徳川治察1753-1774(徳川田安家2代)  ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┣松平定国1757-1804(伊予松山藩主)   ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┣松平定信1758-1829(陸奥白河藩主)   ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┃┃┣松平定永1791-1838(陸奥白河藩主)┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┃┃┗真田幸貫1791-1852(天保老中)   ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃┃松平定邦娘               ┃
        ┃ ┃ ┃ ┃香詮院                  ┃
        ┃ ┃ ┃ ┗徳川宗尹1721-1765(徳川一橋家初代)   ┃
        ┃ ┃ ┃  ┗徳川治済1751-1827(徳川一橋家2代)  ┃
        ┃ ┃瑞応院                      ┃
        ┃ ┣因幡姫1631-1709(鳥取藩主池田光仲正室)     ┃
        ┃八十姫1601-1666(加藤清正娘)              ┃
       ┗徳川頼房(1603年 - 1661年)十一男・(母:お万)    ┃
            ┣松平頼重1622-1695(讃岐高松藩主初代)     ┃
            ┃ ┣綱方1648-1670(水戸藩主となる前に死亡)  ┃
            ┃ ┣綱條1656-1718(水戸3代藩主)        ┃
            ┃土井利勝娘                  ┃
            ┣亀丸                     ┃
            ┣徳川光圀1628-1701(水戸藩2代藩主)       ┃
          谷重則娘・久子┃┣松平頼常1652-1704(讃岐高松藩主)   ┃
                ┃┣綱方1648-1670            ┃
後陽成天皇        ┃┣綱條1656-1718            ┃
  ┣近衞信尋(近衛家当主)┃側室・玉井氏              ┃
近衛前久娘・前子   ┗尋子(泰姫)                 ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
正室・於江与の方                        池田光政1609-1682
  ┗┳千姫1597-1666(天樹院):豊臣秀頼室、のちに本多忠刻室      ━━┓┣綱政  
  ┃本多忠高?-1549                        ┣勝姫
  ┃ ┣本多忠勝1548-1610(本多宗家初代)              ┃1618-1678 
  ┃ ┃   ┣小松姫1573-1620(母:乙女 真田信之室)       ┃
  ┃上村氏義娘┣もり姫(奥平家昌室)                ┣幸千代
  ┃     ┣本多忠政1575-1631(母:阿知和右衛門娘 姫路城主)   ┃ 
  ┃     ┗本多忠朝┣本多忠刻1596-1626(室は徳川秀忠娘・千姫)┛  
  ┃     1582-1615  ┣本多政朝1599-1638(室は本多忠朝娘)
  ┃     ┣本多政勝┣本多忠義1602-1676(室は森忠政娘)┗政長1633-1679(宗家5代) 
  ┃     ┗千代  ┣国姫               ┗忠国1666-1704(養子)
  ┃          ┣亀姫                ┣忠孝1698-1709
  ┃         松平信康娘・熊姫            池田綱政娘
  ┣徳川家光1604-1651三代将軍 福・春日局に養育 幼名:竹千代 
  ┣徳川忠長1606-1634(国松)                         
    ┣徳川和子1607-1678(東福門院):後水尾天皇中宮           
  ┣珠姫    1599-1622(天徳院) :前田利常室             
  ┣勝姫  1601-1672(天崇院) :松平忠直室             
    ┗初姫  1602-1632(興安院) :京極忠高室                         
側室・お静(浄光院)
 ┗保科正之1611-1673(会津松平藩主)    
      ┃┃┣幸松                      
    ┃┃菊姫 
    ┃┣媛姫(米沢藩主・上杉綱勝室)
    ┃┣正経1647-1681(2代会津藩主)
    ┃お万
     ┣摩須姫(加賀藩主・前田綱紀室)
  おしほ

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