Lunatic☆Doon(るなてぃっく・どーん)
ルナティック皇后雅子さまがドーンとお出ましになった、の意です。
風は強いようですが、お天気はまずまず。
女性皇族がたが全員御着物で揃われると華やかです。
それぞれのお着物をじっくり拝見したいところですが、先ずは、、、

三笠山から下りて来られる皆さま。
この写真は毎日新聞が記事に添えたものですが、おや?
フォーカスポイントが先頭の今上ご夫妻ではなく画面中央の秋篠宮ご夫妻にあるような構図です。
毎日新聞ばかりでなく、日テレ動画もTBS動画も、同じような構図でカメラを回しています。

日テレ

TBS
😐 偶然の一致でしょうか?
これまで秋篠宮ご夫妻の姿を映さないように映さないようにしてきた報道社が、今回今上ご夫妻より秋篠宮殿下を画面中央にした映像を目立って出した、、、素直に喜びたい気持ちあり、「何を考えているのか」と身構える心もあり。
それとは別に、これもTBSNEWSDIGの1時間余りの動画を見ていて感じたのですが、愛子さまそろそろ盲腸的存在になっているのでは?
どこがどうというのではないですが、愛子さまの存在感が薄くなっているように感じられるのですが…

三笠山を下りて来られる皆さまそれぞれの表情が興味深い。
三笠山を下りたところで、繰り広げられたのはこの光景。
例年より、人数は確かに少なくなっていますが、天皇と皇族方が一列になって対応するスタイルは例年と同じです。


赤青黄色の動線が三本重なっている場所では例年通りに天皇・皇族がたが一列になって対応されていました。
天皇・皇族全員と交流できるこの場所は特等席ですね。最前列は勿論、お声掛けの可能性がある前から2列目も指定席でしょう。
招待客1800人、誰を何処に並ばせるかの段階で自分風(じぶんかぜ)を吹かせたい者は多数いる。やはり、あれやこれやで皇族全員で対応する特等席は無くせないのでしょうね。
招待は1800人、実際の参加者は1440人程度だったという。約8割出席して盛況だったと見るか、約2割の欠席を寂しいと見るか。

長話に興ずる今上と雅子さま。自分語りがしたくてたまらないご様子。
この御二人の長い世間話への対応するために特等席の人数を減らしたのでしょう。

Lunatic☆Doon
ゴルフの青木さんが「ありがとうございます」と話を終わろうとしているのに、「雅子も私もゴルフをしました。イギリスでね」と自分語りを始める今上。
このイギリスは先だってのイギリス訪問ではなく、40年前留学したイギリスを指している。青木氏が全英オープンに参加してイギリスでゴルフしたころに、ご自分達もイギリスでゴルフしたと言いたいのか、、、この御二人、会話の発想はいつも「Like you!」(あなたと同じ)
イギリスで伝説の「63」を叩きだした方に「Like you」

「雅子もゴルフします」と今上が青木氏に言うとニターと笑って青木氏を上目遣いで見る雅子さま、、、Lunatic☆Doon
プロ中のプロに「私もゴルフします」って遊びで触った程度の素人が言います?
今上と雅子さまは、そこからひとくさりゴルフ談義をしたそうでしたが、青木氏は適当にあしらって打ち切り。青木氏すこしムッとしていたような?

今上と雅子さまの世間話がいつ果てるとも知れないので、秋篠宮殿下は2列目3列目にもお声掛けされ、秋篠宮殿下を囲んで笑い声も上がる文字通りの談笑。

自分語りが止まらない宇津木さんを見る青木氏の眼が怖い。
青木氏は、どちらかというと今上と雅子さまの相手をしているという感じでしたが、宇津木さん、高良倉吉 氏、ちばてつや氏は「天皇」に聞いて欲しいことを沢山用意して来られたようでした。話しが長い。
宇津木さんは自分の言いたいことを全部聞いてもらわねば!とばかりに堰を切ったように耳にも止まらない早口で話し、雅子さまが「愛子、、」と言い出されたのに気付かれず無視、今上が「愛子も雅子も」とフォローする。
宇津木さんは「愛子も雅子もソフトボールが得意、(宇津木さんと)一緒にソフトボールすると良い」というようなことを言われて戸惑われていました。
血のにじむよう努力で選手共々世界的レベルになった思いを語ったのに、「愛子も雅子もソフトボールが上手」と言われたら、一瞬戸惑うしかないでしょう。
人数を少なくした分、話も長くなっているようですが、時間配分はどうなっているのか。途中、侍従が今上に耳打ちするも、今上は全く無視して話題を変えて話続け、、、いや、むしろ声を強めて話続け、、、なんでしょうね。侍従に声を掛けられたから意地になられたのでしょうか。相手のほうがもじもじされてました。
結局、今上と雅子さまが話を切り上げないのだから、他の皇族方が夫々のルートへ向かう時間も、もしかして遅れたのではないか、、



愛子さま佳子さま承子さまルートへ一人向かう愛子さま。
裾がすごいことになっています。
三人の中で身位が一番高いので、最初に行かれるのでしょう。

一人、招待客のところへ到着された愛子さまですが、最初のうちこそ満面に笑みを湛えて挨拶されていたものに、いつまでも一人なので不安になられたのか、次第に笑みが消え、無口になられて行かれました。

佳子さま、彬子さまが承子さまが来るはずのほうを振り返られたり、落ち着かないご様子。招待客が話しかけても上の空での頷かれることが多くなって行かれます。
愛子さま、せっかく独り舞台を用意してもらったのに生かしきれていらっしゃいません。これでは、、、

「まあまあ、放っておいてごめんなさい」というように佳子さまが小走りで到着されました。どことなくぎこちなく、気まずい雰囲気が漂い始めた場が一気に明るくなりました。
ルートの待機場所はこんな設え。
空のテーブルはお声掛けが終了したら料理が運ばれて来るのかしら。料理が提供されている大テントは遠い。
テーブルあたりに居るかたとは長めに会話。テーブル無しの列はご挨拶程度のお声掛けと決められているようですね。
テーブル席もテーブル無しの列もお声掛けを賜るのは基本、前列だけのようです。

佳子さまが到着されたのに気づかれた途端に、愛子さまは相好を崩されて、以後は満面の笑顔でご挨拶されていました。

いつの間にか彬子さま、承子さまもご到着。ルート分けしても、一列に並んでのお声掛けスタイルは従来と同じです。
今上ご夫妻ルート、皇嗣ご夫妻と他の皇族がたルートの様子や、お召しものについては、次回で。
TBSDIGのほぼ無編集と思われる一時間余の動画。
【最新映像】春の園遊会 両陛下をはじめ、秋篠宮ご夫妻や愛子さま、佳子さまらが出席(2025年4月22日)| TBS NEWS DIG
佳子様お綺麗でした
如意様のおっしゃるように大変良い画面のお写真ばかりでしたね
雅子さんは 知性も教養もない方とわかりました
30年間なんの研鑽も無く過ごした方なんでしょう
千葉てつやさんが満州から引き上げて 博多で香淳皇后から 白い おむすびを1つずつ お下賜 頂いた思い出を話されましたね
美味しくて ありがたくて みんないただきながら 涙を流していました
ずっと忘れられません
とお話になったのにたいし
お腹も空いてらっしゃったんでしょうねといいましたね
千葉さんも 一瞬ハッとした顔をしましたが さすが大人です
はい 空いていました おいしかったですと おっしゃいましたが
ガッカリでしょう
私も 身内に 満州で子供をなくし 5年経って帰ってきた人がおります
また船の中で子供をなくし 海に流して帰ってきた知り合いもいます
馬の蹄の後に溜まった 泥水を飲んで 引き揚げてきたと聞きます
藤原ていさんのお話 その他 たくさんの方が 満州からの引き上げの体験を本にしていらっしゃいます
皆さん 書かずにはいられなかったのだと思います
ちばてつやさんも今その話を書いていらっしゃるのではないでしょうか
悲惨な引き揚げ体験をしてやっと日本にたどり着き 皇后陛下からいただいたおむすびへの思い
お腹が空いてたんでしょう」と言われたんでは身も蓋もないです
戦争責任を問われていた 昭和天皇
その天皇を支えた 香淳皇后が 引き揚げ者に下賜された
白いお米のおむすび
それを涙してかみしめた思い出
おむすびを下賜された話は 私も昨日初めて聞きました
下賜という言葉も 昨日初めて 会話として聞きました
千葉てつやさんは 陛下に知ってもらいたかったのではないでしょうか
お話したかったんでしょうね
私は 感激 いたしました
両者の思いを想像するに簡単にお腹が空いていたのでしょうねという 令和の皇后はアホより下です
香淳皇后がどんな気持ちで 白い おむすびを下賜なさったか
そのお心は雅子さんには分からないでしょうね
白いおむすびを
下賜 してくださった方の気持ちも
それを頂いて涙をして未だに忘れないでいる人の気持ち
お腹が空いてたでしょうね などという言葉はアホ以下です
雅子さんは30年間 何をしてきたのでしょう
千葉先生 きっと昭和天皇も 香淳皇后も
先生のお話は 昨日 お聞きになっていただいたと思います
優しい笑顔でほんの一言お声かけされて、愛子さまが
すっと笑顔を返したのを見ました。
紀子様の笑顔って本当に素晴らしいです。
しろつめぐささん
こんにちは
>白いおむすび
・・ちばてつや氏は『ビッグコミック』で、何年か前から自伝を連載されています。
全部を読んだわけではないですが、満州からの引き揚げ体験は辛くて読めなかったです。
とてつもなく辛い体験をした方に、何んという言葉をかけて良いのか、難しいですね。
香淳皇后の白いおむすびには昭和天皇と香淳皇后の言葉にならない思いが込められていて、ちばてつやさんはその思いを受け止められたのでしょうね。
ちばさんは、自分が受け取った昭和天皇と香淳皇后の思いと思いを受け取った自分の思いを今上と雅子さまにも受け取って欲しかったのでしょうが、、、
戦中は出征して行く兵隊が、戦後は引き揚げしたきた兵隊が乗った列車の停車駅で篤志家によって白いおにぎりを配る活動は各地でされていたようです。私の知人にもそのような活動を手伝ったかたがいて、兵士たちから喜ばれたこと、その話がいつの間にか兵士に伝わったのか、駅に到着した列車の兵士たちから「〇〇(駅名)のお母さん!」と歓声があがるようになったことなど聞きました。
〇〇のお母さんは米農家で戦後も米には不自由しなかった地域だったから、周囲に声をかけて出来た活動だったのでしょうが、知った時は感動しました。しかも、その活動が戦後も各地にあったと聞いて尚更。
今から思えば、香淳皇后のご活動を知っって「自分も」と思い立たれた人々もいらっしゃったかもしれませんね。
にゃーすさん
こんにちは
今回も紀子さまと佳子さまの愛子さまへの御気遣いの場面、随所で見られましたね。
愛子さまへの肩入れのあまりに、悠仁殿下に冷たくされても、紀子さまも愛子さまも愛子さまに対して優しいお気持ちを持たれていることがわかるとほっとするし、紀子さま佳子さまはなんて素晴らしいかたか、と思います。
もしかして、その時も青木さんに「雅子も私もイギリスでゴルフを」と言う話をされていたりして?
そして今回も同じ話で青木さんにしてみたら「またかよ」だったりして?
しかも「上手くいかない」などと言われても返事に困りますよね。バラエティ番組でも「楽屋で話せよ」と言われるレベルです。
で、「チャンスがあれば 手ほどき しますよ」と返していましたが、うんざりして適当な返事をしたのかしら。
「お役に立てる機会があれば光栄です」などと返していればスマートでしたのにね。
宇津木さんも叙勲を受けられていましたがお茶会はどうだったか、お名前は報道されていませんでしたね。
紀子さまが先頭で森下洋子さんとお話しされていらして、後ろには愛子さん、佳子さま、華子さま、、、
あら、いつも通りじゃないって思ったのですが、このあとに各々のルートを通られたのですね。
第三ルートの愛子さん中心の映像しかなかったのですが、第一、第二も中継されたのでしょうか?
NMRに、紀子さま、久子さま、瑶子さま三人横並びで和やかにお話しされながら歩いていらっしゃる写真があり、表面上だけではない交流をされていらっしゃるのだと良いなと。
紀子さまが先頭と云うことで秋篠宮殿下は既に先に進まれてしまわれていたわけですが、早速YouTubeではご夫妻の足並みが揃っていないことをあげつらう動画が上がっていました。
確かに秋篠宮殿下は紀子さまを待たずにずんずんと先に進まれていかれて、紀子さまが小走りに追いかけていらっしゃるのを目にします。
今上のように雅子さんにべったりを賛美する連中にとっては秋篠宮殿下のなさりようは我慢ならないのでしょうね。
平成も常に皇后を気遣う姿勢でした。秋篠宮殿下は"昔の男”なのかもしれません。
森下洋子さんのお姿に胸が衝かれる思いがしました。
お元気なのでしたら杞憂ですが。
母親は興味を惹かれた男性に対してよくこの顔をしています。
娘の方は頑是ない幼児の作り笑い。
いくら必死に誤魔化そうとしても隠せないものがあるようです
紀子様は、午前中、愛育班員全国大会の式典公務もありました。どんな過密なスケジュールでも、笑顔を忘れません。国民として、敬愛し、誇らしいです。
白いおむすびのエピソード、過酷で悲惨な話しを、どうしても天皇と皇后には聞いて欲しかった。訴えたかった。それなのに、お腹が空いてたんですね、なんて……。人の気持ちを、受け止める心がないのでしょう。自分語りは、さんざんするくせに。
引揚者の為の舞鶴の記念館の悠仁様の態度は御立派でした。
見なければいいヤフーコメントを、また見てしまいました。気品溢れる愛子様、コミュニケーション能力が高い愛子様と、大絶賛。それに引き換え、年増の長振り袖のカコ、愛子様にリードされ中身の薄いカコとか、悪口大会でした。
ヤフーコメント欄は、閉じるべきでしょう。
いつもよりさらにお目覚めが遅かったため夕方の鑑賞(コーム)にさへ遅れそうなマサコ・サマ、せっかく取った三つ星が待っているのでドタキャンはしたくないと、少なめのお昼(?)をすませてお出かけになりました。アイコ・チャンがペンギン・パパの立ち位置を直したりして写真撮影がもたつき、ささっと切り上げたいのに長々とモネの説明をする美術家に、とうとうマサコ・サマはあらわにお苛立ちをお見せになりました。やっと座り込んだ三つ星でヘイカはおずおずと「お腹も空いてらっしゃったんでしょうね‼」😵高貴にして温和なご夫君、才色兼備・外交力抜群の女帝さま、お美しくご優秀な上にもご優秀そのうえ素晴らしいご人格の女東宮さま、国民はなんて幸せなのでしょう、チャンチャン🤣🤣(ホホ、上手でしょっ!あかりは、高森氏に取って代わろうと思っておりますの😁)
ところで、ここからは本当に感じたことです🙂舞鶴の桟橋にお立ちになった親王さんのお写真を見たとき、ふと引き揚げ船から下りてくる復員兵、引揚げ者の列が思い浮かびました。「親王さんが迎えていらっしゃる!」と思いました。戦後80年経っても怨みは残るでしょう。お若い親王さんの純粋な慰霊の思いは何よりの鎮めでしょう🌼昭和天皇が「礼宮の子」とともにおいでになったと言うのは言い過ぎかもしれませんが、本当に胸が熱くなりました💧