南米エクアドル最高峰
チンボラソ(6310m)
登頂記
2009年4 月25日~5月6日
山口 一史
エクアドル最高峰チンボラソの山行がやっと二年越しに実現した。一行はツアーリー
ダーを含め6名、ツアーリーダーは05 年7 月ロシア エルブルース登頂時にお世話に
なり、その後も交流を続けている北村さん、メンバー5名(男3、女2)は南米大陸
最高峰アコンカグアやメキシコ最高峰オリサバ登頂済みのベテランぞろいである。中
に8 年前パプアニューギニアのウィルヘルム山登頂で一緒だった女性のK子さんがい
たのがなつかしかった。成田空港でメンバーがそろったとき、僕は彼女のことがすぐ
わかったが、彼女はあらかじめ配布された名簿の中に8 年前の同行者山口の名を見つ
けてはいたが、僕から声をかけるまで僕のことがわからなかったそうだ。顔は真っ黒、
ごま塩のひげ面とくれば是非もない。コンチネンタル航空のベース米国ヒューストン
経由でエクアドルの首都キトーに入る。ヒューストンではTRANSITにも拘わら
ず一旦米国への入国手続きをしなければならないため、2 時間ほどを費やした。テロ対
策のためとはいえ、両手各5指の指紋採取と脱帽、脱鏡での顔写真撮影は何ぼ何で
も・・・という気がする。
4 月26日(日)
エクアドルの首都キトーはかってペルーのクスコと並び、インカ帝国の都であった。
スペイン統治後も都市は発展し、キトーの旧市街は世界遺産第一号となっている。南
北に峰を連ねるピチンチャ山(4830m)の東側中腹台地に南北に細長く伸びた高原都
市で平均標高は2850mである。周囲を緑濃い4000m以上の山々が取り巻いている。
市街に平坦地はほとんどなく急坂ばかり、高原端部の急斜面にはコンクリートとレン
ガの四角な家が斜面にめり込むようにひしめき合って建っている。その急坂を排気ガ
スを黒々と噴かしてうなりながらバスやトラックが猛スピードで駆け上がる。環境は
よくない。
午前中、そのキトー市内を軽く散策、しかしたまたま当日がエクアドルの大統領選挙
日だったため、見学を予定していた博物館は休館。街の店もあらかた閉まっている。
何より困ったのはレストランでも商店でもこの日だけ酒類の販売が禁止されているこ
とだった。酒に酔った陽気で情熱的な群衆が騒いで暴動になることを懸念してのこと
らしい。おかげで健全な休養日となった。
4 月27日(月)
ホテル(8:05)=(9:40)牧場林道途中(9:55)-(12:20)パソチョア(PASOCHOA)山頂
(12:50)-(14:10)牧場林道途中=(16:00)ホテル
高所順応第一日目である。
今日はキトー市街の南方に広い裾野を持つ独立峰パソチョア(4230m)を目指す。キ
トーのホテルが約2850mだから1400m標高を上げることになる。ホテルのロビーで
今回の現地チーフガイド マルシア(VASQUEZ MARCIAL)と合流し、迎えの車で
麓まで行く。山腹に広がった広い牧場の中の石畳の林道を、乗客を椅子から跳ね上げ
ながら車は3600mほどまで上っていった。この牧場内の道を通るには通行料5$を払
わなければならない。牧場の区画の柵には背の高いユーカリや松の木が一直線に植え
られている。遠目には、緑をベースに若緑、黄緑、褐色がかった緑などの布切れを繋
ぎ合わせ、その縫い目に緑濃いリボンのステッチをかけたパッチワークを、波打つ山
腹に覆い被せたように見える。土はすべて真っ黒の火山灰土である、雨が降ったら道
はどろどろになることだろう。牧場にいるのは牛とアルパカ。アルパカの名は知って
いたが実物を間じかに見るのは初めてである。らくだの一種だそうで首が長く、顔は
確かにらくだに似ている。背から腹にかけて両側に長い毛がふさふさと垂れている。
足がらくだに似ているかどうかは確認できなかった。牧場の同じ柵の中に牛とアルパ
カがいてもお互いそれぞれが群をなし、混在はしていない。
車を捨ててからもしばらくは牧場内の林道を歩き、林道の終点から草原の急斜面の上
りにかかる。草原は井草のような株立ちの単子葉植物が膝ぐらいの高さに一面に生え
た斜面で、その尾根が東南から南西に向かって幾重にもうねっている。阿蘇の高原を
彷彿とさせる情景である。山頂直下で岩の痩せ尾根となり山頂は直線状の岩稜の上。
その岩稜の北側は急峻に切れ落ちた岩壁が円く山頂稜を囲むように釜をなしている。
岩壁には黒々とした樹木が生い茂っている。その岩壁の形状は明らかに爆裂火口の跡
である。山頂の岩場で風を避けながら昼食。今日は天気が良く、キトーの街(直接見
えるのは旧市街の方だけで新市街の方は高原の東南部の高みに隠れている)の向こう
に明日の予定ピチンチャ峰が山頂部のみ雲に隠して大きく眺められた。帰路は往路に
同じ。
4月28日(火)
ホテル(7:30)=(9:00)3900m地点(9:10)-(11:40)避難小屋(DEFENSA CIVIL 4556
m ) - (12:45) ピチンチャ(PICHICHA) 山頂(12:50) - (13:10) 避難小屋(13:30) -
(14:45)3900m地点=(16:10)ホテル
高所順応第二日目である。
今日はキトー市街の西側全体に壁をなすように急峻に連なるピチンチャ峰(4830m)
に登り、4230mのパソチョアから更に600m高度を上げる。
エクアドルの地図を見ていて気がついた。ピチンチャというのは首都キトーを含む州
(PROVINCIAS)の名前でもあるのだ。ちょうど岩手県の岩手山といったところ、そ
してチンボラソもコトパクシもまたそれぞれチンボラソ州、コトパクシ州の山である。
州の名が先か、山の名が先かはわからないが、多分それぞれの州の象徴的山なのだろ
う。
キトーのホテルから市街を南下し、裏側(西側)から峠を越えて回り込むように車は
ピチンチャの主峰の南下に近づいていく。峠を越えて山間部に入ればやはりすべての
山の斜面が牧場である。標高3900m地点まで車で上り、後は林道歩き。緑の斜面に大
きくステップターンを切るようにジグザグの道が草原の中を上って行く。井草の生い
茂ったような草原の中に乾燥地帯特有の形をした高山植物が多く見られる。ルピナス
のような濃紺の花をつけたもの、ミモザのような濃黄色の背の低い花、黄色の碇草の
ようなもの、フジムラサキのような薄青の4花弁の花等々。写真に撮っただけでも13
種類もあった。ハハコグサのように日本の花と同系列の花も少しはあるが、ほとんど
すべては日本で僕がまったく目にした事のない花々である。全体的にローズマリーや
ラベンダーのように樹木状の幹枝を持つ植物が多く、中には天然のドライフラワーの
ような花もある。これがこの地帯の植物の特徴のようだ。
林道は 4556mの避難小屋まで続く。壁を派手なオレンジ色に塗られたブロック造りの
小屋は頑丈できれいな小屋であった。緊急宿泊用の二段ベットも数台置いてある。
小屋から上はもう植物は生えていない、岩場とザラ場の山道。一旦左へトラバース気
味に登って尾根に出、右に岩稜を伝って山頂に立つ。小屋から上は深いガスが巻き、
展望はゼロ、風も強い。山頂には30cm角、高さ1mくらいのコンクリートの標柱が
あり、それを抱いて記念撮影。風の強い山頂を早々に下る。山頂の標識には4781 とい
う数字が刻んであった。標高だろうか、だとすれば今まで手にした本や資料の値4830
とは少し違うのだが。
プレッシャーブリージングのおかげで高度順応もうまくいき僕の足は山頂まで軽快な
ものであった。
4月29日(水)
ホテル(8:10)=(12:55)カレル小屋(13:40)-(14:25)ウインパー小屋(5000m)(14:50)-
(1543)5200m地点―(16:15)ウインパー小屋(16:25)―(16:55)カレル小屋(17:00)=
(18:20)リオバンバのホテル
チンボラソの麓への移動と高所順応第三日目である。
朝 8 時10 分キトーのホテルを出発、アンデス山脈の中央部を南北に走るアメリカンハ
イウエーをガンガン南下する。このハイウエーは別名火山街道とも言われている由。
それぞれ独立峰の5000m級の火山が右に左に次々に現れる。最初は左手、一昨日
登ったパソチョアの右奥に白い雪の嶺が雲にまぎれて見え隠れしているコトパクシ。
残念ながら全貌を見ることはできなかった。
次に右手に双耳峰のイリニザ(ILINIZAS)が、トロイデ型の南峰(約5200m)は雪をい
ただき、北峰(約5100m)は尖った三角の山頂の腹にカーキ色の山肌を青空の下で荒々
しくクリアーに見せている。
ハイウエーを離れ、チンボラソの上りにかかるところの町には今回現地チーフガイド
のマルシアの実家がある。その実家に立ち寄り自家用蛋白源として飼育しているとい
うモルモットの一種(CUY)を見せてもらった。自宅で飼育する動物を自宅でさば
いて食料にするとは・・・ちょっと抵抗感があるなあ。
チンボラソの登山口に登っていく道は雄大な高原である。道は谷を大きく巻き、右に
左に大きくうねりながら高度を徐々にあげていく。緑の牧場地帯を過ぎると土漠地帯
となり地に這うように生えた草を2~3頭づつ群れをなすアルパカの同族ビクーニャ
が黙々と食んでいる。ビクーニャはアルパカより一回り小さく首が細くて長い、日本
鹿と同様の色の華奢な美しい動物である。
林道はカレル小屋(4800m)で終点。カレル(JEAN ANTOINE KARREL)はイ
タリア人登山家で、イギリス人ウインパーとともに1880年チンボラソの初登頂に
成功した。それに敬意を表して小屋の名としたのであろう。小屋内には顎鬚を蓄えた
壮年の彼の肖像写真が掲げられていた。
今日は高度順応三日目である。昨日の4800mより更に高度を上げておかねばならない。
カレル小屋からウインパー小屋(5000m)経由5200mの雪渓の末端までゆっくりと登っ
ていく。その地点のすぐ上部には岩が覆いかぶさり、薄茶色に汚れたアイスフォール
が不気味にかかっている。その上に真っ白な雪をたっぷりと載せたチンボラソ西峰の
一角が輝いている。下から見上げるとすぐ上のように思えるがそこには1100m以上の
標高差が待っているのだ。
4月30日(木)
ホテル(10:40)=(12:15)カレル小屋(12:40)-(13:35)ウインパー小屋 18:00 就寝
今日はいよいよ今回本命のチンボラソ登山基地ウインパー小屋に入る。山小屋泊りで
はあるが、寝具、食料、装備一式を荷揚げしないといけない。車終点のカレル小屋か
らウインパー小屋まで約一時間の短い距離だがおよそ20kgのザックを担ぎ上げた。
早めの夕食を済ませ、早朝出発に備え18時にはシュラーフにもぐりこむ。しかし荷
揚げ時の天気は霙雨、誰もが口には出さないが明日のアタックは駄目だろうなと心の
中では思っていた。
5月1日(金)
ウインパー小屋(4/30 23:00)―(1:50)西稜―(6;30)西峰―(7:30)チンボラソ山頂―
(11:15)ウインパー小屋(12:10)-(12:30)カレル小屋=(15:30)バーノスのホテル
チンボラソの登頂計画は厳しい。5000mの小屋から6310mの山頂まで殆どすべてが3
0度から45度の急傾斜の雪渓と氷河、しかも小屋から上 400mほどは岩場地帯で雪
が緩む午後は落石が激しく通過できない。したがって計画は深夜出発、午前中帰着の
計画となる。
4 月30 日午後10時起床、完全装備を身につけ、梅がゆと即席うどんを掻きこみ、午
後11時出発。たまたま午後9 時にトイレに起きたとき空を仰いだら三日月が出、雲
間に星も瞬いていた。この時点で本日のアタック決行が決定した。
アタック出発前に下から順に装備を点検しよう。
足:ケイランドの厳冬期用二重靴、厚手と中厚のウールの靴下2 枚、12 本爪アンチス
ノプレート付ワンタッチアイゼン、ロングスパッツ。
下半身:速乾性パンツ、厚手速乾性タイツ。冬用ウールズボン、オーバーズボン、安
全環付カラビナ装着のハーネス
上半身:厚手速乾性肌シャツ、冬用ウールスポーツシャツ、二重織りパーカー
(上下のアンダーウエアーと靴下は今朝洗濯済みの新しいものにすべて着替えた)
パーカーの胸ポケットには手帳、鉛筆、デジカメ。
パーカーの左ポケットには行動食の羊羹4個、デジカメとヘッドランプのスペア電池
パーカーの右ポケットには寒露飴数個、サングラス、リップクリーム
手:牛本皮製二重手袋の内側にインナー手袋をつけて三重に。ストック 2 本とピッケル
頭:表はゴアテックス、裏はフリースの高所帽、ヘルメット、ヘッドランプ
よし装備は完璧だ。
メンバーは5名+ツアーガイド1名の6人。5名中2名(男1、女1)は個人ガイド
(マンツーマンガイド)を雇っている。その個人ガイド2 名とチーフガイド1名、サ
ブガイド1 名の現地ガイド4 名で総勢10 名のパーティとなった。結果的に今日チンボ
ラソに登ったのは僕らのこの10 名だけだったが。
僕は女性のMさんとチーフガイドのマルシアの 3 人でザイルを結ぶことになった、マ
ルシアがトップ、Mさんがミドルである。
ヘッドランプの明かりだけが雪上に動く。その明かりがあるために周りの雪稜などは
まったく見えない。もちろん眺める余裕もないのだが。
雪の状態は良好、新雪も少なくラッセルの必要はない。アイゼンの爪が小気味良くカ
ッカッと雪面に食い込む。稜線に出ても風がない、雪稜で風に吹かれる寒さを思えば
今日の尾根は天国だ。
突然足元が真っ暗になった。ヘッドランプの明かりが消えたのだ。急斜面に2~3回
アイゼンを叩き込んで足場を固め手探りでパーカーの左ポケットからスペア電池を取
り出しごそごそと交換作業をする。後から聞いた話だが、真っ暗な雪の急斜面に立っ
てごそごそしている僕を、ガイドのマルシアは滑落するのではないかと真剣に心配し
ていたそうだ。出発前、スペアー電池はすぐ取り出せるよう上着のポケットに入れて
おけとの北村さんの指示に忠実に従っていて良かった。北村さんの指示は8000m 峰に
11 回も登ったという長く高度な経験に裏打ちされて的確である。
電池交換のため手袋をはずしたが全然冷たくない。温度計を見るとゼロ度であった。
小屋を出る際、用意していたカシミアのセーターをわざわざ脱ぎ捨てたのは正解だっ
た。西稜直下の払暁時一番冷えるときでも-5度だったので非常にあたたかい日であ
る。
全部で4つのザイルパーティは登るとともに段々間が開いてきた。トップはSさんの
個人ガイドパーティ、Sさんは僕と同年だが、日本各地のトライアスロン大会の常連
というだけあって早いのなんの。2 番手は僕らのパーティ 女性のMさんは60 歳ぐら
いだが南米大陸最高峰アコンカグアを登頂したというベテラン、細身の体でのピッチ
は確実でアンザイレンのザイルを緩めぬよう気をつけながらステップを切る僕の方が
疲れてしまう。
チンボラソの山頂は東峰と西峰に分かれている東峰が最高点で 6310m、初登頂したウ
インパーにちなんでウインパー峰とも言われている。西峰は標高6267mで少し低く、
その間に鞍部があるので少し下ってからまた登り返さねばならない。鞍部には氷河の
断面がつららか縦ブラインドのように不気味な青氷の縦じまの口を開けていた。
僕らは西稜を登ったので最初に西峰山頂に着いた。山頂はもうすぐだなと思う午前6
時ごろやっと周囲の低い山々の黒いシルエットが足元の雪面の端に見え出した。天気
は高曇り、西峰は平らな雪面でここが山頂だとピンポイントで名指すことはできない。
2 番手で僕らのパーティが西峰に着いたときとっくに着いていたSさんパーティが西
峰山頂に座り込んでいた。全体を見るためパーティを組まずフリーで登っていたツア
ーリーダーの北村さんと僕らのパーティは西峰で留まることなく最高点の東峰を目指
した。西峰から一旦雪の状態の悪い鞍部に下る。一歩踏み込むごとに表層の硬い雪面
が破れ、ボコボコ50cm近くも沈む、まるで最中の上を歩いているようだ。登り返し
てこれも広い平らな雪面の最高点東峰に立つ。360 度の展望だが高曇りのためか景色
は暗い。遠くに見える赤道直下で白い雪をいただく山々も山頂近くには雲が巻き完全
には見えない。しかし意外だったのは麓の山々の緑の青さと濃さだ。この数年中近東
やアフリカの山に通って砂漠や土漠の山々ばかり眺めてきたのでことさらにそう思う
のだろう。1880 年ウインパーとカレルが初登頂したときもまったく同じ眺めを目にし
たのだなと思うと感慨深いものがある
西峰に留まっていたSさんパーティも動き出し、僕らと一緒に東峰に立った。ツアー
リーダーの北村さんの話では現地ガイドはよくこのようにサボろうとするらしい。S
さんもマンツーマンでありしかも言葉も通じないので最高点に行こうとしないガイド
に強くは言えなかったのだろう。
最高点東峰6310mでSさんの用意した日本とエクアドルの国旗を掲げて全員記念
撮影。全員とはいえ2パーティは到着していない。1パーティは西峰まででEND。
もう1パーティは6000 メートルほどでギブアップして下山。結局最高点まで登頂でき
たのはメンバー5 人中僕を含む3人だけだった。高所登山ツアーではなかなか全員登頂
というのは難しい。僕の参加した5000m以上の登頂ツアー8回中全員登頂は大姑娘山
( 中国5025 m ) 一回限りである。もちろん僕は全山登頂だが。
今回のツアーの高度順応は非常にうまくいった。順次高度を上げながら3日間もやっ
たこととプレッシャーブリージング呼吸法をマスターしたことが要因だろう。しかし
体力面で問題があった。夜中の11 時に出発してから午前7 時30 分の最高点まで8.5
時間の上りで体力を使い果たしてしまった。下りはバテバテで足元がふらつく。上り
と同じパーティ編成で下りは僕がトップなのだが事実上ガイドのザイル捌きに支えら
れている状態で、標高5500mから下では何回も尻餅をつく、都度ガイドのザイルに助
けられた。やっとのことでウインパー小屋に到着したのは午前11 時15 分全12 時間
15 分のアルバイトであった。アンザイレンで行動していると一人ゆっくり座って食事
している暇はない、結局12 時間強の行動中口にしたのは小倉屋羊羹3個と寒露飴2~
3個のみの絶食状態であった。
ウインパー小屋に戻りスープで体を温めていたら雪が降り出し、雷まで鳴り出した。
アタック中雨も降らず、風もなく、身の凍るような寒気を感じることもなく6000 メー
トル峰に立てたことは何とラッキーな山行だったことか、しかも高度順応中すら一日
とて雨には会わなかったのだから。
今回の登頂成功で海外登頂山数は15カ国 25 山となった。しかも初めて6000mを超
えた。今までの最高峰はアフリカ キリマンジャロの5895mだったので自己最高登頂
記録を更新したことになる。50 歳代で5000m級の山に登り始め、60 歳代で6000mを
超えた。ならばゴルフのエージシュートよろしく70 歳代で7000m級、80 歳代で8000m
級でもっともやさしいチョーオユーぐらいはいけるのではないかなどととんでもない
ことを夢想している自分に気づくのであった。
完