京都嵯峨野の小倉は藤原定家が庵を営んだところで有名であるが、鎌倉時代の初めには定家の庵のすぐ近くに僧・蓮生の中院山荘があった。 それがここである。 蓮生は俗名を宇都宮頼綱といい、下野国の豪族の出身で鎌倉幕府の有力な御家人の一人であったが、政争に巻き込まれるのを避けて郎党60余人とともに出家し、実信房蓮生と名乗った。 後に上洛すると、法然上人、善恵上人証空に師事しこの地に山荘を営んだ。 蓮生は和歌の名手で、近くの小倉山麓に山荘を構えていた藤原定家とも親交があり、彼の娘は定家の子・為家に嫁いでいる。 1235年、75歳の定家は蓮生が山荘の障子に貼る色紙の執筆を依頼したのに快く応じ、色紙の一枚一枚に天智天皇以来の名歌人の作を一首ずつ書き、「小倉百人一首」はこの時の選歌に、後世、後鳥羽、順徳両天皇の作品を加えるなどの補訂を施して完成したものといわれている。
藤原経輔女
┣藤原俊忠1073-1123 堀河院歌壇で活躍
忠家 ┃
┃ 六条院宣旨
┃ ┣八条院坊門局
┣藤原俊成1114-1204 崇徳天皇に親近し藤原基俊に入門
藤原敦家娘 ┃ ┣後白河院京極局
┃ 為忠娘
┣八条院三条(鳥羽院皇女八条院に出仕)
┃ ┣隆季(四条家の祖)
┃ ┣俊成卿女1171-(後鳥羽上皇に出仕)
┃ ┃ ┣具定
┃ ┃源通親┓┣女
┃ ┃ 源通具
┃ ┃ ┣
┃家成┓ ┃ 土御門天皇の乳母
┃ ┣藤原盛頼
┃ ┗藤原成親(平家討伐を陰議)
┃
┣高松院新大納言(祗王御前)
┣八条院按察(朱雀尼上)
┣八条院中納言(建御前)
┣前斎院大納言(竜寿御前)
┣藤原定家1162-1241
┃ ┣因子(後鳥羽院に出仕 民部卿典侍)
藤原親忠女 ┣定長(寂蓮)後鳥羽院歌壇
(美福門院加賀) ┣為家
藤原実宗女┃┣為氏(二条家の祖)
┃┣為教(京極家の祖)
┃┣為子(九条道良室)
┃宇都宮頼綱娘
┣為守(冷泉)
┣為相(冷泉家の祖)
阿仏尼(安嘉門院四条:十六夜日記)