憂国の花束

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秋篠宮殿下と山階鳥類研究所

2021-07-27 21:41:10 | 公務
宮内庁は7月26日に
7/26(月)
秋篠宮さま 宮邸(山階鳥類研究所「所員会議」にオンライン出席)
と秋篠宮殿下のご予定を発表しました。
この件についての報道は無かったのですが、おそらく予定通りオンラインで出席されたでしょう。

山階鳥類研究所は、黒田清子さまが紀宮時代に勤務され、内親王として初めて労働対価を得られたことで知られています。
詳細はサイト山階鳥類研究所とは
昭和7(1932)年 山階芳麿博士 
私費を投じて東京都渋谷区南平台にある山階家私邸内に鳥類標本館を建てる。

山階芳麿 1900年〈明治33年〉7月5日 - 1989年〈平成元年〉1月28日) 
 父 山階宮菊麿
 実母山階宮妃範子 旧摂家・九条道孝公爵の次女で、貞明皇后の同母姉。 
 継母山階宮妃常子 島津忠義公爵令嬢。香淳皇后の母久邇宮妃俔子の同母姉。
 山階宮菊麿には5男1女の子がいたが、第一王子武麿が山階宮を継承。
 第二王子~第五王子の4人はそれぞれ山階・筑波・鹿島・葛城 の姓を賜り臣籍降下した。
 よって、山階芳麿の身位は王(皇族)→侯爵(華族)
 1920年(大正9年):7月5日に叙勲、勲一等旭日桐花大綬章受章。皇室の内規に従って臣籍降下を願い出て、7月20日の皇族会議で認められる。7月24日、大正天皇から山階の家名と侯爵の爵位を与えられ、従四位に叙せられる。 

山階芳麿は「旧皇族」と紹介されることが多いが、戦後皇籍離脱した旧皇族とは、その経緯が違う。
山階芳麿博士 山階鳥類研究所サイトにある「回想録」

昭和17(1942)年 文部省から財団法人の許可を得て、財団法人 山階鳥類研究所を設立。

渋谷区南平台にあった山階鳥類研究所。

1986年(昭和61年)秋篠宮文仁親王 総裁に迎えられる。
御成婚(1990年)前なので、まだ礼宮です。21歳。
ちなみに1988年には社団法人日本動物園水族館協会総裁 に就任されています。
悠仁親王も成年皇族になられたら、どこかの総裁に就かれるのでしょうね。

理事長芳麿博士は1988年に没されますが、その後歴代の理事長、所長には、
浅野長愛(広島藩主浅野家、芳麿博士甥)黒田長久(福岡藩主黒田家、祖母は島津忠義公次女)島津久永(佐土原藩島津家、島津貴子夫君)壬生 基博(母 東久邇成子)と、旧皇族華族の子孫の名が並ぶ。

現在の理事長は壬生基博 氏、所長は奥野卓司 氏。
奥野?あの奥野法律事務所の奥野善彦氏と何か関係があるのか、ないのか。笑。

黒田清子さまは、研究所のフェローとして在籍されています。

山階鳥類研究所はその始まりからして、皇室のお身内の集まりのようですね。
研究所の仕事内容もどことなく大らかです。
研究員も身元の確かな方しか採用しないかも?成年皇族となった悠仁殿下が総裁を引き継がれて、自然な形で女性研究員と親しくなれられる。というのも悪くないじゃないですか?