熊鷹山登山記録

2011年05月27日 | スポーツ・山歩き

Photo

                           熊鷹山から根本山を望む

熊鷹山登山記録   By  Takashi Kokubun ( 國分 孝司 )

コースタイム 不死熊橋(駐車場)9:20-尾根上10:30-四辻11:30-根本山山頂11:40-熊鷹山12:50-林道13:20-不死熊橋(駐車場)14:30 

今日を逃すと当分晴れの日がなさそうなので、思い切って遠出することにした。6時Photo_2に自宅を出て、北関東自動車道の「田沼佐野」ICで降り、66号を桐生川ダムめざし、渡ったところを右折する。舗装道路だが、次第に細くなり、桐生川沿いにカーブが連続する緊張を強いられる道が続く。ところどころで道路工事があり、走りにくい。約30分このような道を走り、いい加減嫌になる頃、突然進入禁止の標識が現れ、行き止まりとなる。ここが駐車場。9:15到着。すでに6台程度の車が止まっていた。

 

Photo_3中尾根登山口まで林道を15分歩く。林道とは言っても、所々大きな岩が落ちてい車は通れない。登山口からはいきなり、Photo_4杉や檜の中の急登になる。地図ではこの急面を登りきれば、後は尾根続きと思い、ゆっくり登る。途中、ヤマツツジ、シロヤオ、トウゴクミツバツツジが現れ、写真を撮るのに忙しい。アカヤシオもあるらしが、すでに散っていて、これは見られず。尾根に出ても登りが結構きつい。しかも右に切れ落ちた、細い尾根で、油断はできない。四辻まで2時間以上かかった。

Photo_5ここで、根本山を捲く道もあるが、今日の最高峰(1199m)なので、一応山頂に登る。急傾斜だったが、ここは意外に簡単に登れた。頂上はミズナラ等の林に囲まれ、展望は無い。さすが頂上には登山者が6人ほど居た。軽く昼食をとPhoto_6り、十二山にむかう。意外に時間がかかったので、十二山で引き返すことも頭にいれ、とりあえず12時半まで前進することにした。根本山からはこれまた、急降下が続くが、引き2返す場合は、ここは通らず、捲き道を通ればよいので、気が楽だ。降りきったところが十二山根本山神社だが、鳥居はあるが、地震のせいか、倒壊して屋根だけになっていた。この辺から調子が出てきた。道は緩やかに登り下りを繰り返すが、ミズナラの新緑の中に、ヤマツツジ、トウゴクミツバツツジ、シロヤシオが次々に現れ、非常に気持ちがよい。この調子なら引き返すより、熊鷹山に行った方が早いと判断し、前進する。意外に簡単に熊鷹山への最後の登りに入る。

Photo_7頂上に登る登山道の左右はヤマツツジ、トウゴクミツバツツジ、シロヤシオが咲き乱れ、どこかの公園に来たような感じだ。頂上には展望台がありここからは360度の展望が楽しめる。ここまではずっと雑木林の中を歩いてきたので、ここで初めて回りの山を見ることができた。日光の白根山か、白い山が見える。

 

2_2ここから下の林道に降りる道は、道標が無く、判りにくい。途中で下に降りる道があった。少し降りかけたが、道路が斜面に平行しているので、これはおかしいと思い引き返した。これは正解だった。もう少し先に正しい下山路があっPhoto_8た。この辺は杉、檜の伐採作業中で、作業用の道があちこちに通っている。赤テープを目印に急斜面をどんどん下ると、あっという間に、林道に飛び出した。ここからは林道をただ下るだけでよいので楽だ。新緑の渓谷と花を楽しみながらの約1時間の林道歩きだった。(花の観賞はあまり期待していなかったが)ミツバツツジ、シロヤシオ、ヤマツツジが堪能できた。筑波山と違い道標も不完全で、地図だけが頼りの山歩きだったが、天気も良く、無事予定通り踏破でき、大満足の山行だった。

 

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(アンクルサム)久しぶりのブンチャンからの投稿である。彼とは共通の趣味がいくつかある。山歩きとクラシック鑑賞である。二つともまだまだ彼の足もとに寄れない。バードウォッチングと写真は私が先生と思っているが、もう抜かれているかも知れない。昨年は何度か小澤さんともいっしょに山登りに連れて行ってもらった。私が再び単身赴任で大阪に戻ったので、しばらく連れて行ってもらえないのが残念である。

 

 

 


南米エクアドル最高峰登頂記

2009年07月20日 | スポーツ・山歩き

 

南米エクアドル最高峰
チンボラソ(6310m)

 

登頂記

 


2009年4 月25日~5月6日
山口 一史

 

エクアドル最高峰チンボラソの山行がやっと二年越しに実現した。一行はツアーリー
ダーを含め6名、ツアーリーダーは05 年7 月ロシア エルブルース登頂時にお世話に
なり、その後も交流を続けている北村さん、メンバー5名(男3、女2)は南米大陸
最高峰アコンカグアやメキシコ最高峰オリサバ登頂済みのベテランぞろいである。中
に8 年前パプアニューギニアのウィルヘルム山登頂で一緒だった女性のK子さんがい
たのがなつかしかった。成田空港でメンバーがそろったとき、僕は彼女のことがすぐ
わかったが、彼女はあらかじめ配布された名簿の中に8 年前の同行者山口の名を見つ
けてはいたが、僕から声をかけるまで僕のことがわからなかったそうだ。顔は真っ黒、
ごま塩のひげ面とくれば是非もない。コンチネンタル航空のベース米国ヒューストン
経由でエクアドルの首都キトーに入る。ヒューストンではTRANSITにも拘わら
ず一旦米国への入国手続きをしなければならないため、2 時間ほどを費やした。テロ対
策のためとはいえ、両手各5指の指紋採取と脱帽、脱鏡での顔写真撮影は何ぼ何で
も・・・という気がする。


4 月26日(日)


エクアドルの首都キトーはかってペルーのクスコと並び、インカ帝国の都であった。
スペイン統治後も都市は発展し、キトーの旧市街は世界遺産第一号となっている。南
北に峰を連ねるピチンチャ山(4830m)の東側中腹台地に南北に細長く伸びた高原都
市で平均標高は2850mである。周囲を緑濃い4000m以上の山々が取り巻いている。
市街に平坦地はほとんどなく急坂ばかり、高原端部の急斜面にはコンクリートとレン
ガの四角な家が斜面にめり込むようにひしめき合って建っている。その急坂を排気ガ
スを黒々と噴かしてうなりながらバスやトラックが猛スピードで駆け上がる。環境は
よくない。
午前中、そのキトー市内を軽く散策、しかしたまたま当日がエクアドルの大統領選挙
日だったため、見学を予定していた博物館は休館。街の店もあらかた閉まっている。
何より困ったのはレストランでも商店でもこの日だけ酒類の販売が禁止されているこ
とだった。酒に酔った陽気で情熱的な群衆が騒いで暴動になることを懸念してのこと
らしい。おかげで健全な休養日となった。

4 月27日(月)


ホテル(8:05)=(9:40)牧場林道途中(9:55)-(12:20)パソチョア(PASOCHOA)山頂
(12:50)-(14:10)牧場林道途中=(16:00)ホテル


高所順応第一日目である。
今日はキトー市街の南方に広い裾野を持つ独立峰パソチョア(4230m)を目指す。キ
トーのホテルが約2850mだから1400m標高を上げることになる。ホテルのロビーで
今回の現地チーフガイド マルシア(VASQUEZ MARCIAL)と合流し、迎えの車で
麓まで行く。山腹に広がった広い牧場の中の石畳の林道を、乗客を椅子から跳ね上げ
ながら車は3600mほどまで上っていった。この牧場内の道を通るには通行料5$を払
わなければならない。牧場の区画の柵には背の高いユーカリや松の木が一直線に植え
られている。遠目には、緑をベースに若緑、黄緑、褐色がかった緑などの布切れを繋
ぎ合わせ、その縫い目に緑濃いリボンのステッチをかけたパッチワークを、波打つ山
腹に覆い被せたように見える。土はすべて真っ黒の火山灰土である、雨が降ったら道
はどろどろになることだろう。牧場にいるのは牛とアルパカ。アルパカの名は知って
いたが実物を間じかに見るのは初めてである。らくだの一種だそうで首が長く、顔は
確かにらくだに似ている。背から腹にかけて両側に長い毛がふさふさと垂れている。
足がらくだに似ているかどうかは確認できなかった。牧場の同じ柵の中に牛とアルパ
カがいてもお互いそれぞれが群をなし、混在はしていない。

車を捨ててからもしばらくは牧場内の林道を歩き、林道の終点から草原の急斜面の上
りにかかる。草原は井草のような株立ちの単子葉植物が膝ぐらいの高さに一面に生え
た斜面で、その尾根が東南から南西に向かって幾重にもうねっている。阿蘇の高原を
彷彿とさせる情景である。山頂直下で岩の痩せ尾根となり山頂は直線状の岩稜の上。
その岩稜の北側は急峻に切れ落ちた岩壁が円く山頂稜を囲むように釜をなしている。
岩壁には黒々とした樹木が生い茂っている。その岩壁の形状は明らかに爆裂火口の跡
である。山頂の岩場で風を避けながら昼食。今日は天気が良く、キトーの街(直接見
えるのは旧市街の方だけで新市街の方は高原の東南部の高みに隠れている)の向こう
に明日の予定ピチンチャ峰が山頂部のみ雲に隠して大きく眺められた。帰路は往路に
同じ。

4月28日(火)


ホテル(7:30)=(9:00)3900m地点(9:10)-(11:40)避難小屋(DEFENSA CIVIL 4556
m ) - (12:45) ピチンチャ(PICHICHA) 山頂(12:50) - (13:10) 避難小屋(13:30) -
(14:45)3900m地点=(16:10)ホテル


高所順応第二日目である。
今日はキトー市街の西側全体に壁をなすように急峻に連なるピチンチャ峰(4830m)
に登り、4230mのパソチョアから更に600m高度を上げる。
エクアドルの地図を見ていて気がついた。ピチンチャというのは首都キトーを含む州
(PROVINCIAS)の名前でもあるのだ。ちょうど岩手県の岩手山といったところ、そ
してチンボラソもコトパクシもまたそれぞれチンボラソ州、コトパクシ州の山である。
州の名が先か、山の名が先かはわからないが、多分それぞれの州の象徴的山なのだろ
う。

キトーのホテルから市街を南下し、裏側(西側)から峠を越えて回り込むように車は
ピチンチャの主峰の南下に近づいていく。峠を越えて山間部に入ればやはりすべての
山の斜面が牧場である。標高3900m地点まで車で上り、後は林道歩き。緑の斜面に大
きくステップターンを切るようにジグザグの道が草原の中を上って行く。井草の生い
茂ったような草原の中に乾燥地帯特有の形をした高山植物が多く見られる。ルピナス
のような濃紺の花をつけたもの、ミモザのような濃黄色の背の低い花、黄色の碇草の
ようなもの、フジムラサキのような薄青の4花弁の花等々。写真に撮っただけでも13
種類もあった。ハハコグサのように日本の花と同系列の花も少しはあるが、ほとんど
すべては日本で僕がまったく目にした事のない花々である。全体的にローズマリーや
ラベンダーのように樹木状の幹枝を持つ植物が多く、中には天然のドライフラワーの
ような花もある。これがこの地帯の植物の特徴のようだ。

林道は 4556mの避難小屋まで続く。壁を派手なオレンジ色に塗られたブロック造りの
小屋は頑丈できれいな小屋であった。緊急宿泊用の二段ベットも数台置いてある。
小屋から上はもう植物は生えていない、岩場とザラ場の山道。一旦左へトラバース気
味に登って尾根に出、右に岩稜を伝って山頂に立つ。小屋から上は深いガスが巻き、
展望はゼロ、風も強い。山頂には30cm角、高さ1mくらいのコンクリートの標柱が
あり、それを抱いて記念撮影。風の強い山頂を早々に下る。山頂の標識には4781 とい
う数字が刻んであった。標高だろうか、だとすれば今まで手にした本や資料の値4830
とは少し違うのだが。
プレッシャーブリージングのおかげで高度順応もうまくいき僕の足は山頂まで軽快な
ものであった。


4月29日(水)
ホテル(8:10)=(12:55)カレル小屋(13:40)-(14:25)ウインパー小屋(5000m)(14:50)-
(1543)5200m地点―(16:15)ウインパー小屋(16:25)―(16:55)カレル小屋(17:00)=
(18:20)リオバンバのホテル

チンボラソの麓への移動と高所順応第三日目である。
朝 8 時10 分キトーのホテルを出発、アンデス山脈の中央部を南北に走るアメリカンハ
イウエーをガンガン南下する。このハイウエーは別名火山街道とも言われている由。
それぞれ独立峰の5000m級の火山が右に左に次々に現れる。最初は左手、一昨日
登ったパソチョアの右奥に白い雪の嶺が雲にまぎれて見え隠れしているコトパクシ。
残念ながら全貌を見ることはできなかった。
次に右手に双耳峰のイリニザ(ILINIZAS)が、トロイデ型の南峰(約5200m)は雪をい
ただき、北峰(約5100m)は尖った三角の山頂の腹にカーキ色の山肌を青空の下で荒々
しくクリアーに見せている。

ハイウエーを離れ、チンボラソの上りにかかるところの町には今回現地チーフガイド
のマルシアの実家がある。その実家に立ち寄り自家用蛋白源として飼育しているとい
うモルモットの一種(CUY)を見せてもらった。自宅で飼育する動物を自宅でさば
いて食料にするとは・・・ちょっと抵抗感があるなあ。
チンボラソの登山口に登っていく道は雄大な高原である。道は谷を大きく巻き、右に
左に大きくうねりながら高度を徐々にあげていく。緑の牧場地帯を過ぎると土漠地帯
となり地に這うように生えた草を2~3頭づつ群れをなすアルパカの同族ビクーニャ
が黙々と食んでいる。ビクーニャはアルパカより一回り小さく首が細くて長い、日本
鹿と同様の色の華奢な美しい動物である。
林道はカレル小屋(4800m)で終点。カレル(JEAN ANTOINE KARREL)はイ
タリア人登山家で、イギリス人ウインパーとともに1880年チンボラソの初登頂に
成功した。それに敬意を表して小屋の名としたのであろう。小屋内には顎鬚を蓄えた
壮年の彼の肖像写真が掲げられていた。


今日は高度順応三日目である。昨日の4800mより更に高度を上げておかねばならない。
カレル小屋からウインパー小屋(5000m)経由5200mの雪渓の末端までゆっくりと登っ
ていく。その地点のすぐ上部には岩が覆いかぶさり、薄茶色に汚れたアイスフォール
が不気味にかかっている。その上に真っ白な雪をたっぷりと載せたチンボラソ西峰の
一角が輝いている。下から見上げるとすぐ上のように思えるがそこには1100m以上の
標高差が待っているのだ。


4月30日(木

ホテル(10:40)=(12:15)カレル小屋(12:40)-(13:35)ウインパー小屋 18:00 就寝

今日はいよいよ今回本命のチンボラソ登山基地ウインパー小屋に入る。山小屋泊りで
はあるが、寝具、食料、装備一式を荷揚げしないといけない。車終点のカレル小屋か
らウインパー小屋まで約一時間の短い距離だがおよそ20kgのザックを担ぎ上げた。
早めの夕食を済ませ、早朝出発に備え18時にはシュラーフにもぐりこむ。しかし荷
揚げ時の天気は霙雨、誰もが口には出さないが明日のアタックは駄目だろうなと心の
中では思っていた。

5月1日(金)


ウインパー小屋(4/30 23:00)―(1:50)西稜―(6;30)西峰―(7:30)チンボラソ山頂―
(11:15)ウインパー小屋(12:10)-(12:30)カレル小屋=(15:30)バーノスのホテル

チンボラソの登頂計画は厳しい。5000mの小屋から6310mの山頂まで殆どすべてが3
0度から45度の急傾斜の雪渓と氷河、しかも小屋から上 400mほどは岩場地帯で雪
が緩む午後は落石が激しく通過できない。したがって計画は深夜出発、午前中帰着の
計画となる。


4 月30 日午後10時起床、完全装備を身につけ、梅がゆと即席うどんを掻きこみ、午
後11時出発。たまたま午後9 時にトイレに起きたとき空を仰いだら三日月が出、雲
間に星も瞬いていた。この時点で本日のアタック決行が決定した。
アタック出発前に下から順に装備を点検しよう。
足:ケイランドの厳冬期用二重靴、厚手と中厚のウールの靴下2 枚、12 本爪アンチス
ノプレート付ワンタッチアイゼン、ロングスパッツ。
下半身:速乾性パンツ、厚手速乾性タイツ。冬用ウールズボン、オーバーズボン、安
全環付カラビナ装着のハーネス
上半身:厚手速乾性肌シャツ、冬用ウールスポーツシャツ、二重織りパーカー
(上下のアンダーウエアーと靴下は今朝洗濯済みの新しいものにすべて着替えた)
パーカーの胸ポケットには手帳、鉛筆、デジカメ。
パーカーの左ポケットには行動食の羊羹4個、デジカメとヘッドランプのスペア電池
パーカーの右ポケットには寒露飴数個、サングラス、リップクリーム
手:牛本皮製二重手袋の内側にインナー手袋をつけて三重に。ストック 2 本とピッケル
頭:表はゴアテックス、裏はフリースの高所帽、ヘルメット、ヘッドランプ
よし装備は完璧だ。

メンバーは5名+ツアーガイド1名の6人。5名中2名(男1、女1)は個人ガイド
(マンツーマンガイド)を雇っている。その個人ガイド2 名とチーフガイド1名、サ
ブガイド1 名の現地ガイド4 名で総勢10 名のパーティとなった。結果的に今日チンボ
ラソに登ったのは僕らのこの10 名だけだったが。
僕は女性のMさんとチーフガイドのマルシアの 3 人でザイルを結ぶことになった、マ
ルシアがトップ、Mさんがミドルである。
ヘッドランプの明かりだけが雪上に動く。その明かりがあるために周りの雪稜などは
まったく見えない。もちろん眺める余裕もないのだが。
雪の状態は良好、新雪も少なくラッセルの必要はない。アイゼンの爪が小気味良くカ
ッカッと雪面に食い込む。稜線に出ても風がない、雪稜で風に吹かれる寒さを思えば
今日の尾根は天国だ。

突然足元が真っ暗になった。ヘッドランプの明かりが消えたのだ。急斜面に2~3回
アイゼンを叩き込んで足場を固め手探りでパーカーの左ポケットからスペア電池を取
り出しごそごそと交換作業をする。後から聞いた話だが、真っ暗な雪の急斜面に立っ
てごそごそしている僕を、ガイドのマルシアは滑落するのではないかと真剣に心配し
ていたそうだ。出発前、スペアー電池はすぐ取り出せるよう上着のポケットに入れて
おけとの北村さんの指示に忠実に従っていて良かった。北村さんの指示は8000m 峰に
11 回も登ったという長く高度な経験に裏打ちされて的確である。
電池交換のため手袋をはずしたが全然冷たくない。温度計を見るとゼロ度であった。
小屋を出る際、用意していたカシミアのセーターをわざわざ脱ぎ捨てたのは正解だっ
た。西稜直下の払暁時一番冷えるときでも-5度だったので非常にあたたかい日であ
る。
全部で4つのザイルパーティは登るとともに段々間が開いてきた。トップはSさんの
個人ガイドパーティ、Sさんは僕と同年だが、日本各地のトライアスロン大会の常連
というだけあって早いのなんの。2 番手は僕らのパーティ 女性のMさんは60 歳ぐら
いだが南米大陸最高峰アコンカグアを登頂したというベテラン、細身の体でのピッチ
は確実でアンザイレンのザイルを緩めぬよう気をつけながらステップを切る僕の方が
疲れてしまう。

チンボラソの山頂は東峰と西峰に分かれている東峰が最高点で 6310m、初登頂したウ
インパーにちなんでウインパー峰とも言われている。西峰は標高6267mで少し低く、
その間に鞍部があるので少し下ってからまた登り返さねばならない。鞍部には氷河の
断面がつららか縦ブラインドのように不気味な青氷の縦じまの口を開けていた。
僕らは西稜を登ったので最初に西峰山頂に着いた。山頂はもうすぐだなと思う午前6
時ごろやっと周囲の低い山々の黒いシルエットが足元の雪面の端に見え出した。天気
は高曇り、西峰は平らな雪面でここが山頂だとピンポイントで名指すことはできない。
2 番手で僕らのパーティが西峰に着いたときとっくに着いていたSさんパーティが西
峰山頂に座り込んでいた。全体を見るためパーティを組まずフリーで登っていたツア
ーリーダーの北村さんと僕らのパーティは西峰で留まることなく最高点の東峰を目指
した。西峰から一旦雪の状態の悪い鞍部に下る。一歩踏み込むごとに表層の硬い雪面
が破れ、ボコボコ50cm近くも沈む、まるで最中の上を歩いているようだ。登り返し
てこれも広い平らな雪面の最高点東峰に立つ。360 度の展望だが高曇りのためか景色
は暗い。遠くに見える赤道直下で白い雪をいただく山々も山頂近くには雲が巻き完全
には見えない。しかし意外だったのは麓の山々の緑の青さと濃さだ。この数年中近東
やアフリカの山に通って砂漠や土漠の山々ばかり眺めてきたのでことさらにそう思う
のだろう。1880 年ウインパーとカレルが初登頂したときもまったく同じ眺めを目にし
たのだなと思うと感慨深いものがある


西峰に留まっていたSさんパーティも動き出し、僕らと一緒に東峰に立った。ツアー
リーダーの北村さんの話では現地ガイドはよくこのようにサボろうとするらしい。S
さんもマンツーマンでありしかも言葉も通じないので最高点に行こうとしないガイド
に強くは言えなかったのだろう。
最高点東峰6310mでSさんの用意した日本とエクアドルの国旗を掲げて全員記念
撮影。全員とはいえ2パーティは到着していない。1パーティは西峰まででEND。
もう1パーティは6000 メートルほどでギブアップして下山。結局最高点まで登頂でき
たのはメンバー5 人中僕を含む3人だけだった。高所登山ツアーではなかなか全員登頂
というのは難しい。僕の参加した5000m以上の登頂ツアー8回中全員登頂は大姑娘山
( 中国5025 m ) 一回限りである。もちろん僕は全山登頂だが。

今回のツアーの高度順応は非常にうまくいった。順次高度を上げながら3日間もやっ
たこととプレッシャーブリージング呼吸法をマスターしたことが要因だろう。しかし
体力面で問題があった。夜中の11 時に出発してから午前7 時30 分の最高点まで8.5
時間の上りで体力を使い果たしてしまった。下りはバテバテで足元がふらつく。上り
と同じパーティ編成で下りは僕がトップなのだが事実上ガイドのザイル捌きに支えら
れている状態で、標高5500mから下では何回も尻餅をつく、都度ガイドのザイルに助
けられた。やっとのことでウインパー小屋に到着したのは午前11 時15 分全12 時間
15 分のアルバイトであった。アンザイレンで行動していると一人ゆっくり座って食事
している暇はない、結局12 時間強の行動中口にしたのは小倉屋羊羹3個と寒露飴2~
3個のみの絶食状態であった。


ウインパー小屋に戻りスープで体を温めていたら雪が降り出し、雷まで鳴り出した。
アタック中雨も降らず、風もなく、身の凍るような寒気を感じることもなく6000 メー
トル峰に立てたことは何とラッキーな山行だったことか、しかも高度順応中すら一日
とて雨には会わなかったのだから。
今回の登頂成功で海外登頂山数は15カ国 25 山となった。しかも初めて6000mを超
えた。今までの最高峰はアフリカ キリマンジャロの5895mだったので自己最高登頂
記録を更新したことになる。50 歳代で5000m級の山に登り始め、60 歳代で6000mを
超えた。ならばゴルフのエージシュートよろしく70 歳代で7000m級、80 歳代で8000m
級でもっともやさしいチョーオユーぐらいはいけるのではないかなどととんでもない
ことを夢想している自分に気づくのであった。

 

 

 

 

 


チンボラソ登頂記

2009年07月16日 | スポーツ・山歩き

Dscf2780800a

南米エクアドル最高峰 チンボラソ(6310m

チンボラソの登頂計画は厳しい。5000mの小屋から6310mの山頂まで殆どすべてが30度から45度の急傾斜の雪渓と氷河、しかも小屋から上400mほどは岩場地帯で雪が緩む午後は落石が激しく通過できない。したがって計画は深夜出発、午前中帰着の計画となる。

Chimborazomap 午後10時起床、完全装備を身につけ、梅がゆと即席うどんを掻きこみ、午後11時出発。たまたま午後9時にトイレに起きたとき空を仰いだら三日月が出、雲間に星も瞬いていた。この時点で本日のアタック決行が決定した。アタック出発前に下から順に装備を点検しよう。

  • 足:ケイランドの厳冬期用二重靴、厚手と中厚のウールの靴下2枚、12本爪アンチスノプレート付ワンタッチアイゼン、ロングスパッツ。
  • 下半身:速乾性パンツ、厚手速乾性タイツ。冬用ウールズボン、オーバーズボン、安全環付カラビナ装着のハーネス
  • 上半身:厚手速乾性肌シャツ、冬用ウールスポーツシャツ、二重織りパーカー(上下のアンダーウエアーと靴下は今朝洗濯済みの新しいものにすべて着替えた)パーカーの胸ポケットには手帳、鉛筆、デジカメ。パーカーの左ポケットには行動食の羊羹4個、デジカメとヘッドランプのスペア電池、パーカーの右ポケットには寒露飴数個、サングラス、リップクリーム
  • 手:牛本皮製二重手袋の内側にインナー手袋をつけて三重に。ストック2本とピッケル
  • 頭:表はゴアテックス、裏はフリースの高所帽、ヘルメット、ヘッドランプ

よし!装備は完璧だ。メンバーは5名+ツアーガイド1名の6人。5名中2名(男1、女1)は個人ガイド(マンツーマンガイド)を雇っている。その個人ガイド2名とチーフガイド1名、サブガイド1名の現地ガイド4名で総勢10名のパーティとなった。結果的に今日チンボラソに登ったのは僕らのこの10名だけだったが。

Dscf2785601 僕は女性のMさんとチーフガイドのマルシアの3人でザイルを結ぶことになった、マルシアがトップ、Mさんがミドルである。

ヘッドランプの明かりだけが雪上に動く。その明かりがあるために周りの雪稜などはまったく見えない。もちろん眺める余裕もないのだが。

雪の状態は良好、新雪も少なくラッセルの必要はない。アイゼンの爪が小気味良くカッカッと雪面に食い込む。稜線に出ても風がない、雪稜で風に吹かれる寒さを思えば今日の尾根は天国だ。

突然足元が真っ暗になった。ヘッドランプの明かりが消えたのだ。急斜面に2~3回アイゼンを叩き込んで足場を固め手探りでパーカーの左ポケットからスペア電池を取り出しごそごそと交換作業をする。後から聞いた話だが、真っ暗な雪の急斜面に立ってごそごそしている僕を、ガイドのマルシアは滑落するのではないかと真剣に心配していたそうだ。出発前、スペアー電池はすぐ取り出せるよう上着のポケットに入れておけとの北村さんの指示に忠実に従っていて良かった。北村さんの指示は8000m峰に11回も登ったという長く高度な経験に裏打ちされて的確である。

電池交換のため手袋をはずしたが全然冷たくない。温度計を見るとゼロ度であった。小屋を出る際、用意していたカシミアのセーターをわざわざ脱ぎ捨てたのは正解だった。西稜直下の払暁時一番冷えるときでも-5度だったので非常にあたたかい日である。

全部で4つのザイルパーティは登るとともに段々間が開いてきた。トップはSさんの個人ガイドパーティ、Sさんは僕と同年だが、日本各地のトライアスロン大会の常連というだけあって早いのなんの。2番手は僕らのパーティ 女性のMさんは60歳ぐらいだが南米大陸最高峰アコンカグアを登頂したというベテラン、細身の体でのピッチは確実でアンザイレンのザイルを緩めぬよう気をつけながらステップを切る僕の方が疲れてしまう。

 チンボラソの山頂は東峰と西峰に分かれている東峰が最高点で6310m、初登頂したウインパーにちなんでウインパー峰とも言われている。西峰は標高6267mで少し低く、その間に鞍部があるので少し下ってからまた登り返さねばならない。鞍部には氷河の断面がつららか縦ブラインドのように不気味な青氷の縦じまの口を開けていた。

僕らは西稜を登ったので最初に西峰山頂に着いた。山頂はもうすぐだなと思う午前6時ごろやっと周囲の低い山々の黒いシルエットが足元の雪面の端に見え出した。天気は高曇り、西峰は平らな雪面でここが山頂だとピンポイントで名指すことはできない。

Dscf2782601a_22番手で僕らのパーティが西峰に着いたときとっくに着いていたSさんパーティが西峰山頂に座り込んでいた。全体を見るためパーティを組まずフリーで登っていたツアーリーダーの北村さんと僕らのパーティは西峰で留まることなく最高点の東峰を目指した。西峰から一旦雪の状態の悪い鞍部に下る。一歩踏み込むごとに表層の硬い雪面が破れ、ボコボコ50cm近くも沈む、まるで最中の上を歩いているようだ。登り返してこれも広い平らな雪面の最高点東峰に立つ。360度の展望だが高曇りのためか景色は暗い。遠くに見える赤道直下で白い雪をいただく山々も山頂近くには雲が巻き完全には見えない。しかし意外だったのは麓の山々の緑の青さと濃さだ。この数年中近東やアフリカの山に通って砂漠や土漠の山々ばかり眺めてきたのでことさらにそう思うのだろう。1880年ウインパーとカレルが初登頂したときもまったく同じ眺めを目にしたのだなと思うと感慨深いものがある・

西峰に留まっていたSさんパーティも動き出し、僕らと一緒に東峰に立った。ツアーリーダーの北村さんの話では現地ガイドはよくこのようにサボろうとするらしい。Sさんもマンツーマンでありしかも言葉も通じないので最高点に行こうとしないガイドに強くは言えなかったのだろう。

最高点東峰6310mでSさんの用意した日本とエクアドルの国旗を掲げて全員記念撮影。全員とはいえ2パーティは到着していない。1パーティは西峰まででEND。もう1パーティは6,000mほどでギブアップして下山。結局最高点まで登頂できたのはメンバー5人中僕を含む3人だけだった。高所登山ツアーではなかなか全員登頂というのは難しい。僕の参加した5,000m以上の登頂ツアー8回中全員登頂は大姑娘山(中国5,025m)一回限りである。もちろん僕は全山登頂だが。

 

チンボラソ登頂記全文

 

 

 

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Dscf2782251 2009年4月25日から5月6日にかけて、山口一史君が南米エクアドルの最高峰・チンボラソに登ってきたと報告があった。4日間かけての高所順応訓練の後、第7日目に最高点(東峰6,310m)にアタックした。ウィンパー小屋から東峰登頂までの部分を彼の登頂記から紹介した。

彼は福岡の西南学院中学の同窓生だからアンクルサムと同年齢の67歳、彼は国内外の多くの山に挑戦している。今回の海外登山挑戦はたしか13回目だと思う。このページでもヨーロッパ大陸最高峰・エルブルース山イランの最高峰・ダマバンド山への挑戦を紹介しているが、すごいものだ。年間のほとんどを山に登っているのでなかなか会うことが出来ない。私が6月末に現役引退したので、I氏(M電機同期入社)と3人で7月下旬に会うことになった。中学時代の昔話など語り合うのが楽しみだ。また二人から引退後の人生の過ごし方なども教授してもらうつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 


カナディアンロッキー

2008年07月21日 | スポーツ・山歩き

 

カナディアンロッキー 花のハイキング7日間

カナダ旅行の魅力はいくつもあるが、今人気を集めているのがカナディアンロッキーだ。友人のブンチャンこと國分孝司君が先月末クラブツーリズムが主催するこのツアーに出かけて写真とレポートを届けてくれた。

6月25日 成田15:25発NW020便、ツアーの構成は男3名、女5名、平均年齢は65歳くらい。ミネアポリスに11時30分到着。入国審査は厳しく指紋と顔写真を取られた。NW153Canada003 9便に乗り換えてカルガリーへ。3時間ほどのフライトだが、はるか地平線まで畑と森、所々に川が流れている大平原が続く。よく見ると池がありそこから川が流れ出している。この辺に山がないので、これが川の源流かと感心する。カルガリー直前に雪山が見え出した。あの山の伏流水が大平原のどこかに染み出し、そこから川が始まる、面白い現象を見た。空港近くのホテルで夕食。スープ、サーモンとパン、美味しかった。水は硬水だが飲むのに支障ない。ケンモアまでここからバスで2時間、アルバート大平原をひたすら走る。すでに夜10時を過ぎているのにまだ明るい。地平線かなたに陽が落ちると突然真っ暗になる。ホテルは「シャトー・ケンモア」、今回は相部屋の相手がいなかったので一人で使う。

6月26日(晴) 8:30出発、初めてのカナダ・ロッキー山脈のハイキングに期待が高まる。Canada004_2 先ずはバスで1時間半のドライブ、走り出すとすぐに山が迫り、写真を撮るのに忙しい。レイクルイーズ(写真左上)は「ロッキーの宝石」と言われ、カナダを代表するビューポイントだ、湖の奥はビクトリア氷河、湖面に反射して感動的な美しさだ。太陽光線の加減で湖面の色が変わる、水深90m、奥行き2.4km。湖畔の散歩道を奥に辿る、花を探しながらのブラブラ歩き、約2kmほど歩いて引き返す。途中岩の上かCanada009_3ら大きな音を立てて雪がなだれ落ちてきた。写真右はジョンストン渓谷。キャッスル・マウンテンが間近に見える景色の良い駐車場で、用意されたサンドイッチの昼食を済ませた。ここは石灰岩の岩が侵食で削られた深い谷が売りもの。遊歩道が整備されていて歩Canada010きやすいが、ロウアー滝(写真右)からアッパー滝までの1.6kmは結構きつい登りが続く。ここで「ビーナススリッパー・写真左」を見つける。往復5.2km・3時間、出発直前に体調を崩し、しかも寝不足とあってさすがにきつかった。食欲はあるので、今晩寝れば回復するだろう。帰路バンフの町で夕食、大橋巨泉の店があった。夕飯はステーキ、赤身だが柔らかく格段に美味であった。

6月27日(晴) レイクルイーズに入る手前から左に分かれてモレーン湖へ。出発前にそばCanada005_3の「ROCKPILE」に登る。途中運良くナキウサギの声を聴く。ここはモレーン湖を見下ろす格好の展望台。テンピークスの峰々に囲まれてひっそりと佇む湖、湖面の色が良い、さすがカナディアンロッキーを代表する景色に感動した。ロックパイルから戻り準備体操をして出発。結構きつい登りが1時間続く。しばらく針葉樹の中を歩くが、この辺は日本の山道と雰囲気は変わらない。途中林間からモレーン湖の深い緑色の湖面が見える。この色はターコイズブルーと言うらしい。ラーチバレーへの分岐点で休憩し、いよいよアイフェルレイクへ向かう。左にテンピークスの峰が連なる緩やかな登り道。このコースはロCanada008ッキーのベストテンに入る絶景コースと言われて花が多く見られる。カラマツ林を抜けると森林限界に達し、雪渓を3度横断してアイフルレイク(Eiffel Lake)を見下ろす場所で昼食。ここから引き返したが、もう少し上まで行ってみたいと思った。出発点の標高が1885m、ここが2300m。花はインディアン・ペイント・ブラシ、モスキャンピオンなどいろいろあった。10時出発で15時前の帰着、結構歩いたが調子は良かった。それにしてもみんな元気だ、弱音を吐く人はいない。夕食はケンモアに戻り中国料理。ホテルに戻る途中で大陸横断鉄道を見た。貨物列車だったが87両連結、最後尾に機関車が1両付いていたがそれにしても長い。(写真右上は帰り道)

Canada011         雪渓を渡る       アイフルレイクへの道      アイフルレイク

 

6月28日(晴) 今年は雪解けが遅いと言うことで、目的のサンシャインメドウはまだ雪に覆われており、急遽現地ガイドの奥田さんお勧めの場所に行くことになった。

  1. ケンモア近くにある「グラッシーレイクス」 湧き水で出来たCanada012池、透明度がすごい。ロッククライミングの練習場。黄色の「レディース・スリッパー」(写真)の群落に感動、紫の「虫取りスミレ」も多く見られた。
  2. アルバート大平原を見下ろす「ヤムナスカ台地」 トレンブリング・アスペンというポプラの林の中、結構急なのぼりを約30分登る。標高差にして約200m。途中、スカシュリ、ニワゼキショウ、センニンギク等を見る。突然大展望が得られる台地に出た。ここはロッキーの山並みの外にあり、左にアルバート大平原が広がり、右にロッキーの山並みは連なる、標高1300mの好展望Canada013の台地。すぐ後はロッククライミングで有名なヤムナスカ山の岸壁、急な登りだったが来た甲斐があった。
  3. メニースプリングス」のお花畑 ヤムナスカ山の麓に広がる高原のお花畑。白のアツモリ草、シューティングスター(写真)、シルバーベリー。ビーバーが作ったダム、川の中の泥についた鹿の足跡。山からの水が染み出して出来た池などを見て一周2kmの遊歩道を踏破、天気が良すぎて暑かった。

 今日は景色よりも花が主役の1日だった。事前に分かっておれば「50mmマクロ」を用意したのだが・・・。夕食は各自負担で市内のレストランへ。「バターサーモンとスパゲッティ」は美味しかった。これまでは疲れもあり本を読む時間が少なかったので、この夜にまとめて読む、読み終わった本は現地ガイドの奥田さんにあげよう。

6月29日(晴) 朝食が無い日なので、前日スーパーで買ったパンと果物とホテルのコーヒーで朝食を済ませた。旅の朝食はいつも同じもので飽きてくるが、それでも無いとやはり不便だ。今日はOPツアーの「コロンビア大氷原」の日だ。昨日までハイキングのガイドをしてくれた、現地ガイドの奥田さんが運転手兼ガイドで同行してくれる。バンフで他のツアー客2名を拾い、合計8名のツアーだ。

Canada017             ボウ湖とボウ氷河 

 

 

  1. レイクルイーズ 先日見たのと湖面の色が違う。今日のほうがずっと綺麗。天候で湖面の色が変わるみたいだ。ここは30分だけで出発したが来て良かった。
  2. クロウフット氷河(カラスの足跡) 車窓から見るだけ
  3. ボウ湖、ボウ氷河 クロウフット氷河の解けた水が流れ込んで出来た湖、奥からはボウ氷河からも流れ込んでおり、湖面が刻々と変化する様子が見られた。
  4. ボウ峠、ペイト湖 ボウ峠の展望台から見下ろす雄大な景色(写真右)に感動。対岸の山はパターソン山。この山が湖面に美しく映えるのは早朝だけらしい。
  5. 昼食(サンカチュワン・クロシング) この近辺で唯一食事が出来るところ、バイキング料理。大いに期待したが、新鮮な野菜は豊富にあったが、味付けがおかしい。鮭の煮物とビーフンだけがまあまあで、カナダ人の味覚を疑う。
  6. スノーバード氷河 車窓から見るだけ
  7. サンワプタ峠 展望台からの眺めは圧巻、雄大すぎて写真に入りきらない。

Canada020

 

 8. アサバスカ氷河 コロンビア大氷原は、全体では325k㎡もある大氷原で、ここはその末端の一つに過ぎない。専用の雪上車に乗り換え、氷河の上に降りる。20分ほCanada021どだったが、さすがに氷上は寒い。流れてくる水を飲んだがさほど美味しくはない。ここの氷河も温暖化の影響でだんだん小さくなってきているが、もともとが大きいためか、地元にあまり危機感は感じられない。50年前には写真の車道近くまで氷河があったが、毎年7~8mの速度で後退しているらしい。雪上車(写真・右)はタイヤの直径が1.5mもある巨大な車で54人乗り。氷河を大事にするスイスでは、このような大きな車が乗り入れることは考えないであろう。

このツアーは昼食付で、27,000円。これは高すぎる。現地で申し込めば、160ドル。(雪上車はスノーコーチというが、スノーコーチ・ツアーは現場で買えば、23.5ドル) ここまで来る間に、走行中の車窓からコヨーテ(?)、ホワイトベアー、ブラックベアーを見ることが出来た。帰路には熊を見た場所でエルクを見ることが出来た。ケンモアからこの氷河まで約220kmもあるが道路は走りやすい。日本の山岳道路のように細く曲がりくねっていない。これはカナダの谷は大きなU字谷で傾斜もなだらかに出来ているからだろう。

ケンモアに戻り、スーパーで明日の朝食を買う。夕食は皆んな部屋で食べるというので、ガイドの松本さんと中華料理を食べに行く。焼きそば(うどん)、マーボ豆腐とご飯、まあまあ美味しかった。一旦部屋に戻り、日没を待って夕日に輝く「スリーシスターズ」を撮りに行く。9時半頃から良い場所を探そうとウロウロしたが、結局ホテルの近くから撮ることになった。山頂が茜色に輝くことを期待して待ったが、思った色にならず10時近くまで頑張った。写真はインデアン・ペイントブラシ(28日撮影)

6月30日 今日はいよいよ日本に帰る日。もう少しゆっくりしたい気持ちだ。6時半ホテル出発。アルバート大平原をひた走り、1時間半でカルガリー空港着。ここで米国へのCanada031入国手続きをしてしまう。カナダドルが40ドルほど残ったが、また来ることにしてこのまま持っておくことにした。帰路も往路と同じミネアポリス経由、日本に戻るにはアラスカ・アンカレッジ上空を通過するが、ここまでが長い、何度見下ろしても陸地で北米大陸の大きさを感じた。通常は偏西風で向かい風(head wind)になるが、この日は何故か「追い風(tailwind)」になっており、成田には早く着いた。(写真はボウ湖畔のロッジ)

その他の感想 』 ・スイスとの比較・

  • ノースウエスト航空は、サービスは今ひとつで乗り心地も悪い。
  • 米国大陸は大きい。何時間飛んでも眼下には陸地が続いている。Canada033_2 
  • カナディアンロッキーは良かった。スイスとの違いは、あくまで自然をそのまま残している。スイスは多くの人が楽しめるように自然に手を加えているが、それが出来るだけ分からないようにしているだけ。(写真はヤムナスカ山からの湧き水を集めた川で、中央に見える台地がヤムナスカ・28日撮影)
  • 被写体としての山は、スイスのほうが大きいが、カナダは四方全部が被写体になるという感じ。
  • 緑は圧倒的にカナダのほうが多い。標高が低いから。今回のツアーで行った最高点は2300m、スイスでは4000m超まで上がっている。
  • 食事は概ね美味しかった。スイスでは生野菜が高価なのでめったに出なかったし、水は有料で高い(ビールやコーヒーのほうが安い)、肉も固い(ほとんど食べられなかった)。これに比べてカナダのツアーはサスカチュワンの昼食を除いて概ね良かった。
  • ハイキングコースはたくさんあるようだ。時差の悩みはあるが、何度か来てみたCanada032いものだ。
  • 花はスイスのほうが種類は多い。しかも撮りやすい。色が鮮やかな花が多い。それでもスイスで見たモスキャンピオン、ワスレナグサなど何点か共通の花があった。スイスのほうが標高が高く生息条件がきびしく、地面にぴったり張り付いたり、岩陰に咲くような小さな花が多い。
  • 余分な時間がたくさんありそうだったので文庫本4冊持参したが、3冊しか読みきれなかった。まあこんなものか。
  • 事前に準備したものは大方役に立ったが、天候は予想外に暑く、セーター、フリースのジャンパーは使わずじまいだった。虫除けは役立ったのか不明。写真右上はイエロー・コロンバイン(オダマキ)、28日撮影
  • カナダ人はユーモアセンスがあるという話を聞いていたが、そういう場面には遭遇しなかった。観光客慣れしている感じ。スイスは国を挙げて観光に力をいれているので、現地の人の気遣いを多く感じた。当方の拙い英語でも何とか理解しようと努めてくれた。カナダはよく考えたら、この国には日本人が多く、それほど英語で話すことがなかったのだ。

 

  写真は左から、ヤムナスカへの途中で見つけたフウロソウ、グラッシーレイクスからの帰路で見た花(?)、ウエスタン・ウッド・リリー

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                                              (完)

 


石川沙織プロ(LPGA)

2008年02月08日 | スポーツ・山歩き

Ishikawa10

女子プロ 石川沙織さんとラウンド

エプソン販売(平野精一社長)の招待で今年も女子プロと太平洋クラブ六甲コースでラウンドする機会があった。我々といっしょにラウンドしたのは石川沙織プロ・27歳。LPGA入会は2004Ishikawa11 年の76期生、166cmと聞いたがもっと背が高いと思えるほどすらりとした体型、特に足が長い。ショートアイアンが素晴らしくピンにからんでくる。キャディから聞いた距離と合わなかったのか、多くのホールは少し上にオンで下りを残すライン。あまり時間をかけずパットするがよく入る。このコースはグリーンが曲者で下りのラインは非常に難しい。スピードは10フィートだったが、我々は3パット当たり前だが彼女は1パットバーディが5個。無謀にも同伴の嶋憲二氏・保田昌信氏とプロを交えてのオリンピックを開催したが、アマチュア全員が大敗した。ドライバーは飛ばし屋の保田氏には敵わなかったが、正確さは抜群、平均飛距離は240Yと見た。ホールインワン4回もしているそうで、アウト3番(156Y)のショートではあわやというショット、上1mからパットだったがもちろんバーディ。父の勧めで10歳からゴルフをはじめ、日本大学ゴルフ部に進み女子アマ選手権で活躍、プロに転向した。一人の弟がいるがプロを目指している(石川元樹・東北福祉大)。