| 鉄砲洲稲荷神社 |
( `m´)|・)
|宮地神仙道誌|
( `m´) 「…もみちゃん
東京バナナは 食べ終わったし
宮地神仙道誌も読んだし
これから何をしよう」
|・) 「外に お出かけしたいもん。」
( `m´) 「…いいねぇ
それじゃ これから八幡書店に遊びに行こう!」
++++++++++++
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ 「…まーあ
こんな所で 会うなんで奇遇じゃない♪
あなた達 八幡書店に来たの?
アタシも もちろん一緒に入るんだから♪」
( `m´)|・) | 八幡書店 |
( `m´)…
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ( `m´)|・) | 社主は現在 外出中です |
( `m´) 「…武田のおじちゃんは 外出中のようだねぇ
中はやっぱり 本が山積みになってるんだなぁ」
( `m´)|・)
| 異境備忘録 |
( `m´) 「…もみちゃん
ここに 異境備忘録が置かれているね!」
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζつ 「…ちょっと
アタシの妹に 宮地神仙道を勧めたら駄目なの!
もみじちゃんは 吉田神道の子になるはずなんだから」
( `m´) 「…何 言ってるんだろうねぇ
あっ 列仙図賛があるから
ちょっと読ませて 勉強させてもらおう。」
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ( `m´)|・) ガラッ
( `m´) 「…武田のおじちゃんが 帰って来たのかな?」
(緑っち宮司) (出 口 光)
ζ~( `m´)~ζ( `m´)|・) (`m´ )
(出 口 光)
( `m´) 「…変性女子が 今日
八幡書店に向かったという事を 突き止めたのだ!
さあ 変性女子は
その足で 大本本部に来るのだ!!!!!」
( `m´) 「…もみちゃんは 宮地神仙道の子で、
大本教の子じゃないんだぁ!!!」
(出 口 光)
( `m´) 「…理事長の私の目から見るところ、
宮地神仙道は
不良学生の たまり場のような所じゃないか。
変性女子は 大本で しつけし直さなくては。」
( `m´) 「…大体 変性女子の予言には
『変性女子は 美濃か尾張の国の中に現れる』
とあるじゃないか!
もみちゃんとは 関係ないんだぁ!!」
(出 口 光)
( `m´)つ ミ|宮地神仙道玄義| ! (`m´ )
(出 口 光)
( `m´) 「…おっと
ここに 霊界物語があるではないか」
(出 口 光)
( `m´)つ ミ| 霊界物語 | ! (`m´ )
( `m´) 「…ここに 神仙秘書もあるやぁ!」
(出 口 光)
( `m´)つ ミ| 神仙秘書 | ! (`m´ )
(出 口 光)
( `m´) 「…新月の光(かけ)が ここにある」
(出 口 光)
( `m´)つ ミ| 新月の光 | ! (`m´ )
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ
(東京バナナ)(東京バナナ)(東京バナナ)
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζつ 「…まあ
ここに東京バナナがあるから
食べちゃおっと♪
やっぱり 美味しいわねー♪
あっ」
(緑っち宮司)
ζ~(`m´ )~ζ ==================3 ブーーーーーーーーーーーッ!!| 本 | | 本 |
(出 口 光)
====(ガス)======3| 本 || 本 | | 本 || 本 || 本 | !(`m´ )
| 本 | | 本 || 本 || 本 |
J(ΘwΘ)し | ガラッ
(緑っち宮司) (出 口 光)
ζ~( `m´)~ζ( `m´)|・) ( `m´) J(ΘwΘ)し
| 本 | | 本 |
| 本 | | 本 || 本 |
| 本 | | 本 | | 本 || 本 |
| 本 | | 本 | | 本 | | 本 |
| 本 |
| 本 | | 本 |
J(ΘwΘ)し 「…お前達
ワシの留守中に 何を勝手に やっとったんや。
片付けに 丸一日 かかるやないかい。」
(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζつ 「…それじゃ 東京バナナも食べ終えたし |・)!
もみじちゃん
アタシと一緒に 大阪に帰りましょうね♪」
|ミ サッ!
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごのりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどないものに逆らって
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
(株)サンリオ 魂のいちばんおいしいところ
谷川俊太郎詩集
|・)…
神道では 神像や神図を用いないという事で
神道では それでよろしいのだけど
今まで見てきた限りでは
神道ばかりの人が
神仙のイメージを表そうとすると
どうしても 表す形が貧弱になってしまっていて
神仙を表そうとする時の 表現が貧弱な場合、
どうしても その人の中の神仙の感覚も
貧弱になってしまったりしていて
結果 そうい人が 「神仙道」と言っても
どこにも繋がっていないような
浅いものになってしまったりしていて
神仙の深いイメージの図像に触れる事が
意外と重要であると感じるばい。