お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

いよいよ入学:日本?アメリカ?

2010-11-17 | with バイリンガル育児
おなじみの黄色いスクールバスで登校する、アメリカの小学生たち

遊び友達欲しさに、3歳にもならないうちにプリスクールに通い始めた娘の入園前後の顛末についてはすでに書きました(ブログ記事:プリスクールの難問)。でも、毎朝泣きべそだった時期を克服すると(ブログ記事:サークルタイムのサバイバル術)、すぐに友達ができて「学校大好き!」な子どもになり、やれやれとひと安心。

このままアメリカで教育を受けさせようか・・・日本に連れて帰って学校に上げようか・・・と悩んだのは、娘が就学年齢に達した時でした。聞かれてもひとりでは意思決定ができない年頃の娘を前に、でも、このままアメリカで就学させ続けたら日本には帰れなくなる・・・と思い、一方では、娘の人生の重大事を親の考えだけで決めてよいのだろうか・・・と迷い、考えても考えても結論が出ませんでした。それで思いきって娘を連れて一時帰国し、4月の入学式から日本の小学校に上げてみることにしたのです。2月生まれの娘は、日本での入学は4月、アメリカでの入学は9月でしたので、先に日本の学校に通わせてみることにし、夫が単身赴任して暮らしていた町の公立小学校に入れました。

日本での入学にあたって驚いたのは、入学準備のために親がやらなければならないことが山のようにあることでした。入学式の前に準備しなければならないものが、とにかくたくさんありました。まずは靴。外履きと内履きを区別する日本では、学校でも子どもは一日に何度も靴を脱いで履き替えます。したがって外履きを用意するのはもちろん、学校指定の上履きを買い、これに名前を書いておかなければなりません。給食用のエプロンやナプキンと、それらを入れて持ち歩く袋を準備しました。洗い替え用に複数セット必要でした。教科書は無料だけれども、合わせて買い求めることになっている『指定教材』は有料で、しかも数が多い。これらを間違いなく買い揃えるだけでなく、ひとつひとつに名前をつけなければなりません。筆箱に入れる鉛筆や消しゴム(余談ですが、消しゴムに名前を書くのって至難の技です>笑!)から、算数の教材セットに入っている、信じられないくらい細い竹ひごや1円玉よりも小さいオハジキのひとつひとつに至るまで全部に名前をつけるのです。体操服などもみんなお揃いなので、区別するためには名前が必須。体操服を入れる専用の袋もあったような気がします。

そんなこんなで入学前には何日もかかって子どもの持ち物に名前をつけていた記憶があります。夜なべ仕事で名前をつけながら(日本の子は、こうやって持ち物を管理しながら自分の名前を覚えていくのか・・・)と感慨深く、でも一方で(算数セットなんか、皆が同じものを使っているのなら、隣の子のものと入れ替わったって同じだから困らないのでは?名前なんかつけなくてもいいのでは?)と疑問に思っていたのを憶えています。だって、名前がついていたら「自分のものを探さなければならない」ので手間がかかるけれど、名前がついていなければお互い様「数さえ揃っていればいい」で済むような気がしたからです。それと、もうひとつ気になったのは、日本語が不自由な外国人の親御さんは日本語で名前をつけるという課題をどうやってクリアしているのだろう?ということでした。

さて、そうこうするうちに入学の日になり、親子そろって体育館での入学式に出て、校長先生のお話をききました。桜が咲いていました。

その後、娘はアメリカに戻り、同じ年の秋からアメリカの公立小学校に入学しました。日本とアメリカでの大きな違いは、日本ではたいていの行事が『学校単位』なのに、アメリカでは『クラス単位』だったこと。日本では入学予定の親子を講堂に集めて就学説明会があり、学校全体で催される入学式にも親子一緒に出席して新学期が始まったのですが、アメリカでは入学予定者を一堂に集めての就学説明会などはなく、親は事務室に行って個別に説明を聞き、入学手続きを済ませます。入学の説明会はクラスごとに先生の都合で開催され(夕方からの開催で、保護者は仕事を終えてから出席)、大がかりな入学式などはなく、新入生といえども始業の日に自分のクラスに行くだけ。淡々としたものです。要するに、日本に比べるとはるかに個々の先生の権限が大きいのです。学習課程の進め方もクラス運営も先生の裁量に任されているので、どこの学校に行かせるかも大事ですが、むしろどの先生に担任していただくかで子どもが受ける教育の水準や質が決まってしまうというのがアメリカの実態。でも、アメリカの制度をろくに知らなかった私は、子どもを実際に入学させてみるまで、そんなことも知りませんでした。

さてオープンハウス(クラスごとの就学説明会)では、娘の担任予定の先生が一年間の「履修内容や指導方針など」を説明されるのを聞きました。堂々たるベテランの先生で安心しましたが、いつまでたっても教科書はおろか子どもの持ち物についての説明がありません。日本の学校で入学式をやってきたばかりの私は(教科書はどこで買うんだろう?教材やノートはどうするの?体操着は?)と頭の中は疑問符だらけ。そのうち、持ち物の説明はないままに、とうとう説明会はお開きになってしまいました。そこで、私は思い切って先生のそばに行って質問しました。「あのぅ、子どもには毎日何を持たせればよいのでしょう?」

先生は一瞬「え?」という表情になりましたが、すぐにニッコリ。「何も要りません。必要なものは教室に揃えてありますから。」「教科書も、筆記用具もですか?」と重ねて聞くと、先生はもう一度「何も要りませんよ」と言われて、それから急いで「ああ、お弁当だけは持ってきてくださいね。」と再びニッコリ。でも、私は(教科書もないの?ノートもなしにどうやって勉強するの?宿題は?)とかえって疑問符だらけに。

でも、実際、子どもはお弁当しか持っていかなかったのです。娘が1年生を過ごしたアメリカの公立の小学校では、教科書も教材も文房具も教室にあるものをみんなが共同で使いました。だから、どれが誰のという区別はありません。もちろん名前もついていません。教科書は図書館の本と同じような、クラスの備品です。ノートにあたるプリントも先生がつくって配られるので、子どもたちはいわゆる学用品を持っていく必要がありませんでした。鉛筆も消しゴムもクラスの備品で、共同で使います。そして驚いたことに、与えられた予算の中でそういうものを揃えておくのは『先生の仕事』なのです。もちろん教科書や最低の文房具など基本的なものは教育委員会から支給されますが、副教材や副読本始めそれ以外のものは先生が予算の範囲内でやりくりして自分で用意しなければなりません。先生の裁量が大きく、クラス運営の自由度が大きいということは、逆に言うと先生の自己責任も大きいということなのです。したがって永年のキャリアがあって、その間に蓄積した教材や本などをたくさん持っていらっしゃるベテラン先生と新任の先生とでは、クラスの備品も雲泥の差というようなことも珍しくありません。こんな目に見える格差がクラスごとにあったら、日本の公立学校では大問題になるのではないでしょうか。考え方の違い、文化の差というのはかくも大きいものか、と実感しました。

余談ですが、子どもをアメリカの学校に上げたことで、再確認した『日本の良さ』というのがいくつかありました。その一つが日本の文房具の品質の素晴らしさでした。鉛筆も消しゴムもコンパスも定規も、なんでも優れていましたが、とりわけ『消しゴム』の品質の差が大きく、当時、日本ではすでに一般的だったプラスチック消しゴムがアメリカではなかなか手に入らず、子どもたちは教室で、こすってもなかなか消えないひどい品質の消しゴムを使っていて、書き損じをするたびに消しゴムのせいで紙が破れてしまうという状態だったのです。見かねて、日本から取り寄せたプラスチック消しゴムを大量に教室に持っていったときは大変に喜ばれました。それからは日本のお土産には日本製の文房具が欲しいというリクエストが娘の友達から相次いだのをなつかしく憶えています。




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1 コメント

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Unknown (くみこ)
2010-11-17 15:45:53
~私も娘のキンダー入園時持ち物を聞いて"ランチだけ”と言われた時にはびっくり致しました~ブログいつも楽しみにさせて頂いております。これから下の子をプレスクールにと思っているのでバイリンガル育児シリーズは特に興味深く読ませて頂いています。
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