■2024/8
・2024/8/4 天然石万華鏡!フォーチューン概念!

・2024/8/9-8-14 インド!
洗濯物がなんかすごいスパイスの匂いだよォーーー!!!おまけにkindleを、最後の最後の飛行機に忘れてきたことが今日発覚しました!お土産のお茶もどこかで落としてきたみたいで、「結構な額の落とし物をしているな?」という状況です!
1日目 関空→デリーのホテル

マレーシア航空利用!飛行機の「現在地」を出す画像が常に北向いててメッカの画像が固定だったのなんだったんだろうな…。
円形の空港のど真ん中に木を生やすの、ワー!シンガポール!って思う。ガラスと木すきだよね。なお別角度だとガラスは鳥の糞でべちょべちょになっており、木の上にはネットが張られている
インドの空港はヨガの手が沢山飾られてる右側。「塔」で見た気がする…。
花盛のガネーシャはホテル(ラディソン ブル ドワルカ)。ホテルは真ん中がでっかい吹き抜けになっておりその周りに客室がある感じ。吹き抜け部分のエアコンはゆるめ。お部屋はシンプル。67ドルからとあったから1万円くらいかな。
出発前一番震えていたのはトコジラミなのですが、個々含め衛生面に関して全く心配のないホテルで、「ツアーバンザーイ!」となりました。逆に1万円くらいだせばほぼ確実に安泰なのか…?(一応どこもこのくらいの値段だったと思う)
https://www.radissonhotels.com/en-us/hotels/radisson-blu-new-delhi-dwarka
2日目 ジャイプール

風の宮殿→ジャンタルマンタル天文台→シティパレス→アンベール城→水の宮殿→布店→宝石店
デリーから一時間走ると凄い近代的なビルが立ち並び、そこを抜けると米!畑!畑!畑!になるの、「2時間で行ける場所の温度差!」になる。
風の宮殿(1799年)を横から見たとき「華やかな衝立」だったのにはちょっと笑っちゃいました。
露店で売っているチャイ30ルピー!本当に「露天」なのですが(あるいは露天の雰囲気を出しているのかな、そこまで観光客商売!という感じの衛生オーラはなかったのですが)チャイはぐらぐら煮沸しつづけているし、素焼きのカップも使い捨てなのできっと大丈夫!ということでGO!(ガイドさんもここは大丈夫といっていた)とても熱くて持てないだろうとつけてもらったのはネスカフェの紙コップ…。これで提供するケースもあるんだろうか…。そもそも本当にこれは30ルピーなのだろうか…。
一時停車する場所がなく、インドの道路を横断したのもいい経験!徒歩の人間最優先なので、街中は本当に速度を出せないみたいですが、歩く側からすると強気で歩ける。たのしい。
ジャンタルマンタル展望台、1730年代に、「20秒単位で測れるらしい日時計があった」というのがめちゃめちゃ感動…。左列下から2番目がそれです。ぐいっと反り上がってる大理石のカーブに刻まれてる目盛りが20秒単位だった。残念ながら日が照っておらず、各機材の実力は見れず…。
シティパレスはそとからちらっと見ただけなので特に感想なし!ヒンドゥー教の王様ですが妹さんがイスラム系の王様と政略結婚してるからちょいちょい建築様式がイスラム。ただ、「各門にガネーシャを置いている」の、宗教の主義主張ははっきりしているとのこと。
どちらかというと、車窓から見た「大理石で建築中のシヴァ神寺院」が気になりましたね…!
アンベール城は1562年完成!ムガル帝国3代目!モルタルで作っている部分、石で作っている部分、大理石で作っている部分色々あるんですが、モルタル部分はあっさりかびてしまっているのに対し大理石パートは綺麗で…。手入れもあるとおもうのですが、鏡が天井や壁に無数に埋め込まれている謁見室部分は、「おっこの100年後に建ってるヴェルサイユと十分並べるぜ!」という煌びやかさでした。(鏡の間の面積は全然違います)ムガル帝国がどれだけとんでもなかったのか、というものの片鱗を吸えた気がする!
水の宮殿は…「建物を建ててから水を流しました」らしいのですがド金持ちエピソードすぎる!!風の宮殿と同じく1800年前後の建物だけど、いやいやいや…すごくない…?後から?水を?元々平地だったってこと?
お土産物見てホテルへ!イエローサファイアがインドでは大層縁起のいい石らしいのですが、ちょっとブルーサファイアに目移りしている間に全てが面倒になり購入できず…。
ホテルは「宮殿っぽい造り」のホテルでした!イメージとしては「侍女の部屋を二つほどぶち抜いてお部屋にしている」という造りだと思います。内装はすんごいコロニアルでしたね…。いつかはガチモンの宮殿ホテルに泊まってみたい!
なおここで停電を2回経験し、水シャワーで風邪をひきました!
3日目 アグラ近郊

ファテープルシクリ→タージマハル→タージマハル見ながら原っぱでお茶→大理石店
ジャイプールからアグラに向かう途中、ファテープル・シクリへ!
1571年からたった15年で放棄された首都です。理由は水不足。「漸く子供が生まれた記念に遷都して(城をつくって)、水不足だから15年程度で出ていく」ってどういうスケール!?!?!?!?全然わからない、京都から長岡京にいくようなもの?わからない…スケールがとんでもないという事だけはわかる…。遷都のノリが軽すぎる。
金目のものは扉含めて全て持ち去られてしまってすべてががらんどうなのですが、私はこことても好きでしたね。
好きポイント1つ目は「悪役しかそんなところから登場しないぜ」と言いたくなる柱。左上の、何か微妙にグロい柱があるんですけど(これ蓮モチーフらしい)、王様はこの柱の上に座っていて、下での会議を聞いていたらしいです。「まったく降りて混ざることを想定していないデザイン」だいすき。これが「皇帝」!
好きポイント2つ目は右上。これ、「寝台」なんですよ…。この、下の部分に水を流して涼をとったとか。水でなんとかしよう!水で!という水への執着大好き。アルハンブラも凄かったですよね、あっちはそこまで暑くない気はするけど…。
なおこの辺りで採れる赤い砂岩は、地層によっては黄色くなっており、赤い岩を使うか黄色い岩を使うかはデザイン次第だったそう。でもそんなに丈夫じゃないらしい。
そのあとはタージマハルへ!
いやもう。
ほんとうに
すごかった。
美しさで殴ってくる感じすごかった。白って200色あるらしいけど白の万華鏡のようだった。六角形なのに星型に見える柱、下から見た時文字が全て同じサイズに見えるよう計算して象嵌されたコーラン、どれもすごかったけどやっぱりこう…手入れが行き届いていていて白く美しいというところが多分ポイント高い!堅牢な石、サイコー!
あいにくの曇り空だったんですがその雲が降りて冷え固まった宮殿のようだった…墓だけど…。翌朝薄曇りの中で見たら朝もやが固まっているようで…なんていうのかなぁ自然と呼応するような美しさだなと思いました。きっと晴れの日も綺麗だし満月の日も綺麗なんだろうなぁ……!!
塔が微妙に傾いているのは、「地震が起きても決して妻の墓に塔が倒れてくることが無いように」だとか。この翌日、デリーの近くの開拓中の街を見たのですが、普通に40階建てのビルがニョキニョキ立っていて…(デリーには近いけど地下鉄が通ってないので1LDK400万!)昔の王様は地震を想定しているのに…今の政府と来たら…?
この日はもう疲れ切っていたのと発熱で…ホテルの記憶がない…ごはんはおいしかった…。あとお昼にグラブジャムンが出ました。甘かった!あとなんだっけ、サリー着て記念撮影したんですが、「これどう?」と言われた色が青緑でした。嫌いじゃないがそれ以上に勧められることが多い…イメージカラーなのか…。
4日目 デリー近郊


アグラ城→車窓からレッドフォート、オールドデリーの一番賑やかな商店街→クトゥブ・ミナール→フマユーン廰→紅茶店と雑貨店
ものすごーーーい眠い中でアグラ城へ。朝の4時くらいに一回アザーンで起こされた気がするんですが気のせいだったかも。
インド不思議だな、とおもうのはアグラ城といいレッドフォートといい、「軍事的に重要な土地に建てているので未だにウン百年前の建物をつかっています!」というのが多いんですよね。アグラ城の隣にイギリス人が立てた兵舎もフツーに使ってるし、大臣たちもイギリスの高官が住んでいた建物(東インド会社の頃につくったやつだから地区100年位…?)立地はいいし当時の粋を尽くしたものだとはおもうんですが、築年数とんでもなくない?もっといい所あるんじゃない?と私などは思うのですが…。いやまぁ、現代の戦争は砲弾で行うものではないからいいのか…?いやでもやっぱり頑丈な方がよくない…?直撃を免れても石が崩れてきそうな造りじゃない…?
アグラ城は、シャー・ジャハーンが増築した部分がやっぱりすごくよかったですね。(結局大理石!象嵌!)高低差を利用した噴水があって、そこから薔薇水が噴き出していたとか本当に…この世の楽園か…????晩年そこに幽閉されてタージマハルを遠く眺めながら涙を流したという逸話がありますが、「幽閉」というにはハチャメチャに綺麗な牢獄でした。
シャージャハーンとムムターズ
・18年の結婚生活で妊娠14回(結局ちゃんと生まれたのは半分くらい)
・世界一美しい墓を建ててほしい→建てた
・再婚しないでください→妻の妹と再婚した。なんなら「妻に激似の実の娘と事実婚」という説もある
・子育てをちゃんとしてください→しなかった
と、後半になると段々ダメなところが見えてくる感じがあるのですが。
それでも、「いや受けちゃんにこれだけのものを差し出す攻めちゃんだったんだな」とおもうと改めてすごいな…の気持ちです。結果として亡き妻の属性ダダ上がり!
綺麗な水を維持することが難しいからなんですが、「今原っぱになっている庭はもともと池だった」というのはなんかとても歴史を感じた。エフェソスといい「ここはかつて水場でした」というのに弱い気がします。
イスラムってすげーわ、宗教としてはちょっと過激派ではとおもうのですが、これだけの建物を作ったあたりほんとうに すごい。
お昼のタンドリーチキンめちゃめちゃおいしかった。一番食いが良かった。立地としては大使館やらが近いので「日本で言うところの六本木」だとおもうのですが。ガイドさんもそのへんに住んでるらしく…ええええ超お金持ち!!
あと、「同じ道路の南東ではお金持ちの子供たちが親のお迎えを待っていて、北西では子供4人と祖父が物乞いをしている(親は遠くからそれを見守っている)」というエッグい格差を目の前で見たのが印象的だった。
オールドデリーは治安が…といわれているので外から見ただけなんですが、マジでアレを歩かないと旅をしたことにならないんじゃないかな…!
独立記念日前なのでモディさんのポスターがあちこちに。お顔がいいなぁ、だいたいサンタクロースのコスプレが似合うなぁ、のポスター見てて思ったけど「印欧系」ってやっぱりひとくくりにできるんですよね。女性とかの骨格見てても「背は低くカラーリングも黒っぽいが、顔は小さく骨格はかなり欧米人バランス」というか…アジア人のバランスじゃねぇわ!これカラーとサイズ違いの欧米人だわ!と私は思ったのですが逆に「イギリス人がインド人を人と思わなかったなら日本人なんて更に人間じゃ無かったろうな…」という気持ちになっています。
クトゥブミナールは72.5mの塔!1192年にどうやってこんなものを…!?とおもったら、土台がありました。要するに外周に赤い石を積んであるだけなんだけどこんなに綺麗に積めるもんなんですね…いやすごい…。元々1Fまでは昇れたらしいのですが、修学旅行の時に「地震だ!」と大騒ぎになりパニックになった学生23名が死亡。(ここに見学にくるような学生だから良家の子女だったろうと勝手に推測)それいらい立ち入り禁止のようです…登って見たかった…。
ヒンドゥー寺院がイスラムの土地になった時ごっそり像が抉り取られていて、「ここがだめなところ!」と思うなどしました…。せめて抉り方を統一せよ…。
ところで多分これが「パドマーワト」でランヴィール・シンがやってた王様の作?らしく…えぇーーーそういう背景込みで見たかった。
フマユーン廰も綺麗でした!ただまぁ、「全方位綺麗にしている」というわけにはいかず…西のほうの墓にはめちゃめちゃコケ生えてたり・・・ なんだろうな、「やはり課金が物をいう」と改めて感じた次第です。
その後はホテルに移動!その日のホテルはガイドさんがいなかったこともあり、「ヒーン保護者(めっちゃ口のたつガイドさん)なしでソロで旅するとインドってこんな感じなのかー!」という気持ちを味わえました。こんな感じだったらインド嫌いになるかもしれん。
・いつまでたってもオーダーを取りに来ない
・一人でチップをせしめるために、フロアが違う人間の荷物を抱え込もうとする(大変段取りが悪く、面倒なので待たなかった観光客たち)
・荷物を運んだあと、オートロックがかからないように鍵の部分に紙を挟んで出ていき、さらに「チップが足りない」という圧をかける、等、等…。
タージマハルについては、満月チャンス狙って再訪したいなという気持ちあるのですが、どういう旅をするかは考えなきゃな!と思いました。
時間かければかけるほど記憶が薄れるので、総括!
・タージマハルはもう一回行きたい。それ以上に「ベナレス」に行く必要があるのでは
・生きてる「寺院」見て見たい
・最後まで物価はわからなかった(屋台チャイ30ルピー、高速道路のSAで買った箱入りのお菓子110ルピー、ホテルのラッシー413ルピー)。
・イエローサファイアちょっとほしかったかも
・快適さというか『不快にならないこと』最優先で組まれてるな、さすがクラブツーリズムさん。とりあえず世界遺産たくさん見れたのは良かった。
・デリー、トイレをそこらへんでするひとがいるので、結構糞尿が大変なことに…乾期はそれが舞い上がって…と聞きますがそれはなかったな。雨季だからかな。
・イスラム系の帝国デッカデッカイ!もうちょっとムスムスリムリムしているところも見て見たい(が、ちょっと難易度は高い)
・とにかく久しぶりに旅出れてよかった!
・2024/8/4 天然石万華鏡!フォーチューン概念!

・2024/8/9-8-14 インド!
洗濯物がなんかすごいスパイスの匂いだよォーーー!!!おまけにkindleを、最後の最後の飛行機に忘れてきたことが今日発覚しました!お土産のお茶もどこかで落としてきたみたいで、「結構な額の落とし物をしているな?」という状況です!
1日目 関空→デリーのホテル

マレーシア航空利用!飛行機の「現在地」を出す画像が常に北向いててメッカの画像が固定だったのなんだったんだろうな…。
円形の空港のど真ん中に木を生やすの、ワー!シンガポール!って思う。ガラスと木すきだよね。なお別角度だとガラスは鳥の糞でべちょべちょになっており、木の上にはネットが張られている
インドの空港はヨガの手が沢山飾られてる右側。「塔」で見た気がする…。
花盛のガネーシャはホテル(ラディソン ブル ドワルカ)。ホテルは真ん中がでっかい吹き抜けになっておりその周りに客室がある感じ。吹き抜け部分のエアコンはゆるめ。お部屋はシンプル。67ドルからとあったから1万円くらいかな。
出発前一番震えていたのはトコジラミなのですが、個々含め衛生面に関して全く心配のないホテルで、「ツアーバンザーイ!」となりました。逆に1万円くらいだせばほぼ確実に安泰なのか…?(一応どこもこのくらいの値段だったと思う)
https://www.radissonhotels.com/en-us/hotels/radisson-blu-new-delhi-dwarka
2日目 ジャイプール

風の宮殿→ジャンタルマンタル天文台→シティパレス→アンベール城→水の宮殿→布店→宝石店
デリーから一時間走ると凄い近代的なビルが立ち並び、そこを抜けると米!畑!畑!畑!になるの、「2時間で行ける場所の温度差!」になる。
風の宮殿(1799年)を横から見たとき「華やかな衝立」だったのにはちょっと笑っちゃいました。
露店で売っているチャイ30ルピー!本当に「露天」なのですが(あるいは露天の雰囲気を出しているのかな、そこまで観光客商売!という感じの衛生オーラはなかったのですが)チャイはぐらぐら煮沸しつづけているし、素焼きのカップも使い捨てなのできっと大丈夫!ということでGO!(ガイドさんもここは大丈夫といっていた)とても熱くて持てないだろうとつけてもらったのはネスカフェの紙コップ…。これで提供するケースもあるんだろうか…。そもそも本当にこれは30ルピーなのだろうか…。
一時停車する場所がなく、インドの道路を横断したのもいい経験!徒歩の人間最優先なので、街中は本当に速度を出せないみたいですが、歩く側からすると強気で歩ける。たのしい。
ジャンタルマンタル展望台、1730年代に、「20秒単位で測れるらしい日時計があった」というのがめちゃめちゃ感動…。左列下から2番目がそれです。ぐいっと反り上がってる大理石のカーブに刻まれてる目盛りが20秒単位だった。残念ながら日が照っておらず、各機材の実力は見れず…。
シティパレスはそとからちらっと見ただけなので特に感想なし!ヒンドゥー教の王様ですが妹さんがイスラム系の王様と政略結婚してるからちょいちょい建築様式がイスラム。ただ、「各門にガネーシャを置いている」の、宗教の主義主張ははっきりしているとのこと。
どちらかというと、車窓から見た「大理石で建築中のシヴァ神寺院」が気になりましたね…!
アンベール城は1562年完成!ムガル帝国3代目!モルタルで作っている部分、石で作っている部分、大理石で作っている部分色々あるんですが、モルタル部分はあっさりかびてしまっているのに対し大理石パートは綺麗で…。手入れもあるとおもうのですが、鏡が天井や壁に無数に埋め込まれている謁見室部分は、「おっこの100年後に建ってるヴェルサイユと十分並べるぜ!」という煌びやかさでした。(鏡の間の面積は全然違います)ムガル帝国がどれだけとんでもなかったのか、というものの片鱗を吸えた気がする!
水の宮殿は…「建物を建ててから水を流しました」らしいのですがド金持ちエピソードすぎる!!風の宮殿と同じく1800年前後の建物だけど、いやいやいや…すごくない…?後から?水を?元々平地だったってこと?
お土産物見てホテルへ!イエローサファイアがインドでは大層縁起のいい石らしいのですが、ちょっとブルーサファイアに目移りしている間に全てが面倒になり購入できず…。
ホテルは「宮殿っぽい造り」のホテルでした!イメージとしては「侍女の部屋を二つほどぶち抜いてお部屋にしている」という造りだと思います。内装はすんごいコロニアルでしたね…。いつかはガチモンの宮殿ホテルに泊まってみたい!
なおここで停電を2回経験し、水シャワーで風邪をひきました!
3日目 アグラ近郊

ファテープルシクリ→タージマハル→タージマハル見ながら原っぱでお茶→大理石店
ジャイプールからアグラに向かう途中、ファテープル・シクリへ!
1571年からたった15年で放棄された首都です。理由は水不足。「漸く子供が生まれた記念に遷都して(城をつくって)、水不足だから15年程度で出ていく」ってどういうスケール!?!?!?!?全然わからない、京都から長岡京にいくようなもの?わからない…スケールがとんでもないという事だけはわかる…。遷都のノリが軽すぎる。
金目のものは扉含めて全て持ち去られてしまってすべてががらんどうなのですが、私はこことても好きでしたね。
好きポイント1つ目は「悪役しかそんなところから登場しないぜ」と言いたくなる柱。左上の、何か微妙にグロい柱があるんですけど(これ蓮モチーフらしい)、王様はこの柱の上に座っていて、下での会議を聞いていたらしいです。「まったく降りて混ざることを想定していないデザイン」だいすき。これが「皇帝」!
好きポイント2つ目は右上。これ、「寝台」なんですよ…。この、下の部分に水を流して涼をとったとか。水でなんとかしよう!水で!という水への執着大好き。アルハンブラも凄かったですよね、あっちはそこまで暑くない気はするけど…。
なおこの辺りで採れる赤い砂岩は、地層によっては黄色くなっており、赤い岩を使うか黄色い岩を使うかはデザイン次第だったそう。でもそんなに丈夫じゃないらしい。
そのあとはタージマハルへ!
いやもう。
ほんとうに
すごかった。
美しさで殴ってくる感じすごかった。白って200色あるらしいけど白の万華鏡のようだった。六角形なのに星型に見える柱、下から見た時文字が全て同じサイズに見えるよう計算して象嵌されたコーラン、どれもすごかったけどやっぱりこう…手入れが行き届いていていて白く美しいというところが多分ポイント高い!堅牢な石、サイコー!
あいにくの曇り空だったんですがその雲が降りて冷え固まった宮殿のようだった…墓だけど…。翌朝薄曇りの中で見たら朝もやが固まっているようで…なんていうのかなぁ自然と呼応するような美しさだなと思いました。きっと晴れの日も綺麗だし満月の日も綺麗なんだろうなぁ……!!
塔が微妙に傾いているのは、「地震が起きても決して妻の墓に塔が倒れてくることが無いように」だとか。この翌日、デリーの近くの開拓中の街を見たのですが、普通に40階建てのビルがニョキニョキ立っていて…(デリーには近いけど地下鉄が通ってないので1LDK400万!)昔の王様は地震を想定しているのに…今の政府と来たら…?
この日はもう疲れ切っていたのと発熱で…ホテルの記憶がない…ごはんはおいしかった…。あとお昼にグラブジャムンが出ました。甘かった!あとなんだっけ、サリー着て記念撮影したんですが、「これどう?」と言われた色が青緑でした。嫌いじゃないがそれ以上に勧められることが多い…イメージカラーなのか…。
4日目 デリー近郊


アグラ城→車窓からレッドフォート、オールドデリーの一番賑やかな商店街→クトゥブ・ミナール→フマユーン廰→紅茶店と雑貨店
ものすごーーーい眠い中でアグラ城へ。朝の4時くらいに一回アザーンで起こされた気がするんですが気のせいだったかも。
インド不思議だな、とおもうのはアグラ城といいレッドフォートといい、「軍事的に重要な土地に建てているので未だにウン百年前の建物をつかっています!」というのが多いんですよね。アグラ城の隣にイギリス人が立てた兵舎もフツーに使ってるし、大臣たちもイギリスの高官が住んでいた建物(東インド会社の頃につくったやつだから地区100年位…?)立地はいいし当時の粋を尽くしたものだとはおもうんですが、築年数とんでもなくない?もっといい所あるんじゃない?と私などは思うのですが…。いやまぁ、現代の戦争は砲弾で行うものではないからいいのか…?いやでもやっぱり頑丈な方がよくない…?直撃を免れても石が崩れてきそうな造りじゃない…?
アグラ城は、シャー・ジャハーンが増築した部分がやっぱりすごくよかったですね。(結局大理石!象嵌!)高低差を利用した噴水があって、そこから薔薇水が噴き出していたとか本当に…この世の楽園か…????晩年そこに幽閉されてタージマハルを遠く眺めながら涙を流したという逸話がありますが、「幽閉」というにはハチャメチャに綺麗な牢獄でした。
シャージャハーンとムムターズ
・18年の結婚生活で妊娠14回(結局ちゃんと生まれたのは半分くらい)
・世界一美しい墓を建ててほしい→建てた
・再婚しないでください→妻の妹と再婚した。なんなら「妻に激似の実の娘と事実婚」という説もある
・子育てをちゃんとしてください→しなかった
と、後半になると段々ダメなところが見えてくる感じがあるのですが。
それでも、「いや受けちゃんにこれだけのものを差し出す攻めちゃんだったんだな」とおもうと改めてすごいな…の気持ちです。結果として亡き妻の属性ダダ上がり!
綺麗な水を維持することが難しいからなんですが、「今原っぱになっている庭はもともと池だった」というのはなんかとても歴史を感じた。エフェソスといい「ここはかつて水場でした」というのに弱い気がします。
イスラムってすげーわ、宗教としてはちょっと過激派ではとおもうのですが、これだけの建物を作ったあたりほんとうに すごい。
お昼のタンドリーチキンめちゃめちゃおいしかった。一番食いが良かった。立地としては大使館やらが近いので「日本で言うところの六本木」だとおもうのですが。ガイドさんもそのへんに住んでるらしく…ええええ超お金持ち!!
あと、「同じ道路の南東ではお金持ちの子供たちが親のお迎えを待っていて、北西では子供4人と祖父が物乞いをしている(親は遠くからそれを見守っている)」というエッグい格差を目の前で見たのが印象的だった。
オールドデリーは治安が…といわれているので外から見ただけなんですが、マジでアレを歩かないと旅をしたことにならないんじゃないかな…!
独立記念日前なのでモディさんのポスターがあちこちに。お顔がいいなぁ、だいたいサンタクロースのコスプレが似合うなぁ、のポスター見てて思ったけど「印欧系」ってやっぱりひとくくりにできるんですよね。女性とかの骨格見てても「背は低くカラーリングも黒っぽいが、顔は小さく骨格はかなり欧米人バランス」というか…アジア人のバランスじゃねぇわ!これカラーとサイズ違いの欧米人だわ!と私は思ったのですが逆に「イギリス人がインド人を人と思わなかったなら日本人なんて更に人間じゃ無かったろうな…」という気持ちになっています。
クトゥブミナールは72.5mの塔!1192年にどうやってこんなものを…!?とおもったら、土台がありました。要するに外周に赤い石を積んであるだけなんだけどこんなに綺麗に積めるもんなんですね…いやすごい…。元々1Fまでは昇れたらしいのですが、修学旅行の時に「地震だ!」と大騒ぎになりパニックになった学生23名が死亡。(ここに見学にくるような学生だから良家の子女だったろうと勝手に推測)それいらい立ち入り禁止のようです…登って見たかった…。
ヒンドゥー寺院がイスラムの土地になった時ごっそり像が抉り取られていて、「ここがだめなところ!」と思うなどしました…。せめて抉り方を統一せよ…。
ところで多分これが「パドマーワト」でランヴィール・シンがやってた王様の作?らしく…えぇーーーそういう背景込みで見たかった。
フマユーン廰も綺麗でした!ただまぁ、「全方位綺麗にしている」というわけにはいかず…西のほうの墓にはめちゃめちゃコケ生えてたり・・・ なんだろうな、「やはり課金が物をいう」と改めて感じた次第です。
その後はホテルに移動!その日のホテルはガイドさんがいなかったこともあり、「ヒーン保護者(めっちゃ口のたつガイドさん)なしでソロで旅するとインドってこんな感じなのかー!」という気持ちを味わえました。こんな感じだったらインド嫌いになるかもしれん。
・いつまでたってもオーダーを取りに来ない
・一人でチップをせしめるために、フロアが違う人間の荷物を抱え込もうとする(大変段取りが悪く、面倒なので待たなかった観光客たち)
・荷物を運んだあと、オートロックがかからないように鍵の部分に紙を挟んで出ていき、さらに「チップが足りない」という圧をかける、等、等…。
タージマハルについては、満月チャンス狙って再訪したいなという気持ちあるのですが、どういう旅をするかは考えなきゃな!と思いました。
時間かければかけるほど記憶が薄れるので、総括!
・タージマハルはもう一回行きたい。それ以上に「ベナレス」に行く必要があるのでは
・生きてる「寺院」見て見たい
・最後まで物価はわからなかった(屋台チャイ30ルピー、高速道路のSAで買った箱入りのお菓子110ルピー、ホテルのラッシー413ルピー)。
・イエローサファイアちょっとほしかったかも
・快適さというか『不快にならないこと』最優先で組まれてるな、さすがクラブツーリズムさん。とりあえず世界遺産たくさん見れたのは良かった。
・デリー、トイレをそこらへんでするひとがいるので、結構糞尿が大変なことに…乾期はそれが舞い上がって…と聞きますがそれはなかったな。雨季だからかな。
・イスラム系の帝国デッカデッカイ!もうちょっとムスムスリムリムしているところも見て見たい(が、ちょっと難易度は高い)
・とにかく久しぶりに旅出れてよかった!