こんな本を読みました

気ままで偏りのある読書忘備録。冒頭の文章は、読んだ本からの引用です。

『いねむり先生』(伊集院静)

2018-01-11 | 現代小説
り注ぐ天体の瞬きと騒々しい季節風の中で、先生は身をかたくして何かを見つめていた。
その姿には安堵も平穏もないように思えた。ただ寂寥だけがひろがっていた。
あれほど人から慕われ、ユーモアにあふれた人が、こんなふうに吹き溜まりの中で、ただの
石塊のように闇の中に置き去りにされていた…。


最近抜粋文が長くなるフシがあるがちょっとこれは全部入れたかったので。
若く美しい妻を亡くし心のバランスを失った主人公「ボク」と、知人を介して知り合ったいねむり先生こと
色川武大氏との交流を描いた私小説。伊集院氏の小説、昔は好きでよく読んでいたのだけど、あるときまっ
たく琴線に触れない作品が続き、それ以来遠ざかっていた。あ、1〜2年前に『ノボさん』は読んだけどや
はり印象が薄かったんだよなあ。でも、これはよかった。しんみりと心に残る作品だった。
「いねむり先生」こと色川氏は誰もが愛さずにいれないチャーミングな人だった。初対面からいきなり眠っ
ているのだけど、その描写がまるで着ぐるみのように愛らしくて平和なのだ。しかし所かまわず眠ってしま
うのは「ナルコレプシー」という病気のせいであり、人をひきつけてやまないその人間性には放っておけな
い危なっかしさと、裏の世界で生きてきた荒廃が同居する。そのギャップに、心ざわつかせずにおれない。
同じような幻覚に悩まされ、酒やギャンブルに没頭し、荒涼とした闇を抱えるふたりが、少しずつ馴れ合い、
癒しあう空気感に、心があたたまる。しかし結末を知っているだけに、すべてのシーンにほんのりと哀感を
おぼえずにいられないのだ。なかでも旅の夜、やはり心に傷を持つ男と三人、水田で泥だらけになって泣
き喚き、最後は全裸で戯れる狂騒のシーンが、むちゃくちゃなのだけどなぜか泣けた。
しかし物語中は頑なに小説を書くことをすすめられても拒み続けた伊集院氏が、色川氏の死後、どんな経緯
があって書くに至ったのだろう。ま、私小説というのもどこまでフィクションかわからんわな。と冷めたこ
とを考えてみたり。
蛇足だが。いねむり先生のことばで「猫というのは人間に添おうとしない分だけ、かたちがいいねえ」とい
うのはけだし名言だと思った。ま、実際は人間に添いまくりだけどな(ごはんの欲しい時は)

年明けても色川武大ブーム、継続中。荒んでるのかな^^;

『田舎教師』(田山花袋)

2017-12-20 | 近代小説
夕日は次第に低く、水の色は段々納戸色になり、空気は
身に沁み渡るように濃い深い影を帯びて来た。


 自然主義文学といえば、田山花袋。と大昔に習ったような。でも、きちんと読んだことがなかった。こちらは
大望を胸に抱えながら、チャレンジする環境に恵まれず、鬱々と田舎で教職につく男性の生涯を描いた話で、と
にかく主人公は鬱屈している。あーあいつはいいなあ、それに比べて自分は…あー東京行きたい、注目を浴びた
い、オレハマダホンキダシテナイダケ・・・噛み砕けば、そんな心境がくどいほど綴られる。
 それでも嫌気がささないのは、それが明治時代の埼玉の美しい風光とセットで描かれているから。抜粋するの
に悩んで「なんでここ?」という変なところを選んでしまったが、この憂いを感じさせる風景から「清三は自己
の影の長く草の上に曳くのを見ながら時々自から顧みたり、自から罵ったりした。」と心情にリンクさせる表現
の巧みさに惚れ惚れするわけで。全編にわたり出てくる四季折々の自然の様子や、当時の人々の営みの様子があ
りありと目に浮かび、それだけで心が和む。こんなに自然豊かで楽しげなところに住んでるんだから、切り替え
て楽しもうよ〜なんていかにも現代っ子の軽薄なポジティブシンキングを押し付けそうになるくらい、いいなあ
と思うのである。でも、これが普通だったんだな、明治には。そんな、日本に当たり前に見られた情緒を、時を
超えてリアルに感じることができたのだから、それだけでも読む価値ありではないか。
 主人公の鬱々とした心情はなんとなく落ち込んだ時の自分に重なるところもあり、辛い話でもあったが。ほぼ
実話に基づいていると知り、やりきれない悲しさが胸を塞ぐ・・・が、それもまた人生。この大いなる自然の営
み、時代の流れのなかで、ちいさき人間はこんなふうに生き、悩み、死んでいくんだなとしみじみと思った。

『色川武大』(色川武大)

2017-12-20 | 現代小説
立派な一生も愚かな一生もさして変りはない。
人は悔いを残さないように努力し、その努力はそれなりに収穫があったようで、
もちろんそれでいいのであるが、とことんの所ではやはり変らない。
この世は自然の定理のみでなんの愛嬌もないのである。

(『怪しい来客簿』たすけておくれより)

 又の名を、阿佐田哲也。麻雀放浪記の、といえばわかる人もぐんと増えるかもしれない。イ
メージは最後の無頼派…彼からすれば、伊集院静とか、まだおとなしいくらい。そういえば、
伊集院静の『いねむり先生』は色川さんがモデル。読んだはずだが、忘れた・・・読もう。

 てなことで。お噂はかねがね、という気分の作家さんだが、ちゃんと読んだのはお初。十代
から賭場に出入りし、放浪生活を重ねてきた人。さらにそうと知らずナルコレプシーの症状に
悩まされ続けた半生。半睡半生で見る幻覚の話は読む分にはおもしろいけど、これは正気を保
つのが大変!そんな凄まじい人生だけに、ベースに諦観がありつつ豪快。まじわる人々も、ま
た凄まじい。小説ありエッセーあり、いずれも普通でない体験に、圧倒的な才気がかけ合わさっ
て構成された世界観。人間て、こんなに無茶やっても生きていけるんだというプリミティブな
たくましさを感じた。自身を含む、さまざまな人生にふれた『怪しい来客簿』の抜粋がとても
興味深かった。通して読みたい。

『怒り』(吉田修一)

2017-11-16 | ミステリー、ファンタジー
「ほんとにイカれてる奴ってのは、ああいう顔してんですよ。一見、普通の顔してっけど、
その普通の顔で人殺すんですよ」


 なんの咎もない若い夫婦が惨殺され、現場に「怒」という血文字が残されていた事件から、物語は始まる。
容疑者はすぐに割り出されたが、その行方探しは難航。読者にだけわかる形で、房総、東京、沖縄に同時多発的
に現れる「犯人らしき」人物と、それに絡む人間ドラマが同時進行していく。それぞれに謎が多く怪しいけれど、
それぞれに人間性も垣間見え、混乱の末に行き着く、真犯人。久々に先が気になってやめられず、あっという間
に読み終えたミステリーだった。“容疑者“にそれと知らず関係していく人々も、みな問題を抱えつつ日々を生き
ている。そのあたりの描き方は丁寧で、同じ目線で息が詰まる思いをしながらも、「待て待て、その人は〜」と
いう天の目もあるので、感情の振れ方も大きい。だがしかし、キーになる事件の真相の部分がちょっと中途半端
というか消化不良に終わってしまった。いや、「その程度」のものだったからこそ、怖いのか。そう思うと、な
んてことない人物が語った引用の文が、妙に心に残ったのにも納得がいくのだ。
 これは映画も見てみたいな〜キャスティング、なかなか絶妙ではないか。 

『飢え』群ようこ他 林芙美子ものいろいろ

2017-11-08 | 近代小説
静かに頭を上げると、見渡す限り蒲団の上は荒野であった。
蒲団の上に、メフィストが爪を立てて踊っている。
(ちくま日本文学 林芙美子 『夜猿』より)


 9月は、林芙美子ものをダラダラ汗をかきつつ読んだ思い出。(もう11月^^;)
なーんかの短編を読んで引っかかり、そういえばまだ読んだことなかったわ!…今年は尾道にも行ったのに!と
まずは写真のエッセイを手にいれる。エッセイと評伝の中間くらいかな。
 とにかくたたき上げの人。正直で情があって、でもわがままで自己顕示欲が強い。生きるために、息の詰まる
ような暮らしに耐え、でも時々は何もかも放り出して故郷に帰り・・・などなど、波乱万丈の一言では語れない。
やはり『放浪記』の凄さは圧巻であった。彼女の描写の巧みさにつられ寒かったり暑かったり痛かったり。かつ
その生きるパワーに圧倒され、自分なんかまだまだだな、と思える。非常に興味深い人物である。
 …といいつつ、ピックアップしたのは放浪の画家・青木繁の晩年を描いた短編。彼女の手にかかれば
絶望さえもドラマティックだ。
 もっと読みたい、その生涯を追いかけたいと思える作家だった。