江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ グッド・ナイト・スリープ・タイト

2007年07月16日 | 江利チエミ(続編)

グッド・ナイト・スリープ・タイト=ぐっすりおやすみ

この曲は1959年の映画「五つの銅貨」の中で歌われました。

ジャズプレーヤーを題材にした映画には、ベニー・グッドマン物語、グレン・ミラー物語、ジーン・クルーパ物語などスイングジャズスターのものが上映されていますが、この作品は、レッド・ニコルスというコルネットプレーヤーを題材にしたものでした。
トランペットより小さな「コルネット」という楽器を、私はこの映画で知りました。
映画は、ダニー・ケイがレッド・ニコルスを演じ歌を歌うミュージカル仕立てでしたが実在のレッド・ニコルスはボーカルはやらなかったのだそうです。

この映画には、ちょうどこの後から実業界に転進して歌手活動をやめたビング・クロスビーの実弟、ボブ・クリスビーも出演していました。
ダニー・ケイのコルネットをニコルズ本人が吹替えを担当している他、ルイ・アームストロング、レイ・アンソニー・シェリー・マン、ボビー・トループ、等が出演していました。
グッド・ナイト・スリープ・タイトは、確かボビー・トループが歌ったナンバーだと思います。彼は「ルート66」の作詞・作曲者でもあり、美人女優/歌手のジュリー・ロンドンの夫で、彼女に歌を唄わせて大ヒットとなった「Cry Me A River」をプロデュースしています。
歌手としてとりわけ美声でも声量があるわけではありませんでしたが、軽妙洒脱・・・ということばがピッタリな都会的なセンスを持ち合わせた人・・・という印象があります。
(とはいえ、歌の場面以外はほとんど台詞は吹き替えの淀川センセの日曜か土曜洋画劇場でみた昔むかしの記憶です。)


五つの銅貨 オリジナル・サウンドトラック

この映画のストーリを「初めてのJAZZ」HPさんより引用させていただきます。
>1929年、ユタのド田舎からニューヨークに出て来たコルネット奏者レッド・ニコルズはホテルのバンドで吹き始める。
大都会での初めての晩、仕事の後に出掛けたモグリ酒場で、生まれて初めてのアルコールを飲む。したたかに酔ったレッドはステージに乱入、果敢にも演奏中のサッチモにコルネットで挑むが、悪酔いして観客の失笑を買う。しかし酔いを醒まして再挑戦、最後は大喝采であった。 そして同席したコーラスガールのウェラと恋に落ち、2人は結婚する。このスピーク・イージー(モグリ酒場)のシーンは本当に面白い。多分、ここまでの僅か10数分ですっかりこの映画に魅了されている筈だ。  
いけすかないバンド・マスターを殴り飛ばし、レッドは職を失う。「僕のパンチは2人分さ」というレッド、結婚初日で2人とも失業してしまった。 生活のためラジオの仕事を渡り歩くレッドだが、これもまた大騒ぎである。エスキモー姿で右手にコルネット、左手に鈴。最初はおとなしく流行歌手の伴奏を務めるが、突然ジャズ風のアドリブでバクハツする。場内爆笑、その場でクビ。
ハワイアン・バンドでも、ロシア民謡でも同様の失敗をしでかし生活はままならない。いやー、このシーンも最高だ!どの設定、どの失敗も爆笑である。コサック姿でロシア民謡を唸りながらおどけ、踊りながら超絶フレーズを吹くなんて、一流のエンターティナーであるダニーにしか出来ない芸当だろう(コルネットのみ吹き替え、歌は本人)。
解説で詳しく書くが、この映画、他のジャズ映画とちょっと違うのだ。 苦労続きのレッドだったが、新妻ウェラは強かった。カフェでクダを巻くグレン・ミラーやジミー・ドーシーらにレッドのアレンジ譜を渡し、「あなたたちとは違う!」と怪気炎を上げる。苦笑いしていた彼らだが、譜面に目を通すと...洗練されたデキシー・サウンドで、これが実にユニーク!彼らをメンバーに「レッド・ニコルス&ファイヴ・ペニーズ」の結成と相成った。  
他に例のないレッドのサウンドは大人気を博し、全米の大学パーティーなどにひっぱりだこだ。そんな最中、初めての子供が誕生。可愛い女の子であった。しかし依然、旅暮らしは続いた。子供の誕生を期に「ニューヨークに落ち着く」と言っていたレッドだが、なんともままならない。深夜までにぎやかなジャズ・メンの生活も問題があった。5歳になった娘・ドロシーはすかっり彼らのペースに巻き込まれてしまったのだ。 深夜のジャズ・クラブで再びサッチモと共演、今やレッドも大スターになっている。そしてドロシーも一緒だ。子供の教育上は極めてよろしくないが、音楽的にはこのシーンも素晴らしい。なんといっても演じているダニー本人の歌でサッチモと張り合ってしまうのだから! 
ツアーの契約を取り続けるレッド、遂にドロシーは寄宿舎に入れられてしまった。父はバンド・リーダーとして、母は専属歌手として人気絶頂だが、そのために彼女はクリスマスの晩でさえ一人で過ごさなければならなかった。
皮肉にもラジオからは父親の歌うクリスマス・ソング。そしてドロシーは脊髄生小児麻痺(ポリオ)に倒れる。彼女を見舞った病院の帰路、レッドは愛器のコルネットを金門橋から投げ捨てた。医者の言葉は「ドロシーは一生歩けない」だった。  
音楽をやめ、造船所で働くレッド。ドロシーの介護とリハビリに必死だ。彼女の14歳の誕生日、友人を集めてのパーティー。このシーンが後半のヤマ場であるが、辛いシーンでもある。「ベニー・グッドマン、ジミー・ドーシー、グレン・ミラー、ジーン・クルーパ...みんなパパの楽団にいたのよ」という母親の言葉に半信半疑のドロシーと友人達。そこにレッドが帰宅する。心ない彼らの言葉の数々、嘲笑はともかく「売れているうちにやめて正解」という言葉には「何がわかる!」と怒りを露(あらわ)にした。引退の本当の理由は、ドロシーなのだ。彼女はそれを知らない...。
ウェラが仕掛けた食事の席で、久々にドーシー兄弟に会う。「引退して悠々自適」と嘘をつくレッド。帰宅後、ドロシーがやっとかつてを思い出して父に言う。「昔を取り戻すのは大変なの?」。
レッドが、再び、楽器を手にする。  猛練習を重ね、地元のクラブでカムバック・ステージが行われた。閑散とした店内にサッチモを先頭にした昔の仲間たちが演奏しながらやってくる。たちまち場内は満員に。そしてステージのレッドにウェラが「後ろを向いて」と言う。レッドが正面に向き直ると...「踊って下さる?」、杖なしで立つドロシーがいた。ウェラの歌う「ラグタイムの子守歌」に合わせて踊るレッドとドロシー。そしてあの、ニューヨーク初めての晩に演奏した「聖者の行進」を奏でて陽気にエンド・マークである。

ぐっすり=タイト・・・
チエミさんは英語に通じていたので、この表現の異質さを感じて邦題を採用しなかったのかも???
ぐっすり には 脱力... といった日本人の睡眠意識「安眠」のイメージにに繋がります。
それに対して、タイト は しっかり=ぎゅっと という感じを受けませんか??
親の愛情にしっかり包まれて安心しておやすみ!!
  ・・・そのイメージが原題の方が通じるように思うのは考えすぎかもしれませんね。
 


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