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理想の境地・逍遥遊

2010年03月28日 | 幕末

 逍遥といえば坪内逍遥。 「小説真髄」で文壇にはなばなしく登場した坪内逍遥は、その名の由来を「逍遥遊」に帰しています。 逍遥遊というのは、「何ものにもとらわれない自由気ままな境地に遊ぶ」という意味を持っています。 この石碑があったのは京都・木屋町二条下るあたりで、まさに幕末の志士達がこのような心境を本分として人生を謳歌したようなきがします。 ところで、小説家・坪内逍遥ですが、松本清張も「文豪」のなかで、その生き様を描いているのですが、10歳の頃に激動の幕末を経験し、現・東大文学部に進むと、東大の近くにあった遊郭に通いつめ、27歳のときに遊女と結婚します。 以降省略。。。  ところで遊女について、近世では遊女というのは遊郭でサービスを提供する売春婦のことを言いますが、平安時代においては、芸能に長けた女性のことを遊女といいました。 古くは菅原孝標娘が記した更級日記において、遊女の歌を鑑賞する・・・などとでています。 また、源義経の愛妾であり白拍子の静御前も遊女でり、天皇の御前で舞を披露したことから静御前といわれるようになったのです。 京都でよく見かける舞妓さんはといいますと、平安時代でいう白拍子にあたるのではないかと思います。 当時、遊女の中でも最高の技芸を身に付けた遊女のことを「太夫」といい、近世の売春婦の中でも別格の地位にあったのを花魁といいました。 是非一度、本格的な花魁姿を見てみたいと思っています。 

八坂の舞妓さんと大覚寺の白拍子

 

 

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