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お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

わたしはワタシ、ぼくはボク

2011-02-18 | my Anthology


アメリカは『個人主義(Individualism)』の国です。個人主義とは、国家などの権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張し、また国家などの共同体の根拠を個人におき、その尊厳および権利と義務の発生原理を説く考え方。平たく言えば、「わたしはワタシ、ぼくはボク」を"みんないっしょに"実現できる社会を創ることに価値をおくという考え方です。

アメリカの個人主義が強固なのは、子どもの日常生活にも、小さなときから、それこそ生まれた時から「わたしはワタシ、ぼくはボク」が徹底されているからだと思います。

アメリカでは、家庭の中だけでなく、学校でも、子どもたちはファーストネーム(First Name)で呼ばれます。名字(Family NameまたはLast Name)が自分のというより自分の"家族"の名前であるのに対し、ファーストネームはまさに自分自身の名前。子ども同士は初対面でもお互いをファーストネームで呼ぶことで互いの距離を乗り越え、すぐに打ち解けます。(ブログ記事:『たかが呼び名、されど呼び名』)

同じ名前の子がクラスに二人以上いるときは、それぞれを区別するために、ファーストネームの下に名字の頭文字をつけて呼ばれます。そんなときでも、先生はそれぞれの子どもの名前を呼び間違えたりすることはなく、しかも、それぞれの子どもの個性をできるだけ際立たせるような演出を考えてくれます。(ブログ記事:『ここにもマシュー、そこにもマシュー』)

だから学校にはふつう制服がありません。「周囲の人に不快感を与えない」という程度の服装規定で、それぞれの責任においてかなり自由です(ブログ記事:『スカートをはいた男の子』)。

一般に現代のアメリカでは、他の子と違って際立ってユニークな子でも、もっと言えば、ちょっと「変わり者」に見えるときでも、周囲はできるだけ力を尽くしてその子をサポートしようとします。それは、かなり小さい子どもの場合も同様。親や周囲がその子どもをサポートするかどうかの判断基準は「この子がほかの子と違っているとして、それでこの子が誰かを傷つけることになるだろうか?」ということだけ、だといいます(ブログ記事:『プリンスとプリンセス』 )。もし誰も傷つけたりしないなら、正々堂々と自分らしくあればいい!というのが子どもたちへのメッセージです。

個性がほんとうに大事にされ、子どもたちがほんとうに「わたしはワタシ、ぼくはボク」と思える時、子どもたちは自分が好きになり、ハッピーになります(ブログ記事:『わたし大好き!になる絵本』)。

でも時には、「わたしはワタシ」と信じるのがなかなかむずかしいこともあります。素敵な人気者の子がクラスにいると、ついついその子のようになりたくて、悪気はないのに、思わずその子のマネばかりしてしまって、うるさがられたり、ちょっとうとまれてしまったり……(ブログ記事:『まねて まねして まねられて』)。

でも、お互いにちがっているからこそ素敵!だからこそお互いに惹かれあい、だからこそ仲良しなんだって、だんだんわかってきます。(ブログ記事『ふたりはともだち』http://blog.goo.ne.jp/uppercase/d/20110120)だって、ふたごだってそっくり同じじゃない、ふたごだってそれぞれ個性があるんですもの(ブログ記事:『それぞれにユニーク』)。

それに……現実は、お互いにどんなに大好きでも、どんなに仲良しでも、やっぱり「わたしはワタシ、ぼくはボク」。一緒に溶け合って同じひとりになることはできません(ブログ記事:『アーティストの創った絵本』)。自分にぴったり!な相手だと思っても、いよいよほんとうに一緒になったら「わたしはワタシ、ぼくはボク」と歌うこともできなくなってしまうかも……(ブログ記事:『わたしにないもの』)。

だからアメリカ社会は、できるだけ『ひとりひとりを大切に』しようとします。ユニークな個性はコミュニティにとってジャマなものではなく、むしろ必要なものであり、お互いに個性や違いを尊重し合えることこそ大事なのだと生真面目に信じ、また社会の危機に際してはこういう個性こそが人々を危機から救うことがあるのだ……と本気で考えているからです(ブログ記事:『どこにでもいるおタッキー』、『アーティストのメタファー』)。





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それでも ファミリー!

2011-02-11 | my Anthology

アメリカで最も有名なファミリーといえば、もちろんオバマ一家(First Family)。お気に入りの絵本を持ちよったファミリースナップは昨年のイースター(復活祭)。サーシャが読んでいるのは「If You Give a Mouse a Cookie」で、大統領の手には「Where the Wild Things are」が見えます。

アメリカ人は家族を大切にします。……というよりも、アメリカ人にとり家族とは『”何よりも大切にすべき”と考えるもの』とされているように思われます。だから「あなたにとって一番大切なものは?」と聞かれると、アメリカ人はみんな、何のためらいもなく口を揃えて「家族(Family)」と答えます。実際には、この国では結婚2組に1組が離婚しているのが現実なのですけれども……。(ブログ記事:『アメリカ人の本音とタテマエ』)

日本の家族に比べるとアメリカの家族ははるかに多様で、それぞれにユニーク。そもそも見た目からして日本とは比べ物にならないくらいのバリエーションがあります。お父さんもお母さんも子どもたちも揃ってみんな日本人、全員が黒い瞳で黒い髪という日本人の家族に比べると、アメリカでは、たとえば半分イギリス人で半分アメリカ人のお父さんは金髪で青い目、1/4中国人で1/4ロシア人で1/2アメリカ人のお母さんは髪は黒くて眼はとび色。さて子どもは……?と考えるだけでも大変。同じ家族でも髪や瞳の色にはじまって混血の度合いまで皆それぞれ違っています。でもアメリカ的には、それでも従来は"まだまだ"だったとみえ、最近のニューヨークタイムズ紙は「最近の若い世代では、お互いに人種、民族、国籍の違うカップル同士の結婚が急激に増えており、アイデンティティにも新しい意味が賦与されている」と大きく報じています。("Black? White? Asian? More Young Americans Choose All of the Above (Race Mixed:New Sense of Identity)" NT Times 2011年1月30日)

こういうトレンドですから、親子や家族を描いた絵本も大いに変化しています。古典的な絵本の大部分は「いかにもアメリカ人」という白人の家族だけが描かれています。例えば"Love You For Ever"では、お母さん、息子、さらにその息子の娘まで親子3代とも白人のファミリーです(ブログ記事:『アメリカ中のお母さんが泣いた絵本』2009年2月26日)。"古き良きアメリカ"を描く絵本では、親戚が大勢集まっても、皆そろって白人の"アメリカ人"でした(ブログ記事:『しんせきがやってきた』)。

今日でも、人種の違うお父さんとお母さんが登場する絵本はあまり多くないように思いますが、一方で主人公の子どもたちはかなり多様化が進んでいます。始めて黒人の男の子が主人公になったと話題になったのは、約半世紀前に出版された「The Snowy Day」(ブログ記事:『カルデコット賞から45年たって』)、カルデコット賞に輝いた時には、「白人の子どもが主人公だったら果たして賞が取れたかな?」と皮肉なコメントまで出ました。が、今では、中国人のふたごの女の子が主人公だったり(ブログ記事:『それぞれにユニーク』)、明らかに海外から転居してきた姉妹の物語だったり(ブログ記事:『妹なんて大っきらい』)、ラテン系でしかも女装する男の子だったり(ブログ記事:『プリンスとプリンセス』)という具合に、幅広いバリエーションがあります。

養子をもらって育てるカップルも少なくありません。私の友人のユダヤ人と日本人のカップルは、韓国からもらった男の子と女の子を育てていますし、別のアメリカ人夫婦はアフリカ生まれの黒人の男の子を養子にしています。ハリウッドのパワーカップルのブラッド・ピットとアンジェリ―ナ・ジョリーのように、それぞれ人種の違う複数の子どもをきょうだいとして養子にしている例も稀ではなく、私の身近にもそんな親子きょうだいが何組もいます。

最近では同性同士のカップルの子育ても珍しくありません。同性カップルの場合、子どもは養子の場合もありますし、人工授精や代理出産の場合もあって、これまた多様(ブログ記事:『……されど家族』)。最近では「人工授精」や「代理出産」など妊娠や出産のエンジニアリング(技術?)もかなり大衆化し、いずれもごく普通の選択肢になっていますから、こうした「エンジニアリングによる妊娠・出産」のエピソードを聞いても驚く人はほとんどいません。女性が未婚で出産する場合も、偶然だけでなく意図的に妊娠しようとするのはもちろん、精子を買って人工授精でエンジニアリング出産するケースもかなりあります。

アメリカでは義理の関係でも隠しだてせずに公開するのが普通。『養子ー養親』関係も、再婚での『義理』の親子やきょうだいの関係も、きちんと明言して暮らしています。たとえば再婚による義理の関係の場合は「Step-」を冠してStep-Father/ Mother/ Sister/ Brotherというふうに呼びます。日本から転居したばかりのころは、「わざわざ『義理の』なんて言わなくても……」と日本的常識からの違和感があったのですが、アメリカ式に慣れるにつれ、かえってさっぱり、はっきりしていていいなと思うようになりました。

こういう現実を反映して、親子を主人公にした絵本にも人種や性別を特定しない雰囲気に仕上げた作品や(ブログ記事『I Like it When...』2009年5月28日)、同性カップルの子育ての絵本が積極的に刊行されるようになっています(ブログ記事『2人のパパと、2人のママと』)。

アメリカ人が「何よりも大切」にしている家族は、これからどう変わっていくのでしょうか?



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学校の四季

2011-02-04 | my Anthology


義務教育の制度は日本もアメリカも共通です。日本は小学校1年生から中学校卒業の15歳までですが、アメリカでは小学校入学前の1年間のキンダ―ガーテン(幼稚園)から高校卒業(満18歳)までが就学義務期間です。

はじめての入学(入園)を前に、親子ともどもちょっと不安になるのは日米共通(ブログ記事:『子どもドキドキ親もドキドキ』)。アメリカでは入園を前に「まだ一人で靴ひもが結べない…」と悩む女の子もいれば(ブログ記事:『スタートラインは幼稚園』)、先に学校に行ってるお姉ちゃんの手前"突っ張って"強がってはいるけれどやっぱり内心では心配…という男の子もいます(ブログ記事:『なぁんだ、よかった、ホッ‥‥』)。子どもたちだけではありません。新入生を迎える前夜は、担任の先生も準備でてんてこまいの大忙し(ブログ記事:『先生だって‥‥』)。そして、その年はじめて教えはじめる"新人先生"は、もう生徒に負けず劣らず不安でいっぱい‥‥です(ブログ記事:『ハラハラ、ドキドキ、ぶるぶる、そして…』)。

うちの娘は日米両方で小学校入学を経験しました(ブログ記事:『いよいよ入学!日本?アメリカ?』)。日本では、親は入学までに細々と揃えなければならないものがあって大変、子どもはそれを毎日持ち運ぶのが大変でした。大きなランドセルに教科書を入れ、さらに給食袋や体操着袋をぶら下げ、手には上履き入れの袋まで持って行く日本の一年生に比べると、アメリカの一年生ガ学校に持っていくのは『お弁当』(lunch Box)くらい。アメリカでは教科書も教材もクラスの備品、文房具も教室での貸与でクラス置きっぱなしだからです。

アメリカ人はオンとオフの切り替えがはっきりしていて「学校(勉強)は学校、遊びは遊び」と割り切っています。そもそもアメリカの学校は、休暇こそ長いのですが学期中の休日は多くありません(ブログ記事:『日本の休日、アメリカのホリデー』)。ですから、休日にまで宿題があるという考えは小学生にはなく、だから「日本ではクリスマスとお正月の休みにも宿題が出るんだって!」と聞くと子どもたちは皆「うっそ―!」と仰天します。

「毎日を律することが大切。長期休暇などとったら"休みボケ"で使い物にならなくなる」と考えるか、「オフにめいっぱい遊んでリフレッシュして充電するからこそ、オンには死にものぐるいで頑張れる」と考えるか、日米の考え方の格差は意識されている以上に大きく、見えないところで制度・政策にも反映されている気がします。

そんな日米の違いがもっとも顕著に目に見えるのが『夏休み』です。アメリカの学校は9月新学期で翌年8月までが1学年ですが、実は9月に始まった学校は早ければ翌年の5月下旬に、遅くとも6月半ばには終わってしまいます。そこから9月の新学期(新学年)までの2カ月以上が夏季休暇(Summer Vacation)。しかも『夏休み』は学年の切れ目にあたるので、年次中途の『春休み』や『冬休み』(Spring/Winter Break)とは明確に区別される完全な休暇です。要するに、学校の年次に含まれない期間(学校の管轄外にいる期間)となります。だから夏休みには宿題も、日本のような登校日もあるわけがないのです。"学校がない"期間なので先生方も義務はありません。以前このブログにも書きましたが「アメリカの学校の1年は9カ月」しかないのです。(ブログ記事:『アメリカの学校は9カ月』)

せっかくの長い夏休みを、一層楽しくしてくれるのが多種多様なサマーキャンプです(ブログ記事:『サマーキャンプ事情』)。娘のキャンプ経験は、農場でブルーベリーを摘んだり子ブタを洗ったり、スタンフォード大学でのコンピュータ・キャンプでゲームのプログラムを書いてみたり、ダンスの強化合宿で疲れ果てたり‥‥、といろいろでした。毎年同じキャンプに参加するリピーター型も多く、娘の同級生は彼女のお母さんもおばあちゃんも行ったというキャンプに小学校から高校卒業まで毎年のように参加し、学校とは別のソ-シャル・ネットワークをきっちり形成していました。

でも、どんなに長い夏休みも過ぎてしまえばあっという間。すぐに新学期が迫って来る……というのが毎年の実感。新学期は9月ですが、8月になると皆なんとなくそわそわし始めます。この時期に白熱するのが新学期商戦("Back to School Sale")。子どもたちの新学期の準備とあっては親の財布もゆるみがち。"クリスマス商戦"に匹敵する売り上げガあると言われる所以です。親にとってはまさに「お金のかかる新学期」です。(ブログ記事:『お金のかかる新学期』)




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いまどきの 若者たち

2011-01-28 | my Anthology

PHOTO:スポーツを介して国際交流を目指すボランティア団体「ISCA」のホームページには活動的な若者がいっぱい。

「いまどきの若者は‥‥」という上の句には、ソクラテスの時代から、たいてい否定的な下の句が続くものとされてきました。昨今のアメリカの若者はいかがなものでしょう?

現代アメリカを代表する『若者』といえば、まずはマーク・ザッカ―バーグ(Mark Zackerberg)です。ハーバード大学在学中にソーシャル・ネットワーキング・サイト「フェイスブック(facebook)」を立ち上げ、そのまま大学を中退して起業。創業者にしてCEOとなった彼は、まだ株式公開前というのに、既に世界最年少のビリオネア。このシリコンバレーの新星は雑誌タイムが選ぶ『2010年のMan of the Year』にも選ばれ、世界が認める若きアントレプレナーとして成功を嘱望されています。

大学生専用サイトだったフェイスブックですが、今では誰でも参加できる、一般公開のソーシャル・ネットワーキングです。最近では中高年の加入も急激に伸びていて、世界中合わせると5億人以上。世界人口12人に1人が登録メンバーとか。加入者の量的・層的拡大につれてフェイスブックはビジネスモデルを大きく転換させて急成長しており、2012年には株式公開間違いないと予測されています。フェイスブックがIPOすれば、シリコンバレーにはたくさんの若いミリオネアが誕生し、さらに次の成功を求めて飛び立っていくことでしょう。

フェイスブック誕生秘話をドラマ化した映画「ソーシャル・ネットワーク」は昨年もっとも評判をとった作品のひとつ(ブログ記事:いまどきのヒット作』)。すでにゴールデングローブ賞に輝き、さらにアカデミー賞にもノミネートされていますが、実はこの映画、アメリカンドリームを実現する若者たちの単純で明るい"青春ドラマ"というわけではありません。ハーバードの同級生3人で始めたといわれながら、なぜかマーク以外の創業者の姿が見えず、代わりに聞こえてくるのは訴訟沙汰‥‥の状況を、「何故?」と疑問に感じていた向きには「なるほど」の起業『裏ストーリー』が語られます。また、彼の周辺に登場するシリコンバレーの若い成功者(別名は成金?)や投資家たちの行動が、外の世界の人々の目にどんな風に映っているのかも興味深く見せつけられます。加えて、いまどきの女子学生の行動や価値観についてもさまざまに考えさせられる‥‥まさに「いまどきの若者」の映画になっています。

さて、もうひとりの若者はクリス・ヒューズ(Chris Hughes)です。ご存知でしょうか?

大統領選挙キャンペーン中、オバマ候補は草の根の支持者を広く組織化し、ごく小口の寄付を寄せ集めて多額の選挙資金をまかないました。従来はとても不可能だと考えられていた全国の支持者個々人をひとつにまとめて組織化することを可能にしたのは「MyBarackObama.Com」略してMyBOと呼ばれたウェブサイトでした。MyBO上には200万人以上のボランティア支持者が登録、1300万のe-mailアドレスがリストされ、3万5千超の支持者グループが結成され、20万回を優に超えるオフ会が開かれました。またMyBO上に支持者が開設した約7万の資金調達ページから総額30億円以上の選挙資金が集められ、これがオバマを当選に導く資金源ともなったのです。

このMyBOのウェブサイトを制作したのがクリス・ヒューズです。実は、クリスはフェイスブック創業者3人のひとり。大学を辞めてシリコンバレーに移ったマークと袂を分かち、クリスは大学に戻って卒業し、それからオバマ候補のキャンペーン支援部隊に参加。フェイスブック立ち上げで培ったノウハウをボランティア支援システムの構築に活かして成功させたのです。(ブログ記事:『いまどきの若者』)

2010年2月、クリスはオバマ政権の仕事を離れ、NPOを立ち上げました。その名は『JUMO』。西アフリカの言葉で"コンサートに集まること"。JUMOは社会問題の解決のために活動する個人や団体を結び合わせ支援するためのNPOであり、ウェブサイトでは「活動している人」と「活動したい人」を結びつけます。

「技術は、使命を持つ人によって使いこなされた時にこそ、最も威力を発揮する」というのがクリスの信念。「世界各地で大勢の人が既に社会問題の解決のために働いています。必要なのは、その人々に役立つ技術を届けること。それがJUMOの使命です」と語っています。

マークとクリス。「営利追求型起業」か「社会的起業」の違いはあれど、いずれも最先端技術を駆使して人と人を結びつけ、社会の仕組みを、われわれの暮らしを、根底から変える仕事をしています。弱冠(失礼!)27歳にして、草の根の変革どころか、もしかしたら静かな革命を引き起こしているのです。若者が『時』と『場』をともに得た時に発揮する力にはすさまじいまでの勢いがあります。いまどきの若者はダメだなんて…、とうてい言えません。

この、ともに聡明にしてタフで頑張りやのふたりが、それぞれの大事業の基礎となるアイディアを得たのは大学の寮でした。アメリカの大学は、あまた殺到する受験生に「自らをアメリカがほんとうに必要とする『期待される人間像』であると証明」するよう求め、そうして世界の明日を担う若者を見い出し、育てようと本気で生真面目に考えています(ブログ記事:『必読!アメリカのお受験』)。

若者に「かくあれ!」と衒いなく期待を語り、社会は志ある若者を必要としていると真剣に呼びかけ、実際に登用することで励ましあるいは奨学金を出して支援しているのは、大学ばかりではありません。企業も(ブログ記事:『ジュニアノーベル賞発表』)、政治家も、そして行政も(ブログ記事:『ファーストレディの贈る言葉』)若者に真剣に語りかけ、向き合っています。そう、ミス・アメリカのコンテストもその例外ではありません(ブログ記事:「ミス・アメリカはファンドレイザー)』。世界をリードする若者が育っている国には、やはりそれなりに若者を育てる土壌と仕組みがあるのだと思います。





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えいがとえほん

2011-01-21 | my Anthology


アメリカ人は映画が大好き。NetflixによるDVDの宅配がどれだけ普及しても、最新の封切り映画のロードショー館や昔懐かしい映画の上映される名画座の人気は衰えていません。またアメリカ映画を見ていると、アメリカ人って絵本も好きなんだなぁとしみじみわかります。なにげない場面、場面にしばしば絵本が登場しますし、絵本が原作の映画も毎年のように制作されているからです。

上の写真は映画「You've Got Mail(邦題:ユー・ガット・メール)」のひとコマ。絵本屋さんのオーナーである主人公キャサリン(メグ・ライアン)が、店内で子どもたちに絵本の読み聞かせをしているシーンです。キャサリンの後にある本棚には、お馴染みのドクター・スースの絵本がずらっと並んでいますが、彼女が読んでいるのは「Boy(ロアルド・ダールの自伝的な作品)」です。

映画の中での読み聞かせといえば、共和党支持派の多い地域では上映中止の劇場もでたというマイケル・ムーアの映画「Fahrenheit 911(邦題:華氏911)」には、まさにあの9月11日の朝、ブッシュ大統領が小学校を訪問して読み聞かせをする(はずだった)場面が出てきます。大統領が読み聞かせようと携えていた絵本は彼の愛読書「Good Night Moon(邦訳:おやすみなさいお月さま)」だったそうです(ブログ記事『原語で読みたい絵本の古典』)。

アメリカでは、いろいろな場面でおとなが子どものために『読み聞かせ』をすることが大変ポピュラーです。ブッシュ大統領に限らず、有識者等が学校などを訪問する時には、たいてい自分の好きな本を持って行って、子どもたちに読み聞かせるものとされています。オバマ大統領もミシェルさんも精力的に学校を訪問し、『読み聞かせ』をしています。(ブログ記事『ホワイトハウスの本棚』)。

保育園や幼稚園はもとより小学校にあがっても、1-2年生のクラスでは先生や親のボランティアによる読み聞かせ(story time)が頻繁にあります。街の図書館や本屋さんでも毎週定例の読み聞かせの会(story hours)が決まっていて、いろんな大人が読み聞かせをしています。ニーズが多いので、読み聞かせボランティアのためのしっかりしたトレーニングコースもあり、教会や図書館などにプロの声優さん等が来て希望者に教えてくれます。

家庭での就寝前の読み聞かせ(bedtime story)は昔も今も変わらぬアメリカの常識。最近の映画では「The Blind Side(邦題:しあわせの隠れ場所)」の中で、母親役のサンドラ・ブロックが「The Story of Ferdinand(邦訳:はなのすきなうし)」の絵本を子どもに読み聞かせる場面があります(ブログ記事『アメリカ映画にみる母と子』)。息子ショーンの幼い時の愛読書を読んでいるという設定なのですが、実は、巨漢で力持ちなのに滅法やさしい主人公ビッグ・マイクを、飛びきり大きくて強そうな牡牛なのに花が大好き‥‥というFerdinandに重ね合わせているというのが伏線です(ブログ記事『花の好きな牛』)。

映画「フォレスト・ガンプ Forest Gump」にはお猿のジョ―ジの絵本(Curious George)が出てきます。その昔、今は亡きフォレストのお母さんがフォレストに読み聞かせ、今度はそれをフォレストが息子のフォレストに読み聞かせ……息子はその読み古された絵本を、大切に学校のシェアリングの時間に持っていきます。障害のあるお父さんと健常児である子どもの交流を描いたもうひとつの映画「アイアムサム i am sam」では、お父さんが読めるほとんどタダ一冊の、そしてお父さんの大好きな絵本として、ドクター・スースの「緑のタマゴとハムGreen Eggs and Ham」が繰り返し登場します。

やや旧くなりますが、スピルバーグの不滅のヒット作映画「E.T.」では、エリオットの幼い妹にお母さんがベッドで「ピーターパン」の絵本を読み聞かせています。読んでいるのは「妖精を信じるなら手を叩いて…妖精が消えてしまわないように…」のくだり。小さな妹が一生懸命になってお母さんと一緒に手をたたく様子を、クローゼットの中からじっと見つめているE.T.。E.T.は妹の絵本とテレビ番組「セサミストリート」でアルファベットの読みと発声を学び、単語を憶え、エリオットや子どもたちと、ほんの数語を連ねるだけで、上手に意志を通わせ、心を深く通わせる会話をすることができるようになりました。

絵本が原作になっている映画もたくさんあります。新しいところでは、今年封切りの「Where the wild things are(邦題:怪獣たちのいるところ)」。昨年映画化された「Cloudy with a Chance of Meatball」(ブログ記事『映画の原作になった絵本』)は朝昼晩、空からおいしいお料理が降ってくる町の物語です。その前にはロアルド・ダールのちょっと不気味な「Charlie and Chocolate Factory(邦題:チャーリーとチョコレート工場)」が評判をとりました。私が好きなのはドクター・スースの「How the Grinch stole Christmas!」です(ブログ記事『盗まれた?クリスマス』)。ひねくれ者のグリンチが村人を困らせようと"クリスマスを盗んでしまう”お話。こうして並べてみると、不思議なことに、映画になってるのはいずれもちょっと風変わりな絵本ばかり。映画はいずれも幻想的な作品です。

珍しいところでは、絵本のタイトルがシリアスな会話の中で比喩として引用されるというのもあります。ハリソン・フォード主演のアクション映画「Air force One(邦題:エアフォースワン)」で、テロリストの危険性を語る場面で引用されるのが「If You Give A Mouse A Cookie(もしもネズミにクッキーをあげると‥‥)」(ブログ記事『ぐるぐる回るお話』)です。

絵本はアメリカでは『国民的教養の書』なのです。

さて最後に、"日本の絵本”が出てくるアメリカ映画をご紹介しましょう。日本には紹介されていないようですが「Dan in Real Life」という映画で、主人公ダンを演じているコメディアンの Steve Carrelが"絶対に退屈しない本"と言って紹介しているのが「Everybody Poos」。そう、ご存知!五味太郎さんの「みんな、うんち」の英語版です(ブログ記事:併読のパワー:みんなうんち)。実はこの映画、友人によれば「ものすごく退屈で途中から寝てしまった」という出来なのですが、そのものすごく退屈な映画の中で、退屈しない本として紹介されているというアイロニーは、なかなかお洒落! Steve Carrelはよほど「みんなうんち」が気に入っているとみえ、人気TV番組 The Office の中でも同僚の出産祝いに「Everybody Poos」をプレゼントしている場面があるそうです。




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