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榎原杏奈さん

2010年03月13日 | 河原実乃梨 榎原杏奈 鍛冶沙都紀

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『樅ノ木は残った』の伊達騒動

2010年03月13日 | 池波正太郎 江戸時代

 加賀騒動に続いて代表的なものに仙台・伊達騒動がある。 伊達騒動は、伊達氏の仙台藩3代藩主・伊達綱宗の遊興三昧から隠居の身となり、叔父の伊達宗勝が仙台藩の実権を握ったことが発端となる。 綱宗の遊興三昧に対して、叔父にあたる一関藩主・伊達宗勝は再三にわたって諌言するが聞き入れられることはなく、宗勝は親族大名である岡山藩主・池田光政、柳川藩主・立花忠茂、宮津藩主・京極高国と図って、老中・酒井忠清に綱宗と仙台藩家老に注意するよう提訴した。 しかし綱宗の遊興は止まずに、1660年家臣と親族大名の連名により幕府に綱宗の隠居と、嫡子・伊達綱村の家督相続を願い出る。 そして幕府より綱宗は21歳で強制隠居となりわずか2歳にして伊達綱村が4代藩主に就任する。 この背景には綱宗と後西天皇の母親同士が姉妹であったことから、仙台藩と朝廷が結びつく事を恐れた幕府が強引に隠居させたとする説があるが、それよりも大名家の取り潰しや弱体化を画策する幕府の思惑が働いていて、幕府の老中である酒井忠清と伊達宗勝の間には、仙台藩の半分を宗勝に与えるという密約が交わされていたとする風聞が立つのもいたしかたない。

 伊達綱村が藩主になると、叔父にあたる伊達宗勝が後見として実権を掌握し、家老の原田甲斐宗輔(仙台藩家格5番目の着坐) らと藩権力の集権化を行ったことから、地方知行制を維持しようとする伊達氏一門と対立する。 一門の伊達安芸宗重と宗勝の甥にあたる伊達式部宗倫の所領紛争が起こると伊達安芸は幕府に一件を上訴する。 1671年、騒動の裁判を行うため大老の酒井忠清邸に原田甲斐や伊達安芸ら召喚され、原田甲斐宗輔はその場で伊達安芸宗重を殺害する。 しかし、原田甲斐宗輔も安芸派の柴田外記朝意(母は長宗我部盛親娘)と斬りあいになり、原田甲斐は柴田外記によって斬られ、柴田外記も同日死亡した。 山本周五郎の小説『樅ノ木は残った』の題材にもなった伊達騒動、正式には寛文事件とはこのことである。 樅ノ木は残ったでは話は少々違っている。 史実では敵対する原田甲斐宗輔と伊達安芸宗重が、悪名高き幕府の老中・ 酒井忠清に近づく目的で故意に敵対する。 伊達藩の取り潰しを図る幕府の陰謀を阻止するために幕府内部に潜り込み、伊達宗勝と酒井忠清の陰謀を暴こうとする。 淡々とする原田甲斐に対して酒井忠清は心中を探ろうと色々な仕掛けをかけてくるが、原田甲斐は大権力に対して畏れることなく冷静でいる。 原田甲斐の人生を孤独に耐える樅の巨木にたとえた山本周五郎に再び触れてみたくなってしまった。 

                              伊達政宗1567-1636  
103後土御門天皇(成仁1442-1500)  ┃原田甲斐宗輔1619-1671 
┗104後柏原天皇1464-1526     ┣伊達兵部宗勝1621-1679 浄眼院
 ┗105後奈良天皇1497-1557     ┣伊達忠宗1600-1658  ┣伊達綱村1659-1719(4代)
    ┗106正親町天皇1517-1593  愛姫┣伊達綱宗1640-1711(3代仙台藩主)
       ┗誠仁親王(陽光太上天皇)    ┣伊達宗倫1640-1670 ⇔ 伊達安芸宗重1615-1671
       ┃                   ┣伊達宗房1646-1686      ┗宗元1642-1712
       ┃                 ┏貝姫┗吉村1680-1752(5代)柴田朝意1609-1671
            ┃          ┃          佐竹親直1566-1615┛       
107後陽成天皇┛          ┗櫛笥隆子1604-1685(逢春門院)
 ┣聖興女王  1590-1594      ┣光子内親王1634-1727
 ┣清子内親王1592-1674      ┣良仁親王  1638-1685(111後西天皇)
 ┣政仁親王(108後水尾天皇)1596-1680 
 ┣尊英女王   ┃┃┣興子内親王1623-1696(109明正天皇)
 ┣近衛信尋   ┃┃┣昭子内親王1625-1651
 ┃       ┃┃┃ ┣近衛基熙1648-1722(左大臣) ┓
 ┃       ┃┃┃ ┣好君(伏見宮貞致親王妃)    ┃
 ┃       ┃┃┃┏近衛尚嗣(関白・左大臣)    ┃
 ┃       ┃┃┃┗泰姫君(水戸藩主・光圀室)   ┃
 ┣高松宮好仁親王┃┃┣高仁親王1626-1628  ┏━━━━┛
 ┣一条昭良   ┃┃徳川和子(東福門院)  ┃
 ┣貞子内親王  ┃┣紹仁親王(110後光明天皇┃
 ┣庶愛親王   ┃┣守澄法親王      ┃        
 ┣尊蓮女王   ┃園光子(壬生院)    ┃幸子女王(承秋門院)
近衛前子(中和門院)┣常子内親王       ━┛┣秋子内親王 成子内親王1729-1771  
         ┣識仁親王(112霊元天皇)   ┃ 讃岐(伊藤一中娘) ┣-
    園国子(新広義門院)┣栄子  ┣朝仁親王(113東山天皇)┣典仁親王1733-1794┓  
             ┃    ┃      ┃     ┣尊信女王1735-1801┃  
             ┃ 松木宗子(敬法門院)┣直仁親王閑院初代1704-1753 ┃
           鷹司房子(新上西門院)     ┃┃   ┣治子女王1720-1747┃    
                          ┃┃  近衛脩子        ┃    
                    ┏━━━━┛┣鷹司輔平1739-1813      ┃    
                    ┃   長祥院┣鷹司政煕         ┃    
                    ┃      ┣達子伏見宮邦頼親王妃  ┃    
                    ┃       ┣富子有栖川宮織仁親王妃 ┃    
                    ┃      ┣致子今出川尚季室     ┃    
                    ┃      ┣隆範興福寺別当      ┃    
                    ┃      ┣覚尊東大寺別当      ┃    
                    ┃      ┗徳大寺実堅内大臣    ┃    
                    ┃                    ┃    
                    ┣慶仁親王(114中御門天皇)        ┃    
                          櫛笥賀子(新崇賢門院) ┃          ┃
                             ┣昭仁親王━┓     ┃
                           近衛尚子    ┃     ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛     ┃
┃姉小路定子(開明門院)       近衛維子(盛化門院)              ┃
┃      ┣遐仁親王(116桃園天皇)  ┣欣子内親王(光格天皇中宮)       ┃  
┗昭仁親王(115桜町天皇)     ┣英仁親王(118後桃園天皇)           ┃  
  ┣智子内親王(117後桜町天皇) 一条富子(恭礼門院)               ┃        
 二条舎子(青綺門院)                              ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┃大中臣祐智女     鷹司吉子
 ┃ ┃         ┣致宮
 ┃ ┣美仁親王1757-1818 ┣愛仁親王1818-1842
 ┃ ┃ ┣-   ┣孝仁親王1792-1824
 ┃ ┃近衛因子随願院 欣子内親王1779-1846
 ┗典仁親王1733-1794   ┣温仁親王 鷹司繁子(新皇嘉門院)1798-1823 
  ┃         ┣悦仁親王   ┣安仁親王1820-1821              
  ┣兼仁親王(119光格天皇) 1771-1840┣慈悲心院宮        九条夙子(英照皇太后)      
大江磐代┣治宮1822┃┃  ┣恵仁親王(120仁孝天皇)        ┣122睦仁親王(明治天皇)養子  
(蓮上院)┃    ┃┃   ┣多祉宮1808┃┃ ┣鎔宮1825-1826 ┣順子内親王1850-1852
 富小路明子?-1828┃┃   勧修寺婧子 ┃┃ ┣統仁親王(121孝明天皇)1831-1866
         ┃┣俊宮1793-1794 ┃┃正親町雅子(新待賢門院)1803-1856┣寿万宮1859-1861
         ┃葉室頼子1773-1846┃┣摩尼珠院宮1829-1831     堀河紀子1837-1910
         ┣猗宮1815-1819  ┃鷹司祺子(新朔平門院)1811-1847
         高野正子1774-1846 ┣胤宮1844-1845 
                    橋本経子1826-1865

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